第十八話 英雄の息子
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約6時間前。レムゴール大陸南西端と思われる海岸に位置する、ハルメニア人の領地ハルマー。
海岸にほど近い高台に建設された、城塞。短時間で防衛機能と生活空間、補給拠点の機能を付与されたその場所の外側は、石垣と鉄柵の城壁で覆われ、4箇所の門には全て番兵が控えている。ここを出入りするのには、常に厳重なチェックが必要とされる。未知の大陸において厳密な人員管理を施し、勝手な行動を起こしたり、行方不明者を出さない様にだ。当然、任務外の行動に打って出ようとする者がいればたちまち見咎められ、目論見は阻止される。
ハルマー東部の森林入り口。城塞を望む樹々の根の間にある洞穴の一つから、人影がゆっくりと這い出てきた。
レミオンである。彼は慎重に周囲に人が居ないことを確認しながら、1m程の径しかない穴から大きな身体を放出した。
銀色の長い髪も、カモフラージュ用か身につけていた迷彩柄のマントも、土埃で汚れ放題だった。彼は咳払いをしながら埃を叩き、ゆっくりと北東方面に歩みを進めようとした。
数m歩いたところで一気に駆け出そうとした瞬間――。
彼は肩に手の感触と、背後の人間の気配を突如知覚して、飛び上がりそうになった。そして振り返り、全てを察しながら安堵と絶望のため息をついた。
「ルーミス叔父さん……あんたかよ……。
そうだよなあ……俺ごときの魂胆、あんたやラウニィー様ぐらいのお方だったら全部、お見通しだよなあ……」
「そういう、ことになるなレミオン。
付近の洞穴の情報を女兵士から聞き出し、近い場所に向けて結晶手で地下を掘ったな。だが魔力を消すのが下手なオマエの気配は、感覚を向けてるオレには丸わかりなんだよ。
一応聞いておこうか? そうまでしてオマエが行きたい場所と、その理由を」
普段と何ら変わらない、にこやかな表情で穏やかに尋ねるルーミス。レミオンは完全降伏したように首を振って答えた。
「決まってるさ。前線に出てるアシュヴィン達に追いつき、戦線に加わるためだよ。
単に退屈すぎて、ここは俺の居場所にはなりえねえ、戦いてえてのはあるよ。だがそれより……。
親父は平和、対話路線第一なんざ甘っちょろいこと云ってるが、人間同士の利益、領土の問題だ。レエテ母さんの力で治まったハルメニアのような奇跡なんて、どこでもある訳じゃねえ。俺の勘では相当に早い段階で戦争になり、俺の力も必ず必要になると思ってる。
そうなったら何より……友達てえか、家族のこたあやっぱ心配じゃねえか。ここぞって時に俺がいねえとあいつらダメだからさ……。まあ理由としちゃそれが全部だね」
普段のシエイエスや、幼馴染に対するそれとは大きく異る、素直で落ち着いた態度だ。
レミオンにとって叔父ルーミスは幼少期から遊び相手でもあり、頭から怒られることなく何でも気兼ねなく話せて、いつも悩みや問題に答えをくれる信頼すべき相談相手だったから。
脱走が失敗に終わったのは無念だが、相手がルーミスなら仕方ない。自分を片手でねじふせるほどの絶対強者だということもあるが、彼のことを信頼しているし裏切ることはできない。大人しく連れ帰られ罰を受けるしかない。そう思っていた。
だが意外にもルーミスは笑顔で頷いた後に、想像もしない言葉でレミオンに語りかけた。
「わかった。オマエがそこまでちゃんと考えているなら、オレは止めない。アシュヴィン達の所に行ってやれ」
レミオンは不意をつかれた驚きの表情で、ルーミスを見た。
「……え? 本当かい……? で、でもそれじゃ、叔父さんが後で親父から……」
「兄さんから、オマエをそれとなく見張るよう頼まれたからな。責任は多分ジャーヴァルスやヘレスネル辺りのお堅い奴らから問われるだろうが気にするな。オレが自分の意志で可愛い甥っ子を見逃すだけだからな。
オマエは子供のときから問題も起こすが、時々誰にも真似できないやり方で友達を助ける奴でもあった。それは必ず調査団の力になるとも思ってる。皆を頼んだぞ。……エルスリードの事もな」
それを聞いてレミオンはフッと笑みを漏らした。関係が上手くいっていない義理の父娘ではあるが、ルーミスも何だかんだ云ってエルスリードへの心配が一番なのだ。彼女を全力で護る自分に、託しているのだ。そう感じたレミオンは、近づいてルーミスに抱擁を交わし、力強く云った。
「わかった。心配しないでくれ、叔父さん。皆の命も、エルスリードの命も、俺が絶対に護って見せるからよ」
「ああ、頼んだぞ、レミオン……」
そして森林の深い緑の中に消えていくレミオンの背中に向けて、ルーミスは心中つぶやいた。
(レミオン……。兄さんもな、こうなることはとうにお見通しだったよ。
自暴自棄で向かわないよう、必要ならお前がついてやってくれ。そう言付かってたんだ。だが大丈夫だと、オレは信じた。健闘を祈る。
早く気づいてくれることを祈ってるよ。兄さんが父親としてオマエのことをどれだけ心配し、愛しているのかをな)
そう云うと、ルーミスはハルマーへ向かって踵を返した。
断片的に得た調査団の行軍計画に沿って、地を走りながら、時には大樹の枝から枝を伝いながら――。足跡を追っていったレミオン。サタナエル一族の無尽蔵に近い体力を存分に活かし、ほぼ休憩なしで移動を続けてきた結果。ハーミアの導きか、引き返してきた当の相手エルスリードと、もう一人の大切な相手、姉エイツェルが身を置く戦場に遭遇したのであった。
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“ギガンテクロウ”テオスの翼の刃を、両結晶手で受け止めるレミオン。彼の怪力は怪物の巨大な膂力と拮抗し、危機を回避したかに見えたが、エルスリードの両腕は触手で固定されたままだ。このままでは二人ともやられる。
そこへ――地を這うように閃く、一条の斬撃。
それは触手を直撃し、切断はできなかったものの切り刻むことに成功し、力の緩んだタイミングでエルスリードは素早く危機を逃れた。
「エイツェル!!!」
攻撃後、素早くとって返し子供達の元に全力で駆けるエイツェル。
状況を見かねた彼女が、一時子供達を置いて駆けつけたのだ。そして二本の触手を、硬い結晶手で刻んだのだ。
「おっと? 目標が無防備なら、遊んでるヒマないネエ!!」
“ネト=マニトゥ”のキラとキリトを確保すべく、レミオンを振り払ってエイツェルの背後を襲おうとするテオス。しかし――すぐに左脚に圧迫感と痛覚を感じ、目を向ける。そこには、脚に絡みつき、怪力でそれを締め上げるレミオンの姿が目に入った。
「どこへ行くんだよ……化けガラス。まだ始まったばっかじゃねえか。まだまだ俺と遊んでくれよ……!!」
胸と腕の筋肉が膨張し、血管が貌までびっしりと浮かび上がるレミオンの異相。サタナエル一族でも上位に位置する腕力を、限界以上まで発揮させている。鳥類の獣脚形状をなす結晶も、ヒビが入りどんどん締め上げられている。
痛みと、取るに足らない存在に自分の行動を邪魔される苛立ちからか、テオスの軽薄な表情から笑みが消えた。
「うっとおしいゴキブリだねえキミは。お仲間より先に死にたいっていうんならお望みどおりにしてやるけどサア!!」
エイツェルに向けて羽ばたこうとした黒い翼を、変形させ刃とする。レミオンに攻撃を加えようとしたテオスだったが、すかさず別方向から襲い来る気配に気がついた。
その方向に向けて――自らの左脚を向け、「防御した」。
「は――あああ! いやああ!!!」
悲鳴を上げたのは――テオスに魔導を向けた、エルスリードだった。手を広げ“原子壊灼烈弾”を放った直後、敵がそれに対しレミオンを盾にとったことに気づいたことでの絶望だった。
「――!!!」
すぐにそれを回避しようと動いたレミオンだったが、避けきることはできなかった。
原子を消し去る魔導の力は無情にも、レミオンの胴を大幅に削ぎ、彼の下半身を分離させた。
墳血と気の遠くなるような激痛に襲われ、レミオンは悶えた。
「がっ――は!!!!」
「レミオン!!!! レミオオオオオン!!!!!」
普段冷徹なエルスリードが、涙を流し半狂乱になって叫んだ。その地獄の状況に気づき、エイツェルも蒼白になって振り返り動きを止めた。
しかし――レミオンはすぐさま、恐ろしい気迫のこもった眼光を復活させ、思いもよらぬ行動に出た。
「うおおおおおおらああ!!!!!」
幸い心臓に損傷がなかったからか、上半身だけになったレミオンは恐るべき膂力で跳躍し、テオスの人間の胴体部分に組みついた。そして右結晶手を振りかぶりそこに攻撃を加えようとする。
内臓の極端な損傷から凄まじい吐血をし、出血量から見ても意識が朦朧としているであろう状況で。それに加え――。
「うわああああああ!!!! 化け物!!! レミオンを返せ!!! あたしのレミオンを返せええええ!!!」
最愛の弟の凄惨な状況に、完全に冷静さを失ったエイツェルがテオスの脚部に殺到し、メチャクチャに結晶手で切りかかっていた。
まずレミオンの結晶手攻撃をたやすく翼の刃で防御したテオスは、苛立ちをさらに募らせ怒りの形相となった。そして翼を手の形に変形させるとレミオンの上半身を無造作につかみ取り、足元のエイツェルに向かって強烈に投げつけた。
レミオンの身体は投石のようにエイツェルに激突し、二人は折り重なって吹き飛ばされ、地面に倒れた。
「ぐはっ!!」
「かっはあああ!!!」
悲鳴を上げた姉弟は、ダメージでそのまま起き上がれずに倒れ伏した。
その様子を、貌を両手で押さえて震え、茫然自失状態のエルスリードが見ていた。彼女はレミオンを自分が手にかけてしまったこと、それによって彼が無残な状態になったあまりのショックで思考が停止し、身体が硬直してしまっていたのだ。
テオスは不快さを振り払うように大きく激しく、首を左右に振った。それで幾分かの冷静さを取り戻したのか、弱者たちを始末しにかかった。まずは生命力が強い二人の姉弟を仕留めようとしたか、巨体を進め近づいていった。
「鬱陶しいよねえ……。 ただの“マニトゥ”ごときにここまで不愉快な思いをさせられたのは、正直初めてだよ。だが所詮ボクらエグゼキューショナーの敵じゃあない。さっさと目の前から消えてもらうよ。そしてキミら――特に少年、キミのことを一刻も早く忘れることにしヨウ」
そしてテオスは先程エルスリードにしたのと同じように、断頭台の斧のように翼の刃を天から振りかぶった。今度は嬲る意図はないからか、極めて早い動きだった。それが上空から降り注ごうとした瞬間――。
「――そこまでに、しといてもらおうかい、エグゼキューショナー。
それ以上、その活きのいい小僧をどうにかする積りだってんなら、俺が相手になるが――どウダ?」
低音で良く響く、レムゴール訛りの男の声。それを聞いたテオスの貌は一気に青黒くなり、即座に刃の動きを止めた。
彼が振り返った先に居たのは――立髪までも含め全身漆黒の、巨馬。それにまたがった一人の男だった。
おそらく身長180cmほど。自身も黒いブーツ、黒いズボン、黒いシャツと黒いベスト――黒い大きな帽子に身を包み、馬と併せ巨大な黒いシミのように見える男だった。
色が異なるのは、肩よりも伸びたストレートの金髪、女性のように白い肌の貌だけだ。
引き締まった、野性味を感じさせる男らしい貌立ちだった。金色の無精髭に覆われた不敵な口元には葉巻の煙草が咥えられている。
睫毛の長い大きな目も不敵そのもので、青く光る瞳は吸い込まれそうに深く、途轍もないエネルギーが内包されているように感じられる。
彼の存在を認知したテオスの様子は、豹変した。
表情から余裕さ、不敵さが一掃され、変わって現れたのは、明らかな「畏怖」だった。
テオスは震える声で、その男に向かって叫んだのだった。
「ドラガン――“不死者”ドラガン!!!
なぜ――なぜ貴様がこコニッ!!!」