第十六話 神の子ら
調査部隊前衛の戦場となった箇所から、南西に10kmの森林地帯。
そこに、移動を続ける一行の姿があった。
安全なハルマーを目指すエイツェルとエルスリード。彼女らに護衛される女性セレン・コルセア。そして彼女の子供である“ネト=マニトゥ”、キラ・コルセアとキリト・コルセアの姉弟。その5名だった。
長い行程になるうえ、一応の安全な場所まで逃れたとの判断もあり、10代の姉のキラには歩いてもらい、幼児のキリトだけをエイツェルがおぶる形でゆっくりと歩いていた。
キラは、エルスリードと手をつないで後ろを歩いていた。元々エイツェルに比べ子供が苦手なエルスリードだが、今はさらに緊張と憂いを帯びた表情でキラの金髪巻毛の頭を見つめていた。
少なくともハルメニア大陸の人間にとって、魔力とは生物を含めた万物に宿る自然の力。これがなければ自然の気配を感じとることも、魔工の恩恵を受けることも、耐魔を行使することもできない。生まれつき手足がなかったり、脳に障害をもって生まれてくる者もいるが、魔力を持たない人間など、歴史を紐解いたとしてもただの一人として存在しない。そのような人間は、魂がない人間と同義の――もはや人間と呼べぬ別の「何か」でしかない。生粋魔導士のエルスリードにとっては尚更他の人間よりもその意識が強い。姿かたちは全くの人間の子供で、中身も純粋そのものと見えたが、人形か幽霊にしか感じられない相手と手をつないだ時は、全身が総毛立つほどに怖気を震ってしまったほどなのだ。
「なあに、おねえちゃん。わたしの髪になにかついてるの? ちょっと変ダヨ?」
エルスリードはキラに声をかけられて、飛び上がりそうなほどに驚いた。キラの声はいたって普通の女の子のものだが、彼女の異常性に加えその聞き慣れないレムゴール訛りも嫌悪感に拍車をかけていたのだ。
「なな……何でもない……わよ。ちょっと考え事をしてボーッとしてただけ……」
「おねえちゃん、あのエイツェルおねえちゃんより頭がよさそうで、かっこよく見えたのに、わたしのかんちがいだったのかなあ? さっきからずーっとそんなちょうしで、何かたよりさなソウ」
キラの言葉を聞いたエルスリードは微妙な表情を浮かべた。この子はたしか11歳だと聞いたが、なかなかに増せた性格のようだ。
「ハルメニアの人ってことばも変だけど、何かやってることも兵たいさんらしくない。そんなことじゃあ、“えぐぜきゅーしょなー”のあくまには、勝てないよ? あいつら、ほんとうに怖いんだよ? まっくろいクモとか――おおかみとかに化けて、たくさん人をころすの。ジェイムスのおとうさんも、マシューのおかあさんもみんな、あいつらにころされたんだから。ちゃんとわたしたちを守れるの? ネエ」
「キラ! この人たちは私たちを守ってくれてるんだから、そういうこと云わないの! 静かにしてなサイ!」
セレンが母親らしい口調でキラを叱りつける。
「化ける」。アシュヴィンと違いアンネローゼの変化はおろか、結晶手や不死身の様ですら見ていないエルスリードにはセレンが聴取で話した内容に実感がなかったが、キラが言葉で伝えようとする危機感は伝わったような気がした。
「私は――あなた達を守ってみせるわよ、キラ。
お姉ちゃんはね、こう見えてちょっとした魔導士なのよ。あの木も岩も――あなたの云う敵も、この世から消しちゃえる魔導を使えるのよ。私達の仲間がいっぱいいる場所まで、ちゃんと連れていってあげるから」
子供に対し不安感を払拭してやりたいという思いから発したエルスリードの言葉だったが、キラは貌をしかめて振り、エルスリードにつっけんどんに返した。
「ものを消しちゃうまどうなんて、聞いたことない。わたしが子どもだからって、バカにしてるの?
もういい。わたしやっぱり、エイツェルおねえちゃんにおんぶして走ってもらって、あん全なところまでいくカラ!」
そう云うが早いか、キラはエルスリードの手を振り払い、勝手にエイツェルの元に行こうと走り出した。
母セレンはそれを見咎め、目を剥いてキラを押し留めようと駆け寄った。
「キラ! 勝手なことするんじゃないの、この子は! ちょっと、止まりなサイ――」
キラの服の襟に手を伸ばしたセレンだったが――。
その手が娘に届くことは、なかった。
娘のキラが目を見開く、その前で――。
セレンの喉から胸にかけて、何かが「生えていた」。
薄く、「羽」状になった、漆黒の刃。
いや、結晶。
長さ50cmほどのそれが、彼女の延髄から身体の前面にかけてを貫通、していたのだ。
たちまち傷から噴血し、恐るべき苦悶の表情となったセレンは、言葉にならない音を発しながら、徐々にくずおれていった。
「……ラ……! ああ……が……かああア……ア……!!!」
「お――かあさん!!! おかあさあああああアン!!!!!」
泣き叫ぶキラに目をやることなく、エルスリードは――「攻撃」を仕掛けた相手の方向をみやり、親友に向かって目を向けずに叫んだ。
「エイツェエエエエエル!!!! キラを護ってえ!!! 私から離れていてええ!!!」
叫ぶいなや、広げた両手から赤黒い不気味な球体を発生させる。そしてそれを円錐状に変化させると――。森林「上空」へ向けてそのエネルギーが放たれた。
「原子壊灼烈弾!!!!」
かつてサタナエル将鬼フレア・イリーステスが使用し、ノスティラス皇国軍人を始めとする幾万もの人間を死に追いやってきた“絶対破壊魔導”の汎用技。現時点エルスリードが放てる最大の技としてそれは上空へ登っていった。
直径2mの大きさを誇る、赤黒い光の円錐。それが触れた瞬間に、樹の幹も枝も葉も――。土着の小動物や鳥類も一瞬にして、えぐりとられるように消滅、または身体の一部を失って墳血とともに大地に落ちた。
そしてそれらを突き抜けた先で――。
「何か」を確実に捉えた手応えが、術者であるエルスリードの手に返ってきていた。
「キラ!!! 早くこっちへ来て! エルスリード!!! やったの!?」
駆け寄って子供たちを護り確保するエイツェルは、エルスリードに向けて叫んだ。
エルスリードは――拳を握りしめて返した。
「――いいえ。残念ながら。敵はまだ――生きているわ!!!」
そのエルスリードの言葉と同時に、上空へ向かってエルスリードが開けた「穴」を辿るように――。
何かが、下降してきた。
樹上から降りてきたのでは、ない。上空からゆっくりとホバリングしながら、下降してきたのだ。
「そんな……そんな。これって、まさか……」
エルスリードが目を見開きながら呟く。エイツェルも一瞬、言葉を失って青ざめた。恐怖に怯える子供達と一緒に。
それは、形態だけを表現するならば、「鳥」に最も近かった。広げられた黒い翼、胴体、鉤爪をもつ二本の脚。ただ大きさは巨大だった。おそらく完全に広げれば翼長は5m、全長は3m近くになるのであろう。ハルメニア最大種のロック鳥には及ばないものの、グリフォンの体躯には近似のものといえるだろう。
だがそれは決して、鳥などではなかった。その証拠の一つに、身体を覆うものは羽などではなく、羽に極めて近い薄さと形状をもった黒曜の石。“結晶手”と同様の結晶に他ならなかったからだ。
その「羽」は、左側にエルスリードの魔導の直撃を受けて真円状に消滅させられ――。断面から血をしたたらせていた。
それ以外にもう一つ――決定的な違いがあった。それが鳥ではない最大の証拠は、頭があるべき場所に存在する「人間男性の胸像」だった。七三様に整えた金髪と、太めの眉ながらあどけない童顔。肉体の逞しさから20代前半と見え、翡翠色に輝く大きな目は好奇心と同時に刺すような殺気と酷薄さを湛えている。
エルスリードは初めて目にするが、独特の刺々しい真紅の重装鎧に身を包んだその胸から上だけ、腕が鳥の胴体に埋まった人物は当然のごとく生きていた。それが本体であり、鳥の形態はあくまでアンネローゼ同様の結晶と肉体膨張による変化でしかない。それがすなわち、この男の正体を物語っているのだった。
男はエルスリードとエイツェルの姿を見て軽く口笛を吹くと、男性にしては高音の声と、極めて軽薄な口調で言葉を発した。
「……ブラヴォー!! こいつは当たりだあ! 目標にジャストでたどり着いた上に、戦力はザルで――。しかもこんなカワイイ女の子だけだなんてええ!! ヒヤッハアアア!!!」
上空に向けて歓喜の言葉を発した後、男はエルスリードを見据えて話しかけてきた。
「さっきの魔導……だーいぶ痛かったよ? 見たことないやつだから油断できないけど、このボク――エグゼキューショナーの“ギガンテクロウ”、テオス・デュークにかかっては残念ながら敵じゃあない。
ああ、そんな貌しなくていいんだよ……ボクに追いつかれたのは、リザードグライドしか見てないキミらの責任じゃあない。ハルメニアの常識は知らないが、どんな天才指揮官でもたぶん空から高速で襲ってくるとは想像もしないだろうからね。
さあ、ボクの望みは分かってるだろ? 早くそこの“ネト=マニトゥ”のお二人を返してくれないか? キミらを悪いようにはしないから。勿論逆らってくれるのも歓迎だ。その方がボクも久々に楽しめるってものだカラ」
男――テオスをはるか上に睨み付けながら、エルスリードは考えていた。
周囲に、他に際立った魔力は感じない。この化け物はおそらく己の能力への自信から一人で襲ってきている。追っ手や伏兵はいまい。
だが――戦力の分は、こちらにはない。雑兵ならともかく、この男が本当にエグゼキューショナーだというのならば、ロザリオンやメリュジーヌですら打倒できなかった実力の相手である。
そして地に転がる、致命傷のセレン。彼女の救命も必須で、すぐにエイツェルが持参する止血膏で手当を要する状況なのだ。
何とか――どうにかして自分が犠牲になってでも、エイツェルにコルセア一家を救助させねばならない。そのための突破口として、エルスリードはある決断を下した。
構えを解かないまま、エルスリードは恐ろしく酷薄な目をエイツェルに向けて、思いも寄らない言葉を放ったのだ。
「エイツェル!!! 今すぐにそのガキどもを人質に取りなさい! 何なら一人殺しても構わないわ! そんな得体もしれない連中のために私達が犠牲になる理由なんてない。早く首に結晶手を!!!」