第十五話 超戦士の参戦
レムゴール大陸、ハルメニア人の領地ハルマー。その北西の海岸部にて航海を進める、一隻の船があった。
黒い金属板で覆われ、数々の魔工を張り巡らせた大型キャラック船。
“死海”をも越えてきたハルメニア大陸最先端の船“魔工船”に他ならなかった。
これは、陸路を探索するシエイエスの司令により、自身と異なるレムゴール西側海岸と思われる海域を調査するために派遣された、アトモフィス船だった。その船の指揮官といえば勿論――。
「うう――っ!!!」
急に身震いして身を縮こまらせ、自身の腕を抱く一人の女性。
黒衣黒帽子の武装した女戦士。シェリーディア・ラウンデンフィルの姿が艦橋の上にあった。
「どうなされました? 大事ございませぬか、シェリーディア様。霧も出ておりますし冷え込んでもおりますし、風邪など召されては一大事。状況把握はワタシにお任せ頂き、ご休憩に入っていただくのがよろしいかと」
背後から掛けられた若い女性の声。それを聞いたシェリーディアの貌は、朗らかな彼女にしては珍しく曇った。そして不機嫌そうな声で相手に答える。
「何でもねえよ……。なんか悪い予感っていうのか、変なモノが背中をよぎって寒気がしただけだよ……ヘレスネル」
シェリーディアの返答を受けた小柄な眼鏡の女性――ヘレスネルは、丁重な礼を崩さぬまま云った。
「そうは云われるものの、航海に出てから同じ発言を3回、近いものも含めれば4回されておられます。いい加減、体調の問題も確実におありではないかとこのヘレスネル愚考いたしますがいかがでしょうか?」
提言を受け、シェリーディアの表情はさらに険しくなった。
勿論、最愛の息子アシュヴィンが別行動となってしまい、彼の無事や、変な女に騙され惑わされていないかの多大な心配があり――。基本的に機嫌が芳しくないということもある。しかし真の原因は、エストガレス王国財務大臣、ヘレスネル・ザンデ女史。彼女にある。自分の副官にとシエイエスが指名してきた彼女が、シェリーディアは煙たくて仕方なかった。
極めて有能であるし、自分のことを尊敬もしていて基本的に忠実。ではあるものの――ヘレスネルのように理屈ぽく融通がきかない才女は、シェリーディアの最も苦手とするタイプだ。しかも、彼女には一点、どうしても許しがたい要素があった。
「尊敬申し上げるシエイエス様の内縁の奥方様。それを病にでも陥らせては一大事。シエイエス様からもよく申し仕っておりますゆえに」
そう。シェリーディアにとって最愛の夫であるシエイエスお気に入りの、愛弟子であるということ。シエイエスへの敬愛と、ある意味それは紛れもない事実なので悪気ないのであろうが――。自分がシェリーディアよりもさえ長い時間一緒にいる女性であることを、これでもかと無自覚に突きつけてくる。シエイエスのことだから考えがあって自分に付けたのであろうが、話をすること自体がストレスなのだ。
「ほお……。それはそれは。アタシなんかよりよっぽどうちの人のことを分かってくれてて、女房としては毎度まことに有り難いお話だねえ」
痛烈な皮肉のつもりで刺々しく放った言葉はしかし、この女性には全く通用しないのだ。
「恐れ入ります。ワタシは私的な側面ではわかりかねますが、執務中のシエイエス様をよく存じ上げていますので、そういったお考えは手に取るように理解が出来ます。あの方は心からシェリーディア様を心配しておいでです」
小綺麗な仮面のような表情で事務的に云うヘレスネルに、さらに苛立ちが募る。
(この小娘――! だからそこが気に食わないって云ってんだよ!
アタシが知らない執務室のシエイエスを知ってて、アタシがついてけない政治や経済の話を同んなじレベルでできて、特別目をかけられてるってことが!)
ずっと自分の腕の中にいてほしいほど愛おしい男性が、意味は違えど他の女に魅了されている事実に強烈な嫉妬が膨らんでいくのを止めることができない。
さらに苛立った言葉を投げかけようとした、その時。シェリーディアはヘレスネルの様子が急激に変化したことに気づいて言葉を止めた。
「……はい、はい……。なるほど。
……そのようなことが。……承知しました。シェリーディア様にお伝えします」
独り言のようにつぶやいたヘレスネルは、シェリーディアに向き直って告げた。
「シェリーディア様、クピードーからの念話です」
クピードーの名を聞いて、蛇嫌いのシェリーディアはビクッと身体を震わせたが、自分がそうであるからシエイエスはヘレスネルに念話を送らせている。このタイミングで重要な情報に違いなく、シェリーディアは瞬時に女としての貌から、戦士で指揮官の貌に戻る。
「聞かせな。どんな内容だい?」
「調査団はレムゴール人と遭遇した。親子を保護し、それを追う軍属と――戦闘状態に入ったと」
「――!!!」
「軍属はロザリオン様の対話に耳を貸さず、我らレエティエムを根絶する敵と宣言し、何と――。不死身の肉体と結晶手を駆使したと。少なくない犠牲を出し団は分裂するも、敵本拠地を特定。攻撃に転じているそうです。これにシェリーディア様も加わるように、とのご命令が通達されております」
「……なるほど。最悪の結果にはなったが、早くもサタナエル一族の秘密に近づける情報源が先方から現れてくれたと」
「そのようです。なお敵ですが――クピードーの上空からの偵察によると、すでに沿岸に勢力を有しており、我らの船影を発見。こちらに――戦力を派遣しているとのこと」
シェリーディアは目を見開き、右舷方向に展開する陸地に目を向けた。そこは曇天の霧の中。視界は悪いが――シェリーディアの射撃手として異常にすぐれた視力は、その岸壁に展開を始めている騎馬の勢力を捉えた。おそらく――100名は超す規模であると思われる。
シェリーディアはニィィ……と不敵な笑みを浮かべ、旧い親友の形見である腰の“匠弩”を取り出し構えた。
狙いすまし放ったボルト。それが騎馬隊の中央に居る騎士の「首」を正確に射抜き、騎士が落馬したのを見届けると、ヘレスネルに告げた。
「ヘレスネル! フォーグウェン兄弟とレイザスターに伝えな!! 敵の襲撃である!! すぐに戦闘準備に移れってねえ!!!」
ヘレスネルは非常事態の訪れにも眉一つ動かすこともなく、即座に略式の礼をとり階下に降りようとした。
そして振り返り、シェリーディアに告げたのだった。
「……クピードーより、追加報告です。『現在アシュヴィンは無事である。思う存分に“魔熱風”を振るえ』。シエイエス様からの伝言だそうです」
それを聞いたシェリーディアは、心中の最大の心配事が払拭され、晴れ晴れとしたしかし獰猛な笑みを貌の全面に貼り付けた。
「ありがとうよ……そいつは何よりの知らせだ、シエイエス。
さあ、上陸しておっ始めるとするか。
レムゴールの異邦人がたをお迎えしての――盛大なパーティを!!! 真心こめた、おもてなしってやつをねええええええ!!!!」
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