第十二話 魔性(Ⅱ)~魔熱風の幻影
アシュヴィンは、闘いにおいて常に――ことに強大な敵を前にした時、決まって例外なく脳内に或る想像をめぐらせる。
それは――彼にとって母であり最大の師であるシェリーディア、彼女ならばこの時どのように戦うだろうかという想定戦闘だ。
大陸最強の万能戦士である“魔熱風”シェリーディアは、アシュヴィンには逆立ちしても真似できない射撃術や魔導なども持つが――。その戦法の中心にあるのは極めて強固な基本に基づいた剣術と魔導武術、耐魔の技巧である。その天の高みの技量と力は常にアシュヴィンの目標であり続けた。
その想定戦闘の結果、現在アシュヴィンの前に立ちはだかる、彼の戦歴上最強の敵かもしれないアンネローゼ・ダグラスという女は――。
「なによ、ボウヤ。なにニヤついてんのよ。――クソむかっ腹立つネエ」
眉間に険しい条を刻んだアンネローゼが、地に唾を吐きかけながらやや獰猛な口調で云った。
そう、アシュヴィンは苦しげな様子ながらも、「微笑んで」いたのだ。冷や汗の脇で口角は上がっていたのだ。
「さっさと逃げたらどうなのよ。そのミス騎士道さんのおっしゃるとおりにさ。もう十分分かったでしょ? あんたらごときが何人束になろうが、あたしら“エグゼキューショナー”と勝負になんかなりゃしないってことが。多少一丁前だったとしても、所詮あんたらごとき低級な“マニトゥ”は狩られる獲物なの。それがお涙頂戴の三文芝居で、あたしを『こんな奴』呼ばわりとは随分よねえ。もうちょっと教えてやんないとダメ? 骨の髄まで怖さっテ奴ヲ!!!」
叫び終わる前に――「人蜘蛛」の巨体は動いていた。
――何という、疾さか。巨体に許される物理法則の限界に挑むようなその踏み込みの疾さは、常人には到底捉える事かなわず、周囲の気圧すら変化させたように見える。
アンネローゼは、手前のロザリオンに上空からの左腕結晶手を振り下ろし、長い二番目右節足を後方のアシュヴィンに向けて横に凪いだ。人外の巨体が可能にする、同時攻撃だった。
二人はスピードに追いついたが今度は反撃に転じることができず、防御に回らざるを得なかった。
アシュヴィンは硬度に勝る右手の“狂公”を前面に、左手の“蒼星剣”を添える形で防御し、予め敵の攻撃方向と逆に跳躍することでダメージを緩和した。
「ぐう!!!」
相変わらずの、度外れたパワー。軽量なアシュヴィンの身体はたまらず右方向へ吹き飛んだ。どうにか体勢を整え、吹き飛んだ方向にラウニィー仕込みの風魔導を発し、数m先の地面で踏みとどまった。
しかし――その彼の視界に、ロザリオンの悲痛な表情が目に入り、アシュヴィンは蒼白となった。
「ロザリオン様!!!」
彼女は下段からの斬り上げで対抗し攻撃を相殺しようとしたのか、反動で後方に飛んでいたが、痛みを堪える表情で左肩を見ていた。フィカシュー戦から続くダメージの蓄積がやってきたのか、完全に痛めてしまったことが明らかであった。
焦りを見せるロザリオンは、着地と同時に縦一閃の“氣刃の壱”を放ちながら後方に大きく飛び退る。光の刃はアンネローゼに届いたものの、あえなく右に身を翻した彼女に避けられてしまった。
「ーーっ!!!」
アシュヴィンは激しく唇を噛んだ。彼には――すでにこの女怪に対する「決定打が見えて」いた。が、それを実行に移すことができないのだ。
(こいつは強い。強いが――仮にシェリーディア母さんにかかれば、「敵じゃない」。
スピードも、テクニックも、一撃のパワーですらも母さんの足元にも及ばない。おそらく戦闘になったなら攻撃をいなしつつ、太刀筋を読ませずボルト射撃で撹乱し、そこに意識が集中した奴に一気に近づき――「爆炎魔導で動きを止める」だろう。そして耐魔を超え熱に無防備な内臓を損傷した奴に、跳躍し回転剣撃で一閃。首か心臓を断つ)
アシュヴィンは一度激しく歯を噛み合わせた後、魔導剣である“蒼星剣”に氷結魔導を込め、振りかぶって前進した。
「おおおおおっ!!!」
側面からの攻撃を仕掛けたアシュヴィンの動きを、回避動作直後のはずのアンネローゼは難なく捉え、反応していた。そして歯を剥き出した満面の笑顔で、二本の節足を用い叩きつけるような水平攻撃をアシュヴィンに見舞う。止む無く攻撃を中断し、“狂公”を使って受けたアシュヴィンの身体は、巨大な鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
どうにか空中で回転して勢いを殺し、その場に踏みとどまろうするアシュヴィンを容赦なく押し続ける攻撃は、防御を打ち破ってついにアシュヴィンの右太腿を深く刻んでしまった。
「ぐ!! く……そっ!!!」
「アシュヴィン!!!」
ロザリオンの叫びを遠くに聞きながら、アシュヴィンは後方に脚をかばいつつ着地した。オリハルコンの甲冑の継ぎ目を見事に切り裂かれた奥に見える傷から、少なくない血が流れ出る。そしてアンネローゼを睨み付け、瞬時の思考の続きを巡らせる。
(母さんなら、それで終わりだ。だが僕とロザリオン様とでその真似をしようとしても、ボルトの代わりは“氣刃”が担ってくれるけど――。実力差と、それ以前に決定的に欠けるものが、「魔導力」。
僕の魔導では武器に効果を付加するのが限界。奴の弱点なはずの、「硬い結晶の内側」内臓にダメージを与えるには足らなさ過ぎる。
せめてあと一人、雷撃魔導を使えるメリュジーヌ様が居てくれれば――。モーロック様の再生が間に合ってくれれば、勝機はあるのに!!)
考えても仕方のないことだが、敵の行動が早すぎた。崩れ傾いた城塞上に居るモーロックの状態を考えれば、まだ彼が安全な状態になるまで僅かに時間が足らないことは明白だった。むしろメリュジーヌにはこのまま再びモーロックの身体を寸断し、一緒に逃げて欲しい状況とさえいえた。
敵二人を、優位なまま負傷させたアンネローゼは明らかに勝ち誇った不遜な表情で、アシュヴィンを見下ろした。
まずい。アシュヴィンの貌は青黒くなった。もう一つの、隠された不利。彼は父譲りの“純戦闘種”だが、体力という要素に才を持たぬゆえに、その能力を使用する負荷に肉体が長時間耐えきることができない。“探索任務”で見せたように、保って5分程度、5~6撃程度が限界の短期決戦型である。その限界は、既にもう近い。彼の体感では、下手をすれば防御と攻撃であと1度ずつでそれを迎え、内臓は痛み呼吸困難を起こす可能性が高い。
傷をかばうことを止め、即座に構えをとったアシュヴィン。しかしその次の瞬間には――。
アンネローゼの巨体は水平にぶれて目の前から消失していた。
一瞬、自分が吹き飛ばされたと錯覚したアシュヴィンだったが、そうではなかった。
アンネローゼが、自分を攻撃すると見せかけて、対象を変えたのだ。
その姿は、ロザリオンの眼前に移動していた。
即座に反応する、ロザリオン。
「氣刃の弐――!!!」
袈裟掛けの白刃で対抗する彼女の太刀筋はしかし、すでに読まれていた。
氣刃をかいくぐって節足を3本伸ばしたアンネローゼ。その巨大な先端が突如、全て「手」の形状に瞬時に変化したのだ!
「なっ――!!」
その意外な動き、有無を云わせぬ鋭い突撃。さしものロザリオンもついに――。決定的な肉体への接触を許してしまった。
「首」「両腕」を掴み、ねじりあげながら己の目線の高さに吊るし上げる形で、アンネローゼはロザリオンを捕らえ持ち上げていた。その異常な剛力に、ロザリオンの右手はあえなく“神閃”を地に取り落していた。
「ああっ!!!」
「ロザリオン――様ああああああ!!!!」
絶望的な表情で叫ぶアシュヴィンを、恐ろしく緩みきった、満足そうな表情で見下ろすアンネローゼ。
「ああ……たまんなーい。やっぱりこの女を選んで良かった。あんたのキレイな貌、そうやって絶望してくれると最高にカワイイじゃん……。仔猫みたいぃ……。
当然、そのまま動かないでよねえ。この女の首をねじ切られたくなかったら。さあて、この大っきなプリンセスちゃん、どう料理してやろうかねえ。そのデカいおっぱいを捩じ切ってやるとか……痛いのがいいか、鎧全部ひん剥いて、男の前で深々ぶち込まれるのがいいか、選ばせてやろうかネエ?」
表面上に輪をかけ、嗜虐的で残虐な本性を剥き出しにするアンネローゼ。呼吸困難と苦痛に歪んだ貌で、ロザリオンは気丈に女怪を睨み返した。
「逃……げろ、アシュヴィン……!! 化け……物、殺すなら、今すぐ殺……せ……わたし……を……!!!」
「あたしに……命令してんじゃあねえよ……このクソビッチ!!!!」
口を大きく開いたアンネローゼの哄笑を合図に――。
ロザリオンの両腕は、あまりに暴力的な力で引っ張られ――不自然に10cmほど伸ばされた挙句に悍ましい音を立て、甲冑の間から大量に噴血した!
「ぐっ!!!!! あああああああああああ!!!!! あああああああーーっ!!!!!」
強引に関節を外され、筋肉を僅かに残すまでに引きちぎられ――ブツリと切れた動脈から大量に出血。同時に襲う、この世のものと思えぬ激痛に絶叫し、ロザリオンは白目を剥いて痙攣した。
「やめろ!!!! やめろおおおおおおおっ!!!!
貴様!!! なぜこんな!!!! 僕らになぜこんなことを!!!!!」
涙を浮かべ、立ち尽くして絶叫をぶつける、アシュヴィン。
それに嘗めるような視線を投げかけ、アンネローゼは返した。
「それが――あたしたちの、目的だからよ。
それこそが――この世の“マニトゥ”全てを消し去ることが、あたしたち“ケルビム”の目的だからよ。
すでにあたしたちはね、北のヌイーゼン山脈“監視者”以北、レムゴール大陸の7割を制圧し目的を遂げつつある。あとはこの――ダルダネス州を制圧しちまえば、今この大陸でできる仕上げは完了ってわけ。そん次はそれこそイスケルパ大陸とか――それこそあんた達のハルメニア大陸が目的地。“魔力動”の扇動のおかげか、あんたらの方からのこのこやってきてくれて、逆にだいぶ都合が良かったってこと。ダルダネスの本隊と合わせて、あんたらが何人いようが、全滅させるつもりだかラネー?」
話しながら、皮一枚で引きちぎった両腕を回して引っ張り、なおもロザリオンをいたぶるアンネローゼ。
「か……は……あああ……がっ……!!!!」
「――っ!!! っっ!!!!」
常人のロザリオンはサタナエル一族とは違い、これほどの痛みを経験は勿論想像したこともないだろう。おびただしい流血と、ショック死寸前の様相で白目を剥き続ける痛々しすぎる姿に、アシュヴィンは胸が引き裂かれる思いで唇を噛むしかなかった。
が、同時に――。心のどこかで彼は、恐るべき冷静さでもって敵が漏らす「あまりに重要らしき情報」を、一字一句逃さずに脳に刻みつけた。今は、現時点では大部分が何を語っているのかすら不明だが、必ずこの情報をシエイエスやラウニィーに伝えねばならない。その強い使命感からだった。
「ただ一つゴシップを教えといてあげると、あたしたち全然仲が良くなくってね。
現にダルダネスに控えてる『3人』を含めた『5人』、常に相手の命を狙っちゃったりしてて。
『上』の“アルケー”の地位ですら、狙ってるって状態なのよ。
だから、この女の身体を調べて、あわよくばあたしが“アルケー”に――」
その次の言葉を継ごうとしたアンネローゼは、絶句していた。
なぜならば――その当の女を捕らえているはずの、節足が、切断され自分の身体から、離れていたから。
そのつもりはなかったが、獲物を追い詰め、油断したのだろうか。
呆然とするアンネローゼの眼前で、一人の赤髪の屈強な剣士が、光り輝く長剣を振るい――捕らえた女の身体を抱きとめながら跳躍していたのだ。
そして、背後にもう一人の、気配。
少しだけ振り向き、目だけを向けたその先には、一人の女性の姿。ローブ型スーツをまとった栗色髪の女性が、自分に向けて魔導の所作をとっていたのだ。
その救世主、と呼ぶべき2人の人物に向けて――。
アシュヴィンは、狂おしいほどの喜びの叫びを、発していた。
「あああ!!! あなた方は――。
ムウル様!!!! アキナスさんっ!!!!!」