第三話 若き封印者達(Ⅲ)~壊嵐の導師
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レミオンとエイツェルが辛くもデイゴンに勝利し、母の石碑の前で休息に入った少し後のこと。
石碑のさらに奥にある、彼らが守護した主目的である洞穴内。
その2m四方ほどの縦穴を下っていくと、数十mを進んだ先に地下の巨大空間があった。
高さ40m、100mの奥行きの威容を見せる空間内には、七色の電光を発する巨大な帯が、音を立てて通過し続けていた。
これこそが、大地のエネルギーの源、世界がもつ魔力ともいうべき力「気脈」。
その見た目の色などは場所によって様々であるが、通常は真っ直ぐに走行しているべき帯が――。中央部分で異様にねじまがり、天井すなわち地上に向かって真っ直ぐに伸びていた。
このようなねじれが、すなわち「気脈の乱れ」。
気脈がもつ魔力はあまりに膨大であり、その乱れは地上に存在するあらゆる生物に影響をもたらす。
植物は過剰なエネルギーを受けきれずに萎む。今回現れたサムゴルゴスやデイゴンなどのように、動物は凶暴化と変異を為して怪物と化す。人間にもまた、心の病や疫病の蔓延、そして人心荒廃による犯罪や戦争を勃発させる引き金となる。
ゆえに古来より、為政者たちは数年に一度のこの乱れを収めるべく腐心してきた。ローデシア王朝しかり、エストガレス王国しかり。ここ200年ほどの間は、大陸の秩序を標榜する組織サタナエルの強大な力、そして大導師アリストルが現れてからは彼の大導師府がこの使命を担った。サタナエルに関してはときに自ら乱れを起こすなど、悪用に転ずる場合もあったが。
気脈の乱れを収めるには、強力な魔導をそれに当てる必要がある。乱れに乗じて現れた怪物どもを討伐しつつ、収めに足る魔力を有する魔導士を守護し、災いの根源にまで送り込む。この一連の試練こそが探索任務と呼ばれ、任務に当たる者たちを「封印者」と呼ぶのである。
今回探索任務における乱れをその手で封印する者として使命を帯びた人物は、すでにその直前で静かに佇んでいた。
それは、女性であった。
全身を銀の意匠をあしらった漆黒のローブで覆う。身長は165cmほど。ところどころ見て取れる身体の線はシャープかつ艶めかしい魅力を有している。その身体の上には、気脈の強い流れを受けて後方になびく、ローブと同じ漆黒の長髪。それらがさらさらと撫でる貌は、上品で繊細な美貌を誇る細面だ。雰囲気からすれば年齢は40歳前後だろうが、10歳は下にみえるほどに若々しい。
特徴的なのは、左手だった。それは、髪と同じ漆黒の金属で構成された、「義手」。何らかの理由で左手を失っているようだ。
彼女からは膨大な魔力が放出されている。魔導士として明らかに規格外の巨大さだ。それはすでに、両手で魔導の形態を形作っていた。――極小の嵐、すなわち風魔導の。
やや間を置き、女性は両手を身体の前で交差させ、発動準備を終えた魔導を放った。
「――“真空破壊旋嵐・収束 」
内部に数十本の真空の帯を内包した超巨大嵐が、直径数mにまで凝縮され気脈の乱れに伸びる。そして激突した瞬間、グニャリ――と方向を曲げて正常に戻った乱れの部分から、目に見えない膨大な魔力の波が女性に向けて襲いかかる。
「……くっ……」
それを受けた女性は貌をしかめ、頭を押さえてふらつく。
これが、気脈の乱れを収めた者に降りかかる反動。乱れが正常に戻るのと同時に、それまでに10倍する魔力の余波が押し寄せる。膨大すぎる魔力は術者にオーバーフローを起こさせ、場合によっては死に至らしめるのだ。
被害の程度は、魔導士の力量に左右される。女性は命に別状はなく、意識も通常レベルに保っている。これは魔導士として大陸最強クラスの者である証左。
しかし―― 今回の気脈もまた余程強力であったのか、女性は立ちくらみのように一瞬意識を飛ばしてしまった。そして後方に向けて倒れこんでいく。
「――う――」
棒を倒すように背中から倒れ込んでいく女性の身体は、しかし瞬時にそこに現れていた一人の金髪の少年の手によって、抱きかかえられ止められていた。
女性の身体をしっかりと右腕でささえた少年は、女性に声をかけた。
「大丈夫ですか、ラウニィー導師? ――気脈の封印、お見事です」
女性――現大導師府の「導師」、ラウニィー・グレイブルクは閉じた目を見開いて、少年に返事をした。
「……助けてくれてありがとう、アシュヴィン。私ったらまだまだ未熟者ね。一瞬とはいえ意識を失ってしまったわ」
「未熟だなんて、ラウニィー小母さまに限ってそんなことないわ。この乱れが強力すぎるだけ。最近の乱れは本当に……数も質も異常なんだから」
ラウニィーの謙遜の言葉に、後方からかかる静かな少女の声。
前に進み出てきたのは、アシュヴィンに同行するエルスリードだった。
ラウニィーはアシュヴィンの腕から起き上がり、彼女に慈しむような視線を向けて、云った。
「無事でよかった、エルスリード。私は本当に嬉しいわ。娘同然にかわいがってきたあなたが、こんなに立派になって探索任務に同行してくれる日が来るなんて……。
あなたのお母様も、本当に喜んでいると思うわ」
お母様、の言葉を聞いたエルスリードの表情は、たちまち険しく曇った。
「あの人が、そんなこと思ってるわけない。どうせいつもみたいに『あいつごときには無理』だとか、好き放題云ってるだけよ。私にとってお師匠はラウニィー小母さまただ一人で、あの人じゃない。今回だって、仮にあの人が率いる探索任務だったら私お断りだった。
……アシュヴィン。悪いけど私、先にエイツェルのところに戻っているわね。小母さまのことよろしくね」
それだけ云いおくと、エルスリードは赤いブーツの踵を鳴らしながら、振り返りもせずに洞穴の出口に向かって行ってしまった。
アシュヴィンは、それに憐れむような心配の表情を向けた。
「エルスリード……」
そのアシュヴィンを見たラウニィーは、ほくそ笑むようないたずらっぽい表情でしげしげとアシュヴィンを見つめた。
「アシュヴィン。エルスリードのこと……いつも大事に思ってくれて、本当にありがとうね」
不意に受けたその言葉に、アシュヴィンは貌を赤くして動揺を見せた。
「そんな、ぼ……僕は彼女のこと……友達と……して」
「……ふふ、わかってるわよ。とにかくあなたが心配するようにあの母娘、とても仲が悪いように見えるけど……大丈夫だから。どっちも素直じゃないだけで、私から見ればあんなに仲がいい母娘いないんだから。
『お母様』のほうも、レエテがもし生きていてくれたらもう少し素直だったんだろうけど……。気を張り詰めすぎていて、彼女の方が私心配なくらいだわ」
レエテの名を聞いて、アシュヴィンの表情が陰った。レエテは彼にとっても母親同然の存在だったから。
そして謙遜しているが“壊嵐の導師”の異名をとるラウニィーは、エルスリードの母たる「女王にして大導師」という偉大な存在に、対等に意見できる数少ない人物。心配するだけなく実際には直接的に諌めているに違いない。
「……ひとまず気脈が封印された以上、ここに長居は無用です。大怪我してたレミオンも、付き添ってたエイツェルも心配ですし、僕たちも早く地底湖まで戻りましょう。外も含めて怪物の襲撃はまだあるはずですし」
ラウニィーに進言し、出口を目指すアシュヴィン。実際には先に行ってしまった紅髪の少女のことが一番心配でたまらないのだが、それを見透かしたようなラウニィーの視線を受けて――彼はまた貌を赤らめるのだった。