第十話 癒えぬ心の傷
ロザリオンを追って下階へと降りたアシュヴィン。探し回るまでもなく、彼女の姿はすぐに見つかった。
上階執務室の下にあたる、応接室だったと思われる広い部屋。その隅にある椅子で片膝を折り身体を丸めて、ロザリオンは少女のようにすすり泣いていた。
「うう……ひっく……うう……く、来るな……」
自分を追ってきたアシュヴィンに気が付き、ロザリオンは拒絶の言葉を発した。
アシュヴィンはその言葉を聞き、ロザリオンの2mほど手前で足を止めて、近くの椅子を引き寄せて座った。
「ロザリオン様……どうか……」
「……お、お前もどうせ……私を馬鹿にしているんだろう……? う……偉そうにしていたくせにと、いい気味だと、思っているんだろう……?」
「! そ、そんなことはありません……!」
「そうだ……私は本当は男が、大の苦手なんだ……。幼い頃両親をなくし乳母と二人、男というものに全く関わりなく育てられた。師も皆、女だった。大人になって世に出てから、男が怖くて怖くて、そんな未熟で子供な自分を知られまいと必死で、意地を張って……。ここまでどうにかやって来た。
レエティエムに入っても……私に親しげにしてくるレイザスターたち、サッド様やシエイエス様のように男らしい大人の方。本当は話すだけで、前に立つだけで、消えてしまいたくなる程恥ずかしくて……どうしようもなかった。ずっと怯えてたんだ……」
泣きべそをかき、貌を真っ赤にしながら己の本心を吐露するロザリオン。その姿に先程同様胸が高鳴るアシュヴィンをよそに、彼女は続けた。
「何とか知られず、今の地位まで昇り詰め――乳母も喜んでくれていたのに。
もう、おしまいだ……。メリュジーヌはきっと、たちまち皆に云いふらすだろう。ロザリオンが実は、男に劣等感を抱く未熟な田舎の生娘なのだと。私の体面は地に落ち、部下はおろか、それによりシエイエス様ら上の方もロザリオンに指揮の資格なしと判断するだろう。もう私に……レエティエムに居場所はなくなるんだ……皆に馬鹿にされ屈辱を受け続けるんだ……ううう……うう……」
膝を抱えてすすり泣き続けるロザリオン。アシュヴィンは多少の困惑は感じつつも、彼女が吐き出してくれた気持ちを受けて、毅然としかし慈愛をこめた口調で語りかけた。
「ロザリオン様……。僕が云うのも何ですが、あなたは過剰に無用な心配をしすぎと思います。
確かに、僕も今のあなたを見てびっくりはしましたし……心ない人は影でこそこそ噂するかもしれないし遠回しに虐めることもあるかもしれない。けれど、あなたという人の価値は、そんなことで揺らぐものじゃないでしょう。
あなたはそんなにも偉大な指揮官で、大陸最強の剣豪じゃないですか」
ロザリオンの泣き声が小さくなったのを見て、アシュヴィンは更に続けた。
「僕はエイツェルのことで反発はしてますが――。素直に、あなたのことは尊敬していますし、今の話を聞いてもそれは全く変わりません。シエイエス様達も同じだと思います。下らない人達は放っておけばいいと思います。むしろ、何ていうか……」
アシュヴィンは貌を赤らめて頭をかきつつ云った。
「とても、純粋で……か、可愛らしくて……。素敵な女性だなって……。むしろ僕はどちらかといえば今のことで、あなたに良い感情を、持ちました……」
その言葉に、ハッと貌を上げたロザリオン。涙目を見開き、すがるようなその表情もまた可愛らしいと思ってしまったアシュヴィンだったが、大慌てで発言を訂正した。
「す、すすす――すみません!!! 今云ったことは撤回させてください!
と、とにかく今これを知ったのは僕とメリュジーヌ様だけですし――。メリュジーヌ様を必ず説得した上で僕は秘密を守ります。その上であなたも、少しずつ自分の中で何か劣等感だとか、色々なものを克服してご自分を出すようにすべきだと思います。僕の、母同然だったある偉大な女性からの受け売り、ですけど――。今はそれが、最善の道だと思います」
あたふたするアシュヴィンを一瞬驚いて、その後に潤んだ瞳で微笑みを投げかけながら、ロザリオンは云った。
「…………ありがとう、アシュヴィン……。何と云ったらいいか、本当に感謝、する……」
感激して感極まったのか、アシュヴィンの手を握ろうと手を伸ばしたロザリオンだったが、やはり身体が拒否したのか手を引っ込めてしまった。
アシュヴィンはそれを見てフッと微笑みを浮かべた。
「今はまだ無理をする必要はないですよ。他には、大丈夫なんですか?
……例えば、ダフネ様のこととか」
自身も唇をかんだアシュヴィンの前で、ロザリオンはビクッと身体を震わせた。
「あなたは、僕と時期は違えどダフネ様から最も早くに教えを受けた、一番の直弟子のはず。この僕でさえ、まだ胸が裂かれるように悲しいのに――。あなたが平気なはずはないと思ってます」
今は純粋な姿を露わにしているロザリオンは――。たちまち大粒の涙を流し、詰まった涙声になって云った。
「……ダフネ様……お師匠さまの死を聞いて……。部下の前では平然を装ったが、私はすぐ自室に駆け込み、声を殺してずっと泣き続けてた……。
私を、7つのときから見てくれた、大好きなお師匠さま。お母様のように、思ってた。お師匠さまに褒められたくて剣の修行も頑張ったし、ヨシュアなど後進の面倒もみた。
初めて抜刀術を身に着けたときも、お師匠さまをも超え、“氣刃”を習得できたときも――。とても褒めてくれて、嬉しかった。これからも、まだまだ教えて欲しかったのに。
あの怪物が、リヴァイアサンが、憎い。あの、サタナエル一族と同じぐらいに――」
その言葉に目を光らせたアシュヴィンは、慎重に言葉を選びながらロザリオンに問うた。
「それでは、あなたの一族に対する感情の、原因はやはり――」
「そうとも。私の父レオンを殺し、母マリサを死に追いやった、憎き奴らへの怨念に他ならない」
ロザリオンの目が一転して強烈な殺意を放った。アシュヴィンは息を呑むと同時に驚愕していた。
彼女の父レオンのことは有名な話で知らぬでもなかったが、母親までもがサタナエル一族によって命を落としたことは初耳だったからだ。
「お前も知っているだろうが、我が愛する父“三角江”の四騎士が一人レオン・ブリュンヒルドは――。16年前エスカリオテの会戦においてカール元帥、ランドルフ将軍とともに、サタナエル“魔人”ヴェルの手によって無残に殺された。
お前にとっても無縁ではない、忌々しい男の手によってな。
当時7つで遺族だった私は、胴体がなく首と手足だけになった父の遺体と対面させられた。あの生々しい傷は、今でもこの脳裏に焼き付いている」
アシュヴィンは下を向いた。“魔人”ヴェルは――他ならぬ彼自身の実の父、ダレン=ジョスパンをも殺した人物であり、本来ならばロザリオン同様に仇に相当する相手なのだ。
だが彼は、実の父を全く知らない。そして殺した相手は、母同然の女性レエテの実の兄であり、すなわち親友レミオンの伯父に当たる血縁の人物。かつレエテの手で故人となっている。ヴェルに対し複雑な感情はあるが憎しみはなく、ロザリオンと感情を比較することは全くできないだろう。
「その後母マリサは、父を失ったショックから急激に精神を病み――。当時まだ皇国に蔓延していた麻薬メフィストフェレスに手を出してしまった。そして中毒死した。そのメフィストフェレスは、サタナエル一族“幽鬼”副長レ=サーク・サタナエルが自らの血液から生成し、流通させたものだ。
私を可愛がってくれた両親はいずれも、サタナエル一族さえこの世にいなければ命を落とすことはなかったのだ。父を奪った不死身の肉体と結晶手も、母を奪った血の能力と組織の悪行も――サタナエル一族が持つ全てが私の憎悪の対象になった。
だから私は、アトモフィス自治領の栄盛と、英雄視されたヴェルの妹レエテ・サタナエルの存在も密かに憎み続けた。ヴェルを討った者だろうが関係はない。かの国に行くことも、あの女を目にすることも、理由をつけて回避してきた。お師匠さまのことは大好きだったが、唯一レエテ・サタナエルの友人で信奉者であることだけが嫌いだった。あの“真正ハーミア”にも、テロリズムは許されることではないが教義には同意してしまったほどだったよ」
濁流のように呪詛を吐き出すロザリオンの貌は、先程の見る影もなく醜く歪んでいた。彼女も、正しい心を持ったまっとうな人間だから踏みとどまったものの――。レエテに反乱を起こした“再生のサタナエル”のジェラルディーン・フラウロスらと同じ側面を持っていたのだ。
そして――“真正ハーミア”の名を耳にしたアシュヴィンの貌は引きつった。まさか、この女性が――? レエティエムに潜む、裏切り者なのか? だがそれならここで自分にわざわざそんな話をするだろうか? 何よりあんな可憐で純粋な側面をもつ女性が、そんな忌まわしいことを――。
「それゆえ、私にとってはサタナエル一族であるというだけで忌み嫌うには十分なのだ。
あの白銀の髪、褐色の肌、金色の瞳、結晶手。見たくもない。メリュジーヌもモーロックも、優れた素晴らしい人物かもしれないが、同じ空間にすら居たくはない。
私の感覚は、間違っているか? 異常なのか? アシュヴィン」
アシュヴィンは急激に現実に引き戻されて、身体をビクッと震わせた。
「い……いえ。
僕と違ってあなたの事情なら、そう思っても不思議はないのかもしれせん……。
僕も、一歩間違えばレエテ様やレミオンを忌み嫌う身になっていたかもしれない。そうは思います……」
「……ありがとう。いや、勘違いしないでくれ。お前に同じ感情を強制する気は、私に微塵もない。
色々――話を聞いてくれて、本当に感謝している、アシュヴィン。とても気が楽になったし、それに――」
先程の可憐な少女のような表情に戻ったロザリオンが、赤らめた貌の中の上目遣いで一瞬ちらりとアシュヴィンを見やる。
「い――いや!! 何でもない! 気にしないでくれ。
そろそろ、モーロックが再生を終えているかもしれない。様子をみてきてくれないか?」
照れ隠しのように話を変えるロザリオン。だがアシュヴィンもそれは気になっていることだったので、頷いて上階に向かおうとした。その時――。
急激な衝撃音と、凄まじい振動が、二人を襲った!
何か巨大な鈍器で、鉄を叩いたような音。そして軽度の地震のような衝撃だ。
それを感じた二人は、何が起こったのかをすぐさま理解した。
「ロザリオン様――!!」
「ああ、アシュヴィン。どうやら思っていたよりも早かったようだな。
『奴ら』だ。
フィカシューかどうかはわからんが、『エグゼキューショナー』の勢力に、相違あるまい」
言葉と同時にロザリオンは一瞬で椅子から飛び上がり、腰に“神閃”を帯びた。
そして下階の階段に向かいながら、アシュヴィンに云った。
「幸い――この狭い空間で奴らを相手取るには、他の二人より私達の方が適している。
剣を構えろ。『奴ら』を迎撃するぞ!!!」