第九話 雌伏する、虎と小龍
そこは、古城だった。
場所は戦場となった地点から北西に3kmほど。
石と漆喰と木材で形成された、高さ15m、周囲100mほどの城塞だ。
防護能力はあまり高いとはいえず、建築技術そのものに関してもハルメニア大陸の水準からいえば100年以上は遅れていると云わざるを得ない代物だ。年代がまだそれほど古くはないことが救いで建物自体に問題はないものの、城壁もなく立てこもるには不向きな構造だ。
アシュヴィン、ロザリオン、メリュジーヌ、惨殺死体状態となったモーロック。
4人は“エグゼキューショナー”フィカシューと、彼の後ろに控える援軍から逃れるため逃走し――。森林の上に屋根を覗かせるこの城塞を見つけ、ひとまず駆け込んだのだった。
シエイエスの本隊と、自分たちという2方向に追手を分散、撹乱する目的はとりあえず果たした。
しかし危機は去るどころか、刻一刻と増している状況だ。このような近隣の城塞、地理を知り尽くしている敵にとっては庭の一部であり、潜伏を発見されることなど時間の問題と云わざるを得ない。
城塞の最上階の部屋にて息を潜めるように、アシュヴィンらは居た。10m四方ほどの部屋に思い思いの場所にじっとしている。おそらく城主の執務室だったであろうその場所で、中央の会議机にモーロックの無残な血まみれの上半身が横たえられ、寄り添うようにメリュジーヌがついている。ロザリオンとアシュヴィンは互いにやや近い場所で、古椅子に腰をかけてそれを見守っていた。
「モーロック様……」
アシュヴィンが青い貌でつぶやく。彼は、サタナエル大戦以前とは比較しようのない平和な現代に生まれ育った人間だ。人間がここまで破壊しつくされた無残な状況を目の当たりにしたことは、きわめて少ないし、親しい人間には皆無だ。それ自体が通常人のレベルを超えたサタナエル一族の、この状況を見たことも。モーロックが死んでおらず再生を遂げ復活することは、知識と、異音を上げて細胞分裂を遂げている彼の肉体を見てわかっていることではあるが――。強いショックを隠しきれなかったのだ。
それは隊長であるロザリオンも、同様だった。彼女は膝の上に“神閃”を寝かせて起き、その上に肘をついてうなだれるような姿勢で、上目遣いにモーロックの様子を見守るのが精一杯だった。
モーロックとは長年の恋人同士であるメリュジーヌ。彼の身体を優しくなで続けていた彼女が、そのロザリオンを険しい表情で振り返った。
「ロザリオンちゃん……。あんたさあ、らしくない大失敗やらかしたよねえ。
交渉と、戦闘に入るまではよかったよ。名采配だったさ。だけど……退却時期を完全に見誤った。
モーリィの命の危険だけじゃあない。想定外の強力な敵を前に、無為に兵士の尊い命も失っちまった。
なんかさあ、一言ないわけ? まずあたし達に云うべきことがさ」
ロザリオンは視線を落とし、そのまま横に反らしてメリュジーヌと目を合わせないまま低く言葉を発した。
「モーロックには……申し訳ないとは思っている。結果的にそんな大怪我をさせてしまったことについては、隊長として詫びたいところだ。
だが……私は退却時期を見誤ってはいない。
民間人と、本隊の安全を優先したまでだ。時間を稼ぐことが我々の責務だった。
私たちは、軍人だ。命をかけ犠牲となることも想定のうち。モーロックは隊長の私の許可なく退却命令を下したし、貴殿らサタナエル一族の不死身の耐久力もまた、作戦の戦術には入っていることだ」
それを聞いたメリュジーヌの貌は見る見る紅潮し、目は引き剥かれた。
「……はあ? ……何よそれ。
それじゃ何か? あたし達は全滅してでもあいつらを止めるべきで、モーリィは余計な事をして勝手にやられた。しかもサタナエル一族だからどうせ大丈夫でしょ。なんて云うわけ……!?」
血相を変え、こめかみに血管を浮き上がらせたメリュジーヌはつかつかと歩み寄り、ロザリオンの胸ぐらを掴んで持ち上げた。非常に小柄とはいえ、サタナエル一族。常人男性の5倍とも云われる彼女の怪力で大柄なロザリオンは軽々吊るし上げられ、掴まれてしまったが最後、その手はいかに抵抗しようともビクともしなかった。
「うぐ……! や、やめ……」
「ざけんじゃないわよ、あんた!!! 状況わかってんの!!??
敵はね、ただの人間じゃないんだよ!!! あたし達と同じ不死身で、結晶手に関してはあたし達より上の化け物なんだよ!! まともにいったら全滅、現に一族のモーリィだって運がなきゃ殺されてたんだ!!! 勝ち目関係なくひたすら玉砕するのが、あんたの頭の中の『軍人』様なの!? 頭湧いてんじゃないの!!??
そんなにあたし達一族が嫌いでしょうがないんだったら、そう云いなよ!!! ざまあ見ろなんだろ!? あたし達が死のうがどうしようが、どうでもいいだけなんでしょうが――」
「そこまででです!!! メリュジーヌ様!! ロザリオン様も!!
仲間同士、しかも指揮官のお二人同士でいがみ合ってる場合じゃあないでしょう!! 落ち着いてください!!」
怒りで冷静さを失ったメリュジーヌ、苦悶の表情を浮かべるロザリオン双方とも、アシュヴィンの一喝で我に返ったようだった。普段やや軟弱で頼りなさそうなアシュヴィンから想像がつかない、驚くべき毅然とした鋭い大声だったからだ。
メリュジーヌは手を放し、ロザリオンは苦しそうに椅子に崩れ落ちて咳き込んだ。
「無礼を承知で云います。お二人とも、ある部分は正しいですが、ある部分で大きく間違っていると思います。
ロザリオン様。指揮官には配下の命を護る責務もあると思います。いや、あなたは分かっていながら、サタナエル一族嫌いを正当化しようとしている。それは醜い行為と思います。
メリュジーヌ様。モーロック様のことは僕も悲しいですが、だからといって怒りにまかせて味方に暴力を振るうのは理由があっても間違ってます。ましてあなたは一族です」
険しい表情で毅然とした表情のアシュヴィンに、二人は何も云い返せなかった。
「僕たちは……モーロック様が再生し次第、一刻も早くこの場所から離れ反撃に転じなければなりません。敵は統制のとれた組織です。僕の勘に間違いがなければ、あのフィカシューという男はすでに後続部隊に指示を下し捜索と掃討を命じていると思います。あの悪夢みたいな強さの部隊が、4人だけになった僕らを狙っている。本隊もまた、危険にさらされる。そうこうするうちに、ダルダネスとかいう都から、報告を受けた奴らの軍がレエティエムすべてを駆逐する勢いで襲いかかってくるのも時間の問題」
鋭い勘をもつ上、普段から心配症なアシュヴィンの性質は現時点では大きくプラスに働いた。二人の女性は下を向きつつも、やや目の輝きを取り戻してその話に聞き入った。
「シエイエス様も、すでに報告を受け僕と同じように考えているはず。生意気かもしれませんけど、僕はそう思います。おそらく僕らを別働隊として残してくれたまま――きっと何か作戦を携えた援軍をこちらに派遣してくれていると考えます。だから冷静になってください。4人が心を一つにして団結しなければ、目の前の苦難を乗り越えることはできないと思います」
――短い沈黙のあと、メリュジーヌはフッと微かな笑いをもらし、アシュヴィンの肩を叩いた。
「……アシュちゃん、あんたの云うとおりだ。知らない間に――本当大人になったねえ。『男』になったねえ。
悪かった。柄にもなくキレちゃって、ボーリョクまで振るっちゃって反省してるよ。ロザリオンちゃん。あんたにも謝るよ。ごめんね」
ロザリオンも、一瞬逡巡したあと、メリュジーヌに対して頭を下げた。
「いや……私も、意地を張ってしまった。過ちを犯してしまったことは、分かっていたのだ。
申し訳なかった、メリュジーヌ。詫びさせてもらう。アシュヴィン。お前にもだ。お前の云うことは正しい。その為に、私は指揮官として適切な対処をする積りだ」
しかしロザリオンは、“神閃”を腰に下げ直すと、立ち上がって歩きだした。
「だがそれと――サタナエル一族に対する私の『感情』とは、悪いが別の話だ。
メリュジーヌ。貴殿の云うとおり私は、一族を極めて強く嫌悪している。同じ空間で馴れ合いなどご免ゆえ、私は下の部屋に降りさせてもらう」
階段に向かおうとするロザリオン。眉をやや吊り上げたメリュジーヌが、それに何かを云い返そうとしたとき――。
「――!! ……きゃっ!!! あああ……! い、いや……!」
突如、甲高い悲鳴が室内に響きわたり、アシュヴィンもメリュジーヌも己の耳を疑った。
しかしそれは紛れもなく――。ロザリオンが発した、『少女』そのものの金切り声だったのだ。
目を丸くして見る二人の前で、ロザリオンはあろうことか内股になってかがみ込み、貌と耳を真っ赤にして震え身をよじらせていた。
その視線を必死で反らしている先にある状況を見て、二人は理解した。
部屋の中央のテーブル上にあるモーロックの全身は、9割がた再生を終えており――。
彼の『下半身』もまた、男性としての特徴も含めた魁偉をもって生まれたままの状態で再生し剥き出しであったのだ。
一瞬呆けた表情を浮かべていたメリュジーヌは、次の瞬間身を折って大笑いした。
「きゃはははははっ!!! 何よあんた、男のアレ見たの、もしかして初めてなの? そんな立派なおっぱいと尻のくせに、いい歳して生娘なの? てゆうか、そうだとしてもそこまでウブな反応ってある!? かーわいい!! 天下の女剣豪将軍の中身が実は、こんな田舎の純情娘みたいだったなんて傑作よねえ、あははははは!!!」
笑い転げるメリュジーヌに対し、涙目になりながら唇を噛み、より貌を赤くするロザリオン。
「うっ……うう……」
強い屈辱のためか、泣きながら口を押さえ階段を駆け下りて行ってしまった。
彼女のあまりに純情な一面に、普段の鋭利冷徹さとのギャップを大いに感じ、不覚にも胸が高なってしまっていたアシュヴィンだったが――。その様子に我に返った彼は、慌ててロザリオンを追った。
「待ってください! ロザリオン様!!」
そして階段の降り際に、メリュジーヌに厳しい視線を投げかけて降りていった。
メリュジーヌはそれを見て笑いを止め、やや貌をゆがめて頭をかいた。
「ああ、うん……ちょっと調子に乗りすぎ? かわいそうだったかな……。
まあいいや。まだ意地張ってんだからあの子のことはアシュちゃんに任せとけば。
それよりあたしはモーリィの着替えを用意してあげないと……」
そう云っていそいそと、完全な身体に戻りつつある大事な恋人のもとに向かうのだった。