第七話 死地からの離脱
後方にメリュジーヌの悲痛な悲鳴を聞きながら、ロザリオンは歯噛みしていた。
「モーロック……! 撤退などと、余計な真似を……」
「ほう? 味方を慮ることなく、悪態をつくか。 貴殿らは同胞なのではないのか?
『すでに我が軍の後続も間近に迫って』おる中、あれは拙官から見て賢明な判断ではないかと思ウガ?」
フィカシューの蔑むような挑発的口調に対し、ロザリオンは斬りつけるような眼光で返した。
「……我々にも色々複雑な事情があるのだ。だが貴殿ら真の敵を前に、仲間割れなど愚かなことは決してせぬさ。事ここに至っては我らの目的は一つ。貴殿らを皆殺しにし、ここで起きた事実を貴国に報告させぬことだ!!」
ロザリオンは“神閃”を両手に持ち、斜の構えをとっていた。完全なる迎撃の構えだ。
「ふん、迎撃か? それは賢明な判断とはいえぬな。
貴殿はすでに2撃拙官に向けて放っていて、すでにその太刀筋は見切りつつある。その状態で、より太刀筋を見切りやすい迎撃の構えをとるのはな。まあよい。考えがあるのなら、あえて乗ってやるノモ一興!」
フィカシューは左結晶手で襲いかかった。中段のやや上から放物線状に伸ばされた魔手。両手剣の居合使いにとって、非常に嫌な角度からの攻撃。これ以上ない好手だった。
だがロザリオンは瞬時に眼光を強め、後方に引いた切っ先を斜め水平に振り抜いた。
「黒帝流断刃術 “氣刃の参”!!!」
気合とともに、刃から発せられたのは――。
なんと昼光色に光る、光の刃の筋だった!
刃から放射状に離れ、単独で敵を刻もうとする光の刃。
それはかつての組織サタナエルにおいて、“剣帝”として恐れられた将鬼ソガール・ザークが編み出した絶技。そしてロザリオンの祖師である剣聖アスモディウスが、死の直前に使用したといわれる技。
全く予想しなかった技に、フィカシューは驚愕と恐怖の表情を浮かべた。
氣刃は、そのまま彼の結晶手から胴、心臓を寸断するかと思われたが――。
その間際で、攻撃は弾かれた。
彼が結晶手から咄嗟に展開した強力な障壁によって。
氣刃も完全には消滅せずフィカシューの脇腹を完全にえぐり噴血させたが、それのみにとどまった。
「――なっ――!!!!」
完全に攻撃を振り抜いた直後。フィカシューの完全な結晶手攻撃を無力化するすべは、すでにない。
万事休す。完全にそう思った。脳天に迫る黒曜石の魔手を前に、ロザリオンの脳内には過去の出来事や大切な人々の記憶が渦をまくように展開していた。
その彼女の耳に突如――。
ある聞き覚えのある叫び声が、響きわたった。
「ロザリオン様!!!!」
その声の主は、「二刀流」の右手の剣で見事フィカシューの一撃を振り払い、左手で剣を持ったままロザリオンの身体を抱きしめ飛び退った。
フワッと空に舞う輝く金髪、まだあまりに若々しい男の香り。
それに気づいたロザリオンは、叫んだ。
「アシュヴィン!!! お前なぜ、ここに!!!」
それは紛れもなく、レムゴール人家族の保護を命じ撤退させたはずの、アシュヴィン・ラウンデンフィルだった。
彼はロザリオンの問には返答せずに、彼女をかかえたまま一言返した。
「逃げますよ、このまま!!!」
そしてモーロックとメリュジーヌの元に向かう。たどり着いたロザリオンは、絶句した。
モーロックは、もはや惨殺死体同然だった。
頭部は顎より上が破壊され、左腕はなく、胴体には大穴がいくつも開いている。
そして今、恐るべき凶相のメリュジーヌの手によって、腹から胴体を寸断されていた。
血まみれの彼女の周囲には、必要以上の破壊を施された敵兵の血袋のような姿。
モーロックの惨劇に激怒した彼女が、怒りにまかせて敵を「破壊しつくした」のだ。
幼い少女のような外見に潜む、悪魔のような一面を目にし、ロザリオンは思わず身震いした。
「モーリィ……ごめんね。あんたでっかいから、こうしないと運びにくいんだ……!
さあ行くよ、あんたら!!!! あのクソ野郎はいつか殺るけど、今は逃げるんだよ!!!」
そう云うと、モーロックのズタズタの上半身を怪力で肩上にかつぎ、メリュジーヌは走り出した。
「本隊がいる方角とは違う、北西に」。
それを見てアシュヴィンとロザリオンは即座に意図を理解した。敵は、目標の家族と自分たちの本隊の居る方角を正確には知らない。敵の撹乱が目的なのだ。自分たちは本隊より離れ、別働隊となるのだ。
彼女を追って、二人は走り出した。
アシュヴィンは、まだ一瞬目にしただけの異様な男、レムゴール人フィカシューを後方にちらりと見やる。
彼もロザリオンから受けたダメージが大きいのか、追ってくる様子はない。
そしてそのまま、並走するロザリオンを見た。
彼女は、無念をにじませた表情で唇を噛んでいた。敵を討ち漏らしたこと、逃走せねばらなぬ無念、己の失策を悔いているのだろうか。
いずれにせよ、想定していた中で最悪に近い結果となったレムゴール軍人との初の遭遇。
背後に国家の存在も見え、前途に希望が見いだせない現状に加え――。
斃せる見込みのない、強敵。そして後続の援軍の存在。
今は逃げるしか、なかった。そして反撃に向けて、身を隠し休める場所を全力で探すしかなかったのだった――。