第四話 エグゼキューショナー
友好的な笑顔を準備していたロザリオンの表情は、一変した。
突然に訪れた、レムゴールにおける初の異邦人との遭遇の中、相手が敵対・非敵対というよりも――。著しい危機感を漂わせた「民間人」であったという予想外の状況。
そしてその女性が見せる、相手の素性も分からない状況下でなりふり構わず助けを求めてくるほどの、超緊急事態。ロザリオンは軍人として、まずこれに対処せぬわけにはいかなかった。
「――落ち着いて。私たちは、あなたたちの、敵ではない。
私はロザリオン。ハルメニア大陸から来た者だ。後ろの者たちも同様。
何があったのか? 聞かせてほしい。私たちはあなたたちの、力になる」
引き締めた表情で、一言一言区切りなだめるように柔和だが端的に、それでいて安心感を与える冷静そのものの語りかけ。後方で見ていたアシュヴィンは、こんな折ではあるが状況に対する満点の対応に感心していた。
だが女性は――。些かも安心する様子はなかった。子供達の手を引き、ロザリオンに詰め寄ると、彼女の逞しい腕を掴んで喚く。
「そんなこと、云ってる場合じゃないのよ!!! すぐ逃げなきゃいけないの!! 遠くへ、もっと遠くへ!! あんた達が海から来たっていうんなら、船があるんでしょ!!?? それに乗せて!!!
殺されるのよ!!!! このままじゃあいつらに、皆殺しにされるノヨ!!!!」
ロザリオン達調査部隊前衛は100人。武器を抜いてはいないが完全武装であり、紛うことなき武力を持った軍隊の体だ。それを目の前にし保護する旨を伝えられてなお、必死の形相で「逃がせ」という。
どうやら早急に「敵」を知る必要に迫られている。ロザリオンはそう判断した。
「わかった。あなたたちを安全な場所に逃がそう。そのためにも教えてほしい。
あなたたちを追っている“ダルダネス”の“エグゼキューショナー”とは、人間なのか?」
安全を保証した上で、限定した知りたい情報に是か否かで応えさせる。
「人間に、決まってるじゃない!!! バカ云わなイデ!!!」
「ではその者たちは、何人ほどいる?」
「わからない――。たぶん、2、30人位だと思うけど。どうでもいいでしょそんなこと!!! 早く逃して、お願いだから!! 子供たちを、私の子供たちを助ケテ!!!」
女性の精神状態からしてこれ以上有益な情報は引き出せず、またどうやら時間的猶予もなさそうだ。
判断したロザリオンの決断は極めて早かった。
「――エイツェル。お前に命ずる。この方々を連れ、シエイエス様率いる本隊に合流せよ。
状況を伝え、できるだけ詳細な情報をこの方からお聞きするように。
連れていきたいのなら、アシュヴィン、エルスリードの2名の同行のみ許す。すぐに行け」
傍らで命じられたエイツェルは、ハッとした表情になったものの、すぐに頷き返事をした。
「はっ!!! 仰せのとおりに!!」
命令の的確さを理解したからだ。この前衛にいる戦士の中で、自分達若年の3人が最も戦闘力が低い。かつそれぞれに重要な血を担っている存在。エイツェルとアシュヴィンの怪力と走力ならば、子供たちと最悪女性自身も担いで逃げ去ることができ、危機回避役としても申し分ない。
「さあ、すぐに逃げましょう。お嬢ちゃんたち、怖がらないで、大丈夫だから。お姉ちゃんがすぐに、安全な場所につれていってあげる。いっしょに来て」
エイツェルの心からの優しい笑顔に、極限の警戒をしていた子供たちも軟化し、おずおずと近づいた。エイツェルは優しくしかし素早く、女の子を背中におぶり、男の子を胸に抱き上げた。一族の彼女の怪力ならば、子供など何も持っていないのと同等の重量でしかない。その逞しさに、子供たちは明らかに安心感を抱いた様子だった。
「アシュヴィン、エルスリード!! 一緒に来て!! 行くよ!!!」
エイツェルの短く、鋭い叫びにアシュヴィンとエルスリードは即座に頷き反応。アシュヴィンは素早く女性に駆け寄り背中に背負い、それにエルスリードも続く形で、3人は全力で後方へ駆け出す彼女の後に続いていった。
それを見送ることなく、ロザリオンは次なる布陣への司令を出す。
「聞いたな!? 相手は比較的少数なれど、あの得体のしれぬ乗用生物に乗っている。逃げた民間人を追わせぬためにも、水平展開し広がれ。
まだ武器は抜くな。現状では敵となる可能性が高いが、まずは話し合いを試み情報を引き出す。
戦闘の口火は、このロザリオンが切る。私が『抜いたら』合図だと知れ」
明快な戦術の司令を受けた部隊は、レムゴール人女性らが飛来してきた北東を正面に、水平展開した。100人からの部隊は、ある程度の厚みをもった幅50mほどの布陣を展開。最も前に出たロザリオンに対し、数m離して左右後方にメリュジーヌとモーロックが展開する状況。
ロザリオンがメリュジーヌに問う。
「どうだ、メリュジーヌ。名高い魔導戦士の貴殿なら魔力で感じているだろう? 相手の布陣を。中心はこのあたりで合っているか?」
「大丈夫よー。もう敵さんは目と鼻の先。姿かたちまではっきりわかる位にねえー。あのおばちゃんが云ったとおり、確かに人数は20人……いや21人ね。中心で一団を率いてる――指揮官は、ドンピシャであんたの居るとこに来るわ。さすがロザリオンちゃん。
分かってるだろうけど、その指揮官のヤロウ――底が知れないバケモノ的魔力を放ってるよー。
何が起きてるんだろうねえ、この大陸。さっきの『子供たち』も――気がついてた?」
問いには、モーロックが代わって険しい貌で応えた。
「そうよなあ。いかなるカラクリか分からんが――『魔力が全く感じられんかった』。
人間、どころかまともな生物なら有りえん異常なことぞ。あれは何ぞ。魔工か何かでこさえた人形とでも云うんか」
ロザリオンはその言葉に、無言で貌を歪めた。そう、彼女も先程の異様な言動の女性よりも――。彼女が連れた子供たちにこそ戦慄していた。この地上の生物が大なり小なり持つ「魔力」を全く持たない、人の形をした「モノ」。エイツェルらに本隊に連れていかせることに逡巡はしたが、シエイエスに一刻も早く見せて適切な処置を仰ぐことが最善と判断したのだった。
音がする。メリュジーヌの云うとおり、目と鼻の先に迫った相手が、あの乗用生物のスピードで迫ってきているのだ。
風斬り音に続いて、明らかな――闘気と殺気。その鋭さに一流の戦士たちは武器を抜きたい衝動に駆られたが、全力で抑えた。
葉と枝を大量に手折り、炸裂音を響かせたのち、羽トカゲの乗用生物に乗った一団は、ついに姿を現した。
メリュジーヌの云ったとおり、きっかり21人。女性の情報どおり、紛うことなき人間だった。
身につけたものは、頭部からつま先まで、「真紅」に染め抜かれた独特の重装鎧。面頬で覆われた貌の様子は垣間見ることができない。重装であるのに、鎧はなぜか肘から下だけがなく、むき出しの腕と手には何も装備されていない。腰や背に、武器を帯びている様子すらなく、騎士や兵士だとしても異様と云わざるを得ない容貌といえた。
彼らは異邦の軍隊の存在をすでに認識していたようで、ロザリオンから見て10mほどの位置で一斉に乗用生物を停止させた。そして――その一団の中で、明らかに指揮官とわかる豪華な装いの人物が、ロザリオンに向かって進み出てくる。190cmを超すと思われる長身から、男性であろうと推察された。
3m程度の目前で停止した後、面頬の奥からしげしげとロザリオンを値踏みするように見ていることが感じられるが、何も言葉を発する様子がない。
ロザリオンは微笑みを浮かべて、その指揮官に語りかけた。
「レムゴールの御仁。お初にお目にかかる。
私はロザリオン・アレム・ブリュンヒルドと申す者。我ら一団は“レエティエム”と申し、はるか南西のハルメニア大陸より、海を渡って参った。
私達にはとある目的があり、貴殿らレムゴール大陸の方々にぜひご慈悲とご協力を賜りたく、お会いするために森を抜けているところだった。
我らは軍隊ではあるが、このとおり貴殿らと交戦の意思はない。我らをどのように改めて頂いても構わぬゆえ、このレムゴールについてご教授いただき、願わくば貴殿らの国の長に当たる方にお目通りさせて頂けぬであろうか」
両手を広げて挨拶と説得の口上を述べるロザリオン。シエイエスから全指揮官に通達されているメッセージであり、ロザリオンのそれは真剣さと誠実さを感じさせ、安心感を抱かせつつも対等の姿勢を崩さぬ毅然さも備えていた。シエイエスが見込んだとおりの満点の交渉ぶりに、後方のメリュジーヌが小さく口笛を吹いて称賛した。
それを聞いたレムゴール人部隊の指揮官は――。
ゆっくりと、兜の両側に手を添えた。そして一気に兜を脱いでその下を露わにした。
途端に――薄紫色の長髪が広がり、光を反射した。
年齢は――。30手前といったところか。軍人らしい精悍な面持ちの、中々の美男だ。
目と眉は細く釣り上がり、筋の通った高い鼻、肉厚の唇をもつ。眼光は鋭く、圧倒的な実戦経験と己の実力への自信が感じられる。それを裏付けるかのように――。彼の発する魔力はメリュジーヌですら気圧されるほどの強大さを兼ね備えていた。
彼は、兜を鞍にかけると、あまり爽やかとはいえない陰のある笑いを口に浮かべ、ロザリオンに向かって云った。
「これは――。ご丁寧な挨拶、いたみいる。
本来ならば拙官の方から挨拶をせねばならぬところ、貴殿のあまりのお美しさに見とれてしまっておった。ロザリオンどの。
よもや、ハルメニア大陸から来られたなどという前代未聞の客人にお会いするとは、夢にも思わなかった。
拙官はダルダネス州都執行管理官、エグゼキューショナーを務める――。
フィカシュー・ガードナーと申す拙き者。以後お見知りおきを願いタイ」
どこか、不吉な響きを感じさせる「エグゼキューショナー」なる身分を名乗る男、フィカシュー。
初めて名乗ったレムゴール人である彼は、乗用生物の上でうやうやしく右手を水平にし頭を下げ、淑女に対する礼の姿勢を取ったのだった。