エピローグ 絶望待つ希望の地 レムゴール【★挿絵有】
あまりにも待ち焦がれた、陸地。上陸にはやる気持ちを必死で抑え、乗組員たちは慎重に慎重を期して確認と作業を繰り返した。
ここはハルメニア大陸の海岸ではなく、敵地の入り口。叡智と用心深い性質を併せ持つシエイエスが指揮官である彼らに、ぬかりはなかった。
船底の感覚魔工を利用して、直下の海底を探る。浅瀬の岩礁を避けて湾状の深い地形を探る。時間を測って、潮位の変動と海岸線の変化を探る。ロープや鋼線、錨のぬかりない点検。といったような、着岸への準備。
クピードーやザウアーなどを利用した、偵察。感覚魔工による魔力と音の感知。各自武装の点検と装備。上陸後作戦の綿密な再確認。といった来たるべき脅威に備えての入念な準備。
これらの作業を二昼夜にかけて行ったのだった。
そしていよいよ――。上陸の決行が宣言された。
まず、桟橋を建設できそうな緩やかな湾に向けて、先鋒の2船が侵入する。
これには、連邦王国船、ノスティラス・ロザリオン船が立候補していた。
海底深度を見極め、錨を下ろす。続いて来る他船も、ロープを渡し、木材を渡して互いを固定する。ひとまず現状は、先遣隊が安全を確認するまでは他船は武装待機だ。いつでも逃げられる準備をして。
先鋒2船から、ボートが降ろされる。各船4船80名。それを指揮する人物の戦闘力を考えれば、偵察には十分だ。
ボートは砂浜に達し、そこからまず一人の人物が海水の中に降り立ち、歩みをすすめる。
ドミナトス=レガーリア連邦王国総司令官、ムウル・バルバリシアだ。
神剣アレクトを抜き放ち、重装鎧を身に着け、赤毛の長髪をなびかせる巨魁。きわめて男らしい貌立ちの中に見せる不敵な笑みは、レエテの背中を追いかけていた少年時代とあまりに大きく変わった。だがその向こう見ずな正義感、何より純粋な好奇心は何も変わってはいない。彼は興奮を抑えきれないように、右足で砂浜を踏みしめた。
――ハルメニア大陸人による、レムゴール大陸への歴史的第一歩は、この瞬間ムウル・バルバリシアによって成し遂げられたのだった。
誇らしさと興奮を隠さない表情の彼だったが、今はそれを高らかに宣言することも、他者からの祝福を得ることもできない。静寂の中後続の部下たち、自船に続いて上陸を果たしたロザリオン・アレム・ブリュンヒルドらに対して手でサインを出し、散開しての偵察を命じた。
その様子を、レミオンはアトモフィス船の甲板から歯ぎしりして見ていた。
自分こそが、あの役目につきたかった。第一歩を踏むことも、偵察隊を率いることも。
尊敬するムウルがその任にあることで、まだしも不満の度合いは抑えられていたし――。司令船アトモフィスが先鋒はありえないこと、自分の血の重要性、何より軍階級を考えれば有りえぬことと分かってはいたが無念にすぎた。
アシュヴィンは、手に汗を握ってその様子を見守っていた。ダフネの事が頭をよぎる。勿論、彼女のときのような超巨大怪物の擬態などという可能性は万に一つもないが、何らかの死の罠がしかけられていれば結果は同じ。先遣隊の無事を祈るばかりだった。
待つ身にとっては永遠のように感じられる時間が過ぎ去り――。
1時間が経過した頃、先遣隊は戻ってきた。
その先頭にいるムウルの表情を見れば、無事が確認できたことは明らか。
こうして、晴れて無事、“レエティエム”のレムゴール上陸は成立した。
まず早急に行うべきは、遠征拠点の建設だ。人員は総掛かりで、船内の木材、金属資材、レンガなど建設物資を運び出した。次いで食糧、衣類、家具類、器材など。牛や豚、鶏などの家畜と馬も。ネルヴィル船とダフネ船に積まれていた資材の損失は大きいが、まだ二割。想定された拠点の建設には必要十分だ。
海岸で標高の最も高い岸壁上を見定め、ここに要塞を建設すべくシエイエスは司令を発した。
魔導で地盤を掘り、杭を打ち込み、簡易工法を確立し用意した木材を組み合わせ、どんどん建築物が構成されていく。
竣工までの想定は、1週間。それを終えるまでの繋ぎとして、現場の周囲には無数のテントが張られた。そしてその外側に、厳重な柵が3重に張り巡らされた。さらに柵内の安全な場所を耕して、すぐに種が蒔かれて芋などの根菜や豆類、野菜などの畑の設置が進んでいったのだった。
その間にも必要なことは、周囲の環境調査など山のようにあった。水は船のランビキで無限に作れるとはいえ川も見つける必要があったし、生態系の調査も取り掛かる必要があった。空からの、偵察も。
結果、1kmほど森林を分け入ったところに湧き水と川を見つけた。昆虫や動物、植物などはハルメニア大陸と違いが見られたものの亜種の範疇であり、狩りで食糧を得ることも、植物から資材を得ることも可能という判断がなされた。
ただ一つ――空、だけは、大きな壁が立ちはだかっていた。
「何だと? 気脈の流れ、が?」
驚きを浮かべてザウアーを問いただす、シエイエス。
「左様で。森の上を飛ぶとか、低空だったら問題はありやせん。ですが遠くを見渡せるぐらいの高度に上がろうとすると、とんでもなく濃い気脈の流れにぶち当たり、とても近づけません。おれも少し近づいただけで意識が飛びそうになりやした。クピードーのやつも同じです。残念ですが、上空からの偵察は無理と思ってくだせえ、シエイエス様」
シエイエスはラウニィーと貌を見合わせた。彼女も貌を青ざめさせて云う。
「そんな、信じられないわ……。空には、地底と違いエネルギーの依代になる物質がほとんどない。ザウアーやクピードーほどの子たちが近づけないほどの気脈が、そこに流れているというのなら――。それはナユタかそれ以上の魔導士が、休みなく一方向に魔力を発し続けるか――。あるいは超巨大な魔工のようなもので途切れることなく魔力の洪水を起こしているような、そんな状況。
正直、恐ろしいわ。ありえない事態を起こす何かが、あの森林の向こうにあるということよ」
シエイエスは表情を険しくし、頷いた。
「わかった。やはり遠征部隊を遣わし、直接人間の目で調査を進めていくしかないということだな。
シェリーディア。早速各司令官を招集してくれ。遠征部隊と拠点守護部隊の選定を進めたい」
シェリーディアは目を細めて頷き返し、背を向けた。
「わかった。ダフネ達がいなくなって、想定戦力の再整理をする必要もあるしね。
早速呼ぶ。ルーミス、ムウル、ジャーヴァルス、サッド、レジーナ、オリガー。頭どもをね」
*
その頃、アシュヴィンとレミオン、エイツェルとエルスリードの幼馴染たちは、40日ぶりの再会を喜び合っているところだった。
生まれてからほぼ一緒にいた4人。特にボルドウィンに移住してしまったエルスリードを除く3人にとって、40日も離れていることなどまさしく生まれて初めてのことだった。
エイツェルは貌を涙でグシャグシャにしながら、レミオンに抱きついて号泣していた。
「レミオン……レミオン……!! よかった、よかったよお……無事で、本当に……!
あたし……寂しかった。それに……怖かった。あんた達を失うんじゃないかって……。
嬉しいよお……会えて嬉しいよお……」
「姉ちゃん……俺も会えて嬉しいぜ。あんなバケモノに出くわしちまって、ボルドウィン船が大丈夫か、ずっと心配だった。無事でよかった、姉ちゃん。こっから先はいつでも俺が姉ちゃんを守ってやれるからな……」
レミオンも、彼らしくなく涙ぐんでしっかりと姉を抱きしめていた。やはり喧嘩することはあっても生まれてずっと姉弟として育った2人の絆は、計り知れないほど深い。他人から見ればたった40日で大げさと映るだろうが、2人を深く知るアシュヴィンとエルスリードは、もらい泣きしてその様子を見守っていた。
「良かったわね……エイツェル。私も……あなた達が無事で本当に嬉しいわ、アシュヴィン」
少し目を潤ませながら自分を見つめてくるエルスリードに、心臓が飛び出そうなほど動揺したアシュヴィンはしどろもどろになりながら云った。
「そそ……そうだね。ぼ、僕も君が……無事でうう……嬉しい、エルスリード……。
船酔いとか……大丈夫だった?」
無事を喜ぶ気持ちは本当だが、エルスリードを自分のものにするとレミオンに宣言した身として、こんな様では全く先が思いやられる。しかもこんなこと、今聞く話か?
自嘲し己に怒りすら感じるアシュヴィンだったが、エルスリードはその言葉に笑顔で返してくれた。
「ありがとう。なんとか大丈夫だったわ。やっぱりあなたは優しいわね。
……アシュヴィン……」
――エルスリードも、不安と恐怖から解放され、親しい者に会えた安心感から誰かの胸にすがりたかったのか。それとも、もっと別の――感情からなのか。
彼女はなんと、まっすぐにアシュヴィンの胸に飛び込み、背中に手を回して抱きつき、貌を埋めたのだ。
突然の緊急事態。エルスリードの華奢だが柔らかい全身の感触――ことに自分の腹部に触れる彼女の乳房の感触、間近にある美しい貌とさらさらの紅髪、気を失いそうに芳しい香り。
アシュヴィンの脳はまたたく間に停止し真っ白になり、それと対照的に貌は彼女の髪の色よりも赤くなった。
「――あう――。――え――エ――エルス――! ああ……あああ……」
アシュヴィンとエルスリードが抱き合うという、最大級の衝撃の光景を目にし――。
抱き合い再会を喜んでいたレミオンとエイツェルは驚愕の表情を浮かべた。
いや、青ざめ、目を見開き、口を大きく開けた――。絶望的、といってよい衝撃の表情だった。
あまりに、衝撃であったためだろうか。
普段から言葉をためらわないレミオンですら――。口をパクパクするだけで言葉を発せず、エイツェルと抱き合いながら完全に硬直し停止し続けるしかなかったのだった。
*
1週間が、過ぎた。
外敵や襲撃者もなく、無事要塞は完成した。
駐留人数800人程度を想定した、石と木造りの15m3階構造の天守閣と防護柵を誇る立派な要塞。ここを兵站拠点とし、長きに亘るであろうレムゴール大陸調査の礎とするのだ。
最上階のバルコニーには、各司令官が立ち、要塞の周囲には“レエティエム”人員1600名が全員、集結していた。
司令官の中から最高司令であるシエイエスが進み出、毅然とした様子の中に身振り手振りを交えながら、演説を開始した。
「“レエティエム”諸君。航海を支えた水夫諸君。
地獄の“死洋”を越え、ここまでたどり着いた諸君の偉業と思いを、心から讃え感謝したい。本当に、ご苦労であった。
そしてまた、その旅路にて散ったネルヴィル司教、ダフネ元帥以下400名の尊い犠牲。彼らのお陰で、我々は生きて目的に近づくことができた。これを決して忘れることなく魂に応えていくということを、ここに強く誓いたい」
そして黙祷を開始したシエイエスに従い、全員が黙祷を捧げた。
目を開いたシエイエスは、再び言葉を継ぐ。
「今現在、我ら“レエティエム”はレムゴールにとって『侵略者』である。
この大陸の民とのいかなる対話、いかなる交渉もなく、無断で土地を占拠し、要塞を築いた。
これからも、いかなる障害があろうと突き進もうとしている我らは、さらにこの後『侵攻者』となるであろう。そのことを、心に留め忘れぬことを求めたい」
厳かな表情だったシエイエスだが、一気に情熱を伴った身振り話しぶりに変化し、言葉をさらに継いだ。
「だがそれでも。我らは進まねばならない。
民には礼を尽くし、対話を尽くす。だがそれが通じぬからといって、留まることは決してない。退くことはさらに、ない。
侵略者と呼ばれようと構わぬ。我らの目的は明確だからだ。気脈の乱れを収めること、“ヴァレルズ・ドゥーム”にたどり着き、サタナエルの謎を解き明かして一族の寿命を克服すること。それらによってハルメニア大陸の恒久的平和に与すること! それ以外にない!」
小さいながらもそれに同意する声が多数漏れる。すでに聴衆側も気勢が頂点に達しようとしている。右手を水平に払い、シエイエスは続けた。
「その決意を込めて、あえてこの地を『ハルマー』と名付け、ハルメニア人の領土を宣言する!
死守すべき我々の領土だ。必要とあらばこの地の国家も征服する。我らが目的を果たし、この大陸を去るその日まで!
“レエティエム”よ!! 命と魂を捧げよ!!! レエテも渇望した――ハルメニアの平和のために!!!!!」
高らかなその宣言に――。一気に、波のように大地を揺らす怒号が響き渡った。
「応!!!!! オオオオオオオオオオ!!!!!!」
「ハルマー!!!!! ハルマー!!!!!」
「レエティエム!!!!! レエティエム!!!!!」
「万歳ハルメニア!!!!! ハルメニア!!!!!」
その、鬨の声こそが――。このレムゴール大陸における戦いの始まりであり――。
同時に、地獄の門への突入の怒号であったことを、このときは誰一人知る由はなかったのだった。
第二章 死洋への航海
完
【参考資料:レエティエムの道程】
次話より、
第三章 不死者の大地
開始です。