表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レムゴール・サガ  作者: Yuki
第二章 死洋への航海
26/131

第八話 見えざる敵、それは――

 ダフネはザウアーとともに、甲板に上がった。

 哨戒兵の、「海上に、島らしきものが見える」という報せを受けて。


 先刻までと異なり、空は晴天から急激に曇天へと推移していた。それを見上げつつ、騒然とする甲板の右舷側に行く。最高指揮官の到着を受け、乗組員は敬礼しつつダフネに道を空けた。

 柵まで行き、海上を確認する。たしかに何やら、陸地とまではいえない島、のように見える何かが海上に出現している。


 それは約500m先の霞む視界の中に、あった。見たところ島周1kmにも満たぬ小島で、藻の張り付いた岩山や、海岸のなだらかな砂浜を持ち、低い波が打ち寄せているのが見える。急に立ってきた霧によって島の中央部は全く見えず、若干の樹木があるように見えるだけだ。


 エストガレスの元元帥として、数々の海戦を率いて航行した経験が極めて豊富なダフネから見ても――。

 それは、何の変哲もない洋上の孤島であった。


 しかし――レムゴール大陸の領域であるかもしれないこの海域で見る、曲がりなりにも初めての陸地。それは、単なる島であること以上に極めて重要な意味をもつ。

 すなわち、レムゴールの民か、もしくは建造物などの痕跡が見られる可能性があるということ。


 これを発見してしまった以上、危険ではあるが上陸して調査せざるを得ない。


 まずは念話を送り、他の8船を停泊させる。

 次にザウアーを向かわせ、上空から偵察をはかる。空から見ても、海上から見る以上の成果は得られず、やはり人間が上陸して分け入らざるを得ないようだ。


 船腹からボートを降ろし、そこに乗り込む。10人乗りの小舟であり、そこに乗り込むのは戦力を吟味した強者で構成されなければならない。

 ダフネ、ヨシュア、それに続く8名が乗り込み、ザウアーは船側で待機することになった。


 漕ぎ手が、ボートに付随する6本のオールを漕いで進み始める。魔工船から30mも離れてしまえば、“目”による音と視認の消去効果は消え去る。完全無防備となった緊張感が、全員の背中に冷たいものをよぎらせる。


 ボートを砂浜に寄せ、最初に数人が降りて引き上げ乗り上げさせる。砂浜を踏んだダフネは、かがみ込んで砂を手に取り、目を近づけて見た。


 特に不審な点もない、何の変哲もない砂だ。すぐに立ち上がり、鞘に手を置いたまま歩き出す。ダフネにとってその体勢は臨戦の構え。すぐさま抜刀によって敵を瞬時に葬ることができる。その彼女の後をヨシュアらは剣を抜いて追い、そして島の中央部に分け入った。


 その中は、やはり不審な点の見当たらない椰子などの原生林と思われ、人間はおろか建造物の痕跡を何も発見することができなかった。その後島内を一周してみるも、やはり何も、ない。


 ヨシュアは首をかしげながら、ダフネに問うた。


「何も、ございませんね。やはりただの孤島で、調べる価値はないと判断するべきなのでございましょうか?」


 そのヨシュアの言を受けたダフネの表情は、目を細めた厳しいものになっていた。


「そう、判断せざるを得ぬが――何か、引っかかる。

これだけ小さな孤島であれ、幾千年、幾万年もここに在ったのなら、通常は何かしら生物が棲んでいるものだ。私が訪れたハルメニア大陸周辺のこのような孤島にも、昆虫や鳥、両生類などが数少ないとはいえ生息していた。それがこの島には全く――いない。植物だけが生い茂る様があまりにも不自然で仕方がないのだ」


 さらにダフネは顎を上げ、やや表情をしかめて見せた。


「それに上陸してから何か――匂わぬか? 潮の香りとは、違う。明らかに何か、魚のように生臭い――不快な匂いだ。それも島内全体にわたって。何かがおかしい。腑に落ちぬ」


 しかめた貌をそのままに、ダフネは鞘から“心眼(エスプリット)”を抜き放った。刀身120cm弱、見惚れるように妖しい光りを放つ、まさに名刀。久しぶりに目にした師の美しい刀身に、ヨシュアは思わず目を細めて見入る。


 ダフネは、その刃をゆっくりと、己の立つ砂浜に突き刺した。この世で有数の鋭利さを誇るであろう刃は、いともたやすくその刀身を砂の中に侵入させていく。

 そしてその切っ先は――何かに突きあたり、止まった。



 切っ先の感触を知覚したダフネは、瞬時に――。極限まで左目を見開き、戦慄の表情となった。


  

 そして神速で刀身を引き抜くと、柄に両手を添え、凄まじい威力の水平斬りを、地面に向けて放つ。


 刀身が巻き起こす風圧は一瞬にして大量の砂を巻き上げ、ヨシュアは突然視界を遮られながら咳き込んだ。

 そしてその晴れた視界の中、彼が見たものは――。



 砂浜の下に潜む、緑灰色の、ごつごつとした「鱗」であった。


 そう、つい、最近――目にしたもの。それとほぼ同種のものと一瞬で視認できる、決して目にしたくないものの一部に、相違なかった。



「総員!!!!! 退避!!!!! すぐに船に戻る!!!!! 同時に、打ち上げろ!!!!! 最大危機の警告信号をおお!!!!!」



 魂の底からの、ダフネの命令という名の絶叫。

 それを受けたヨシュア達は一瞬で蒼白となり、一員の中の魔導士は、即座に上空へ魔導の弾を打ち上げた。


 上空で破裂し、光った色は、真紅。


 最大危機の到来、即時の撤退を意味する、最速の信号。

 それが意味するところは、つまり――。



 信号弾が打ち上がるのとほぼ同時に、異変は現れた。



 島内を突如、地震が襲ったのだ。


 前後左右、変則的に振られる、立っていられないほどの揺れ。

 それと同時に襲う、地の底からのゴゥン、ゴゥンという大轟音!


「ううううあああああ!!!!」


 ヨシュアが恐怖の叫びを上げる。砂浜に両手を着き、どうにか前方を見上げた彼の目前で――。

 ボートは無情にも、海へ流れていった。



 そして――。



 そのボートが流れる先。母船にも異変が、現れていた。


 不自然に、船が持ち上がっていた。海が、盛り上がることによって。それは異常なまでのスピードで、見上げることもできないような100mもの上空へと持ち上げられていく。



 そして――乗組員の絶望的な悲鳴とともに、次の瞬間。


 盛り上がった海水の頂上で、凄まじい衝撃音を響かせて船の船首側が粉々に破壊されると同時に――。



 そいつは姿を、現した。



 船を一瞬で「噛み砕いた」そいつは、島のこちらを、向いていた。認識した「獲物」を見据えるために。直径60m以上の直径を誇る首の上に、高さ50m、長さ80mに及ぶであろう超巨大なる頭部を現したその姿は、ハルメニア大陸の者にとって地上生物の頂点に立つ生き物とよく似た形態を有していた。


 ドラゴンの、形態を。


 途方もなく巨大な、ドラゴン。突き出たのは彼の頭部であり、現在ヨシュア達が居る島、それこそは彼の「背」であった。

 本物の島そっくりの環境を整え、飛来する巨大鳥などを捕食する、そのために。

 ヨシュア達が罠にかかったことを認識し、様子を窺い――気取られたと見た瞬間に行動を開始したのだ。


 これこそ――。襲撃形態は文献にあるものと違うが、超巨大海竜リヴァイアサン、その一種に相違なかった。

 500mの長さの首、1km径の胴体、200m以上の四本のヒレ、500mの尾を持つ――。知られている中で“死洋(プルートゥリウム)”の王者というべき、最大最悪の、敵だ。


 

 「彼」は――頭を出したところに見えない何かを感知し、噛み砕いた。人間の船という思わぬ食材を食い散らかした悪神の使いは、残りカスの人間どもが船の残骸とともに海に落下していくのになど目もくれず、背中の島のあまりに貧相な餌達を見下ろした。その目は凄まじい不満に満ちていることを、ありありと見てとらせた。



「――――!!!!!」



 ブレードを構えたまま、彫像のように動くことのできない、ダフネ以下卑小な人間達。幾人かは極限の恐怖に嘔吐し、動けぬまま失禁した。天を衝くように伸びた首から押し寄せる、100mに届く津波の青く巨大な壁。終わりの絶望に、苛まれる。ただそれだけが、小さき人間にできることだった。


 しかしダフネは――。ギリッ! と一度歯噛みし、ブレードを鞘に収めると後方へ振り向きざまに――。付近の大きな木を「二断」した。瞬時に2m超の材木が出来上がり、後方のヨシュアに向けて転がっていくのを見定め、叫んだ。



「ヨシュア!!!!! その木に全力でしがみつけ!!!!!」



 ヨシュアが目を見開き、その言葉どおりに材木に抱きつくのと同時に――。


 彼らの立つ「大地」は、突如信じがたい勢いで隆起した!



 一時に数十mも勢い良く持ち上げられた10人の人間は、強制的に――。

 死の津波と、死をもたらそうとする怒れる超存在の口へ向けて、放り投げられた!



「ぐううううううあああああああああああああーーーー!!!!!」



 悲鳴を叫び尽くす、ヨシュア。彼の身体は、材木の空気抵抗のおかげか、他の9名よりも減速され、超巨大竜の口ではなく、津波の頂点に向けて飛んでいった。

 彼は必死で、師の状況を見ようと視線を動かす。そのヨシュアの数十m先にある、高さ100mほどの中空を飛ぶダフネの姿を、彼は捉えた。



「ダフネ師いいいいい!!!!!」



 ダフネは――。



 おそらく、人類が経験したこともないであろうこの極限状況に、一時思考が停止していた。

 あまりにも確実にもたらされる死と、それによる最大最上限の恐怖によって。



 自分は人智を超えた力で中空に放り投げられ、全長2kmを超えるであろう超巨大竜の、開口50mを超える口の中に吸い込まれ、食われようとしているのだ。



 しかし――鞘を握った右手。柄にかけた左手。自分の人生の全てともいえるその手の感覚が、彼女に一縷の正気を取り戻させた。


 そして――恐怖の震えを、武者震いへと強制変換させた。その貌は、もはや狂気とさえいえるほどに嬉々として歪み、目は飛び出さんばかりに見開かれ、歯茎までが極限までむき出される凶相となった。



「ふ――ははははははははははははははっ!!!!!

いいだろう、化け物!!!!! 私が相手をしてやる!!!!! このハルメニア大陸剣士ダフネ・アラウネアがなあああ!!!!!

この私の生をかけた、最後にして最高の一撃、とくと受けて見せよおおおおお!!!!!」



 迫る巨大な口。ドラゴンの形態をとってはいるが、大陸最大の建造物、グラン=ティフェレト遺跡に匹敵する馬鹿げたサイズ。


 まさに地獄に向けて開いた門のような巨穴の上部――上顎に向けて、ダフネは魂の全てを込めた全力の抜刀術を放ったのだ。

 

 鞘を神速で抜け、刃に魔力がまとわれる。10mに届く長さにまでなった純白の硬化刃。下から上に向けての鮮やかなる斬撃が、目前に迫った上顎に向けて打ち出される!


「鬼影流抜刀術“白影刃 天岩(あまのいわ)の断” !!!!!」


 その天に向けて伸びた渾身の一閃は――。


 リヴァイアサンの上顎から鼻にあたる部分までを一直線に切り裂き、大量の噴血をもたらした!


 一瞬その巨躯が震え、口腔内から唸り声のようなものが響く。

 この人智を超えた超生物に、おそらく人類が初めての「ダメージ」を与えた、その瞬間だった。


 しかし――。わずか10m程度を切り裂いたところで、この生物にとっては所詮かすり傷程度。

 倒すことなど次元の違う、埒外。捕食は一切中断されることなく、継続される。


 滝のように流れ落ちる血を浴びながら、ダフネの身体は超巨大なる口腔内に向けて、残酷にも入り込んでいった。



(私はどうやら、ここまでのようだ――。

ヨシュア。お前は生き残れ。ロザリオン達と手を携え、此度の任務を遂行せよ。

ロザリオン。お前の元に帰れなくてすまぬが、お前は強い。私の意志を継いでくれ。

アシュヴィン。お前は私にとって、持つことのできなかった息子同然だった。無事を祈る。

シェリーディア。お前は私にとって、人生最高の友だった。お前の大事な人達を守り、生き残って幸せになれ。武運を祈る。

ああ――アスモディウス師、ビラブド、デレク、そして――レエテ――。

待たせたな。ようやく私は、お前たちの元に逝ける。お前たちに対し恥ずかしくない、誇りの最期を以てな――――)



 その、安らかな表情で語られた、誇り高き剣士ダフネ・アラウネア最期の心の声は――。



 一寸の後、暗転した視界とともに――永遠に断たれた。




 師の姿が、リヴァイアサンの閉じた下顎によって飲み込まれていく様を――。


 ヨシュアは、波に飲み込まれる寸前、はっきりと視認したのだった。



「ダフネ師!!!!! うあああああ!!!! あああああああああああああっ!!!!!」





 *


「ダフネ様!!!! あああ、ダフネ様あああああああ!!!!!」


 アシュヴィンは、アトモフィス船の甲板で、絶叫していた。

 

 突如の島嶼の発見、停泊。そして――リヴァイアサンの出現。調査にあたったエストガレス・ダフネ船の無残なる最期。10名の勇士の戦死。ことに、最期の誇りを刃に込めたダフネの、超怪物に一矢報いた一撃。


 その全てを、アシュヴィンは――。シエイエス以下のアトモフィス船主要人物たちとともに見届けた。そして今は、全速前進で逃走を続けるアトモフィス船の船尾より、生まれたときから目をかけてくれた恩人の死を、全力で嘆いていたのだ。


 涙目で傍らを見やると――。母シェリーディアが、柵を両手で掴み、震えていた。


 彼女の立場上、配下の前で取り乱すことなどできないが、完全に堪えきることはできなかった。

 16年来の戦友にして親友であった女性の、凄絶な死。それを目の当たりにし、目から大粒の涙を流し、抑えながらも嘆きの言葉を発し続けていたのだ。


「ダフネ……! ううう……そんな……アンタが……アンタが……ああ……!

ごめんよ……助けてやれなくて……本当に……ごめん……ううううう……!!」


 この状況で、助けることのできる者など、誰一人いない。できることはただ、ダフネと彼女の船が背負った尊い犠牲を無駄にしないよう、リヴァイアサンの出現とともに全力で逃げることだけだ。


 声をかけることはできない。だがシエイエスは沈痛な表情で、内縁の妻と義理の息子の肩に手を置き、尊い犠牲を黙って嘆いた。シェリーディアはその手を握り返し、ひたすらに涙にくれた。



 だが――。彼女のその目が、突如大きく見開かれた。そして大声で、命令を発し始めたのだ。


「き――救助!!!! 救助の準備をせよ!!!! 生存者あり!!!!!

クピードー!!! ロープを運びな!!! ――ああ、ザウアーのやつも、生きてる、良かった――!!!」


 魔工式視力11.0を誇るシェリーディアの目が、遠方に浮かぶ一人の生存者を発見したのだ。


 死したダフネの直弟子、ヨシュアだった。


 師が最後に彼に与えた材木にしがみつき、苦しみながらも海面をたゆたっていたのである。


 彼の背後から滑空してきたザウアー。ダフネ船が捕食される直前に脱出に成功していた彼が、リヴァイアサンの口に入る運命を逃れたヨシュアを発見し、風魔導で吹き飛ばしながら必死でここまで運んできたのだ。人間ではないザウアーの表情にも――深い悲しみが、刻まれていた。


 ヨシュアと兄弟弟子の関係にあるアシュヴィンは、身体を震わせて彼の奇跡的生存を喜んだ。


「良かった……君が生きていてくれて本当に、良かった……ヨシュア。

分かりました――ダフネ様。あなたが生かしてくれた彼とともに、僕は任務をやり遂げます。

あなたの教えが活きた、この剣で。必ず成し遂げます。

それが、犠牲になった偉大なあなたへの、(はなむけ)になると信じて」


 またしても失われた、数多くの尊い命。さらに――ついに自分の親しい身内で、命を落とす人が現れてしまった。

 初めての、そしてこれからも訪れるかもしれない試練。その中の一縷の救いに思いを託しつつ、アシュヴィンは必ず最後まで試練を乗り越え、目的を遂げると誓うのだった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] こ、これは……まさかの展開。 余りにも切なすぎる……! どれほど優れた英傑であっても、そして過去の功労者であっても塵芥でしかないという、徹底した無情ぶりと死洋の過酷さは、誰が死ぬか全く解ら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ