表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レムゴール・サガ  作者: Yuki
第二章 死洋への航海
25/131

第七話 醸成されし狂気

 サーペントという激甚災害により、ついに尊い犠牲を出すに至った“レムゴール調査船団”。


 魔工船一隻、30名の水夫、190名の“レエティエム”人員の犠牲という結果――。特に法王庁勢力No.2のネルヴィル司教、その配下であったよりすぐりの法力使いたる司祭達、振り分けられていたサタナエル一族8名、ボルドウィン魔導士9名というそれぞれに重要な意味と役割をもつ者たちの死は大きかった。人材の損失という点、そしてまた残された“レエティエム”の面々に対する精神的ダメージ――という点において。


 それまではまだ、希望に満ちた冒険という雰囲気も漂わせていた航海。今やそれは、絶望へと墜落しようとしているかに見えた。生き残った1800名あまりの戦士たちの思いはそれぞれだったが、強い「死」の実感に苛まれたことは事実だったのだ。


 晴天の中を、隊列を組んだ9つの船が進行していく。サーペントの出現から3日がたち、無風状態は完全に解消された。順風の中北東への進路を確実に走破しており、中間地点をも抜け、確実に近づいているはずだ。


 レムゴール大陸、に。


 かの大陸の発見は、1100年ほど前。当時ハルメニア大陸で盛況を誇り始めたハーミア教はまだ原理主義の真っ只中であり、異端とされる魔導士と魔導生物の迫害が行われていた時代だった。

 キャラック船を調達した400人からの魔導士と魔導生物は、新天地を求め旅立った。そして現在の“レムゴール調査船団”に近い航路を取り深海部に到達。そこでラルヴ・ワイバーンの魔導生物を高高度の位置に飛ばし、確認すると――。はるか北東方向に、確かに見えたのだ。

 あまりにも広大な、地と山の稜線。「大陸」が存在していたのだ。


 この魔導士の船は直後の超巨大怪物クラーケンとの遭遇を命からがら逃れ、大陸に引き返した。が、これによって過去漂流してきた幾人もの異邦人――。度合いは様々だったが重度の記憶障害を患った者たちが、断片的に口にしてきた「レムゴール大陸」の存在が証明されたのだった。


 それから200年後、ハルメニア大陸への渡航を奇跡的に成功させた南東のイスケルパ大陸の船乗りが、さらに裏付けとなる証言を行った。彼は身分が低く持っている情報はわずかだったが、レムゴール大陸が確かに存在し、イスケルパの民が往来していることを証言した。

 そして500年後、初の刀鍛冶が来航。さらに400年後に来航した剣聖、アスモディウス・アクセレイセスが剣術を伝えると同時に――。自らがその南端に渡航したという証言により、レムゴール大陸に確かに「文明」があることが証明されたのだった。


「だが……。

アスモディウス『師』は、剣と金にしか興味を持たぬお人だった。遭遇したレムゴールの民がそのどちらにも価値がないと見限った師は早々にイスケルパに引き返し、ハルメニア大陸を目指した――。そう、仰せられていた」


 イスケルパ出身の剣聖を師と呼ぶ、一人の女性。

 165cmほどの身長、鍛えられた戦士であることを示す筋肉で引き締められた身体。その全身を覆う黒皮の軍服。白い髪をボブカットにし、中々に美しい貌の中で一際異様な、右目の黒い眼帯。最大の特徴は、腰に下げられた見事な業物のブレードだ。


 そのブレードの名は、名刀“心眼(エスプリット)”。女性の名は――ダリム公国元帥にしてサタナエル大戦の英雄ダフネ・アラウネア、38歳。


 彼女は船の柵にもたれかかり、隣に直立不動で立つ少年に話しかけていた。

 黒髪の前髪を垂らし、そこそこには整った幼い貌立ち、イスケルパの伝統に倣った鎧羽織の出で立ち。腰に下げられた二本のブレードが剣士であることを物語っている。


「そ、そうなのですね! 私、大陸に剣術と抜刀術を伝播されたアスモディウス祖師を、心より崇拝申し上げております! 渡航されたことにそのような経緯がおありでしたとは。お話お聞きできましたこと、恐悦至極に存じます!」


 少年の名は、ヨシュア・リーザスト。18歳になる、ダフネの直弟子の一人。ガチガチになった表情と姿勢、そして話し方には、純朴で実直で緊張体質な性格がそのまま表れていた。


 ダフネは微笑みながらヨシュアに貌を向け、自分より少しだけ背の高くなった愛弟子の頭に手を置いた。


「そう云ってくれるなら、話して良かったな。

ヨシュア、人間には2つの真理がある。生存本能として追い求むる強者の理と、人として義情を尽くす仁の理だ。私にとって強者としての揺るがぬ師はアスモディウス師だが、仁の師は私よりも年下のレエテだったのだ。

お前の中にはこれまで教えを受けてきた私の存在しかなかろうが、これより先、他にも師と仰ぐべき人物を探し当てるが良い。それが、お前のさらなる成長につながる」


 そしてダフネは、再び遠い水平線に視線を移し、先日の悪夢を思い出しながら言葉を継いだ。


「『あのような』――この世のものと思えぬ真の化け物。恐ろしかったであろう。私も、これまでの生であれほどの恐怖を味わったことはない。もはや人の力なぞ塵ほども及ばぬ、悪神の業。

だが心の強さは、その脅威に対抗しうるものだ。心を強く持て、ヨシュア。決して恐怖に取り込まれてはならぬぞ――」


 そこまで云って、ヨシュアに視線を戻したダフネは、言葉を中断した。


 彼の背後に、信じがたい光景を目にしたからだ。


 甲板の、柵にもたれかかるようにしていた、ダリム公国麾下の若い戦士。

 

 彼がいつの間にか、背中の戦鎚をしっかりと縄で身体にくくりつけ、柵の上に足を乗せ立ち上がっていたのだ。


 青白い貌に浮かぶ表情は固定され、光を失った目には先程まではなかった――尋常でない「狂気」を内包していた。

 そしてその口から、上ずった声が放たれる。


「アハハ……。おれ……帰る……。

母さんのところへ、帰る。ハーミアが……天から、連れてってくれる……この穢れた海から……。おれには見える……空から大っきな、手が……そこまで、いかなきゃ……アハハハハ!!!」


 片方しかない目を見開き、手を伸ばしてダフネが絶叫する。


「駄目だ、アドニス!!!! 正気に戻れええ!!!!!」


 その声にハッとして振り向いたヨシュアの脇を、神速のスピードですり抜けたダフネだったが――。遅かった。


 完全に正気を失い、一切の迷いのない戦士アドニス の動きは素早く――。

 その身体は、投げ込んだ石のように、海面に向けて落下していた。


 彼の飛び込んだ柵まで到達したダフネは、身を乗り出すように海面を見下ろした。


 そこへ――斜め前方から高速で飛翔する物体が、彼女の目に飛び込んできた。


 その物体。鳥の姿をした「それ」の存在を認識したダフネは、迷わず叫んだ。


「ザウアー!!!! 頼む!! あいつを助けてくれ!!!!」


 それは――。おそらくシェリーディアの使いで来たと思われる、彼女の魔導生物、隼のザウアーだった。飛翔中に偶然アドニスの飛び込みを目撃し、高速で駆けつけてくれたのだろう。

 ザウアーの風魔導であれば、アドニスが海面に届く前に彼を弾いて上げることもできる。


 だが、現実は無情だった。

 アドニスの身体は海面に到達。そして戦鎚という重りをくくりつけた身体は驚くべき早さで海中に没し――見えなくなってしまった。


「――そんな――!!!」


 非常事態に集まってきた、このエストガレス・ダフネ船の乗組員たちに囲まれる中、柵に額を着きがっくりとうなだれるダフネ。


 その姿を呆然と見やるヨシュアは、師の言葉「心の強さ」の意味を知ると同時に――。

 おそらく他船でも発生しているであろう、人員の精神の限界に対する戦いに思いを馳せたのだった。



 *


「そうか……。アトモフィス船でも。各船に狂気に陥る者が続出し始めるとは、いよいよ恐れていたことが現実になってしまったのだな。私も己の力不足が心苦しい」


 自室でザウアーから報告を受けたダフネ。椅子の背もたれに止まったザウアーは、首を振りながら元上官に云った。


「あんたのせいじゃねえですよ、『少佐』! あんたは事前にシエイエス様達が通達した内容に従って、船内の動揺を収めることに尽力してるハズでしょ? どこも、同じなんですよ。想定してるよりも、敵のとんでもなさと恐怖の度合いが勝ってた。それだけの事でさあ」


「……ありがとう。ひとまず様子のおかしい者は一時船内に閉じ込める処置はしたが、狂気というのは伝播する。レムゴールにたどり着かぬ限り、加速度的に動揺が広がり、魔工の維持すら難しくなるおそれがあるな。お前が空から偵察しても、まだ陸地は見えんのか、ザウアー」


「ええ。クピードーのやつと交代で見張っちゃいますが、一向に陸地の影も形も見えやしません。あるのは間違いねえし、方角も合っちゃいるんでしょうが……距離だとかあちらさんの地形が正確にわからねえのが痛いとこでさあ」


「そうか。それにしても、このタイミングでお前を使いによこしてくれたというのは……。シェリーディアが私を心配してくれたのか? いずれにせよお前に久しぶりに会えて、私は嬉しいが」


「ご主人もそうですがね、アシュヴィンの小僧が特に心配してたってのが大きいですよ。ダフネ様は大丈夫だろうか、ってね」


「アシュヴィンが? ふふ、あいつ……一丁前に私の心配なぞする身分になったか……。ふふ」


 言葉とは裏腹に、相好を崩し笑みの止まらなくなる、ダフネ。


 戦友シェリーディアの息子であるアシュヴィンは、ダフネにとって特別な存在だ。士道を貫き結婚せず子を設けなかったダフネは、彼を実の子供のように、目に入れても痛くないほど可愛がってきた。そして成長するにつれ、シェリーディアの依頼を受けて剣の指導もよく施した。ダフネの指導に良く付いて来、その精神も尊敬し敬ってくれるアシュヴィンは最高の弟子だった。可愛がる彼が自分の心配をしていたと聞き、身悶えしたくなるほど嬉しかったのだ。


「ふふ……レムゴールに着いたら、久しぶりに稽古をつけてやろう。ロザリオンやヨシュア達直弟子のやつらも一緒がいいな。どれだけ成長しているのか、見てやるのも楽しみ甲斐があるというもの。ふふ」


「ハア、ご馳走さまでさあ。羨ましい師弟愛ってやつで! 敵地に行って鍛錬は結構な()っですが、とりあえずその気持ち悪りいニヤニヤ笑いは止めませんか、少佐」


「何を云う。心外だな。私は笑ってなどいないぞ」


 ザウアーの合いの手に、笑って応えるダフネ。

 かつての大戦の戦友同士として、互いにしかわからぬ空気感をもって、久しぶりの再会を楽しむ二人であったが――。



 その時間が続くことは、なかった。



 ドアの外から突然に響いたノック音によって、あえなく断たれることになったのである。



 先日の緊急事態に比べれば平和ではあるが――。途轍もない、言葉で言い表せないように不吉な、その一つの音によって。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ