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レムゴール・サガ  作者: Yuki
第二章 死洋への航海
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第六話 天にそびえ立つ、地獄の使者

 数日前のクラーケンとの遭遇以来――。船団の全員が心の底から恐れていた最大最悪の事態。それがついに訪れてしまった。


 超巨大怪物の、直下からの接近。人間ごとき虫けらに応戦など一切許されない災害が、無風状態という最悪の状況下で訪れた。

 逃げるしかない。いかなる手を用いても。ネメアに続いて甲板に上がってきたボルドウィン船最高指揮官ルーミスは、険しい必死の表情で総員を叱咤する。


「すでに法力使いを全員、エーテル・タンク室へ向かわせた!!! 残りの者は区別なく、風魔導の発動もしくはそのサポートを全力で行え!!! 倒れるまで、いや死を覚悟してでも風を起こせ!!! さもなくば――我らが船団はここで『全滅』する!!!!」


 そう云いながら自身はすぐに、風魔導の発動に入ったネメアの肩に触れて魔力の提供を行った。


 指揮官の力強い指示で――。甲板上の全ての乗組員が、恐慌状態の手前で必死に踏みとどまり、魔導士を取り囲むように集まり、心を一つに行動に出た。

 泣きそうな表情になったエイツェルも、青ざめた貌で震えながら魔導発動に入ったエルスリードの腕を掴んで魔力を提供する。必死の形相となったアキナスも単独で魔導発動を開始していた。


 数十人の魔導士が意識を集中した甲斐あって、帆船の傍らに急激な低気圧が発生、大幅な気圧差を起こされた大気中に凄まじい突風が発生し、帆を揺らし始めた。

 それによってようやく、数百トンの魔工船に推進力が発生し、北東へと動き始めたのだ。


 風魔導は、大陸第三位の大魔導士ラウニィーが最も得意とする技。彼女がいるアトモフィス船はさすがに、ボルドウィン船の傍らで凄まじい暴風を発生、それにより猛烈なスピードで移動を開始していた。彼女ほどではないが――。このような状況を見越した大導師ナユタの訓練プログラムによって、全船に分乗するボルドウィン魔導士たち全員が風魔導の使い手となっていた。エルスリードなどは許伝(アインフル)主席である実力どおりの強力な風を提供していたし、師範代として大導師府屈指の実力を誇るアキナスはそれ以上。全員の力をあわせた暴風は順風時をはるかに超えるスピードを船に提供していた。だが――。


「何をやっている!!!! こんな程度で足りるか!!!! いますぐに2km以上退避せねば、最大危険域すら脱出できん!!!! もっと死力をつくせ!!!! 本当の死ぬ気で魔力を開放しろ!!!!!」


 己も膨大な魔力を放出して疲弊しながら、ルーミスが絶叫する。

 そう、相手がクラーケンであるのか定かではないが――。それだったとしても、「他の」確認されている超巨大怪物であったとしても、彼らの災害級破壊から逃れるにはまだまだ足りないのだ。スピードが。ましてやここは既に、過去ハルメニア大陸の誰も到達したことのない外域。未発見の種が現れでもすれば、2km離れても安全ではないかもしれないのだ。


 叱咤の甲斐あって、船のスピードは確実に上がった。だがまだせいぜい移動距離は500mといったところ。これだけの強大な魔導を継続発動するなど本来は自殺行為であるが、全滅の危機に替えられるものなどない。エルスリードは息を荒げながら、傍らのエイツェルに語りかけた。


「エイツェル――。わ、私――。死ぬかもしれないから云うけど、あなたにとっても感謝してる――。どんな時でも味方でいてくれた、最高の友達よ。本当に、ありがとう――ありがとうね――」


 エイツェルは怯えた表情の中に一瞬、怒気をはらませて言葉を返した。


「何云ってるの、バカ!!! 弱気にならないで、しっかりしてエルスリード!! あんたもあたしも、まだ死にやしない!!! ナユタ様の娘のあんたにならできる!!! お母さまの貌を思い出して、頑張って――」



 ――そのエイツェルの励ましは、突如中断させられた。



 地獄の底から響くように、身体全体で感じた、轟音によって。



 それは――形容すれば、ゴゥン――ゴゥン――というような、水槽の最も深い底を拳で叩いているような音、とでも云おうか。

 それが圧倒的に巨大な規模で、圧倒的な音量――というより、直接的な「振動」をもって船に、人間に――そして上空へ向けて爆発的に放たれていたのだ。


 最前まで魔工を使ってようやく聞きとれていたその音が、人間に感じ取れるように、なってしまった。



 それの意味するところは、もう、そこまで――すぐそこにまで、「浮上」してきているのだということ。

 「そいつ」が。



 しかも想定しているよりもはるかに、早いスピードで。



 それまで必死に魔導発動に集中していた全員の表情が、固まった。



 まるで時が止まったかのように。真の絶望とは、このような状況。それを体現するかのような感覚が、全員の身体を突き抜けた。



「――――イヤだ。嫌だああああ!!!! 助けて、助けてええええ!!!!!」


「ジェイナ!!! 正気にもどれ!!! 魔導を維持するんだ!!!!」



 恐怖のあまり遂に、エイツェルらの少し前方にいた女性魔導士が完全に錯乱した。絶叫し頭を両手で抱え、甲板に身体を丸めて崩れ落ち、勢い良く小水を漏らした。それに対し、やはり船内でも圧倒的に強い胆力をもつルーミスが魔導を再開させようと呼びかける。

 危険な状態だ。他の者はまだどうにか自制心を保っているが、もう口を開く余裕もない。このままでは風力の維持すら危うくなるかもしれない。



 そんなルーミスの思いをよそに、異変は次々と、急激に現れてきていた。


 海面が荒れてきた。晴天の中でのこの状況も異様だが、通常の「波が立つ」という事象ではない。

 徐々に、徐々に――海面が盛り上がろうとしているのだ。山が隆起する事象がごとくに。


 それに揺られ、木の葉のように振られはじめる魔工船。立っているられるのがやっとの状況になり、木のコンテナが甲板上をスライドする。魔導士でない者は一時魔力の供給を止め、全員の身体を船体にロープでくくりつけに奔走する。


 

 ルーミスは周囲を見た。自船よりもやや先行するアトモフィス船が見え、その外側に展開する他の8船も視認はできている。どんどん隆起の度合いが高くなる波に応じて、他船の位置が水平ではなく、だまし絵のように様々な位置、角度に見えることが悪夢のようであるが。


 先頭を行くリーランド船は、最大危険水域をもう少しで抜けそうだ。それに追随するノスティラス・サッド船、エストガレス・ジャーヴァルス船も同様だ。


 逆に、後方にいる殿のノスティラス・ロザリオン船、エストガレス・ヘレスネル船、法王庁・ネルヴィル船が――最も危険な水域内。いずれも自前の魔導士をあまり持たず、ボルドウィンからの供給に頼っているからか、魔導によって起こす風の力が弱いことも影響しスピードが上がらないようだ。



 体幹を突き抜けるまでになった轟音、そして異様な音量の波音がピークに達したかと思われた、

その時。



 ついに、悪夢の時が訪れた。



 推定100mほどに達した、盛り上がる海水の「山」。ボルドウィン船から見て1kmほど後方にあったその山の頂点を突き抜け――。


 

 「そいつ」は姿を現した。



 まず目に飛び込んできたのは、鱗をもつゴツゴツした、青い岩肌のような壁。もう少し上空に飛び出したところで、それがそいつの「頭」であることが理解できた。前回同様、遠近感がおかしくなるように近くに感じられるが、「山」の麓付近にいる船との対比で明らか。

 そいつの頭部は、長さも直径も、50mを軽く超えていることが。



 ザザザザザザ――。

 途方もない水量がもたらす水音を響かせながら、金色の両目、頭部の三角の形状を完全に現し、それに続く長い長い――。頭部と同じ青い壁のような鱗だらけの胴体を露わにしたそいつ。


  

 天に向かって昇っていくかのような、気が遠くなるように巨大な、海蛇。



 それが、そいつの正体だった。


 歴史上一例のみ目撃情報が記録されている、超巨大怪物。

 サーペントだ。


 海上に現れたサイズからも、間違いない。こいつは胴回り100mはあるかと思われる巨大かつ長大な体躯を、2km以上の長さに渡って有している。

 頭部が直撃するという最悪の事態は免れたものの、その長大な胴体のいずれか一部が接触しただけで、小さな枯れ葉のごとく船が破壊されることは容易に想像できた。



 もはや、少しでも災害から逃れるために、スピードを上げるしかない。

 接触しなかったとしても、こいつが再度海中に潜るときを含めたエネルギーで、クラーケンのとき同様の津波が起こることは避けられないのだ。

 離れるしかない。100mでも――1mでも。



 かなりの速度に達したボルドウィン船だが、安心などできはしない。

 サーペントの長い胴体は、どちらに伸びているのかわからない。蛇のような形状をしている生物は、海中に沈んでいる身体部位の予測がクラーケンのようにはつけられない。胴体の別の一部がいつどこに浮上してきても不思議はないのだ。



「――怯むな、振り返るな!!!! 今は何も、考えるな!!! 無心に北東に向かえ!!!

風を、もっと風を!!!!」



 もはや船で声を発せる唯一の人間となったルーミスが、叫び叱咤し続ける。エイツェルもエルスリードも涙ぐんで震えて怯えきり、ネメアもアキナスも言葉が出ない状態だ。



 その間にも、サーペントの身体はぐんぐん上昇、長い胴体が露出し続ける。そして頭部は――。不幸中の幸いと云うべきか、船団とは真逆の方向に向けて進んでいた。直径600mにはなるであろう長い弧を描きながら、一端海上に突き出した頭部を再び海中に潜らせるつもりのようだ。


 絶望の心で様子を見守るボルドウィン船の乗員の表情に、一縷の安堵の様子が現れた。

 あれがこちらへ向かってくることはない。海中に突入する際の津波さえ凌げば、助かる。生き残れる。大丈夫だ。そう思った。思おうとしていた。




 だが――。

 真の悪夢は、突然に訪れてしまった。



 最初にサーペントが浮上した海上の地点。そこから7~800mほど船団側の場所に、海水の隆起が発生していた。

 

 ちょうど、船団の一隻の船が必死の逃走をしている、まさにその地点に。


 それは――法王庁・ネルヴィル船だった。



 頭部が現れたときよりは、低い。だがまたしても、海水は盛り上がった。そして――ネルヴィル船を無情にも高く高く押し上げながら、巨大物体は姿を現そうとしていた。


 サーペントの胴体、だ。青い鱗の小山の頂き。海水を押しのけてそれが現れる様を、矮小な人間にはただ見ていることしか――できはしなかった。



「あ……あ……あ……あああ……。ああああ……ああああ……!」



 喉から絞り出すようにエイツェルがつぶやく。

 

 そこから先は――紛うことなき現実であるのに、全く現実感を伴わない事態。そう、風景と云い表わせるかのように実感のまったくない事象が展開された。



 胴体に接触した衝撃で、船腹が大破するネルヴィル船。それだけにとどまらず、あまりの衝撃力に100m以上高々と空に放り投げられる。そして上空でさらに船体を分解させ、マスト、構造体の金属と木材を撒き散らしながら海中に向けて落下していく。

 そしてはっきりと――見えた。「人間」もまた、塵のごとくに空中に飛散し、落下していこうとする様子が。おそらくは絶望の断末魔を、あらん限りに叫びながら。

 

 今舵の脇にある「目」の受信感覚器にあたるハンドルを握れば、聞こえることだろう。

 超感覚で受信された音、200人にも及ぶ大量の人間の、死の叫び声が。




 もうルーミスですらも絶句するこの世の地獄の風景を前に――。



 エルスリードは身体を震わせた。そしてつぶやきから――嘆きの叫びへと姿を変える言葉を、発したのだった。仲間の死、とくにネルヴィル船に乗船していたボルドウィンの魔導士たちに対して。



「嘘……こんなの、嘘……。

マーセルス、カリナ、イヴァン……あなた達が、死んだ、なんて……海に、消えた、なんて……。

嫌、嫌ああああああああああ!!!!!

嘘よ――お願い!!! 嘘だと云ってよ!!!! うああああああっ!!!!!」



 その叫びは、同じ魂の嘆きを共有する船団の全員の心を代弁するかのように――。

 荒れ狂う青き大海の上に広がっていったのだった。

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