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レムゴール・サガ  作者: Yuki
第二章 死洋への航海
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第四話 友の闇と、母の愛

 おそらくハルメニア大陸で最も強い軍人たちで構成されているであろう、“レエティエム”。彼らと歴戦の水夫らが乗り組む“レムゴール調査船団”であるが――。


 ついに現れてしまった、クラーケン。想像の世界の産物でしかなかった悪夢の怪物の一角を、現実に目にしてしまったその衝撃は控えめに云っても――甚大なものだった。


 あまりにも、人智の及ばぬ、真の意味での超常の域、神の領域。

 それに触れてしまったことで、精神に影響を及ぼす者が現れてしまう気配が濃密に感じられていた。

 ナユタとシエイエスが危惧した、まさにそのとおりに。


 

 ボルドウィン船と並走する、アトモフィス船。


 アシュヴィンは、母シェリーディアの居室に向かおうとしたその時、クラーケンの出没の瞬間を迎えた。


 メリュジーヌとモーロックの、総員を落ち着かせようとする怒号が飛び交う中、彼は必死で伏せて艦橋近くの構造物を掴んだ。


 大の男たちが泣き叫ぶ声すら聞こえる中、アシュヴィンも正直生きた心地はしなかった。

 あれほどの怪物がこの世に現実に存在するなどとは、目にしていない人間には想像もできぬことだ。それも2つも3つも違う次元で。


 心の中でいつしか必死に――呼んでいた。

 母の名を。


 やがて危機が去ったとき。アシュヴィンの全身は汗でぐっしょりと濡れていた。


 息を荒げながら立ち上がると、そこには――。

 甲板に迅速に上がってきていた義父シエイエスと、母シェリーディアの姿があった。

 姿の見えないラウニィーはどうやら、このような状況下においても動じることなく、魔力の注入を継続してくれていたようだ。

 さすがに、歴戦の英雄たるこの3名。精神的にも格の違いを見せつけた形だ。


 シエイエスとシェリーディアはショックを受けた部下たちを励ましつつ、状況把握と善後対応の指示に回っていた。

 今、二人に話しかけるのは無理だ。いや、それ以前に自分も、しばらく無心で風にあたってでも居なければ、どうにかなってしまいそうだ。


 真っ白な貌で柵にもたれかかり、ぐったりするアシュヴィン。


 その背後から唐突に、声をかける者があった。


「……アシュヴィン。見たか、あいつを……!」


 アシュヴィンが振り向いた先にいたのは、レミオンだった。

 彼の美しい褐色の貌も、冷や汗でぐっしょりだ。年齢の割には圧倒的に肝の座った男であるレミオンであるが、さしもの彼にとっても、己の恐怖を制御しきれるような事態ではなかったのだ。


 アシュヴィンは震えながら頷いた。


「ああ。あれほど――巨大っていう言葉も虚しいぐらいの化け物だとは、思わなかった。

本当に、2km以上はあった……。真の無力感が、こんな怖いものだなんて。

もしもこの先あいつが偶然、僕らの真下から急浮上してきたりしたら……一巻の、終わりだ」


 それを聞いたレミオンは手で汗をぬぐいながら、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「まあ……恐ろしかったってのは認めざるを得ねえけどよ。

アシュヴィン。俺は今、嬉しくてしょうがねえぜ」


 怪訝な表情で自分を見るアシュヴィンに対し、レミオンは続けた。


「自分の命が本当の危険にさらされる、てことがこれほど――。ゾクゾクするもんだとは、思ってもなかった。たまんねえほどに、刺激的って感じだ」


「レミオン――」


「俺たちは大陸の人間の中じゃ最強じゃねえが、そんな戦闘者同士の戦い、今の平和な大陸じゃありえねえ。それがなかったら、本当に命を取られるような状況なんてそうそう無い。探索任務(クエスト)だって、前のテューポーンあたりがやばかった位で大したこたあねえ。

だがクラーケン(あれ)は――。あれは本当に、やべえ。これから先、海だけじゃあねえ。レムゴールだってもしかしたら――あんな凄えスリルの連続なんじゃねえかと思うと、滾ってきてしょうがねえんだよ……!」


 アシュヴィンは、あまりに険しい貌でレミオンを見た。


 そう、彼は――。こういう危うさがあった。昔から。この状況で、それが深刻なものになったことに、衝撃を受けたのだ。


 端的に言葉にすれば、「自暴自棄」ということかもしれない。環境も容姿も才能も限りなく恵まれていながら、何かに飢えているというのか――極端にすぎる強い衝動のようなものを持ち続けていた。そして極端な行動に走り、感情を抑えず、周囲との軋轢を常に生んできた。それがここで、在る種の破壊衝動や自殺願望といったような、危険な領域に入ったのではないかと危惧してしまったのだ。


「その考えは……危険だよ、レミオン。僕らは自殺行為に向かおうとしてる訳じゃないし、命のやりとりを楽しみに行く訳でもない。怪物が跋扈する世界や、かつて組織サタナエルが支配した大陸のような戦乱を君は望むっていうのか?

君は今、冷静じゃないよ。頼むからちょっと、落ち着いてくれ」


 友人としてたしなめるアシュヴィンの言葉に、レミオンが何かを云い返そうとした時だった。


「おおい!! アーシューちゃんっ!! 大丈夫だったかい~!?」


 相変わらず、天真爛漫な少女のような声、姿、笑顔で走り寄ってくるメリュジーヌだった。


 だが彼女は――。背を向けるアシュヴィンの向こうに立つレミオンの姿に気づいた途端。


 可愛らしい貌をまるで別人のように、嫌悪感をむき出しにしたしかめ面に変貌させた。


「何だよ……。生きてやがったのか、このガキゃあ……! あんたなんざ、艦橋のてっぺんから真っ直ぐ海に落ちて、化け物に食われりゃあ良かったのにさ!」


 人が変わったような荒い口調で低く啖呵を切るメリュジーヌ。これに対しレミオンも、敵意むき出しの笑顔で応じた。


「こっちのセリフだぜ、クソ若造りのオバちゃん。化け物呼ばわりは、クラーケン(あいつ)に失礼だぜ? ホントの化け物に云われちゃあなあ!」


 互いの啖呵に激怒してにじり寄る二人。それを見た周囲があきれ貌でそれを止めに入る。


 メリュジーヌとレミオン。幼少時は可愛がっていたメリュジーヌだったが、彼女の実年齢を12歳の頃に知ったレミオンが吐いた「オバちゃん」の一言で二人の関係は激変。以来会えば一色触発の犬猿の仲としてあまりに有名になった。このような状況は、周囲も日常茶飯事で慣れすぎているのだ。


 アシュヴィンもレミオンの腕を抱えて止めに入ったが――。内心、安堵していた。

 

 この二人を同じ船に乗せる決定に疑問の声も上がっていたが、シエイエスがなぜ敢えてそうしたのか、アシュヴィンには理解できた気がした。


 ここにいるのはまだ、彼の知っているレミオンであるということを実感できた事。その事実に心から安心していたのだった。

 




 1時間ほど後。

 アシュヴィンは艦橋のある部屋の前に立ち、ドアをノックしていた。


「――入りな」


 女性の声が聞こえたのを確認して、アシュヴィンはドアを開け室内に入った。


 その船室は、副司令室。アトモフィスにおいてその任にあるシェリーディアにあてがわれた部屋だ。

 木板がむき出しで貼られた5m四方の小さな部屋。デスク、椅子、ベッドが置かれただけで一杯になってしまうが、この限られた船内では個室を持てるというだけで天国といえるほどに貴重なのだ。

 

 シェリーディアは緊急事態の後処理を終えた休息中で、ベッドに腰掛けて好きな麦酒(エール)を口にしていた。入ってきたのが愛しい息子だと知ると、目を輝かせて破顔した。


「アシュ! 来てくれたのかい! ああ嬉しい! さあ早く、ここに来な、ここに!!」


 そう云って自分の隣の布団をバンバンと叩くシェリーディア。

 しかしむっつりと無表情のままのアシュヴィンは、母の言葉には従わず、椅子に腰掛けた。


 不満そうに口を尖らせるシェリーディアだったが、すぐに笑顔に戻り、アシュヴィンに云った。


「どうしたんだい、急に。しけた面して、またレミオンの奴と喧嘩でもしてきたのかい?」


 アシュヴィンはやや目に影を落としながら、首を振った。


「いや。あいつはあいつで心配なこともあるんだけど――。そのことじゃない」


「じゃ、何さ? 話したいことがあるんだろ?」


「うん……。母さん……。

正直僕は、怖くて、仕方がないんだ」


「……そうかい。『その事』、かい?」


「そう。勿論、クラーケンやサーペントも怖い。今現実に見てしまったし、襲われれば絶対に全員が殺される相手だからね。

けど僕は……それよりもずっと、『人』が怖くて仕方がなくなってしまってる」


「……」


「今こうして“レエティエム”として集結した大陸中の人たち。良く知っている人もいれば、会った事はないけど前から凄いと尊敬していた人もいる。どの人も、一緒に冒険ができるなんて夢のような人たちだ。本当は親しく信頼しあい、お互い尊敬できる関係でいたい。そう思いたいのに――。

あの忌まわしい“真正ハーミア”からの裏切り者かもしれない。どこかでそう考えてしまう。

そう考えてしまう自分が、怖いんだ」


「……」


「教えて、母さん。義父さんや母さんは、見当をつけているんじゃないか? 疑わしい人物を、ある程度特定できてるんじゃないか?

もしそうなら……教えてほしいんだ。そして僕も、裏切り者を探したい。命じゃなく、心を脅かす奴。いやこの先もしかしたら――“レエティエム”に最悪の死をもたらすかもしれない災厄を、取り除きたいんだ」


 シェリーディアは――切実な表情で自分を見る、息子の端正な貌を見つめた。


 自分の遠い記憶にある、一人の愛おしい男の面影を宿す、貌を。そして優しい笑みを漏らしながら云った。


「本当に――。大きくなればなるほど、アンタは実の父親に似てくるね……。

強く賢いけど、実際の内面は繊細で、崩れやすい。それはアンタの良いところでもあるんだけど――辛いとこだよね。

いいや。残念ながら、義父さんをもってしても、下手人の目処はこれっぽっちもついちゃあいないのが真実さ。今のところはね。

敵はとんでもなく狡猾だ。アタシの知る限り、かつての組織サタナエルに匹敵するぐらいにね。全く尻尾を掴ませやしないのさ。

まあ義父さんなら遠からず――目星を付けるとは思うけど。アンタが尊敬するジャーヴァルスも居ることだしね」


「そう、なんだね――」


 強い不安が払拭されず、影を落とした表情でうつむくアシュヴィンに対し、シェリーディアは輝くような笑顔を見せて、両手を大きく広げてみせた。


「もう、元気出しな!! しょうがないねえ。

ほら来な、『ここに』!! 久しぶりにさ!」


 自分を迎え入れる体勢になった母を前に、アシュヴィンは貌を赤くして逡巡した。


 しかしややあって――ゆっくりと母の胸に飛び込んでいき、その凄まじい豊満さを誇る胸に貌をうずめた。

 シェリーディアはアシュヴィンを受け入れながらベッドに横たわり、胸に抱いた息子の頭を優しく撫でた。


「いい子だね……。今は嫌なこと全部忘れて寝ちゃいな。

アタシがずっとついててあげるからさ……」


 アシュヴィンは小さくくぐもった声で、応えた。


「……母さん……」


 この姿は幼馴染にも、ましてやエルスリードになど死んでも見せられないが――。

 アシュヴィンは母が、大好きだった。少々コンプレックスなほどに。母も云わずもがな極度の子煩悩であるゆえ、親子は一緒にいる時間が長かった。


 数年ぶりではあるが、こうやってシェリーディアの胸に抱かれて眠るのが、何よりも好きだったのだ。


 柔らかく、包み込まれるような、愛情に満たされる安心感。


 それに癒やされ、心の安息を得たアシュヴィンは――。

 いつしか、深い眠りについていたのだった。

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