第二話 高みに在る恋敵
“レムゴール調査船団”の10隻の魔工船は、付かず離れず、正確な距離を維持し編隊を崩さずに大海原の航行を続けていた。
各船に乗員する、よりすぐりの凄腕水夫たち。その中でも各船中最も技量のある者が舵を握り、風を読み、見惚れるように正確な操船を行っているのだ。
魔工具“目”の力によって現在透明化し、外から視認できぬ魔工船であるが、膨大な魔力を発するだけに受信も容易だ。“目”の脇には、魔力を受信する“触覚”と呼ばれる四角い板状の魔工具があり、これと通ずる舵の“感覚器”を握る水夫には、各船の位置が手にとるように掴めるという仕組みだ。
10隻の船には、軍編成の常として序列がある。
最も低い序列として、ノスティラス皇国の魔工師レイザスターとエストガレス王国のダフネ、法王庁司教ネルヴィル、リーランドのレジーナの船が左右端と殿、先頭をそれぞれ受け持つ。船のトラブルに対処できる人物、歴戦の海戦上手、法王庁の威信をかけオリガーに任命された、単に先頭が良いと立候補した、というのが4者それぞれの理由だ。
対して最も高い序列はもちろん――王配ルーミスと王女エルスリード、サタナエルの重要な血を持つエイツェルを擁するボルドウィン船。そして探索任務の最高責任者ラウニィー、“レエティエム”最強の戦士シェリーディア、頭脳である総司令官シエイエス、英雄レエテの血を唯一引く貴公子レミオンが乗船するアトモフィス船だ。
この2船は、他の8船に包み込まれるように中央に配置され、最も安全な位置にいたのだった。
2船のうち一つ、ボルドウィン船。
広大な甲板の柵から身を乗り出し――海にしたたかに嘔吐をする少女が居た。
エルスリードである。
彼女の醜態が見えぬよう隅に移動させたうえで、身体で覆い隠してやる親友エイツェル。
エルスリードの背中をさすりながら、心配そうに声をかける。
「もう……だから魔力の注入は休んだらって、あたし云ったじゃない。あんた船に弱いんだから、あんなに揺れる船底で体力使ったら酔うに決まってるよ」
エイツェルの云う通り、エルスリードは事前の訓練中でも直ぐに前後不覚に陥ってしまうような、船酔い体質だった。訓練で少しは慣れ、「そんな皆のお荷物になるようなこと、大導師府許伝主席の私の誇りが許さないわ」との意気込みで、エイツェルの静止も聞かずに魔導の注入に臨んだ結果がこの様だ。この大海原で24時間波に揺られ続ける環境ではさすがに身体がもたない様子だった。
「…………エイ……ツェル。……一生のお願い……。水……持ってきて……」
エルスリードは青白い貌でしゃがみこみ、エイツェルを見ることもできずうつむきながら彼女に云った。
それを聞いたエイツェルは呆れ貌で肩をすくめて内心呟いた。
(こりゃ完全に駄目ね。レミオンとアシュヴィンがいなくて本当に良かったわよ。あの子たちがいたら弱ったエルスリードにときめいちゃって狂喜乱舞して、いいとこ見せようとしてまとわりついてたに違いないから!
とにかく今は、ベッドまで運んであげるしかなさそうね……)
エイツェルが肩を貸そうと、かがみこんだその時だった。
「水ならここにある。これで口をゆすぐといい。
大丈夫か、エルスリード? まだ航海の先は長いんだ。無理をせず休んでいる方がいい。我がボルドウィンは魔導に関する人材は豊富なんだからね。君の才能は、レムゴール上陸まで取っておいた方がいい」
清流のように耳に心地よい、爽やかな男性の声だった。
それを聞いたエルスリードに、急激な異変が現れた。目を大きく見開き、ビクッと大げさに身体を震わせ、おぼつかない足ながらもすかさず立ち上がってみせたのだ。その貌は青白い様相から真っ赤になり、唇は震えていた。
「ネ、ネ――ネメア様!!
も、申し訳――ありません! こんな――こんな見苦しい所をお見せして! お恥ずかしい――です。ご心配いただいて――ありがとう――ございます!」
もう過呼吸になりそうなほどに息を荒げ、表情も仕草も挙動不審なほどに狼狽している。船酔いも一時的にどこかへ行ってしまったようだ。
全く普段のクールなエルスリードらしからぬ、歳相応の初な少女のような過敏反応。
エイツェルは先程とは違った、笑みを含んだ呆れ貌で親友を見た。
そして、彼女をそうさせた声の主に視線を移し、彼の差し出した水筒を受け取る。
「ありがとうございます、ネメア様。助かります。
エルスリードもまだ緊張してるし、張り切りすぎてるせいもあると思うので大目にみてやってください。ね、エルスリード?」
親友のフォローに対し、受け取った水筒をぎゅっと胸に抱き、貌を赤らめてうつむいたままのエルスリード。
エイツェルの言葉に対して――。その男性――ボルドウィン魔導王国将軍、ネメア・キース・ヴォルマルフは微笑みを絶やさずに云った。
「はっはっは。君のような友人を持ってエルスリードも幸せ者だな。分かっているよ、エイツェル。体調を崩すのは恥ではないし、エルスリードの生真面目な性分は、一緒に探索任務を経験して良く分かっているからね」
とことん、女性の脳髄に染み入るような魅力的な声の持ち主だと、エイツェルは思った。
ネメアは25歳にして大導師の一番弟子にあたる師範代筆頭だが、大魔導士でありながら剣を良く使う、万能の戦闘者でもある。それだけにとどまらず――。190cmものスリムな長身、それを覆う瀟洒な黒のローブとエメラルド色の軽装鎧という抜群のセンス、輝く金髪を立髪のように緩やかに広げた髪型、翡翠色の瞳をもつ眉目秀麗・美貌の細面という美しい外見の持ち主でもあった。
それぞれタイプは違うが、アトモフィスのレミオン、ノスティラスの双児フォーグウェン兄弟と大陸の女性人気を3分する偶像的存在なのである。
そのような絶世の美貌でかつ、尊敬する先達で自分に優しい男性に対し、エルスリードがどういう感情をどのくらい抱いているのかは赤の他人にさえ――明白に過ぎた。おそらく彼女の心臓は、先刻から口から飛び出しそうなほどに脈打っていることだろう。
「あ、あの……この、水筒の水はもしかして……ネメア様の水流魔導で……?」
恥じらった上目遣いでおどおどと訊くエルスリードに対し、ネメアは首を振った。
「いいや。私の水流魔導は確かに空気中から水を創り出すことができるが、多少の不純物が混じってしまう。それは炎熱魔導とランビキを使って海水を蒸留した水だよ。
そういえば、まだ君らはこの船の巨大なランビキを見ていなかったかな? どうだ、もしよければ息抜きに、今から私が案内しようか?」
「ほ、本当ですか!? ぜひ、ぜひお願いします!」
背を向けて軽やかに歩き出すネメアに、エルスリードは水筒を抱えたまま一も二もなくついていってしまった。
その背中を追いながら、エイツェルは心中苦笑していた。
(本当かわいいよね……。まあそんな所も知ってるから、レミオン達もエルスリードが好きなんだろうけど。
でも……ネメア様は強敵よ。あれだけ夢中になってるんだし、生半可なことでエルスリードの気持ちは、変えられない。
だから……ちょっとは……。ちょっとぐらい、一度くらい、あたしの方を、向いてくれても……。
ねえ……ア――)
「警告!!!!! 警告!!!!!
6時の方向――クラーケン――出現!!!!!」
いつしか自分の世界に入り込みかけたエイツェルの想念は、極限の緊迫を孕んだ絶叫によって強制中断された。