第一話 若き封印者達(Ⅰ)~戦闘種の双剣
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“其は大陸に君臨せし、強大なる悪逆の徒ら。
其処に、共に在りし親愛なる者を奪われ、怨讐をもちて叛旗を翻せし女在り。
常ならぬ肉体と、黒曜の両手を振るい、永き永き戦を生き抜きし女戦士。
其は血の戦女神、レエテ・サタナエル也――”
――“サタナエル・サガ” 序章より――
“――宿命の寿命をもちて、三つ十の齢にて光煽るる天へと召さるる也。
その強き心、慈愛に溢れし愛は、大陸に在りし生きとし生けるものを光照す。
そして又、分身たる子らの裡に、連綿と受け継がれし不滅の光となりぬる――”
――“サタナエル・サガ” 終章より――
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ハルメニア大陸の北西に広がる緑の魔境、コルヌー大森林。
30万平方キロメートルという、森林としては大陸最大の面積を誇り、生物種の数も最多という生命のるつぼである。かつ国家領土としてはエストガレス王国最北端に当たる。
だが大陸の人々にとってはそのような地理的要素以上に、ある大きな意味を持つ場所なのであった。
それは暗殺組織“サタナエル”による数百年の支配の軛から大陸を救った英雄、“血の戦女神”レエテ・サタナエルの戦歴開始の地であるということ。
今から16年前この場所で、レエテ・サタナエルは最大の盟友“紅髪の女魔導士”ナユタ・フェレーインと共にサタナエルの最初の刺客と交戦し、勝利を得た。
その戦歴を讃える石碑が戦地だった場所にあり、観光目的の旅人が訪れたいと願う場所ではあるが――。
もとより北端のグラン=ティフェレト遺跡から流出する怪物も跋扈する地域であり、腕に覚えのある冒険者でもない限りあまり易々と立ち入れる場所ではない。
それを証明するかのように――。
今森林内に飛び交っているのは樹々のざわめく音でも、鳥のさえずりでもなかった。
明らかに、交差する複数の轟音。樹をなぎ倒す音、岩を吹き飛ばす音、何らかの生物の鳴き声、そして人間の怒号。
交戦しているのだ。人間と、何者かが。
その戦場の一つと思われる、森林のとある開けた草地に「それら」は居た。
一体は――。馬、の姿はしていた。しかし幾つもの要素がそれであることを否定していた。
まずは、その圧倒的な巨躯。対高4m、全長6m以上という馬鹿げた大きさ。レガーリアに生息するという象に匹敵するサイズだ。加えて、黒い体毛の下にある、異常に発達した筋肉。ルビーよりも赤い目、剣山のような立髪、巨大な螺旋状の角二本。
魔導を操る巨馬、サムゴルゴスだ。
そしてもう二体居た。それは、一見、巨大な鳥のような姿をしていた。
翼長5mにはなるであろう、白い羽根の翼。同じく羽毛に覆われた下半身の下は、黒い鉤爪をもつ足。全身の多くが鳥の特徴を有する中で、凄まじいまでの異形を形づくる最大の要因。
それが、胸から上にある人間の女性の姿であった。振り乱された赤く長い剛毛。むき出しの豊かな乳房に、牙をむいた女性の貌。爛々とした赤い目をしつつも、そこそこに美しい貌立ちであることがおぞましさを増長させていた。
グラン=ティフェレト遺跡の怪物の一種、ハーピィだ。
3体の、いずれ劣らぬ強力な怪物。それに10mの距離をおいて相対する人間は――たったの、一人。
それも、これだけの敵を一人で相手取れるとは到底思えない容姿の、少年だった。
年齢はおそらく15,6歳。175cm強と思われる身長に比して、筋肉はあるが戦士としては細身の身体だ。プロテクター付の青いボディスーツに覆われた上半身、銀のオリハルコン製ガントレットを装着した両腕、同じ素材の鎧に覆われた腰と長い足という出で立ちだった。
頭髪はくせのあるブロンドで、中程度に刈ったトップとサイドに比して長い襟足を左右の一部分だけ茶色の紐で結わえて肩に垂らし、残りは背中に垂らすという個性的な髪型だ。
貌立ちは、女性が見れば誰でもハッと息を呑まずにはいられない美少年だった。やや童顔ながら鼻筋は通り唇は整い、睫毛長く憂いある瞳は青で、怪物どもを見据えて闘志と殺気に滾っていた。
そして彼の戦法を象徴する得物である――両手に握られた双剣。
半身の剣士としての構えをとった様子から、彼が左利きであることがわかる。前方に水平に突き出した右手には、刀身が青く妖しく光り輝く魔導剣。後方に引き力を貯めた左手には、白く輝く一見して大業物とわかる鍛造オリハルコンの剣が握られている。
少年は、引き結んだ唇を開き、言葉を発した。
「僕に――力を貸して。父さん。
あなたの魂がこもった、形見の剣で。そしてお祖母さんの得物だった、魔導剣で――!!」
声変わりしきっていないような、澄んだ声を発したと思うと――。
少年の姿は突如その場から、「消えた」!
そして次の瞬間、ハーピィのうち一体の翼と胴体に赤い条線が突然現れたかと思うと、噴血を上げて地に落下していったのだ。
「ギィイイイイイイイ!!!!!」
「オオオオオオォォォォオオオ!!!!」
断末魔の悲鳴を上げて身体を分断させ死にゆくハーピィを見たサムゴルゴスは、凄まじい雄叫びを上げて天を向き、立髪や角に魔力を集中させ始めた。
発動しようとしているのはおそらく――爆炎魔導。
少年の姿はいつの間にか、怪物どもの5mほど背後にあり、背を向けていた。
すぐに向き直った彼は、右手の魔導剣に魔力を収束し始める。
魔導剣士らしい彼が発動しようとしているのは、敵と相反する魔導――氷結魔導。
魔導剣を手前に、オリハルコンの剣を交差させた後ろ側に、クロスさせて構えた少年。
短い時間で十分な闘気を集中させた彼は、即座に攻撃に移行した。
またしても、その姿が霞のように消えた。
そしてサムゴルゴスの手前で、恐るべき魔導の衝突が起きた。
直径5mにも達する、赤と、青の衝撃光。そして主に爆炎魔導が発生させる、燃焼の轟音。
それが――「青」の光が優勢となったと思われた瞬間、爆炎を突き抜けてきた少年の姿が、サムゴルゴスの目前に現れた。
少年は目を見開き跳躍し、すでに振り上げていた左手のオリハルコン剣を一気に敵に振り下ろした。
「うおおおおおおおーーーーっ!!!!」
「オオオオォォアアアア!!!!」
気合の叫びが交差した後――。
少年の剣は、サムゴルゴスを完全に捉えていた。
見えぬほどに早い太刀筋。それでいて敵の岩のような筋肉と骨を切り裂く、細身の身体に見合わぬ怪力。
これを受けたサムゴルゴスはなすすべなく、頭から完全に両断されて大量の噴血と脳漿を撒き散らさせた。
血をかぶり、羅刹のような容貌となった少年だが、その様子に突如異変が現れた。
急に顔面蒼白になり、胸を押さえて片膝をつき、地面に崩れ落ちてしまったのだ。
まだ敵が一体残っている状況下で。
「ハアア!! ハアハア、ぐっうう……! 待ってくれ、まだ……まだ……!!」
動けない少年に、残ったハーピィは容赦なく死の鉤爪を向け、迫ってくる。
これに捉えられれば、人間など一瞬でズタズタの血袋に姿を変えられる。
「キイイイィィエエエエ!!!」
その爪が、まさに少年の丸めた背に達しようとした――瞬間。
ハーピィの巨体が突如、淡い赤黒い光を発する光球に、すっぽりと包まれた。
異変を感じたハーピィは、攻撃を中断して退避しようとするが――。遅きに失した。
光球の中でハーピィの全身は、焼けた鉄のような赤い熱をもった姿となり、次いで身体の隅から赤黒い霧のように霧散し始めたのだ。
「ギイイイイ…………!!!!!」
徐々に消滅していく断末魔を上げながら、ハーピィはすぐに完全に――。
現世から「消滅」していった。
「ハア……ハア……ハア……!! ……助かったよ……エルスリード。
結局、君の、絶対破壊魔導に……助けられちゃった……ね、ハア……ハア……」
少年は脂汗を流した貌で、後方の樹々を振り返った。
その呼びかけを受け――。樹々の間から、一人の少女が姿を現してきた。
それは、非常に控えめな雰囲気であるにも関わらず、ひと目見たら忘れることのできぬ強い不思議な印象を持つ少女だった。
身長は160cm強。スラリとしたシルエットの身体を、仕立ての良い白黒のブラウスと黒いネクタイ、黒いスカートとストッキングと赤いブーツで覆っている。ハーピィを難なく仕留めた絶対破壊魔導は、黒い革手袋の周囲に円形の赤黒い光球の姿をとって発現していた。
髪は肩のところまでで整えたミディアムヘアーで、色は燃えるような真紅。右目を隠したその表情は氷のように冷徹ではあったが、背筋にゾクゾクと寒気を覚えるほどの、ずば抜けた美少女だった。小さく整った唇と流麗な顎、眼尻に向けてやや下がった細い眉、人形のように長く豊かな睫毛。その下にある目は鮮やかな茶色で、冷たい中にも麗しい感情を内包しているような、不思議な魅力を強く周囲に放っていた。
その少女――エルスリード・インレスピータ・フェレーインは、魔導を収めながら少年に近づき、腕を胸の前で組み、彼を見下ろしながら静かに云った。
「――大丈夫? ちょっと、功を焦りすぎたんじゃないかしら、アシュヴィン?
あなたは残念ながら、偉大なお父様のような無限の体力は持ち合わせていない。後方支援なしで『力』を開放するのは慎むべきよ。
もっとも――。『あんたの魔導はあたしに比べりゃ砂粒だ』って、偉大な偉大な偉大なお母様にダメ出しされる私が云えることじゃあないけれど」
エルスリードの辛辣かつ自虐的な物云いを受け、少年――アシュヴィン・ラウンデンフィルは苦笑しながらようやく立ち上がり、言葉を返した。
「……そうだね、自覚しているよ。でもそれと別に、いつも父さんを偉大と云ってくれる君には感謝してる。ありがとう、エルスリード。
君のお母様は――ああいう人だから本気で云ってるわけじゃないと思うけど。
何にせよ、ここの最大の難敵は片付いた。探索任務の目的地に戻らなきゃ。乱れの場所、ディベト山に急ごう。導師も気脈の封印に向かっていると思うし」
「そうね――あっちはエイツェルはともかく、あの『お馬鹿さん』が問題を起こさないか心配だしね。
行きましょうか」
西にそびえ立つダリム公国領ディベト山に向けて並んで走り出したアシュヴィンとエルスリード。
走り始めてすぐに、貌を赤らめながらアシュヴィンがエルスリードに訊く。
「エルスリード……。その、今回の作戦会議のとき、レミオンじゃなく僕と組むと云ってくれたのは……どうして、なんだい……?」
動悸を早めそわそわするアシュヴィンの態度とは裏腹に、エルスリードは眉一つ動かさない仮面のような表情で、返した。
「決まってるでしょう。あなたのお母様の心配を解消してあげたかったことと――。
あのお馬鹿さんと組むのだけは、絶対にイヤだったからよ。よくわかっているでしょう?」
予想はしていたが、甘すぎる期待を見事に打ち砕くある意味完璧な答えに、アシュヴィンは小さなため息をついた。
己の内面で落胆を感じはしたが、ここは紛れもない実戦の場だ。
アシュヴィンは己の両腰の鞘に収めた、縁深い双剣に手を触れ、心で呼びかけた。
(頼むよ。僕を、皆を護ってくれ。
“狂公”、“蒼星剣”――)
アシュヴィンが走るリズムに合わせて金属音を奏でる双剣は、まるでかつての持ち主が呼びかけに答えるかのように――。意思に近いエネルギーを彼の手に返していたのだった。