エピローグ(Ⅰ) 希望に潜む、不穏
アトモフィスで開かれた会議より、1ヶ月後。
ノスティラス皇国デネヴ統候領ディアリバー港。
古くからノスティラス皇国最大の規模を誇る軍港であり貿易港であったここは、近年の皇国の国力を見せつけるかのごとくに発展を遂げ大陸最大の港となっていた。
ラムゼス湖から海に抜けるクリスタナ大河の広大な中洲に設けられ、たゆたう汽水部分に大量の軍船を駐留させることが可能である。そのことと、北東に位置するレムゴール大陸に向かう最短の距離にあることが今回“レムゴール調査船団”の船出の場所に選ばれた理由だった。
そして今、広大なクリスタナ大河の水上には――。
10隻の魔工船が出港を待つばかりとなっていた。
それは、漆黒のキャラック船。
全長60m、排水量は1500トンを超え、帆のマストは4本。一隻あたりで数百人の移送を可能とする大型船だ。
港の桟橋からはおおかた荷の積み込みを終えている様子で、水夫は出港の準備に入っていた。
迎える準備を終えた今まさに――。そこに乗り込む勇者たちが栄光の乗船を行おうとしているところだったのである。
魔工船の周囲は、広い港の桟橋にとどまらず地続きのディアリバーの市街から溢れて、中洲への橋を埋め尽くし展開するほどの――。数万人という恐ろしい規模の衆人でごったがえしていたのだった。
その間を、各国の選ばれし英雄たちが大歓声の中歩み、手を振り笑顔を振りまきながら乗船していった。
中でも――当然のことながら最大の歓声を受けて観衆の間を歩むのは、地元ノスティラス皇国より選ばれし600の精鋭たちであった。
「万歳!!! ノスティラス!!!」
「ロザリオン!!! 麗人ロザリオン!!!」
「きゃあああ!!! ミネルバトン様!!! フォリナー様!!! どうかこちらに御目を!!!」
怒号のような祖国を讃える声の中で、美しき女騎士ロザリオンへの男性たちの歓声、美形双生児魔導士のミネルバトンとフォリナーにかかる女性たちの嬌声はやはり一際大きかった。
馬上のロザリオンは白銀の重装鎧姿で、極めて魅力的な肢体を誇る長身女性であった。鮮やかなブロンドの髪はショートカットで、その下の貌はゾクゾクするほどに整い美しく高貴であった。男性の目を強力に惹きつける性的魅力を持ちながら、腰にはかの“剣聖”が残した剛剣“神閃”が下げられ、抜刀術をも会得した一流の剣豪でもある。厳格で知られる彼女は、クールな一瞥をくれて軽く手を振るだけで終わった。
ミネルバトンとフォリナーは、スリムでスタイルの良い身体を覆う、赤と黒の瀟洒なローブ姿。栗色の髪を肩まで伸ばし、数本の三編みを形作っている。絶世の美男子といって差し支えない柔和な笑顔は、まるで鏡に写したように瓜二つであった。白魚のような指をもつ手を振りながら彼らが完璧な笑顔を振りまくたび、観衆の若い女性や中年女性からつんざくような嬌声があがった。
また、人口の多いエストガレス王国から駆けつけた見送りの観衆も、群を抜いて多かった。彼らが声援を送る指揮官たちは、大戦で失われた人材を回復しきれていない影響で少数にとどまったが、
いずれ劣らぬ英雄たちであった。
「万歳!!! エストガレス!! エストガレス!!!」
「万歳・ジャーヴァルス!!!」
「ダフネ様!!! ヘレスネル様!!!」
王配ジャーヴァルスは28歳。白馬に乗って堂々たる態度で手を振る姿は、すでに王家の一員たる威厳に満ちていた。高貴な軍正装につつまれた細身の長身の上に乗る貌は、白い肌、黒い髪、男性の精悍な貌という違いはあったが――。驚くほど従姉レエテにそっくりの美男子なのであった。
ダフネは戦友シェリーディアと同じ38歳。白いボブカットの髪と失った右目の眼帯は相変わらずだが、より歴戦の強者としての凄みを増していた。腰の剛剣“心眼”も健在で、全身黒衣の中で存在感を放っている。
その二人に続く“女史”ヘレスネルは――。極めて印象的な若い女性であった。女性の平均より低い身長で、ゆったりとした法衣に身を包みながらも、非常に大きい胸だけはコルセットで強調されていた。髪は肩にややかかる位のブロンド。特徴的なのは極めて知的で美しい造りの貌の独特な表情と、黒縁の大きな眼鏡であった。眼鏡を指で上げるのが癖らしくさかんにそれを繰り返す仕草、冷徹を装いながらも好奇心強く周囲を観察する様が非常に強いクセを感じさせる女性だった。
そして――。彼らよりも後方で、劣らぬほどの歓声を受ける一団の姿があった。
アトモフィス自治領とボルドウィン魔導王国一団。
現在ハルメニア大陸で最大の英雄と云ってよい彼らには、国家の別なく惜しみない歓声が上げられていたのであった。
シエイエス、シェリーディア、ルーミスら、「サタナエル・サガ」における元レエテ一行の面々。彼らの血を引く子らである、アシュヴィン、レミオン、エイツェル、エルスリード。そして有名な「ブラウハルト・サガ」における英雄ラウニィー。彼らには熱烈な「信者」ともいうべき者たちが多数存在していたからだ。
「祝福を!!! 偉大な“血の戦女神”に!!!」
「シエイエス様!! シェリーディア様!!! ご無事を!!! ルーミス様! 再び神の御歌をお聞かせください!!!」
「レミオン!!! レミオン!!! 愛してるわ!!! 絶対に帰ってきて!!!」
歓声の中に、レミオンへの個人的な嬌声が混じっていた。その声の主である、馬上のレミオンに群がる、アトモフィスやエスカリオテの若い女性たち十数人。レミオンはその逞しい長身と絶世の美貌、粗野な性格や言葉に反して紳士的な対応で世の女性たちには絶大な人気を誇っていた。レミオンもまた極めて強い性欲をもつ女好きであり、寄ってくる女性の中で気に入った者がいれば見境なく抱いた。それら自身を熱愛する女性たちから贈られる花束を欠かさず受け取りながら、幼馴染に向けるものとは全く違う気障な笑顔で言葉を返していた。
「ありがとうよ、リリー、マチルダ、エリス、皆。お前らのためにも、俺は最高の戦績を引っさげて帰ってきてやるぜ」
アシュヴィンにとっては、レミオンのその様子に氷のような冷酷な視線を送るエイツェルとエルスリードの表情ともども、以前から見慣れてきた光景だ。それにため息をついて苦笑していると、彼の馬に足早に近づいてくる一人の少女がいる。
「……ナルディア? こんな所まで見送りに? ありがとう……」
「あ、アア……アシュヴィン!!! わたし、私……!!
ずっと前から、あなたのこと……優しくて格好いいって……ほんとに……だ、大好きだったの!!! これ、これ……受け取って!!!」
アトモフィスに住む友人のナルディアだった。アシュヴィンの貌を見ることもできずに真っ赤な貌でうつむきながら、デンドロビウムなどで作った綺麗な花束を差し出してきた。意外な告白と展開に目を白黒して絶句するアシュヴィン。
「ナ、ナルディア……! ぼ、僕は……!!」
「きっと、きっと生きて帰ってきてね!! 私ずっと祈ってるから!!!」
アシュヴィンがおずおずと花束を受け取った瞬間、ナルディアは全力で踵を返して群衆に紛れ、姿を消してしまった。
それを見て、エルスリードが微笑みながらアシュヴィンを横目に見て云う。
「あらあら……。良かったわね、アシュヴィン。あんなに可愛い恋人ができて。お馬鹿さんに群がる下品な人たちとは比べ物にならないわよ。あの子のためにも生きて帰ってあげないとね」
「ち……違う!!! そんな……関係じゃない!! 誤解だ、エルスリード!」
アシュヴィンは顔面蒼白となり、必死に否定した。彼が実際に好きなのはエルスリード一人だ。その当人への誤解を解かなければ、自分が告白するどころではなくなる。
が、そのアシュヴィンの横に馬を寄せてきたエイツェルが、白い目で貌を近づけてきたのに気がついた。
「へえ、何? あんな真剣にあんたのこと好きになってくれた子のこと、『そんな』ですませちゃうわけ? ひどいなあ……アシュヴィン。いい子だと思ってたのに、馬鹿レミオンみたいに女子のこと軽く扱って、やっぱ男ってみんなそんなものなのかなあ??」
「エ、エイツェル……君まで。ひどいよ。そんなんじゃないんだ。ナルディアはいい友達だけど、そういう意味で好きなんだけど……」
それを聞いてほくそ笑むような笑みを見せたエイツェルは、アシュヴィンの背中を叩いて云った。
「わかってるって、冗談冗談!! ああいう子を悲しませないためにも、あたしたち皆、生きて帰らないとねってこと!!」
ようやくアシュヴィンが安堵の笑みを返した、その時だった。
「“穢れの魔女”め!!!! どの悪魔が父親かわからぬ売女の子の貴様など、異教の地で地獄に堕ちろ!!! 貴様などが王侯貴族に連なるなどという、忌まわしい悪習を断ち切るために!!!
異端の怪物サタナエルの者共全員とな!!!! 死ね!!! 死んでしまえ!!! そして我がハルメニア大陸を、『人間』だけの清浄なるハーミアの土地に!!!!!」
突然――。
場を氷りつかせる罵声が響き渡った。
群衆の中にいた一人の中年男が、エイツェルに向かって叫び出したのだ。
それに気づいた周囲の群衆が、男を取り押さえた。
と同時に、エイツェルは顔面蒼白になり、たちまち大粒の涙を流した。
「……うう……ううう~……!!」
“穢れの魔女”は、アシュヴィンの“悪魔の子”と並ぶ、エイツェルに対する最悪の蔑称だ。
母ビューネイが組織サタナエルに囚われ男たちに陵辱され、いつしか出来た父親不明の悲劇の子がエイツェルであるからだ。
彼女にとってタブーである、最も傷つく言葉。それを浴びせられ、馬上で貌を覆い、泣き崩れるエイツェル。
それを聞いたアトモフィスとボルドウィン一団の全員の貌が、凄まじい怒りに支配された。
中でも――アシュヴィンとエルスリードの怒りの度合いは尋常ではなかった。
目を見開いて魔導を発動準備するエルスリード、歯をむき出した獰猛な表情で、「力」を使った超スピードで男に飛びかかるアシュヴィン。
だが――アシュヴィンより早く、男に到達した者が一人、いた。
彼と同じスピードを持ち、彼よりも長いリーチをもつあの人物だ。
たちまち胸ぐらを掴まれた男の身体は群衆の手を離れ、“伸長手”によって2m以上の高みにまで持ち上げられた。
「――てめえ――わざわざここに、死にに来たのか?
俺もひでえ事云っちまったこたああるが――。『よりにもよって』この世で一番、姉ちゃんに云っちゃいけねえクソな仇名喚き散らしやがってよお――。
あああああ!!?? 覚悟はできてんだろうな!!?? クソ野郎!!!!」
男を捕らえたのはレミオンだった。その貌には太い血管がびっしりと浮かび上がり、充血した目は見開かれ、犬歯が完全にむき出された獣そのものの表情。
探索任務の折にレエテの石碑を傷つけられた時を軽く凌駕する、常軌を逸した激怒だった。
レミオンに先を越されるも、男に凄まじい殺気を向けるアシュヴィン。そして云い放つ。
「お前は、“真正ハーミア”の一員だな。祝賀ムードを壊すためだけに来たんじゃないだろう。一体何が目的だ――!」
“真正ハーミア”。法王庁に元々居た、ハーミア教反異端主義の反サタナエル一族の一派。これが10年前に法王庁より追放されてエグゼビア公国とエスカリオテ王国の国境にアジトを構えたのが始まりの、実態はテロリスト同然の過激宗派だ。
彼らはサタナエル一族を魔導生物同様摂理に反する存在と定義し、根絶浄化を企む。その過激な行為に被害を受けるアトモフィスを始め、大陸各国が摘発根絶に臨んできたが、エグゼビアとエスカリオテの密かな援助によって尽くそれを逃れ得てきた。
レミオンの魔の咆哮や衆人の殺気をものともせず、男は苦しみながらも言葉を返した。
「そのとおりだ……“悪魔の子”よ。俺は、“真正……ハーミア”の……一人……。
悪魔の怪物……レエテ・サタナエルを……崇め、サタナエル一族を生かそうなどという……狂気の行為は……断じて……許せぬ……!
我らは今は……何もせぬ……。ただ……猛毒を……仕込むのみだ……。貴様らの……中にな……!!」
アシュヴィンは戦慄した。
その言葉の意味するところは、すなわち――。
“レエティエム”の内部に、彼らの息のかかった裏切り者が仕込まれているのだということ。
予告するからには、それが判明しない絶対の自信があり――。かつこのタイミングで明かすことで、“レエティエム”内に疑心暗鬼の亀裂を生むことが目的であろうと思われた。
すでに騒ぎを聞きつけ、駆けつけていたノスティラスのサッド、エストガレスのジャーヴァルス。
彼らにはアトモフィスのシエイエス共々すでに事態が飲み込めたようだった。あるいはすでに、この事態が盛り込み済だったのか。
親友と神聖な母レエテをも侮辱されたレミオンはもはや、我慢の限界を迎えていた。そして開いた右手に結晶手を発現させ、男に向けた。
「云いてえこたあ、それだけか? じゃあ死にやがれ。今すぐ! 地獄に!! 堕ちやがれやああ!!!!」
結晶手を振るい、男を殺しにかかるレミオン。アシュヴィンは反射的に叫んだ。
「待て、レミオン!!! そいつを殺したら裏切り者が誰なのかが――!」
しかし――レミオンの結晶手が男に振るわれることはなかった。
彼の腕は、彼以上に逞しい筋肉の腕によってがっちりと押さえつけられていたからだ。
その逞しい腕の主は、低く獰猛な荒い言葉で、レミオンに云った。
「落ち着けや、レミオン。そいつが云ったこたあ許せねえクソ台詞だが、それは『そいつ』自身の台詞じゃあねえ。
そいつを操ってる、黒幕さんの台詞なんだよ。そうだよなあ!? ジャーヴァルス!?」
赤い髪を振り乱して後方に声をかけるその人物は、今現在レミオンが大陸で最も慕い尊敬する人物だった。
「――ムウル――兄貴!!!」
そう、ドミナトス=レガーリア元帥ムウル・バルバリシア、29歳。少年時代にレエテのソガール誅殺に尽力した、現在大陸最大の豪腕と謳われる戦士。
そのムウルと好敵手関係にある親友ジャーヴァルスは、馬上から静かに、云った。
「そのとおりだムウル。レミオン、アシュヴィン、この男は“真正ハーミア”とは無関係な、おそらくそこらの市井の男だ。魔導を封入することで操られているのを感じる。よってアシュヴィン。君が想像したようには、この男から我々が情報を得ることはできない。色々想定はしてたが、敵も仲々用意周到だ」
レミオンがムウルに対してそうであるように、アシュヴィンが尊敬する人物がジャーヴァルスだ。その言葉を受け男をみると、彼はすでに意識を失いうなだれていた。
レミオンは舌打ちをして男を解放した。地面にのびて横たわった男は、すぐにノスティラスの衛兵に確保され連れて行かれた。
その様子を見ながらレミオンが尋ねる。
「するってえと何ですか? 敵が紛れてるのを百も承知で今回の船出を決行し、危険な冒険行に乗り出し、そのさなかで裏切り者をあぶり出すってことですか?」
「そうだレミオン。それが俺とナユタ、そして各国元首が出した結論だ」
レミオンが尋ねた相手のムウルとジャーヴァルスに代わり――。
うっそりと答えたのは、後方からやってきた馬上のシエイエスだった。
「たとえここで裏切り者を断定するために航海を中止しても、また次の機会に裏切り者は仕込まれる。しかも“真正ハーミア”だけではない。他の敵対勢力も同様の企みをせぬとも限らん。そうして下手人探しに明け暮れるうちに無為な時間は過ぎ去り、各国の気勢も削がれ、人材も確保できなくなり、レムゴール大陸は遠のくばかりだ。
それこそが、敵の目的。それに掛かるぐらいなら、我々の目的の中で裏切り者を見つける。我々は、それができるだけの力があると信じているからな」
現れた父と言葉を交わす形になってしまい、レミオンは極限にまで貌をしかめた。
「……ああ、そうかい。あんたほどの男がそう云うなら、間違いはねえんだろう、親父。
だが俺は気に入らねえ、危険すぎる。うまくいきゃ問題はねえが……。もしも仮に俺の友達に危害が及ぶようなことがあったら……俺は本気であんたを殺すぜ、親父」
眼鏡の奥から鋭い目で息子を睨み返し、シエイエスは云った。
「心配するな。俺もお前たちに危害を及ばせたくはない。もしそんな事態になれば、お前の好きなように俺を煮るなり焼くなりすればいい、レミオン」
そういって馬を取って返させ、何事もなかったように背を向けて去っていくシエイエス。
憎しみの双眸で父の後ろ姿を見送り、ギリッと歯噛みするレミオン。その彼の肩に手を置き、ムウルが声をかけた。
「仲の悪りいのは相変わらずなようだが……。少しはシエイエス様に歩み寄ってくれや、レミオン。あの方は本当に立派な方だ。俺が云うんだから間違いねえ。
だがまあ、今はそれよりも……。泣いてる姉ちゃんを元気付けてやるのがお前の努めだよな」
尊敬する兄貴分に促され、レミオンはエイツェルの元へ急いだ。
彼女はすでにエルスリードに慰められていたが、最悪の言葉で傷つけられた心の傷は深く、まだ泣きじゃくるばかりの痛々しい様子だった。
レミオンはエイツェルの背中をさすりながら、優しく言葉をかけた。
「姉ちゃん……姉ちゃん。大丈夫だよ。誰が何云おうが、みんなも俺も姉ちゃんが大好きなんだからさ……。
気にしないでくれ。あんなふざけたこと云う奴あ俺が絶対えにぶち殺すし、姉ちゃんのこと必ず守るから……」
アシュヴィンは自身もエイツェルのことを案じながらも――。
ただでさえ危険な任務に立ち込めている暗雲について知ったことで、大いなる不安に陥っていたのだった――。