第十五話 超国家旅団レエティエム(Ⅴ)~好敵手(ライバル)
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会議の終了後、幼馴染のもう一組――アシュヴィンとレミオンの姿は、伯爵居城内の中庭にあった。
幼い頃から数え切れないほど、互いに遊び合った場所。
周囲200mの壁に囲まれた芝生の庭の中心に、二人は向かい合って立っていたのだ。
アシュヴィンの前にそびえ立つ、年齢にそぐわない長身のレミオン。
彼の手には、楕円形の樹脂のボールがあった。
二人が幼い時、幾度となく競い合ってきた“闘球”のボールだ。
「昔は数え切れねえくらい、こいつで遊んでたもんだが――。
ここ何年かは、そんな機会もすっかりなくなっちまってたよなあ、アシュヴィン」
ボールを手の上で回しながら、レミオンがつぶやく。アシュヴィンはその言葉には応えない形で、口を開いた。
「わざわざこんなところに僕を呼び出して――。一体何の用だい、レミオン」
「おいおい。幼馴染の親友同士が会うのに、いちいち理由が必要なのか?」
「ないかもしれないけど、段々距離を置くようになったのは君のほうじゃないか。そんな状態で今、ただ親睦を深めようなんて理由で僕らがここにこうしている道理がないことぐらい、わかるさ。
もう一度訊くよ。今ここで一体、何がしたいんだい?」
すでに緊迫の度合いを募らせているアシュヴィンの、固い声色。それを聞いたレミオンの口元に、不敵な笑みが形作られる。
「アシュヴィン。俺たちは親友であると同時に、何から何まで競う好敵手でもあった。少なくとも俺は、そう思ってた」
「……」
「お前はさ、俺と競う気持ちもあっただろうが、最後の最後で手を抜く甘さがあった。だから大概の勝負では俺が勝ってきたが、俺はお前のお優しさ――。云い換えれば憐れみってやつにいつも苛ついてた。
そんな中――俺が完膚なきまでにお前に負けたのが、こいつさ」
レミオンはそう云って、手の上のボールを突き出した。
「6年前この場所で、お前は初めてといっていい本気を出し、俺を完全にたたきのめした。
俺は一晩泣き明かして悔しがったが、お前は次の日から何食わぬ貌をして、また全てにおいて手を抜くそぶりを見せやがった。俺が頭にきていくらお前を罵ってもな。
――そういうことだ。分かんだろ? 今この場で、俺と“闘球”でサシの勝負をしろ、アシュヴィン。
もちろん、『全力』でだ。これだけ云われりゃいくらお前でも、今更手は抜けねえよな?」
アシュヴィンは、戦場で見せるかのような厳しい表情に変化した。そしてその表情のまま、無言で腰の双剣を鞘ごと外し、地に置いた。
「――わかったよ、レミオン。
気持ちに応えて、僕は本気で君と勝負をする」
アシュヴィンは低く構えて、レミオンに向き合った。
彼らが向かい合うのは、中庭の丁度中央。彼らが正面を向く敵陣までボールを持ち込めば、勝利となる。前にボールを放ること、跳躍すること、手や脚で相手を傷つけること以外は全てが許されるルールだ。
レミオンは不敵な笑みをさらに口角にたたえ、二人の間の真ん中に向けてボールを放った。
上空に錐揉み回転し浮き上がったボールは、そのまま直下に回転を殺さずに落下する。
そしてボールが芝生に接触着地した瞬間が――開始の合図となった!
電光石火のごとくボールに突進していく二人。
まずボールに手が届いたのは――アシュヴィンだった。
常人の目には、消えたようにしか見えない超常のスピードを誇るアシュヴィンは、そのまま全力のスピードで斜めに進み敵陣を目指そうとする。
彼は――“純戦闘種”。古代の邪教カマンダラが生み出した、遺伝子操作を施された人間、その末裔で遺伝子を発現した者の一人。この遺伝子は受け継がれないが、約10年に一度の頻度で血を継いだ者の中に発現するのだ。
彼の祖母エストガレス廃王女ナジードが発現した遺伝子を、麻薬メフィストフェレスにより強制遺伝させられた父ダレン=ジョスパン。彼が同様に麻薬を服用したことで遺伝を受けたのが、アシュヴィンだ。
大陸一のスピードを誇った父同様にアシュヴィンも才能を有している。そして父が持っていた超常のスタミナを受け継がなかった代わり、父にはなかった怪力を彼は有していたのだった。
短期決戦であれば、自分に分はある。そう考えていたアシュヴィンはこのまま突っ切れると確信を持っていた。
しかし――。
左後方からの強烈な衝撃が、はやくも彼の確信を裏切った。
「なっ――!!!」
驚愕するアシュヴィンの身体は、衝撃を受けたのと反対方向の左前方向に吹き飛ばされた。
そして、あまりの衝撃に手にしたボールを放してしまった。
そのまま体勢を崩しながらも着地すると、左脇腹の痛みをこらえながら状況を見やる。
振り返ったアシュヴィンの視界に入ったのは、彼に肩からタックルを喰らわせたあと、上空に放られたボールの着地点でそれをキャッチするレミオンの姿だった。
「くっ!」
猛然と敵陣を目指そうとするレミオンを即座に追う、アシュヴィン。
(……僕がボールを放してしまうほどの凄いパワー。それに、なんてスピードだ。
君はどれだけ成長したというんだ、レミオン……)
驚愕を禁じえない。体格で上回るレミオンに元々自分がパワーで勝てないことは分かっていたが、これまでの物差しから考えても異常なパワー。加えて自分が上回っていると思っていたスピードで、「並ばれた」。認めたくはないが、ここ最近のレミオンのほうこそが手心を加えていたことを証明するものだ。
やはり――血筋なのか。アシュヴィンからみて神そのものにしか見えなかった強さを持つ、戦女神レエテ。その息子である証明なのか。
アシュヴィンは必死の形相で駆けた。全神経と脚力を総動員させたその速さは、どうにかレミオンに追いついた。常人に見えぬ世界の中で、アシュヴィンは足先から下段で滑り込み、レミオンの懐ボールをつかみ取り奪い取ることに成功した。
レエテから幼い日に教えられた技、スライディングだ。
首尾よくボールを奪ったアシュヴィンは立ち上がり踵を返し、逆方向の敵陣を目指して走り抜けようとした。
そのとき――。
アシュヴィンの身体にまたも、斜め後方から強い力がかかった。
今度は、彼自身の身体にではない。
彼が懐にかかえる、ボールに対してだ。
視線を落としたアシュヴィンは己の目を疑った。
何と――。彼の懐のボールは、レミオンの大きな褐色の手に丸々と鷲掴みにされていた。
3mは後方に居る彼の、「関節を外し伸びた腕」、その先にある手によって。
「おおおおらああああ!!!」
気合一閃、レミオンは力まかせにアシュヴィンの身体ごとボールを引き寄せ、上空に放り投げた。
ボールを放さないアシュヴィンの身体は大きく上空に持ち上がり、そして受け身も取れないまましたたかに背中から地面に打ち付けられた。
「ぐはっ!!! がああ……!!」
苦痛と呼吸困難に呻くアシュヴィンの、地の高さの視界。
その彼の目は、ボールを拾い悠々駆け抜けるレミオンの姿を捉えていた。
そしてレミオンは、敵陣の手前で止まり、再び右腕を長く伸ばして――。
ボールを敵陣に叩きつけたのだった。
レミオンの完全勝利だった。
「……ぐ……! レミオン……それは……その『技』は……!」
アシュヴィンの元に歩み寄り、見下ろす形になったレミオンは、不敵な笑みを崩さず云った。
「そうさ。お前の叔母さんであるマイエ・サタナエル、そして俺の伯父貴である“魔人”ヴェル。
二人が使ったという伝説の技、“伸長手”だ。
とうとう俺も、モノにしたっていう訳さ」
結晶手の発現と解除を繰り返しながら、レミオンがさらに続ける。
「これで現時点、俺が完全にお前より上だってことが証明された。だからお前はあきらめろ。
エルスリードのことをな」
「なっ……!」
思わぬ名前を出され、アシュヴィンは貌を赤らめて目を剥いた。
「気づいてねえとでも思ったか? ガキの頃同様今でも、お前はあいつにベタ惚れなんだろ? お見通しだよ。
だが、ダメだ。あいつに相応しい男は俺だ。必ず口説き落とす。だから実力が下のお前は手を引け、そういうことさ」
「そんな、こと……」
鋭い眼光で己を睨むアシュヴィンに、レミオンは手を差し伸べ、笑って云った。
「ハハハッ! いい貌するじゃねえか。悔しかったら今回の“レエティエム”への任務で、俺を上回って見やがれ。そうしたら今の言葉撤回してやらあ。
お前がそうでなけりゃ、俺も張り合いがねえ。それ以上に足手まといになられちゃあたまったもんじゃねえしな」
アシュヴィンはその言葉に、レミオンの心の裡の一端を見た。
過去からの、手加減をされてきた屈辱と鬱憤もあっただろう。だがそれ以上に、彼は任務の件を聞き、己の好敵手を鼓舞したかったのだ。同時に親友として、自分と並び立てる存在でいてほしいと願っていたのだ。
ひさびさに、アシュヴィンはレミオンの良い笑顔を見た気がした。そしてそれと同時に、思い起こした。
子供の頃知った、サタナエル一族の寿命の事。エイツェルやレミオンがそんなにも早く死んでしまう運命を背負っていることに衝撃を受け、しばらくアシュヴィンは泣き明かした。
そして誓ったのだ。姉と慕った女性と、この一番大事な親友といつまでも一緒に居られるよう、寿命を延ばす手段を自分が見つけてみせると。
それが現実味を帯びた今回の大いなる作戦。それらがプレッシャーをともなって極度の緊張に襲われていたアシュヴィンの心は、レミオンのおかげでほぐれたのだ。
そう思い至ったアシュヴィンは、笑みを浮かべて親友の手をとった。
しかし同時に――レミオンが云ったとおりの好敵手でもある。アシュヴィンは目線だけは鋭くレミオンを射抜いて言葉を返した。
「分かった、今は負けを認めるよ、レミオン。
けど――撤回すると云ったこと、後悔することになる。僕は――僕は必ずか、『彼女』を――。
自分のものに、するからね――」
初さが出てしまい口ごもりつつも、はっきりと自分の本心を口にしたアシュヴィン。
レミオンは苦笑しながら、彼の手を引き上げたのだった。