第十四話 超国家旅団レエティエム(Ⅳ)~それぞれの思い
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元首会議閉会宣言ののち――。
場に残されたのはシエイエス、シェリーディア、ルーミス、ラウニィー、ナユタの5名のみとなった。
目を閉じて小さなため息をつくルーミスが、口を開いた。
「……本当にご苦労だったな、ナユタ。心中を吐き出せない辛さは察する。今でもオレは、覆せるものなら覆してオマエの参加を表明したいと思ってるんだからな」
夫の言葉を受け、苦笑したナユタが返す。
「ありがと、ルーミス。でも仕方がないんだ。師兄やミナァンもあたしに行けと勧めてはくれたけど――。あの二人の力をもってしても、今の気脈全ての対応はなしえない。大陸全土に睨みを効かせるにも足らない。
ノスティラスには強硬反対派のロヴェスピエール統候、エストガレスにはダルシウス公爵、国家でシカトを決め込んでるエグゼビア公国といった存在があって――。エスカリオテのゲオルゲみたいに、下手な野心を持ってる野郎もいる。その気になれば一人で国を潰せる魔皇みたいな存在が睨んでなきゃ、すぐに戦乱が起きる。あたしが出ていった日には、平和は一ヶ月ももたねえと断言できるよ。残念ながらね」
「ナユタ。力不足かもしれないけど、私とルーミスが代わりに残ることできっと抑えられる。――何度も云ってることだけど、今からでも気が変わったりはしてくれないかしら?
あなたが本心ではどれくらい――“レエティエム”に入ってレムゴールに行きたいと思っているか、私たちは良く知っているんだから――」
親友ラウニィーの言葉を聞き、ナユタの貌が歪んだ。
見る見る茶色の流麗な目が潤み、唇は噛み締められ、肩は大きく震えた。
そう、ナユタの本心はラウニィーの云うとおりなのだ。
レエテが熱望し、彼女を連れていってやれなかった悔恨を自分が行くことで晴らしたい。
手塩にかけた最高傑作“魔工船”を駆り、軍団を率い、謎を解き明かしたい。かつての大戦時に駆け抜けたように、仲間たちとのそれと同じ冒険に身を投じたい。
“レエティエム”に選ばれた誰よりもナユタは、そこに参加することを狂おしいほどに熱望していたのだ。
だが――。
「…………ダメだ。あたしが残らなきゃあダメだし、もう、決めたんだ。
大陸の公人として、あたしは決断した。それを曲げることは、ない。
それに、さっき最後にいった言葉。もう満足したってのは確かに建前の嘘っぱちだが、『レエテとともにありたい』って言葉は――本心からだ。
仲間も、旦那も子供達も、みんな行っちまう。一番の親友を自認するあたし一人ぐらい、一緒にいてやらなきゃレエテが寂しがるじゃないか。可哀想じゃないか」
そして笑顔に戻ったナユタは、仲間たちに語りかけた。
「シエイエス。あんたなら、あたしがやりたかった作戦の全てを任せられる。よろしく頼んだよ。皆を無事連れ帰ってくれ。あんたがいない間のアトモフィスは、マルクと一緒に責任もってあたしが見るから」
「……ああ、任せておけ。お前の知恵には及ばずながら、必ず作戦を成功させ皆も守ってみせる」
「シェリーディア。あたしとあんたはずっと、犬猿の仲だった。仲違いはしてきたが、あんたの強さと統率力、やるときゃやる勇猛さは最大限に認めてる。戦の指揮は頼んだよ。勝って皆を守ってくれ」
「……ああ。アタシにとってもアンタは、目標にする最強の女だった。心配すんな。期待に応えるよ」
「ラウニィー。魔導と気脈に関する全てを、あたしに代わって任せられる魔導士はあんただけだ。頼んだよ。そして、必ず生きてあたしの所に帰ってきて。16年前、ルヴァロン山の試練から生きて帰ってきてくれたときみたいに。……約束だよ」
「ナユタ……。わかったわ。あなたの頭上のブラウハルトの魂に誓って、私も絶対にあなたの元に戻ってみせる。エルスリードのことも絶対に守るわ」
「ありがとう。
ルーミス……。あんたにも特に、エルのことを頼みたい。あの子は淡白な優等生に見えて、ぶっちゃけ中身はあたしとおんなじだ。気が強くて意地っ張りで、後先顧みず自分から危険に突っ込んでっちまう。あたしが行けないことで一番心配なのはあの子のことなんだ。絶対……絶対に生かして連れて帰って。あんたもきっと帰ってきて……。お願いだからあたしを一人ぼっちにはしないで……」
「……わかってる、ナユタ。娘が心配なのはオレも同じに決まってるだろう。彼女がオマエと同じ、なのは一つ抜けてる。『誰より愛情深いのに、不器用』ってところだ。オレはそんなオマエを愛しているんだから――心配はするな。エルもオレも、オマエの元に帰る」
「――そ――! う、うん……分かってる。あたしも、愛してる……ルーミス……」
突然の思わぬ言葉に貌を赤らめて、次いで目を潤ませて夫を見つめるナユタ。
16年という時を経て大戦時から立場が逆転したような、この二人の惚気の様子を仲間たちはしばし微笑ましく見守ったのだった。
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一方会議場を後にしたエルスリードは、伯爵居城内のエイツェルの伯子居室内にいた。
白を基調にした、年頃の女の子らしい内装の大きな部屋。かつて組織の将鬼長フレア・イリーステスが使用していた部屋を改装したもの。ここはエイツェルの部屋であると同時に、エルスリードがアトモフィスに滞在する際にシェアする部屋でもあったのだった。
その中心のソファに座り、テーブルにあった菓子を一つつまんで食したあと――。
エルスリードは大きなベッドに腰掛けるエイツェルに向かって、険しい表情のまま云った。
「私は、納得できない。
あの人が、“レエティエム”に参加しないだなんて。自分が云い出した危険な話を、勝手に人に押し付けて終わりでいいわけがない。
絶対に認められない。私このあと、あの人のところに直談判してくるわ」
エイツェルは自分も菓子をはみながら、困ったような表情で言葉を返した。
「そんなこと云って。やめなよ。また大げんかになるの目に見えてるし――。ナユタ様もあのとおり深い考えがあってのことなんだし。それに、たぶん本心ではきっと――」
常から周囲に気を配り、人の感情に敏感なエイツェルは、ナユタの本心もおよそ感じとっていた。本当は行きたくてたまらない、だがそれを押し留めているのだろうということを。だが、云うのをやめた。それを云ったところで火に油を注ぐだけ。
なぜなら、エイツェルは親友の心――もっといえば望みについて正確に、見抜いていたからだ。
その望みを満たすことになりえず、さらに遠のかせることになるからだ。
幸いエイツェルの言葉が耳に入っていないらしいエルスリードは、構わずに続けた。
「だいたいあの人は、いつもそう。私のことを貶めるだけ貶めておきながら、都合のいいときには『大導師のあたしの娘なんだから』って辛い役目ばっかり押し付けてきた。大導師府でもわざと上の級に入れたり、厄介な探索任務のときばかり参加させたり。
私が『本当のお父様』のようなきれいな男の子じゃなかったから、あれだけ嫌いなんだわ。今度だって私だけをはるか遠くの大陸に追いやって、厄介払いしたいんだわ。そうに決まってる。あんな人、母親だなんて私認めない――」
「それは違うよ、エルスリード。違うし、そんな風に自分のお母さんのこと悪く云うの――友達でも許せない。ダメだよ」
言葉を遮られたエルスリードは、ハッとなって親友の方を見た。
自分よりも高い位置のベッドから見下ろす形のエイツェルの目は、明らかに怒っていた。
普段明るく優しく、レミオン以外の相手には滅多なことで怒らない彼女が見せる、静かな怒気。
エルスリードは蒼白になりながら、エイツェルの次の言葉を待った。
「ナユタ様は、そんな人じゃないよ。
あの人はあんたの見てないところでいっつも、あたしに云ってくれてる。『エルと仲良くしてくれてほんとにありがとう』『あの子のことよろしくね』『あの子の相談に乗ってあげてね』。時々じゃあないんだよ。毎回毎回、会うたびにだよ。ちゃんと聞いてはないけどアシュヴィンも、レミオンも同じように云われてると思う。
嫌いなわけないじゃん。素直に出せないだけで、あの人本当はあんたのこと――大好きなんだよ。好きで好きでどうしようもないくらい。
あんたも本当は薄々――わかってることなんでしょ? エルスリード」
「…………!」
「今回のことだって、きっと本当は行きたくてしょうがなかったんだと思う。けど理由があって諦めた。同じように、本当は大好きなあんたを自分の手元に置いときたかったけど――あえて危険な場所へ送り出したと思う。あんたの成長のために。
あんないいお母さん、いないと思うよ。嫌なこともいっぱいあるだろうし気持ちはわかるけど、突っぱねて悪口ばっかり云って自分から遠ざかってばっかいたら、きっと一生後悔する。そんなふうに思うの」
真剣な瞳で継がれるエイツェルの言葉に、エルスリードは貌を歪めて唇を噛んだ。
「あんないいお母さんいない」、その言葉は胸に突き刺さった。エイツェルの母ビューネイ・サタナエルは彼女が赤子の時に悲劇の死を遂げている。生まれる前に父を亡くしているエルスリードもその点は同じだが、エイツェルは父親すら誰であるか分からない天涯孤独の身なのだ。優しい彼女は本心から強く云ってくれているだろうが、それにしても実の母がいる恵まれた自分が贅沢にも悪態をつく姿はエイツェルにはいたたまれないだろう。まず自分の軽率さを後悔した。
そして母の気持ちも、本当は感じ取ってはいた。
すぐに大きな茶色の瞳は潤み、一条の涙が流れ落ちる。そしてうつむきながら、云った。
「そうかも……しれない。そうかもしれないけど……。
私、信じていた。一緒に行ってくれるはずだって。あれだけの作戦を中心になって進めてきて、当然先頭に立つだろうって。そうしたら私は、今まで期待に応えてこられなかった分、今回の大作戦で強くなってその姿を見せつけてやれるって……。
一緒に来てくれないだなんて、夢にも、思っていなかったんだもの……」
そう云うと、ついに耐えきれなくなったようにエルスリードはすすり泣きはじめた。
エイツェルは、親友の気持ちを思い、涙を浮かべた。
彼女もエルスリードと同様、優しい義母レエテがあまりに多忙ゆえに、幼い頃寂しい思いをした記憶があるゆえに。
エルスリードは大きくなって戦闘者になり母ナユタと同じ世界に入ったことで、ようやく一緒にいられる時間が増え、本心は嬉しかったのだろう。そこから承認欲求も芽生え、成長への意欲も高まっていたところに、離れ離れになる事実が告げられた。
エルスリードは悔しいこと以上に――寂しいのだろう。あまりにも。引き離されるその事実を受け入れられなかった。
親友の素直な気持ちの吐露。それを受け止めたエイツェルはエルスリードの脇に座り、そっと肩を抱いてさすった。
「大丈夫だよ……大丈夫。そばにいなくても、ナユタ様はいつでもエルスリードのこと、一緒にいてくれる以上に気にしてくれるよ。それに、途中を見てなかったら、その分あんたの成長に何倍もびっくりするじゃない? その方が楽しいじゃん?
だから絶対に――生きて帰ろ? あたしも頑張るから。一緒に4人で、きっと無事に帰ろうね――」
優しい言葉に、エルスリードは誓った。
彼女が以前から思い続けていたもう一つのこと。この世界一大好きな親友を、長生きさせてあげたい。そのことの、実現を。
遠いレムゴール大陸で、自分がエイツェルの寿命を延ばすことを、固く心に誓ったのだった――。