第十一話 史上最悪の大罪(Ⅰ)
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レムゴール大陸、北の大国アケロン州。
その国家の源流は、3000年ほど前――砂漠の武装民族集団、を頭領とした王政成立に遡る。
建国王とされるダニエル・ラシャヴォラクは、レムゴール大陸古来の風習にならい、州として王朝を興した。
当時既に東には敵対する大国シエラ=バルディ州あり、数百年の間を置き西にアンカルフェル州が興きた中、その歴史上戦乱と無縁であった時期は現在までほぼなかった。
内部の権力争いも絶えぬ中、首都と鉱脈を死守することに腐心するアケロンは、領内でも極めて狭い視野しか持たず、僻地は実質の空白地帯である時期が長く続いた。
僻地の一つ、北西の半島300万平方kmに渡って広がるドラン高原。
一年中の荒波が打ち付ける切り立った崖、苔類以外の植物はほぼ育たず、小型爬虫類や海洋鳥類以外の動物も存在しない。上空の空気は常に乾き雲もなく、容赦ない直射日光が照りつけ、平均気温は35度以上。過去の火山活動から形成された不毛そのものの地であった。
人間の生活には苛烈を極める環境。だからこそ、数はきわめて少なく、民族というには小規模であるが――。
ここには古くから、人が棲み、村落があった。
およそ200~300の世帯を維持しつつ、わずかに存在する湧水池を共有しながら、身を寄せあって生きる共同体の形を取る温和な集団。
彼らは――食糧の問題から髪の色素は薄く、強烈な太陽光の蓄積で瞳は濃く輝き、肌は褐色という肉体的特徴をもっていた。
連帯の証なのか、彼らは家ごとにはあえて持たず、集団で単一の姓を名乗った。
「サタナエル」と――。
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「――………!!!!」
ティセ=ファルの語りを聞いていたアシュヴィンとヨシュアが、思わず目を見開いて生唾を飲み込んだ。
ダルダネスで押収した書物には、サタナエル一族そのものについての記録はごく僅かだったため、これは初めての重要に過ぎる情報といえた。
もちろんサタナエル一族が元々この大陸の住人だとは知っていて、今も実際にレムゴール人としての彼らを間近で見た現状ではあるものの、現実の歴史的背景とともに詳細を説明されてみると、それは実感とともに強い衝撃を与えた。銀髪褐色、金の瞳が形成された経緯も、わかった。もうこの先の話を一言たりとも聞き漏らすまいと、二人は食い入るようにティセ=ファルを凝視した。
ティセ=ファルはその様子に、多少の驚きを見せたあと、満足したような笑みを口元に浮かべた。
「……ハルメニアにもあれだけの一族がいながら、本当にそなたらは何も知らぬのじゃな。
どうやらわらわは、ハルメニア人にとっては衝撃の真実、とやらを明かす最初の人間になるらしい。
心して聞くがよイゾ……」
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――サタナエル一族、は長い時間をかけて環境に適応した肉体を備えていた。
数十m先からでも、崖に止まった海洋鳥類を矢で一撃で仕留め、時には跳躍して素手で生け捕りにさえした。100m級の切り立った崖も恐れげなく素手素足で降り、そこに這う爬虫類を捕らえ、苔類を大量に刈ることが可能だった。
基礎体温が非常に高く汗もかきづらく、体内濾過能力も強いのか尿量も少なく、少ない水分でも長時間の活動が可能。食糧栄養価の低いこの地にありながら、火の代替となる溶岩の採取のために1日70kmを容易に走り抜ける持久力ももつ。
過酷な環境でも、恵まれた身体能力で生活を維持し、またその土地ゆえに侵略を受けることもなく――。歴代族長の統率のもとで平和に生活していた。
が、約200年前のある時、一族内に突如として疫病が広がった。
全員が感染した状況から、湧水が原因と疑われた。
それは発熱、衰弱、全身の小刻みな震え、激しい動悸と吐血を伴い、族長をはじめ年齢の高い者、もしくは幼い者から先に、ほとんどの者が動くこともままならなくなった。
そこでまだ辛うじて動けた、族長の17歳になる娘が――。
自分が外の世界へ行くと。この病を治せる人間を連れてくる、と――。
一人フラフラの足取りで、南東の方角へと歩きはじめた。
娘は憑りつかれたように歩き続けたが、そのうち――。
自身の身体の変化に、気づき始めた。
徐々にではあるが、足取りが軽くなりはじめた。それを自覚したときには、もう走り出していた。それも、信じられないほどのスピードで。
体調は完全に戻ったどころか息すら、上がらなかった。そして、出発時に何度も地面に倒れて作っていた裂傷や打撲傷が、完全に消え去って痛みもなくなっていた。
さらに、走りに応じてなびく銀髪が、内側から鈍色の光を放つ変貌を遂げていた。
やがて高原を脱し崖を駆け降り、アケロン領内の村落へと辿り着いた。
そこで疫病のこと、これを治せる人間はいないかを訴えると、村人の中から一人の医者が名乗り出た。
娘は、己の漲る力の任せるままに、医者を己の背中に背負い、全力で来た道を戻った。
後ろで驚愕の悲鳴を上げる医者に構うことなく、郷里の村に辿り着く。
そこには、絶望と喜びが同居する光景が広がっていた。
壮年以上の者、幼い子供、元々弱っていた者――。一族の半数の者は、すでに息絶えていた。
が、その死を悲しみ、介抱していた少年少女、若者たちは――。
娘と全く同じ。完全に回復し、以前よりも精気を漲らせた状態で、無事だったのだ。
病原に対抗できた者が生き残り、それ以外の者は全滅。
娘は族長をはじめとした家族の死を悲しみつつ、医者を彼の村まで送り届けた。
これが――。過酷で隔絶された環境に隠されてきたサタナエル一族が、思いがけず獲得した驚異の肉体とともに、世にその存在を知らしめる発端となった。
そして娘は父の跡を継ぎ、一族族長の地位についたのである。
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「……200年前に、感染性の病気がきっかけで、超人になった……17歳の……一族の、女性」
ティセ=ファルの話を遮り、アシュヴィンは伝承の記憶を辿りながら呟きを発した。
「もしや…………その娘の名前…………は。
『クリシュナル・サタナエル』では……………………?」
恐れを含みながら発されるその名前を聞いたティセ=ファルは、驚きと嫌悪感を同時に表情に宿した。
そして酷薄な笑みを返しながら、応えた。
「なんと、その名前だけはハルメニアにも、しかと伝わっておったのか。
さよう。そなたの申す通り、件の族長となった娘こそが、この話の主役にして諸悪の根源、に外ならぬ――『クリシュナル・サタナエル』である。
いかにして、そのクリシュナルがレムゴールの歴史に刻まれることとなったか、これより教えて進ぜヨウ――」
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外界にその存在が漏れてしまった、サタナエル一族。少数とはいえ超人である彼らを、アケロンの社会は放ってはおかなかった。
疫病の終息からわずか一週後、アケロンは数千からなる部隊をドラン高原に派遣した。
あまりの過酷さに一族の村までたどり着けたのはわずかに1/3ほどであったが、わずか100人で戦争など一切経験のないサタナエル一族が、アケロン軍に制圧されるのにさほどの時間は要しなかった。
そして族長のクリシュナル以下、数人の優れた若者が選ばれギルディ=デボネアへ連行されることとなった。
そこで一族の経緯や状況を詳しく聴取され、その身体能力も調べられることとなった。
最初に移住したと思われる祖先の影響か、言葉は流暢であり知能も高いものの、鳥の皮で作られた衣服が示すとおり当然教養は一切ない蛮族であり、激しやすい性格であるものの内面はそこまで脅威ではないと思われた。
しかし調べれば調べるほど、その肉体に関しては脅威でしかなかった。
彼ら自身もまだ未知であったが、アケロンの進歩した設備では次々驚くべき結果を残した。
何よりも、傷の再生能力。徐々に過激にエスカレートする行為でも、彼らの肉体は耐え、殴られた際の脳の損傷ですら、短時間で完全に再生した。
クリシュナルは族長という立場から、肉体の調査ではなく聴取の対応についていたため――一族仲間が受けている処置について関知していなかった。
聴取が終わって村へ戻ることを希望し、仲間と引き合わされた彼女は、驚愕した。
5人の仲間のうち、戻されたのは3人。クリシュナルが駆け寄るとその全員が、疲弊と怒りの様相をにじませていたのだった。
残る2人の所在を聞いても、アケロン兵は無言だった。そこでついに仲間の一人が自分の受けた所業を暴露し――。それを聞いたアケロン将校が、2人はそれぞれ首、心臓に損傷を受けた結果、不幸にも死亡したと明かした。
――村の安全のため、自分が調査への協力を仲間に命じた。
それが2人の命を失う結果になったと知ったクリシュナルは、絶望と激しい怒りに駆られ、その場で絶叫した。
――叫びは、クリシュナル自身も予期しない絶大な空気の振動を生み、周囲数百mに瞬時の破壊をもたらした。
人間の鼓膜を切り裂き、体液を揺らし、血管を破裂させた。
それが終わったとき、数百人のアケロン将校と兵を殺戮したのと同時に――。
超至近距離にいた3人の一族仲間も、振動で頸椎を損傷させ、殺してしまっていた。
クリシュナルは、知らぬ事とはいえ犯してしまった己の過ちを悔い、さらなる慟哭を上げ続けるしかなかった。
これが、レムゴール大陸史上最大の民族戦争と、最悪の大量殺戮、惨禍の幕開けとなることを――。
この時は誰一人、予想すらできなかったのだった。