第四話 死角なき魔刃【★挿絵有】
輿から降りてくるその女は、頭頂から爪先まで、何を取っても視覚的な強撃の塊だった。
金髪ツインテールの髪と何色もの原色で彩られた、奇抜というのも生ぬるい悪趣味極まる装い。
“サタナエル・サガ”においても悪名の高い元“幽鬼”総長、カルカブリーナ・サタナエルに近しい要素を持っているといえるだろう。が、生理的嫌悪感の権化だった彼とは異なり、この女には退廃的ではあるが色気と、元の美貌も相まって人の目が釘付けになるような魅力が備わっていた。
そして最大の特徴は、己の座席の脇から取り出し、背中に背負った黒い円月輪だ。
直径160cm、内径130cmほどの巨大さ、オリハルコン製であろう刃の分厚さから、重量は80kgを下らないはず。自身の体重をはるかに超すそれを、紙のように軽々と持ち上げる脅威の筋力を見せる。
見ると、内径には刃が滑走できると思われるリングが形成されている。回転が可能な刃なのだろうか? ティセ=ファルの書物には彼女の戦法までは描かれておらず、この珍妙な武器の使用法は全く予想できない。
彼女の後方で、劣らぬ存在感を放つ少女――ガリーシェルが気だるそうな口調で第一声を発した。
「おや、おや……初めまして、ですわね。
まさかこちらの砂漠で、貴方がたハルメニア人と鉢合わせるだなんて。
貴方がたは、てっきりドラギア経由でギルディ=デボネアを目指すとばかり思ってましたのに。“ご愁傷様”、ですわね……。
アンヴァー、止めても無駄でしょうけど一応。この方々は主力ではない。一刻も早いドラギア直行を命じられている私たちが、取りこぼしを相手に足を止めてる暇はないと思いますけレド?」
その言葉を受けたアンヴァーは、ガリーシェルが予想したとおりの反応で返した。
「無駄なのが分かってんなら、黙ってなよお、ガリー……。
あたしにとって超々ラッキーなこの状況、逃がすわけナイじゃん!!!
実力なんか、問題じゃないのよおお……ぶった斬れるのか、キモチイイのか、イケるのか……あたしにとっては、ただ、それダケ!!!」
嬌声に近い上ずった声で話す間も、アンヴァーの大きな瞳は潤み、貌は紅潮し、口元は緩んでいった。一度生唾も、飲み込んだ。淫乱な女が、好みの男を前にしたときの、それだ。
その欲望の対象が口にした通りのものなら――確実に敵にしてはならない危険人物だ。
砂の大地をザリ……ザリ……と入念に踏みしめながら、数歩近づいてくるアンヴァー。
腰から黒色の吸引機らしきものを取り出しながら、もう一度レエティエムの面々を一瞥し――。
その中にいるアキナスに視線を定めて、初めて話しかけてきた。
「あんたが……ヘヘ……頭だね、きっと。
あんたらのブルった小鳥みたいな貌をみる限り、もうあたしらの事は割れてんだよねえ? ダルダネスあたりの情報でさ。
なら、余計な話はいらないよね。
まずあんたを殺して、それを見たこいつらの絶望の悲鳴を聞きながら……一匹ずつ潰して回る。
ああ……想像しただけで……イキソウ……」
黒色の吸引器を口に近づけるアンヴァー。極度の緊張で貌を歪めながら、アキナスは視線を敵から放さず――。
後方の配下に向けて手を伸ばし、震える口を開いた。
「――皆。
これは、指揮官としての命令だ。アタイのことは、いい。
あいつが、攻める前に――今、すぐに――」
その言葉の間に、アンヴァーは吸引器を鼻に近づけ、内部の粉末らしきものを――。
一気に吸い込んだ。
急激な、変化が現れた。貌に、頸に、胸元に。蜘蛛の巣のような毛細血管が青黒くくっきりと浮かび上がり――。同様に血走った眼が引き剥かれ、表情に異常な興奮が現れる。
「逃げろ!!!!!」
「キャハハハハハアアアアーーーー!!!!」
アキナスの絶叫と、アンヴァーの狂った嬌声が、同時に響き渡る。
そしてアンヴァーの攻撃は開始されていた。
その姿が一瞬にして、消えたのだ。
「――うあ――――?」
不覚にも身体が固まってしまったアキナスは、右側面に突如衝撃を受けた。そして自分の身体が左側に吹き飛ばされるのを感じた、その直後。
肉を切る独特の音、鋭い斬気音が交錯し――。男の叫び声、が上がった。
「ぐううおおっ!!!!」
ガレンス師、だった。
すでに攻撃前に血破点打ちを終え、筋骨隆々となった彼が、高速の体当たりでアキナスを突き飛ばした。
そして今、アキナスが居た場所で墳血の上がる右腕側を押さえて、うずくまっている。
すぐに、宙を舞い回転した何かが、砂に倒れ込むアキナスの傍らに、突き刺さる。
それは――切断された、ガレンス師の右肩から下の、右腕だった。
「――!!! ――!!!! ガレ…………!!!」
衝撃のあまりアキナスは――少女のように蒼白に歪めた貌で、両手を口に当てて喉を詰まらせる、指揮官にあるまじき動揺を見せた。
その十数m先で、一瞬の惨劇を作り出した元凶が、姿を現した。
刃の回転を減速してようやく、砂塵を巻き上げるその存在が明らかとなる。
縦向きに立てた円月輪が、回転していた。そしてその中心の滑走リングに足と手をかけ、身体を丸めたアンヴァーの姿があった。
回転を弱めた刃から右足だけを放し、砂面に着地し停止後のバランスを取る。
円月輪の中心のリングに入り、刃だけを滑走回転移動させ、敵を刻むというまるで曲芸のような戦法。が、それは刃と一体となることで砂に足を取られることなく、かつ攻防一体の堅牢さを持ち――。加えて使用者の馬鹿げた筋力と身体能力によって兵器級の威力を誇る、恐るべきモノと化していた。
アンヴァーはガレンス師の右腕から撒き上げられた鮮血を、頭から胸まで被っていた。上気した恍惚の表情でその頬の血を口の周囲に塗りたくる。さらに吸引した薬物により呂律の回らなくなった口を開く。
「キャハ……あああ……ヒモヂ……イイ……さいこお……。
おばえら……でーいん……ヤッテ……あだし……イク……。
イグノオオオオオオーーーー!!!!」
「グ……ウウウウ!!!!」
理性のタガが外れた狂気が、最強の攻撃を伴って襲い来る極限状態。アキナスは歯をくいしばって身を翻し、立ち上がる。
障壁を構成するか、火輪での攻撃に転ずるのか。自分が死をもって強大な敵を食い止める決意を固めたアキナスは、体勢を整えようとする。
だが――。アンヴァーの攻撃は彼女の前言を翻し、大きくアキナスから標的をそらした。
一度受けたことでかすかに視認できるようになった攻撃の軌道はあきらかに、左方向へ逸れていたのだ。
「!! テメ――」
アキナスが声を上げる間もなく、惨劇は繰り広げられた。
アンヴァーが地を蹴り、水平斬りの体勢を取ったのが辛うじて分かった。
そして攻撃を向けた方向に居た、レエティエム兵卒の3名。敵の攻撃速度に全く反応できない彼らの胴、あるいは首は一瞬で宙を舞った。先ほどとは比べものにならない、臓物を含む血量の噴水が上がる。
その向こうに居たのは――。
魔導士の少年少女。フォーグウェン兄弟と、エルスリードだった。
青ざめたアキナスは、喉を振り絞り叫んだ。
「!!! オメーら、早く障壁を張れ!! そしてとにかく散れ!!!」
先ほど奇しくも思い浮かべた、油断の状況で訪れる真の危機。
エルスリードは凍った背筋を全力で抑え込み、震える手を構えて障壁を構成した。
フォーグウェン兄弟も同様だ。だが彼らも同じ思いだろう。この敵は、自分がレムゴール上陸を果たしてから出逢った中でも桁違いの強敵だ。物理攻撃を用いる敵としては間違いなく最強。遭遇したのはエルスリードだけだが、あのティセ=ファルの脅威にも匹敵する。そして重要なのは、ティセ=ファルを退けるような力を持った伝説級強者の味方が、現在一人もこの場にいないという事実。
正直なところ――。極めて現実味を帯びた「死」、それを脳髄で実感せざるを得なかった。
アキナスの指示どおり、3人にできることは己の最大の技を敵に浴びせつつ、別々の方向に後退することだけだ。だがその結果、逃走に成功する者と残酷な死を迎える者をわかつ無情な運命が待ち受けるだろう。いやあるいは、このまま受けも成立せずにまとめて斬殺されるかもしれない。
エルスリードは絶対破壊魔導の放出体勢をとる。速すぎて読み取り切れないが、魔力の流れは自分に刃が向かっていることを感じさせる。
そして彼女が魔導発動に至る、その寸前。
突然、自分の目前で、砂の大地が大量の砂塵を巻き上げた。
そして耳をつんざくような、金属と「鉱物」のぶつかり合い擦れ合う大音量が、その向こうから響き渡った。
貌の前に咄嗟に出した右手の向こう、やがて砂煙が晴れた、その先には――。
エルスリードが先刻まで目を放さず見続けていた、逞しい背中、そして輝きなびく銀髪が、あった。
レミオン、だった。
レミオンは両脚をほぼ膝まで砂のクレーターに埋もれさせながら、クロスした両手を高々と頭上に挙げていた。勿論既に結晶化したその両手を。
大音量の金属音を上げたその相手、アンヴァーの円月輪の刃を完全に捉え、そして力ずくで、止めていた。
後ろから見るレミオンの首筋とうなじには、浮き上がった血管がびっしりと這っていた。
身体の全筋力を剥きだしにしている、それもある。だがエルスリードには、それが「激怒」によるものだと、すぐに分かった。
普段のレミオンを知る彼女が、先ほどのアンヴァーに対してのものと同等の怖気を、振うほどの。
「――クソ、女あ――。ふざけんじゃあ、ねえぞ……。
“エクスシア”の、手下どもなんだよなあ。俺のエイツェル姉ちゃんを連れ去りやがった、クソ野郎の、手先なんだよなあ……。
で、何だ。それで飽き足らず、今度は俺の女を、殺そうってか。
ふざけんじゃねえぞ、てめえらあああああああ!!!!!
てめえは、殺す!!! 後ろに居るイカレ野郎どももなあ!! どいつかは虫の息にして、姉ちゃんの所まで案内させる!!! 覚悟、しやがれやああああ!!!!」
その殺気は、まさに悪魔、のものだった。
客観的に、本来は敵と比較対象にもならない実力差で、あるはずだ。だが今のレミオンは明らかに何かが違う。
おそらくルーミスやシエイエスがここに居たのなら、即座に感じたはずだ。
16年前、彼の母親が“将鬼”、“魔人”と呼ばれるはるか格上の化け物に、怨念というエネルギーを武器に猛々しく立ち向かった姿。それと同じだと。
まるで何かが乗り移ったように強敵に追いつき、追い越す脅威の成長を見せた、その姿と、同じだと。