第一話 悪魔の使徒
“エクスシア”ヤン=ハトシュは、破壊された謁見の間の扉をくぐった。
来訪した彼の主“セラフィム”の手によって、2日前に捻じ曲げられた金属の扉。その残骸からすり潰された石の粉がパラパラと降り注ぐ中、意にも介さず――。
両手を腰に当てた状態のままゆっくりと謁見の間へと足を踏み入れたのだ。
そして――。謁見の間に居並んでいた6人――いや、8人の男女を見回し、感極まった笑顔で両手を拡げた。
「おおおう!!! 諸卿!! 久しぶりだよなあ、元気にしてたカア!?」
開け拡げで屈託のない呼びかけに、8人はそれぞれの態度で応えたか、または「応えなかった」。
そもそも彼らの態度は千差万別ながら、ある一点が見事なまでに共通していた。
おそらく己の主君であろうヤン=ハトシュに対し、主従の様相は、皆無。まるで友人、もしくは商売相手ででもあるかのように「対等」に接しているという一点だけが。
「おー、おいらは元気だぜえ? またあんたとひと暴れできるってんで、期待のあまりになあ? 頼ムゼ、ヤン=ハトシュ?」
緑が掛ったざんばらの長髪に黒眼鏡、キャメル地の皮衣装にびっしりと小型武具を張り巡らせた戦士風の男が応える。彼は長椅子に寝転がっただらしない体勢のまま、手だけをひらひらさせていた。その手にも、貌にも、表に出ている肌という肌に無数の傷跡が見える。
「ドゥン・ハンター~~~~! 嬉しい事云ってくれるじゃねえか。もちろんだ。このオレが期待を裏切ったことが一度でもあったか? 期待してるぜ、オレの方モヨ」
「相変わらず、知性を感じられない言動ですわね……ヤン=ハトシュ。
無論貴方がその内面に深い知性を宿しているのは承知ですけれど、どこの馬の骨ともしれない女を幾人も囲われているという状況を聞くにつれ、今やその内面にも疑問が生じていまスワ」
ヤン=ハトシュの背後から応えたのは――。椅子に腰かけ、城仕えのメイドのような漆黒の衣装に身を包んだ、黒髪の清楚な少女だった。だがその胸に抱かれ、撫で回されているのは禍々しい事この上ない紫の大蜥蜴であり、依り代であり武器でもあろうその生物だけではない膨大な魔力は彼女が相応の怪物であることを示すものだった。
「おいおい、何だ、もしかして妬いてんのか。オレはいつだってどんなときだって、お前のことを生まれたときから一番に可愛がってきたじゃねえか。忘れたノカ、ガリーシェル?」
「わかってないねえええ、女心ってものをさあ!! もうその子ああんたが知ってるおこちゃまのガリーじゃなく、一人前の女としてあんたの回りの女どもに妬いてんの!! そのトサカみたいな頭ん中、ラリってんのお、ヤン? ちょっとクスリが足んないんじゃないいい? ぎゃははははははハハ!!!」
ガリ―シェルに向き直るヤン=ハトシュの背後から背中をバンバン叩き、赤く逆立った髪を引っかきまわすのは――。
ピンク色や緑色、紫色などの目が痛くなる原色をふんだんに使ったジャケット、皮手袋、ブーツ、網下着、軽装鎧に身を包んだ人物。その身体は細身でありながら抜群のスタイルを持ち、斑に着色した金髪ツインテールの下にある貌も厚い化粧の下が恐ろしいほどの美人であることが知れる、女性。
背中にあまりに巨大で分厚い円月輪を背負っていることから戦士であるようだが、薬に溺れ焦点の定まらない両眼は、ぞっとする狂気をたたえていた。
「それはお前にだけは云われたくねえなあ、アンヴァー。黙って化粧落してりゃあ美人なのにもったいねえ。クスリも良いが、完全にイカれるのだけは勘弁してくレヨ?」
「くだらん……。今度こそは、私に見返りあるものと考えて良いんだろうな、ヤン=ハトシュ?
私の矢を打ち込むにふさわしい相手が、次なる戦場にこそは、いルト?」
壁を背に床に座りながら、恐ろしく銃身の長い青銅色のクロスボウを手入れする、陰鬱な長身痩躯の男。いや、痩せて見えるのは2mに届く長身のゆえで、青い軽装鎧を膨らませる筋肉は本物だ。クロスボウは機構こそ異なるようだが高威力、高連射を容易に想像させる外観、すでに幾つか貌を出しているギミックを見るにつけ、シェリーディアの“魔熱風”を想起させる。
「おう、そうともよ、フィガロ。オレとお前は、常に最良の取引相手だ。
商売で見立てを違えたことはねえ、このオレの慧眼を信じてくれてりゃあ、間違いはネエ」
「グフ……ブフォア! ……じゃれ合いはそれぐらいにして、そろそろ今片付けるべき課題を済ませてはどうかノオ、ヤン」
咳払いなのか、何かが絡んだのか分かりかねる不快な音を発しつつ声をかけたのは――。
玉座の脇に重厚すぎる存在感を示すガマガエルのような巨躯の男。うっそりと一言も発しない従者、幽霊のような男と岩の塊のような男の二人を背後に従える男。
ヌイーゼン山脈にてレエティエムの前に現れ、シエイエスを始めとした英雄達を“監視者”の罠にかけたその男。ラヴァナ・ヴォルデングロウに他ならなかった。
ラヴァナの言を聞いたヤン=ハトシュは、どうやら別格の信頼を置くらしい彼の一声で、一気に表情を変えた。
口角を異常に上げた、あの悪魔の表情へと。
そして、歩み寄った。
謁見の間の扉のすぐ脇。そこで他の面々とはうって変わって青ざめた貌で下を向き、傍目にも震えを止められないことが分かる、一人の男のもとへ。
2mを大きく超える、作り込まれた筋骨隆々の巨漢。黒光りする業物の鎧、剛毛の下の彫り深い貌、いずれも他の面々同様の歴戦の迫力に満ちている。その彼が、近づいてくるヤン=ハトシュと目を合わせることもできずに冷や汗を地に垂らし続けているのだ。
「……ゴルドゥル・ファーガソン……。ゴルドゥル……。
このオレから『決して』逃げられねえ事を熟知し、一縷の望みをかけここへ来た勇気だけは讃えてやる……。
だが本当にオレは残念で、仕方ねえ。これまでオレが絶対の信頼を置いてきた友、絶対無敵のエグゼキューショナー“チャコール・スコルピオ”だったはずのお前が……。
最悪の醜態をさらしちまうなんてことがナア……」
ゴルドゥルに近づき、彼の顎に手を伸ばし撫で回すヤン=ハトシュ。
180cmそこそこのヤン=ハトシュと相手との身長差、体格差は大きいが、そんなものは露ほども問題にならない。
殺気を開放した彼は、相対したいかなる存在も小動物に変えてしまうが如くの怪物であったからだ。
「ヤ、ヤン=ハトシュ……。
聞いてくれ。あれは……。あ、『あれ』は、俺にはどうしようもなかった。
いや、人間にどうにかできる存在、じゃない。本当の、化け物、だった……。
“ルーンの民”は、奴らの反逆はオクシオヌ・ギャリガンさえ抑えておけばものの数じゃあない。俺だって、そう思っていた。
だが、そこにあいつが現れた。あんなもの、どうしようもない……。俺じゃなくたって、こうなってる……本当だ、誓ってもイイ……」
「あー……聞いてる。
ジョミー……チェスター、だったか?その筋肉達磨が一体現れただけで、配下の100名は瞬時に壊滅……。お前は尻尾を巻いて結晶化。地中に逃れ、おめおめ逃げ帰ってきた、って。
結果国境を侵略され、フォラス高原東のセントドミングス鉱山は見事に“ルーンの民”どもの手に落ちた。
そう、聞いてルゼ」
「それは……それは事実だが!!
詳細を報告、しただろう……! 奴が云うには、“ドミニオン”の配下“バハムート”ですらも一方的に潰し、逃げ帰らせたと。力も、耐久も、魔力も……この地上のどんな人間でも、太刀打ちできない。俺たち全員が束になってどうか、だ……! たとえ……」
「……たとえ!?
たとえ、何だ? 『たとえ』、このヤン=ハトシュでも――!!
『たとえ』、“セラフィム”でも!? 不覚を取ると!? そう云うのか、てめえは!!! アア!!??」
おそらくは、怒り、をはらんだ――。
魔の狂喜、の表情とともにヤン=ハトシュの蓄積された殺気は一気に爆発した!
「ヤン――ハトシュウウウウ!!!!」
絶望とともに交渉決裂を受け入れたゴルドゥルは、決死の表情で戦闘形態「結晶化」を図った。
彼はエグゼキューショナーとして戦闘能力と共に無類の変異の速さを誇る。
“チャコール・スコルピオ”を名乗る蠍型の形態への変異を恐るべき速度で完成させ――。床を破壊しながら巨尾をもって、主君を猛毒で刺さんと襲撃を図る。
だが現実には――。
ゴルドゥルは幻影を、見ていた。絶望の刺激を受けた、自身の脳によって。
彼は実際には、己が速さを誇る結晶化を開始する事すらも許されずに――。
その脳天から、ヤン=ハトシュの大ラチェットソードの斬撃を受け縦に裂かれて、いたのだ。
大重量の巨剣を超々速度で叩きこまれた床は、鋭い音とともにクレバスのような谷を形成し――。
流れ出るゴルドゥルの大量の臓腑、脳漿を吸い込み、雨水が側溝に流れるかのような不気味な音を、立てた。
「オレの信頼する友、である騎士たちよ。
アンヴァー・マクライアン。
ガリーシェル・ガーフィールド。
ドゥン・ハンター。
フィガロ・ランバート。
お前らはこんなクソみてえな敗北と逃走と言い訳と反撃もできねえゴミっぷりで!!
……オレを失望させたりは、しねえヨナ?」
――大ラチェットソードを振り血を払い、悪魔の表情のまま振り返るヤン=ハトシュの、絶望的な圧力。
仲間のこの惨状を見れば、主君に対する畏怖と、失敗すれば同じ末路を辿る恐怖とで青ざめるか、生唾を飲み込むのが通常の反応だろうが――。
「きゃはははあ!! だっさ!!! ホントにクソださっ!!! 前からさーイラついてたのよ、その虫男には!! 消えてくれて、セーセー!!」
「底が知れましたね、ゴルドゥル……。私も貴方が好きではなかったですけれど、冥福だけは祈って差し上げまスワ」
「あー……どーでもええわ、ほんと、どーでもええ……。
いいから、何処にいってどいつと殺り合やあいいのか、それだけ教えてくレルー? ヤン=ハトシュ……」
「……チッ……!」
どうやら騎士、に該当しないらしい存在ラヴァナは不敵な表情を変えていないが、言葉をかけられた当の者たち4名にしても――。
驚くべきことに、主君の問いにすら応えず、余りにも放縦にすぎる勝手な発言や反応に終始した。応えるのも馬鹿らしい。態度がそう物語っていた。己がそんな醜態をさらす可能性など、露ほども想像していない程の圧倒的自信に――満ちていた。
そしてヤン=ハトシュは怒るどころか、騎士たちの反応に心から満足したようだった。
彼は大ラチェットソードを背に戻し、ラヴァナを含めた全員に向け告げた。
「ケハハハ……! それでいい、騎士たちよ……!
今、聞いたとおりだ。反逆の徒“ルーンの民”。奴らがずっと籠ってたフォラス高原から今這い出てきた背景には、どこから連れてきたんだか分からねえ秘密兵器の存在があった、て訳だ。
ジョミー・チェスター。面白れえじゃねえか。その化け物っぷり、オレのこの目で確かめさせてもらいてえ。
これで、当面の敵は2つ、に増えた訳だ。
ヌイーゼン山脈でバラバラに解体してやった、“レエティエム”とかいうハルメニア人勢力共。
そして、“ルーンの民”。
南と、西から攻めて来るこいつらを、オレたちが一網打尽にしてやろうじゃねえか。
ラヴァナ。レアモンデの奴にも連絡を取れ。飼い犬が逃げ帰ってきてんなら話しは早えからな。ここは一つ協力して貰おうじゃねえかっテヨ……」
巨凶“ケルビム”。そして彼らに、“レエティエム”以外で敵とみなされる勢力、“ルーンの民”。
三つ巴、ともいえる波乱への予兆。それを感じさせる不穏な動きが、ここレムゴール大陸の中心より、静かに始動したのだった――。




