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レムゴール・サガ  作者: Yuki
第五章 監視者の山脈
120/131

エピローグ セラフィム/JOMMY【★挿絵有】

 *


 そこは豪華極まる、一室だった。

 

 窓からの月光と燭台の明かりに照らされる、空間。50m四方、20mもの高さを誇るそこは、壁、太い柱、天井、床石に至るまで――。大理石、石灰岩あるいは御影石で構成される。そして超一流といえる職人によるレリーフが施される、この世で最も高貴なる空間。

 王城謁見の間であった。


 通常の例に漏れず、玉座と妃座の二つが、これまた絢爛なる威厳をもってその上座位置に鎮座している。

 玉座は空、そして妃座には一人の女性が座していた。


 髪に絡むように垂れ下がる小さな宝石の束をもつ、冠。そして同様の宝飾をほどこされた、艶めかしいドレス。それらを身にまとった、極めて知的な雰囲気の女性であった。

 

 これまでと似ても似つかぬ衣装で、すぐには気づかぬ状況だがそれは――。


 エキゾチックな黒髪、白い肌、細っそりとした身体つき。

 ラウニィー・グレイブルクの姿に他ならなかったのだった。


 とても現在40を超える齢とは思えない、10以上は若く見える清楚な美しさ、佇まいだ。

 綺麗に化粧で整えられた貌はしかし――。

 表情はなく、青ざめていた。

 その頬と首筋に、背後から男の長い指が伸び――。

 その後、愛おしそうに頬に口づけをする男の貌が現れた。


「……美しいな。愛おしいぞ、我ガ王妃ヨ……」


 凶相を恍惚の表情に歪める男、ヤン=ハトシュ。

 対照的に、ラウニィーの唇は噛みしめられ、目からは堪え切れない涙があふれ出た。


 彼女を王都ギルディ=デボネアの居城に拉致してよりの、この数日間――。

 ヤン=ハトシュは見初めたラウニィーに対し、即座に一室へ閉じ込め、そして熱烈な寵愛を施し続けた上で、これ以上ないほどの待遇を手厚く与えた。身体を清め、美しく着飾り化粧もさせ、豪華料理を、酒を。――「自由」以外の全てのものを、与えた。

 それはラウニィーにとっては――最悪の屈辱、苦痛以外の何物でもなかった。

 肉体を傷付けられてはいないだけで、既に心はズタズタに引き裂かれていた。

 それに逆らうことなく、必死で耐え続ける理由はもちろん――。


「……エイツェルは……無事なのよね……?

私は云われたとおり、あなたの奴隷になった……自由にさせた。約束は、守ってくれるわよね……」


 かすれた声で問う。現在ラウニィーにとっての人質とされている、不幸な少女のことを。

 ヤン=ハトシュは微笑みながら頷く。


「……まだ自分を奴隷だと考えるのは悲しいが、勿論だとも。あの家畜どもの一員としちゃあ全くもって破格の厚遇としかいえねえ、丁重な扱いをさせてもらっているさ。心配すルナ」


「信じるわ……。けど、どうして? 私があなたに逆らえない今なら、私の魔導義手を斬り落とし、本当に逃げられない状態にすることも可能なはず……。その方が“ケルビム”にとっても、有益なはず……。できるのにどうして、私を無力化しないの……?」


「冗談はよしてくれ。お前のような最高の女を、不具になんぞ変える訳がないだろう。

云っておくがオレは『あの方』にまあ忠誠は誓ってるし、やりたいようにやらせてもらってこの上なく感謝してるが、『思想に全て賛同してる訳じゃない』んだ。組織がどう考え、何を云われようがその為にオレが引くこたあ決してない。

お前の強さにも、オレは惚れてるしな。力を奪う事だけはしないと、ハーミアに誓ってやってもイイ」


 ラウニィーの光を失った目に、一瞬輝きが戻った。この男が漏らした、聞き逃せない幾つかの情報に対して。

 まずこの地に居るとわかった神の名もまた、ハルメニア同様の「ハーミア」であること。

 そしてエクスシアを名乗る地位にいる者であっても、思想まで染まっているとは限らず、その一点では通常人と同じ感覚を持つものもいること。――これはアルケー・ティセ=ファルにも同様の事がいえた節はあり、“ケルビム”という組織の強大さとは裏腹の結束の脆さの裏付けであった。

 そして最高幹部であるというこのヤン=ハトシュには、さらに上の『主』が存在している。これはダルダネスの情報にはなかった、存在であり、最も貴重な収穫といえた。


「『あの方』、とは……一体、誰なの……? 教えて。

それを教えるぐらいは……あなた達の不利にはならないでしょう……?」


 ヤン=ハトシュは、それを聞いて一層、邪悪な笑みを浮かべた。そして彼らの玉座に面した、薄暗い大扉に向かって指を指した。


「教えて、やるとも。そもそもなぜ今、カワイイお前を部屋から出してわざわざ謁見場にまで連れてきてると思う?

来られるからさ。『あの方』が。お前に、会うために。

もう、来ているぜ。そこの扉のすぐ外にな。だんだん、感じてこねエカ?」


 ラウニィーがその扉に視線を移した瞬間――。


 突如、弾けるような強い魔力が、彼女の胸を貫通した!


「ぐ――はっ!!! ああ……」


 その魔力の持ち主は、信じがたい事に、「一瞬の内に」扉の外に現れた。本当に、ヤン=ハトシュに促されるその瞬間まで確かに、その場にある魔力は「0」だった。

 魔力を消すのに卓越した技術の持ち主だということは、有り得ない。ラウニィーの魔力感知能力は間違いなく世界最高の域にあり、生きている生物である限り発する超微弱な魔力ですら感知するのだ。


 しかも――その魔力は尋常ではない速さで際限なく膨張している。

 もう、その強さはすでにこの世に在る生物のものではなくなっていた。

 ラウニィーの鋭敏な感覚は、その脅威をダイレクトに身体に返してくる。

 心臓は破れんばかりの早鐘をうち、全身の血液が沸騰し噴き出す感覚が襲う。

 目前の扉の薄暗さが、まるで魔界への穴のごとくに深い闇へと、そして吸い込まれんばかりの圧力と恐怖へ姿を変え、ラウニィーに襲い掛かる。

 

 すでに冷静沈着で理知的な女性の姿は妃座にはなかった。蒼白な全身から滝のような汗を流し、引きつけを起こしたように震え、胸を押さえて眼球をさまよわせる、哀れな生贄の少女の姿。それのみであった。


「ひ……いい……ああ……あああ、うううう……!!!」


 尋常でないラウニィーの様子に、ヤン=ハトシュは嗜虐的興奮を表情に貼り付け、彼女の頭を抱えるようにしなだれかかり、声を降らせた。


「刺激が、強かったかなあ? そうだろう、そうだろうともさ。

このお方の前では、誰でもそうなるさ! お前らも、俺たちも、“不死者”も、ハーミアでもさえ!!!

そうですよねえ!!??

我ラガ神――“セラフィム”!!!!」


 絶頂の興奮を帯びた叫び。それを受けた大扉は、軋む音を響かせ――開いた。

 

 瞬時に――。

 両の扉は、漆黒の触手のような物体――に覆われた!


 轟音が鳴り、建物が鳴動し、屋根の構造物が床に落ちかかる。

 数十本もの触手は、壁を突き破り、扉を完全に覆いつくし、不快な金属音とともに圧縮し破壊した。

 扉を失った出入口から溢れんばかりの、さらに数十本の触手。

 それは変形しながら室内に侵入し、まるで花の蕾のようなグロテスクな形状を形作った。


 そしてその中心から――。

 ゆっくりと花のように開いた、その中心から、何かが突き出てきた。


 それはヌイーゼン山脈のショウジョウの細胞群のような、羊膜のようなものに覆われていたが、すぐにそれを破り、中から人、の形をしたものが現れ出てきた。


 悍ましい液体が滴り落ちた後に、姿を表したのは――。

 長い黒髪の、12,3歳ほどの、全裸の少女。

 背中は完全に太い触手の束に繋がれ、その先端に小さな身体が生えたような、恐るべき異形。

 上げたその貌は――。職人細工の人形のように、不自然なまでに整いきった、絶世の美少女であった。

 それでいて、濡れた髪の張り付くその表情は、ぞっとするほどに無表情であった。


 「少女」はラウニィーの手前2mほどにまで肉薄し、彼女を生気のない目でじっと見つめた。

 片やラウニィーはその様貌には、ほとんど影響されず――。ただひたすらに、気脈の中心に放り込まれたがごとき魔力の暴虐に耐え――恐怖を貼り付けた貌をどうにか、上げるのが精一杯だった。


 やがて「少女」の口が歪み、そこから濁ったように低い、不快な音声が、発されたのだった。


「……ヤン……。

……ヤン……ハト……シュウウウ……!

グッ……グッグググググ……ハ……ハハアア…………アアア……!!」


 確かに、それが、笑い声のようなものを発したのを――。

 ラウニィーは、聞いた。






 *


 彼女の意識は、混濁していた。


 ここへ連れて来られてから、どれくらい経ったのか――。時間の感覚も、ない。


 いまだ全身を、鎖に繋がれていることは、分かる。


 鼻をつく、自分の血の匂い。肉を切り取られ持ち去られ、そのたび己の不死身の身体が再生し、再生したのちまた刃を振るわれる。その状況も、分かる。


 そして、もう一つの、匂い。すえた匂いを実感し――彼女の意識は急激な拒否反応を示した。

 絶対に思い出したくない、究極の屈辱と衝撃の記憶。それが蘇ることを全力で拒否する、脳の生存本能。

 喉から叫びが、迸り出ていた。


「いっ――やああああああああっ――!!!! あああああああ――!!!!!

助けて!!! 助けてえ、アシュヴィン!!!! アシュヴィン――――!!!!!」





 *


 アンカルフェル州、城塞都市フォラス近郊、フォラス高原――。


 農耕、林業を主産業とするアンカルフェル州において、それに寄与しない限られた土地の一つ。

 荒涼とした渓谷が広がり、緑はわずかな草と苔のみ。乾燥した風が吹き荒れ、実りをもたらさぬ見捨てられた土地だ。

 

 その広大な断崖の中に一点――。


 眩しく光を反射する、黒味のかかった物体。

 黒曜の結晶に覆われた、ドラゴンの身体の上に、女性の身体が合わさったキメラの、生物。

 それが横たわっていた。激しく負傷し、動揺するように身体を激しくゆすっているのが見てとれる。

 

 それは最前ティセ=ファルとディーネを襲撃し倒したという、エグゼキューショナー“バハムート”、フェリス・フォートモーナスの姿に他ならなかった。


「お、おのれ!!! こんな!! こんなことがあアア!!!」


 頭からは大量の血を流し、右肩にあたる部分は完全に潰れ失われていた。その下の結晶の巨体も、片翼は飛散し、脚も破壊されているという散々たる状況。


 息を荒げるフェリスの視線の先に――。その状況をもたらした元凶は、いた。


 悠然と、近づいてくるそれは、男だった。

 身長は、2m30cmは超えているだろう。身に着ける衣服はパンツのように巻かれた、黒い腰布のみ。靴すら履かぬ、ほぼ全裸の様相。

 そうして存分にさらけだされた肉体は――恐るべき強靭さと圧力を見る者に与えていた。


 まるで岩から削り取られてきた像のような、常識を大きく外れ肥大した筋肉だ。胸囲は2mではきくまい。脚は成人男性の胴回りを超え、腕はそれ一本で通常人の体重を超えているのが明らかだった。

 それでいて、対照に引き締まった腰回りと、まるで豹などの樹上肉食者のような柔軟性に満ちた筋肉。それは、歩いている間でも必要以上にそのしなやかさと脅威を見る者に感じさせてくる。

 肌は黒味のかった赤銅色のようで光沢を放ち、ハルメニア大陸では間違いなく持ち主のいない、特殊な肌色だ。

 

 頭髪は丸く刈られた、赤毛。そこそこに眉目の整った20代の青年と云った貌立ちだったが、まるで岩のような険が刻まれた顎、頬――。そしてそれ以上にまびさしの下で深く落ち窪んだ三白眼は、人のものと思えない強烈な眼光を放つ。今の自分の身体とは比べようもない小さな相手に対し、フェリスはその眼光に射すくめられただけでも恐怖していた。


「く……来るな!! 私に近づくな、化け物オオ!!!!」


 絶叫したフェリスは、結晶体から数本の触手を発生させ――。それらの先端から一斉に、光魔導を放った。

 恐るべき光量と威力だった。一つ一つが、“紫電帝”ヘンリ=ドルマンのそれに匹敵するであろう脅威。ティセ=ファルが敗北したことも頷ける大魔力であった。


 しかし――。

 男は、表情も体勢も、微塵も変えることはなく――。そのまま全ての攻撃を身に受けた。

 閃光と爆発音がその場を支配し、完全に男はそれに飲まれたが――。

 数秒後、閃光が収まった後のその場には、殲滅し削り取られた地の中心に立つ、傷一つない男の姿があったのだった。


「あ、ああ……。

有り得ない!!! 有り得ないいいいイッ!!!!」


 フェリスが絶望の表情で叫ぶ。

 そう、この男は――。飛行中の彼女の航路上に突如、現れた。そして片手に担ぎ上げた、直径1m、2トンは下らぬであろう岩を火山弾のごとき勢いで投げつけてきた。

 これまでフェリスが目にしたどのような物体よりも速く重いその弾に、なすすべもなく片翼を破壊され、彼女は墜落した。

 そして今のように悠然と迫ってきた男は、無言で数発の鉄拳を彼女に叩きこんだ。ドラゴンより堅牢なはずの彼女の肉体は、おがくずで出来た人形のように脆くも破壊された。

 そして死にもの狂いで、今同様の反撃を行うが――。距離をとったものの相手は同じように無傷であったのだ。

 大魔導を完全に弾き飛ばし、エグゼキューショナーの身体を素手で破壊する。神魔の超肉体だ。

 これに比肩する肉体を持つものを挙げるなら――かつての組織サタナエルの“魔人”ヴェルのみであろうか。


「うあ……やめろ……やめてエエ!!」


 男が自分の身体に手をかけたのを見て、フェリスは恐怖に慄く表情で懇願した。だが男は無常にもメキ……メキと音をたてながら、フェリスの人間部分と結晶部分を力づくで引きちぎった!


「ギッ……やああああああ――ぐあああああああアア!!!!!」


 鮮血を噴きあげながら、フェリスは絶叫し地をのたうち回る。

 それを両手を軽く広げた超然たる様相で見下ろしつつ、男は始めて口を開いた。

 まるで――人間味のない、歯車の間から発されるような低い声だった。


「ソノ痛みと、オレの強さを、脳ニ刻みつけろ……。

オレノ名は、ジョミー……。ジョミー・チェスター。

二度ト、フォラス高原に――“ルーンの民”の領域に踏み入ることは許さねえ。見ツケれば、次は殺す……。

再生シタラ……シエラ=バルディに戻リ……レアモンデ・ヴェルトラムに、間違いなく伝えろ……」


 そして男、ジョミー・チェスターは――。

 踵を返し、高原を真っ直ぐに、引き返し始めた。

 

 その先には――地平線に沿って、100人は下らない、戦士風の男女が――。

 彼を迎えていたのだった。




第五章 監視者の山脈


【参考資料:レエティエムの道程/ここまでの人物相関図】

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

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