第十一話 超国家旅団レエティエム(Ⅰ)~故郷への帰還
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シエイエスとシェリーディアが内縁の夫婦となってより、6年。現在の大陸南方国家、エスカリオテ王国。
400年の歴史を持ちながら、その大半の期間はサタナエルの傀儡・隷属国家として長らく主権を失っていた、大国。サタナエル滅亡後はエストガレスとアトモフィスの支援を受け、主権回復に努めてきた。現在はようやく若き王ゲオルゲⅧ世の代となり、富国強兵への意欲を見せるまともな国家に再建されつつあった。
農作物を主要な輸出品に持つ事で明白なように、広大で肥沃な土地柄であるゆえ、森林の樹々も豊富で鮮やか。隣国アトモフィスの霊峰をバックに、絵画を切り取ったような見事な景色が続いている。
その景色の中を走る――。大きく質実剛健なデザインの馬車2輌。
探索任務が行われたコルヌー大森林から一路、戦い終えた戦闘者を乗せ、アトモフィス自治領に向かう凱旋の車輌であったのだ。
車輌のうち、前を走る一台には、元帥シェリーディアと、ボルドウィン導師ラウニィー。親しい友人同士である彼女ら貴人二人の乗用だ。
今一つの車輌が――。両国貴人らの令息令嬢にあたる少年少女達。
アシュヴィン、レミオン、エイツェル、エルスリードの4人であった。
贅沢ではないが立派な造りの馬車内は広く、彼らは思い思いの場所に腰掛けてそれぞれの行動をとっていた。
後部座席に座ったエイツェルとエルスリードは景色を見ながら、年頃の少女らしく談笑。
レミオンは海側の席で片足の膝を立てて座り、窓に肘でしなだれかかって遠く外を眺めている。
アシュヴィンは席に姿勢良く座り、得物の双剣を黙々と、几帳面に手入れしている。
今アシュヴィンが手入れしているのは、利き手の左で操る剛剣、“狂公”だ。
片手剣としては長い、110cm以上の刃渡りを誇り、鼈甲色の見事な柄と鍔の先で眩しい白光を放っている。開いた両膝の上に置いた刃を血拭い、次にきれいな布で丹念に拭き取る。次に魔工の小型砥石に魔力を込めて、オリハルコンの刃を薄く薄く削っていく。子供の頃から続けて、今やアシュヴィンの生活習慣になっている手入れだが、何度見ても見惚れるような見事な技だ。
それをチラチラと見ていたエイツェルが、なびく銀髪をかき上げ、目を輝かせてアシュヴィンの隣に座ってくる。
「ほんとにアシュヴィンのお手入れは見てて飽きないね。剣士なのに職人さんより上手だし、こんなに続けてられることも凄いし。アシュヴィンが誰よりも、亡くなったお父さんを尊敬してるから――できることなんだね」
アシュヴィンは目は作業中の剣を見続け、しかし口元には笑みを浮かべて義姉の言葉に答えた。
「そうだね、エイツェル。もちろんシエイエス義父さんのことはとても尊敬してるけど、僕にとって父さんは特別な存在なんだ。
父さんが“魔人”を追い詰めたというレイピアを、魔工匠がソードとして鍛え直してくれたこの形見の品は僕の宝だし――。こうしてると心が落ち着くからさ。義父さんが僕の技を認めてくれてるのも、続けられてる理由かな」
「――あのクソ親父に、尊敬するところなんざありゃしねえんだよ。俺の前で、あいつの名前を出すんじゃねえ、アシュヴィン」
アシュヴィンに答えようとしたエイツェルの言葉を、レミオンがこちらを見ずにぶっきらぼうにさえぎった。彼は帰りの道中、このようにずっと不機嫌だったのだ。
実の父シエイエスを侮辱する言葉を聞いたエイツェルが、即座に怒りの表情で弟を怒鳴りつける。
「やめなさい、あんた!!! またお父さんの事をそんな風に!!
出陣の前に大喧嘩したことまだ根にもってんの? あれは変に突っかかったあんたが100%悪いんだからね。お父さんは立派な人よ。もう子供じゃないんだから、バカな意地張るのやめなさいよ!!」
レミオンは窓に肘をかけた右とは反対側の、左手の方を立てて、結晶手の発動と解除を繰り返し続けていた。幼いころからのレミオンの癖だ。パキッ、という結晶化の音と、ヒュウウ……と通常の手に戻る解除の音。それが繰り返される音は戦闘中を思い起こさせ、慣れてはいても不快に感じる。
通常なら、冷ややかな眼差しを崩さないエルスリードが彼に対して毒づくところだが、彼女もレミオンと同じく実の親ナユタといがみ合う身。口を出したくないのか、フッと目をそらして黙りこくってしまった。
「うるせえな……姉ちゃんは。いろいろお節介すぎんだよ。これは俺と親父、親子の問題だ。
血も繋がってねえ姉ちゃんにあれこれ口出しされる謂われはねえよ」
これを聞いたエイツェルは―――急激に強い悲しみの表情をたたえて身体を震わせ、目は涙で潤みはじめた。
「レ――レミ――」
「レミオン!!! 今なんて云った!!!!
取り消せ!!! エイツェルに謝れ!!!!」
突然――激怒の表情で剣を置いて立ち上がり、レミオンに飛びかかったのは、アシュヴィンだった。
アシュヴィンはレミオンに殺到し、彼の逞しい胸ぐらにあるボディスーツの襟を掴み上げ、ねじりあげて立ち上がらせた。体重90kgに届くと思われるレミオンの巨体を恐るべき力で持ち上げている。
彼の潜在的なある“力”を使っていると思われた。
「君が何に対してそんなに苛ついてるかは知らない。けど云って良いことと――悪いことがある!!!!
エイツェルは君の姉さんだ!!! 実の姉弟として育ってきた彼女を、侮辱し傷つけるのは僕が許さない!!! 謝れ!!!! 今すぐにだ!!!!」
数秒、馬車の中を沈黙が支配する。
目を細めて幼馴染の怒りの表情を見ていたレミオンは、ため息をつきながら両手を上げた。
「……わーったよ。熱くなってんじゃねえよ。謝るよ。
確かに今のは、本当に悪かった。許してくれ、エイツェル姉ちゃん。
俺もムシャクシャしてたんだ。そんなこと心にも思っちゃいねえし、姉ちゃんは実の姉と思って感謝してる。ごめんな。
……どうやら、アトモフィスの隧道に到着したようだな。俺は早く部屋に帰りてえから、降りて自分の足で走るぜ。長い旅で足腰弱っちまってるしな」
云うが早いか、隙を見せたアシュヴィンの手を振り払い、レミオンは馬車のドアを開けて飛び降りてしまった。
時速20km程度で走る馬車の中から何の苦もなく軽やかに地に降り、馬車をはるかに凌ぐスピードで髪をなびかせ走り去っていってしまった。
レミオンの云うとおり、馬車はすでに――。エスカリオテとアトモフィスの国境にあたる、隧道内に入っていた。
太古にアトモフィスを隔絶する霊峰の麓を削り、隧道を作っていた先人。その打ち捨てられた遺産を整備し、車輌の行き来できる道に作り変えたのは、かの組織サタナエルだ。
サタナエルは200年間、本拠を隠すため隧道の存在も入念に隠蔽していた。しかし組織滅亡後、自治領の手で開発されうってかわって光の当たる街道に変化を遂げたのだ。
内部も絶えることのない松明の光が灯され続け、馬車の中であってもそこそこの光量がある。
そんな中、ため息をついて腰をおろしたアシュヴィンの横に、エイツェルがそっと座った。
彼女は言葉に傷ついて流した涙を拭き、上目使いでアシュヴィンを見て云った。
「あ……ありがと……。アシュヴィン。
あたしのためにあんなに怒ってくれて……すごく嬉しかった……」
「いいや、当然のことさ。うっかりにしても、君にあんなひどい事、云っていいわけがない。
ちょっと熱くなりすぎたかもだけど」
「そんなことないわ、あれでも手ぬるいぐらいよ。あなたが云ってくれてなかったら、私があの馬鹿を原子のレベルで消し去ってたかもしれないから」
不意に後方からかけられたクールな声に、アシュヴィンは心臓が跳ね上がった。
声の主エルスリードが、組んだ足に肘立てした手で頬杖をしながら続ける。
「あなたがあんなに怒ってるの久しぶりに見たけど、ちょっと格好良かったわ、アシュヴィン。あなたのそういう正しいところを私評価してるから、これからもオドオドしないでお馬鹿さんを怒鳴りつけてやってほしいわね」
「え……ええ……? そ……その……そんなつもりじゃなかったけど、ありがとう……い、いや……ええと!!」
あまりに意外な自分への褒め言葉に、貌を真っ赤にしてそれこそオドオドし始めるアシュヴィン。
ラウニィーやシェリーディアら尊敬する人物などは別として、他人を褒めることなど滅多にないエルスリード。その賞賛が自分に向けられ、あまつさえ「格好良い」などという、男子が女子に云われて最も嬉しい部類の言葉を聞いて――。アシュヴィンは舞い上がり、それ以上言葉が継げなくなった。
その様子を見て――エイツェルがムッとしたような表情を浮かべる。
「あなたは大丈夫、エイツェル? あんなの気にすることなんてないわ。血なんて関係なく、あなたは皆の人気者なんだから。あのお馬鹿さんと天地の差でね。私なんかともずっと親友でいてくれて、本当に感謝してるんだから」
エイツェルは親友エルスリードの言葉にハッとなって、ドギマギしながら云った。
「あ……だ、大丈夫よ、エルスリード!! 全然平気。もう、気にしてなんかないよ!!
そ、そういえば、お父さんからの大事な話って、一体何なんだろうね!?」
照れ隠しにエイツェルが云ったその話は、アシュヴィンとエルスリードの表情をたちまち真剣なものに変化させた。
アシュヴィンが口を開く。
「探索任務の後、シェリーディア母さんが云ってたことか……。アトモフィスに戻ったら、シエイエス義父さんから大事な話がある、早く国に戻りな。それだけだったね。
母さんが真剣になるのは大体、戦いに関する話だ。今回もそれと無縁じゃあないだろうとは思うけど」
「そうね、アシュヴィン。私も間違いないとは思う。それも、もしかしたら空前絶後の規模、だったとしてもおかしくないほどのものよ。
皆知らないことだけど……『偉大なお母様』も、実は今秘密裏にアトモフィスを訪れてるの」
エルスリードの言葉に、アシュヴィンとエイツェルが一斉に振り向く。
「ナユタ陛下が!?」
「そう。あの人だけじゃないわ。リーランドのレジーナ議長、ノスティラスのヘンリ=ドルマン陛下、エストガレスのオファニミス陛下、ドミナトス=レガーリアのキメリエス陛下。大陸を動かす最高権力者たちが、シエイエス様のもとに終結してきているのよ」
同時に居並ぶことがありえない、綺羅星のごとき名だたる英雄たち。その名を口にしたエルスリードはもとより、聞いたアシュヴィンとエイツェルの貌も興奮に輝いていた。
「すごい……すごいわ! 間違いなく大陸を上げての計画だとか宣言のお話よね。それじゃあ、それじゃあ……」
「エルスリード……! それはもしかして、レエテ小母さんが生きていたころから動いていたっていう……あの?」
エルスリードは、クールな彼女には珍しい、輝く光を大きな瞳に宿らせ、云った。
「ええ、間違いないと思うわ。ダリム公国のデルエム、エストガレスのシェアナ=エスラン、ノスティラスのディアリバー。大陸を代表する3大港湾都市でそれぞれ建造中の、巨大魔工船。
あれを使って『死洋を渡る』という途方もない計画が現実にあり、それを実行に移すということ。たぶん間違いない。
もしそれに加われという話なら私は――。どんな反対の声があったとしても受ける。
必ず、こんな平和な大陸という殻を破って、自分の力を試すわ――」
少年少女たちの情熱を帯びた期待を内蔵する、馬車。
喧騒の隧道内を颯爽と抜けて、要人たちの集まる首都、レエティエムへの歩を進めるのだった。