第二十二話 思慕と決意
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アシュヴィンとティセ=ファルの奇縁の再会が実現していた頃――。
アキナス・ジルフィリアを指揮官とするレエティエムの一団もまた傷の治療を終え、行軍を開始していた。
その陣容にはすでに出立時の威容など見る影もない。
かつてのサタナエル大戦での伝説的英雄をことごとく失った今――。
未だ全容の見えない不気味な大敵“ケルビム”。
その他ハルメニアを上回る人口を擁するこの大陸の各州勢力。
新興勢力と云われている“ルーンの民”。
それらの勢力に対抗できうる陣容を保てているとは、どのように甘く見積もっても足りない。
だが、歩みを止める訳にはいかない。上空に展開し続ける気脈の奔流の阻止。そしてサタナエル一族の救済という目的のため。たとえ己が達成できなくとも、後に続く者に足跡を残すのがレエティエムとしての責務だ。
砂塵は薄まったものの、まだ森林のような健全な自然には辿り着かない。
日も傾いた現状、野営を決断したアキナスが選択したのは左右の岩壁に無数の洞が開く谷であった。
風を避ける岩陰で炊事を行い、各人が各々の洞に入り、睡眠をとる状況。
男女に別れ、5,6人のグループも形成される中、レミオンは1人を希望し高い位置にある洞に入り横になった。
そして思いにふける。子供の頃から彼は如才なく魅力的な一方、このように狷介で孤独を好み人を避ける一面があったが――。このレムゴールに来てからの彼は、試練の連続ゆえかその側面が強くなったように見えた。
今第一に思い浮かべるのは――。やはり危機に瀕する姉エイツェルのことだ。
エイツェルはレミオンにとって、物心ついたときから世話焼きで口やかましい、それでいて純情でからかい甲斐のある姉だった。
血がつながってないことは、両親の方針もあって比較的早く――。7歳の時までにはすでに明かされて知っていた。だが正直レミオンにとってその事実はあまり関わりがなく、エイツェルのことはずっと大好きで、姉と慕い続けてきた。お互い言葉に表すことは少ないものの、エイツェルも同じように思ってくれていることは伝わってきた。
彼女の実の母親ビューネイ・サタナエルのことも、早い段階でレエテから聞かされた。もっと成長してから知ったビューネイの非業の人生も知るにつけ、憐れみも手伝ってエイツェルへの思いはより強くなった。
そして同時に、以前に冗談として告白したとおりに――。エイツェルにある程度一人の女性としても好意を向け、思春期には肉体的な情を喚起されてもいたのだ。
姉として、そして一人の女性として。ずっと抱いていた複雑な思いは、どちらが自分でも強いのか分からず、戸惑いは正直消えることがない。
だが、これだけは云える。エイツェルは、自分の命を賭して、投げうってでも救い出す。
すでに危害を加えられ、拉致された先でも正直、どのような虐待を加えられているか分からない状況だ。だが自分だけは何があろうがエイツェルの味方だ。たとえ傷ついてしまったとしても、自分が必ず癒してみせる。
「待っていてくれよ……姉ちゃん」
口をついて呟きが漏れた。そしてそれと同時に――。洞の入口にあたる足元に人の気配を感じた。
「……心配だよねえ、あの子のこと。
アタイもだよ。子供の時から妹のように可愛がってきた子だからさ」
それはアキナスだった。洞によじ登り、非常に狭いスペースの洞に身体をねじりながら入ってくる。
「……何の用、ですかね。俺は今、凄く一人になりてえ気分なんですが」
不機嫌そうにレミオンが返す中、アキナスはお構いなしにレミオンの逞しい両腿に馬乗りになり、身体を曲げて手をつき彼を上から見つめてきた。目は潤み貌は紅潮し、涎を垂らしそうな口元からは荒い息と抑えられない声が漏れ出る。すでに何の用で来たかなど、聞くまでもない状態であった。
「そう、つれないこと云うなよお……レミオン。オメーもハルメニアじゃあモテモテで好き放題だったらしいが、レムゴールにきてからはすっかりご無沙汰だろ……?
オメーいい男だからさ……アタイずっと、シたかったんだよ。頼むよ……お願い。
こんなチャンス滅多にないしさ……。ね……? ほら、こんなに火照っちゃって……もうアタイ、限界……我慢できない……」
そう云ってポニーテールの髪留めをほどくアキナス。色香をはなつ栗色の長髪が肩と背中に落ち、コケティッシュな魅力を増大させる。続けざま、魔導衣をまくり上げ、大きな胸を露出させてきた。
気分ではなかったレミオンも流石に唾を飲み込み、ゆっくりとアキナスに手を伸ばす。
現在ムウルと付き合っている身で、ガレンス師にもすでに手を出し、今度はレミオンに発情した雌の様相で迫ってくる彼女。この様子では、レイザスターなど他の誰かにもすでに同様の行為をしている事だろう。
元よりハルメニアでも師ナユタやミナァンすら及ばないほどの男好きと云われ、数々の武勇伝は聞いていたが――。実際目にすればそれ以上の、淫乱きわまりない素性。おそらく男が望めばどんな事でも応え思いのままにさせてくれるだろう。
片や――戦闘者として先達として尊敬はするが、レミオンは昔からアキナスのこの性質が好きではなかった為、女性として好意を向ける事はなかった。同族嫌悪、と云えるのかもしれないが。
加えて彼自身は、レムゴールに来てから心境も変化していた。
今思うエイツェルの事。そして無事に同行し、この先も護ってやりたいと強く思う女性――エルスリードの事。
それらが頭を巡った結果――。
レミオンの中で、不貞をしたくない思いが男としての欲望を上回った。
そして乳房に触れようとしていたレミオンの手は、まくれ上がったアキナスの魔導衣を元に戻していた。
「な……なんでよ……何で……!
アタイが、欲しくならないの? シたくないの……?
……そんな……あんまりだよ……今すぐにシたいのに……アタイもう、本当に我慢できなくて……こんななのに……。
ねえ……お願いだから抱いてよ……お願い……」
下腹部に手を当て、なおも迫るアキナスだったが、レミオンは彼女の肩に手を当て制止した。
「他を当たってくださいよ……。すみませんが俺はあんたを抱けません、アキナスさん」
はっきりと拒絶され、アキナスは絶望的な表情になり涙ぐんだ。
そして再度身をよじりながら、洞から這い出て、下へ降りていった。
「うう……ひどいよ……ひどいよお……うう……」
離れていく涙声を聞きながら、レミオンはきわめてバツの悪い貌になり頭を掻いた。
「……うーん、怒るだろと思ってたがまさか、泣かせちまうなんて……。そんなタマじゃないと思ってたしそんなつもりもなかったんだが……。
そうするしかなかったにしても、悪りいことしたかな……一応明日、謝っとくか……」
そして冴えない表情のまま寝返りをうち、別のことに思いをはせるのだった。
その様子を、向かいの断崖の洞から、じっと見つめる者がいた。
イシュタムだ。彼女はいつもどおりレミオンを注視監視するために絶好の位置を確保し、射手として天才の域である超視力によって一連のやり取りを全て見ていたのだった。
行為には至らず未遂に終わったようだが、この行動はイシュタムに許容できるものではなかった。
無表情のまま目を見開き、もたれかかっていた“神鳥”の弦を勢いよく掻き鳴らした。
「……いずれ……殺す……」
*
翌朝、集合点呼。
司令として指揮を取るアキナスの姿は、レミオンの予想に反してきわめて、溌溂としていた。
はちきれそうな笑顔でむしろ昨日までよりも元気と思えるほどであり、彼を大いに拍子抜けさせた。
もしや、と思い振り返った先のガレンス師は、恐ろしく艶々とした肌で豪放に笑っていた。
――あの後、彼の元に行き無事に全ての欲望を解放できたのだろう。あれだけ気を揉んだのが損をした気分ではあるが、良い結果に終わって安堵したレミオンは、ほっと息を吐いた。
「何、どうしたのレミオン、急に? ため息なんてついて調子でも悪いのかしら?」
エルスリードに声をかけられたレミオンは、ビクッと身体を震わせた。
「い、いいいや、何でも、ねえよ……。ちいと寝不足な、だけさ……」
そう云ってエルスリードの貌を見たレミオンは、彼女の目の下の隈とかすかな涙の跡に気が付いた。
親友の無事を願い、涙を流し眠れなかったのはエルスリードの方なのだ。
会話が終わらぬうちに、アキナスの号令が響き渡る。
「それでは、出立する!!!
北北西へ進路を取り続ける! そしてまず目指すは、大河の上流に位置するというアケロンの都市――。『ドラギア』!!!
これより先、さらに敵の領域として警戒を要する!! レイザスター率いるリザードグライド班は常に索敵と報告に努めよ!
敵と遭遇した場合、己の身を護り、殲滅を第一とせよ! 可能ならば尋問せよ!
全ては、ハルメニアの、レエティエムの誇りの為に!!!」
堂々たる指令と鼓舞に、面々は一斉に唱和する。
そして自然に――。レミオンとエルスリードは目を合わせ、軽く頷いた。
これまでのレエティエムの目的に加え、彼らにとって大事な人を取り戻すという絶対の、目的。
その途轍もない重さと、茨の道を――。
今互いに一番大事な人と、改めて共有し合ったのだった。