第十九話 奇縁の遭遇
アシュヴィンは、砂の舞う世界をひたすらに、歩いていた。
後ろには、険しい表情を貼り付けたヨシュアの姿があった。
無事追いついてきた彼は歩みを進めながらも傷口に止血膏を塗り、それをアシュヴィンに勧めた。
それにより負傷を回復した二人であったが、精神については万全の状態とは云い難い。
元より無謀ともいえる仲間からの離脱と単独行動に出ている彼ら。強引に踏み出した茨の道は、当然ではあるが踏みしめれば踏みしめるほどに暴虐的な不安を己に与えてきた。自身喪失からうずくまって叫び出したい気持ちを必死で押し込めて、それを振り払うように歩みを進めているのだ。
山脈を抜け出す方向には確実に進んでいる。それは薄まる砂嵐と緩やかに下り坂となる道、涼やかに下がる気温からも、明らかだ。旅程を誤ってはいないことが、数少ない安心材料ではあった。
その根拠となる、レエティエムがダルダネスで得た情報と、地図。
二人も腰の小物入れに常備する地図を、ヨシュアはおもむろに取り出し拡げた。
地図には、山脈北方向へ扇状に広がる、いずれも広大な国家群の存在が描かれている。
ハルメニア大陸も遠くへ存在する西方向、大洋へ面する版図を持つのは、アンカルフェル州。
なだらかな平地と森林が広がる肥沃な地で、ハルメニアに当てはめると中原に近い土地であるといえた。ダルダネスの産業形態にも近い、農業と林業盛んな地である。
現在は、“ヴァーチェ” オルハ・レネリットに支配されるという。
東方向に版図を拡げるは、シエラ=バルディ州。
面積は最大の州であり、東大洋へ口を拡げるバルディ湾を取り囲むように平地、台地、森林、山地が配置される。産業は面する海からの恵みである漁業のほか、各地に鉱山を有する。人口、産業規模とも最大の地であり、大陸の他地域に及ぼす影響力も絶大であるという。ハルメニアに当てはめるのなら、ノスティラス皇国が最も近いだろう。
現在支配者となっているのは、幹部の中でも最上位に立つと云われる存在、“ドミニオン” レアモンデ・ヴェルトラム。
そして――。その二つの州に挟まる形で大陸中央に位置するのが、アケロン州だ。
砂漠と岩地の多い土地に、二本の大河が流れその周辺に都市が発達している。西よりのナレウス大河の中央河畔に広がっているのが、アシュヴィンとヨシュアが目指す大都市にて首都、ギルディ=デボネアだ。
この地は砂漠地帯であることを除けば、文化、そして戦乱の中心となっていることからハルメニアでいうエストガレスに近かった。それらの理由となるのが、三州で最大の“蒼魂石”採掘国であり、それを「活かす」技術に長けていると云う事らしい。かつて長く血脈を継いだ州王家は、この利権を他州から護るため終わりなき戦争を戦った。これこそが、北が戦乱の渦であると云われる所以であるのだとも云われる。
現在州王家に代わり支配者として君臨する者こそが――。二人の標的ともいえる男、“エクスシア” ヤン=ハトシュ・ゲドハイマー。
「“ケルビム”の奴らは、三州を完全に支配下に置いてるって、云う話だよな……。
もう以前のような戦争は起きていないけど、代わりにダルダネスのような圧政がしかれて、以前と違う苦しみを民は味わってるってことだよな。
あっちの王家と同じようにレジスタンスがあるかもしれないし、いずれにせよおれ達が情報を得て無事に目的を果たすには、誰かの協力を得なければならない。都市についちまう前に、話が聞ける相手がいりゃなあ……」
ヨシュアの言葉に、アシュヴィンは歩みを止めることも振り返ることもなかったが応えは返した。
「情報はまだ少ないが……。フォーマ陛下が話していた“ルーンの民”とかいう勢力もいる。
“ケルビム”は狂ってる。敵は多い筈だからいずれか協力は得られるかもしれないけど――。
頼りきることは、しない。最悪僕らだけで、“エクスシア”の根城に潜入し、目的を果たす」
己を鼓舞するかのような決意をにじませた、アシュヴィンの言葉。
それが終わると同時に――。
突如、彼の歩みが止まるのを感じたヨシュア。
今のアシュヴィンが歩みを止めるとすれば、それは翻意でも怖気でもない。
――敵か、何らかの存在。それが目の前にいる場合だけだ。
蒼白の表情となり、得物に手をかけるヨシュア。
当のアシュヴィンは、身を低くして砂埃の中を慎重に見定めている。
いつでも攻撃に移行できる体勢ながらまだ、得物に手をかけていない。敵だと確信は持てていないようだ。
彼が感じた気配は、前方の大きな岩の影にあった。
その気配が、前に踏み出すか、後ろに踏み出すかで分かる。
相手の、目的が。
果たして、相手は後ろに踏み出し、全力で逃走を始めた。
この時点で――敵の目的推測から強襲、の可能性は否定された。
しかも動き出した気配は、一つ。敵であるのかも疑う必要が出てくる。
いずれにせよ、アシュヴィンが自身に課す行動は、一つしかない。
その相手を追跡することだ。
数分持ちこたえれば良いのであれば、己の“純戦闘種”としての力を開放することにためらいはない。
突如アシュヴィンの姿はヨシュアの目の前から消え、追跡に入ったことが知れた。
アシュヴィンの目に捉えられた相手は、瞬く間に彼の攻撃射程距離である5mほどにまで迫った。
その時点で――。相手が逃げ込もうとしている「建物」が目前に出現してきた。
砂埃で気づかなかったが、それは崖の淵に立つ、石造りの堅牢な小屋だった。
相手はその小屋の扉に手をかけ、中に入り込もうとしているのだった。
アシュヴィンは精緻な神速の手つきで、相手の片手手首を掴み捻り上げた。教本にしたいぐらいの見事な制圧だった。
同時に知れる、相手の力量。筋力、戦闘技術、魔力とも、自身の足元に遠く及ばぬ非力だと容易に知れた。
「ぐ……ぐああああああ!!!! 痛い!!! 放して――僕は、僕は!!
あなたに何もしません!! ただ見てただけです!! 信じて……僕はこの小屋で見習いとして番人をしテテ……!」
その情けない金切声が象徴するように、アシュヴィンが制圧したのは、年端もいかない少年だった。
おそらくは彼よりも年下で身長は170cm弱。いって13,4歳といったところか。聞きなれたレムゴール訛りと、己で名乗った身分に合った粗末であるが丈夫な服装。この過酷な環境で生活するのに適応した数々の装備品。嘘は云っていないようだ。縮れた茶色い髪、赤くすりきれた大きな鼻、やや出た歯と、整っているとは云いがたい容姿だが朴訥で素直な性格が伺いしれる。
小さな息を吐いて緊張感を解いたアシュヴィン。相手を落ち着かせながら名を尋ねようとしたその表情はしかし――。
次の瞬間、最大限の戦慄と警戒に支配された。
「……良い……。エトルシャン。
わらわは、知っておった。その者どもがここへやってくること、そして何者であるかも、全て。
……その子供は、見てのとおり無害だ。ここへ入ってくるガ良イ。
……『アシュヴィン』」
何故か知られている自分の名とともに、小屋の中から語りかけてくる女性の声。
極めて魅力的で、聞くものをとろけさせそうな美声を聞いたアシュヴィンは、その声が即座に連想させる記憶の相手の姿に――。全身を総毛だたせながら、勢いよく扉を開いた。
7m四方ほどの、簡素な造りの小屋の中。その奥の、1人がようやく横になれるサイズのベッドに――。
横たわる、一人の女性。
極めて、神々しかった。光輝くような、緑のラインが入った白髪。女神かと見まがうほどに整い妖艶な身体、そして絶世といえる美貌。
全身至るところに付いた傷を血のにじむ包帯で覆い、中でも左脇腹に深く広範囲に負ったと見える重傷は、以前の絶対者の姿からはほど遠いものの――。
誰とも見間違える筈は、なかった。その女性は苦しそうに息を乱しながら、アシュヴィンに向けて声をかけた。
「久しいな……というほどの時間もたってはおらぬか。
……だが……わらわの方は結構、そなたを脳裏に思い出しておったので……長く感じる。ダルダネスで云うたとおり、すっかりお主が気に入ってしまったゆえにな。会えて……嬉しイゾ、アシュヴィン」
アシュヴィンは今度こそ両腰の得物に手をかけ抜き放ち、魔導を充填させ始めた。背後に追いついたヨシュアが息を飲むのを感じながら、敵、に彼は絶叫していた。
「ティセ=ファル――!!!!
“アルケー”――! ティセ=ファル・ラシャヴォラク!!!!!」