第十八話 決意の行軍
レミオンが想念から引き上げられたのは、抱きかかえられていたエルスリードが彼を突き飛ばすように離れ、背後に向けて声を放ったときだった。
「アシュヴィン!!! ああ、アシュヴィン!! よかった、無事だったのね!!!」
レミオンが勢いよく振り返ると、そこには――。
山腹の斜面を登り、近づいて来る一団の姿があった。それはアシュヴィンとヨシュアを先頭にしたガレンス師と兵員10名ほど、分断されていたラウニィー麾下の生き残り達だった。
“監視者”の体内に取り込まれる災厄に遭った彼らは、ラウニィーの機転の魔導によって無事山脈の外へと脱出を遂げていたのだ。
いまだ“監視者”の居た方向へ青い貌を向けるその様子からは、脱出して早々目撃した驚天動地の一部始終を見ていた事が理解された。
アシュヴィンを始め大半の者が深い傷を負っており、それ以外にも何やら粘着状の半液体で身体が汚れている状態が、事情を知らぬ者には不可解であった。
その彼らに向かってエルスリードを始め、アキナスやレイザスター等身体の無事な者達が歓喜の様相で駆け寄っていた。
レミオンもまだ再生しきらない重傷で立ち上がる事ができないが、安堵のため息をもらし微笑んだ。多くの指導者たちを失った中で、不幸中の幸いだ。
だがレミオンは、近づいて視界に入ってきた一団の姿を見、即座に察するものがあった。
特に、先頭を歩き、ふらつきながらも自分を目指し真っ直ぐに近づいてくるアシュヴィンの様子から。
彼はかなりの傷を負ってはいたが、それ以上の――内面の傷について。
そしてその原因と思われる――彼ら一団の中に含まれない、本来居るべきはずの大切な人、について。
レミオンは表情を厳しくし、アシュヴィンに声をかけた。
「……無事で、何よりだ。
こっちの状況は、見てのとおりだ。あのバケモンの力を利用した“ケルビム”の野郎らの、勝利だ。
ここにいない人間は皆、地割れに飲み込まれた」
アシュヴィンはこれを受け、昏い目をレミオンに向けて、呟くように言葉を返した。
「そうか……。
僕らも同じだ……。この山脈の罠に嵌められ――。現れてきた“エクスシア”一人に、完全に敗けた」
ラヴァナも主として挙げていた敵将“エクスシア”の名が出たことに若干の反応を見せたレミオンだったが、最も重要な答えが得られていない。
「それで……?」
「……」
「ラウニィー様と、姉ちゃんの姿が見えねえ。
何か、あったんだろ? それについちゃ、説明してくれねえのか?」
「…………!!」
レミオンの静かな糾弾を受けたアシュヴィンは、その場に膝から崩れ落ち、大地に爪を食い込ませて貌を伏せた。
「すまない……。
二人は、連れ去られた。“エクスシア”に。
エイツェルが奴に刺されて囚われ、僕らは助けようとした。けど敗れ、ラウニィー様が自らを犠牲に――僕らを逃がした」
レミオンは――。おおよそその様な凶報を予想していたのか、より苦悶を貌ににじませた以外、その様子に大きな変化はなかった。対してエルスリードは両手で口を覆って震え、その両目から見る見る涙をあふれさせていた。
アシュヴィンは続けた。
「ラウニィー様は……。地力で敵わない“エクスシア”を出し抜こうと、僕に期待し策を実行した。
もう少しで、本当にもう少しで――。僕の手はエイツェルに届き、助けられるはずだった。
けど奴のスピードに、勝てなかった……」
そこまで唸るように云うと、アシュヴィンは髪をむしる勢いで頭を掴み、歯ぎしりとともに言葉を絞りだした。
「僕の、せいだ……僕の……。僕はまた……! 大切な人を助けられなかった……!
僕は……僕はなんて……!」
「僕は何て無力なんだ。そう、云いたいのかのぉ?
ワシからお主の名誉の為云わせてもらうとな、アシュヴィン。お主が細胞やあの化け物に対峙せんかったらもっと甚大な犠牲がでとった。そしてラウニィー嬢とエイツェル嬢が連れ去られたのは、お主一人の責任では決して無うぞ。ワシも含めた全員の責任じゃ」
呻くアシュヴィンの背中に即座に手を当て声をかけたのは、ガレンス師だった。すでに枯れ木のように細い普段の身体に戻ってはいたが、その手は大きく力強く感じられた。
「……それで、どこに連れてかれたんだ? ラウニィー様と姉ちゃんは。
“エクスシア”って野郎によ」
レミオンの低い声を聞き、アシュヴィンははっと貌を上げた。そして再度歯噛みしながら答えた。
「アケロン州都ギルディ=デボネア。そう、云っていた。
――そうだ、こんな所で、立ち止まっている場合じゃ、ないんだ。
僕は、助けにいかなければ、エイツェルを。彼女は、まだ……生きている。もうロザリオン様の時のような過ちは、絶対に犯さない。僕は……絶対に……」
うわ言のように呟きながら、アシュヴィンはふらふらと立ち上がった。そして両腰の得物を鞘に収め直すと、歩き始めた。
アケロン州があるとの情報を得ている、北北西の方向へ。
それを見てすかさず、エルスリードが涙を拭いて彼の背中に叫んだ。
「アシュヴィン、待ちなさい!! あなたまさか、私達と離れて一人で行く気なの!?」
アシュヴィンは振り返り、エルスリードを見た。
――その目はぞっとするほど、昏かった。
「そうだ。僕一人でギルディ=デボネアに潜入し、エイツェルとラウニィー様を救出する」
エルスリードは大きくかぶりを振って、必死の形相で両拳を下げて云った。
「馬鹿な事はやめなさい! あなた一人でなんて無理に決まってるわ!! 戻ってきて!!」
「エルスリードの云うとおりだぜ、アシュヴィン。
オメーの独断と暴挙は、レエティエム指揮官としてアタイが許さねえ」
ずい、と前に出たのはアキナスだった。確かに残った面々の中で団内の序列が最も高く、現在指揮官の資格を持つのは彼女であった。
「ただでさえ、主要戦力を失い分断された状況。オメーがいればまだ小隊として機能するウチらが被る損害は大きく、そもそも独断での団離脱は重軍規違反。拘束送還されても文句はいえねえ状況だ」
さらに一歩進んで両手を拡げ、アキナスは続ける。
「アタイも皆も、ラウニィー様とエイツェルを助け出したい気持ちは当然同じで、行先も同じアケロンの都だ。その行動はレエティエム本来の目的にも合致する。この状況で、オメー一人が別行動を取る必要性がいったいどこにある?」
だがアシュヴィンは――。そのアキナスに向けて“狂公”を抜き放ち、剣先を真っ直ぐに向けた。
即座にエルスリードが叫ぶ。
「アシュヴィン!!!」
「僕一人で、行かせてもらいます。
軍としての行動などと悠長な事をやっていては、あの狂った悪魔にエイツェルが何をされ続けるか。
それに僕には、もう一つの目的がある」
アシュヴィンは獰猛に貌を引き歪めて、続けた。
「“カラミティウルフ”……フィカシュー!
あの男を僕は、決して許さない……! フェリス……いや、“バハムート”も……!
“エクスシア”は、奴らから情報を得ていて、繋がっている。何を差しおいても必ず奴らを見つけ出し、僕は復讐する。
その時あなた方は必ず、僕の行動を制止するでしょう。決して、そうはさせない」
エルスリードがなおも叫ぶ。
「そんなこと!! 気持ちは分かるけど! 焦りや私怨だけのそんな考え、間違ってる!! 私達は仲間でしょう? どうして私達を信じてくれようとしないの!?」
「エルスリード、もうやめとけよ。アキナスさんも。
行きたきゃ、勝手に行かせてやりゃいい」
会話の間に傷を再生させたレミオンが立ち上がり、アシュヴィンを睨みながら云った。
「あんな調子じゃあ、たとえ今渋々俺らと一緒に行動したとしても、必ずどこかでトチ狂って統制を乱すか、最悪誰かを危険にさらすからな。
このレミオンをしてそれを云わすとは、余程の事だって自覚しとけよ。
せいぜい頑張んな、アシュヴィン」
「……」
冷淡に云い放たれた言葉を背に、アシュヴィンは砂塵の中へ歩き去っていった。
これまでの一部始終を後ろから黙って見ていた――ヨシュア。
彼は激しく逡巡していた。
アシュヴィンを焚きつけるように鍛錬し、同じくロザリオンの敵討ちを狙い、ラウニィーに云い放った過去の不遇に対する怨念を持つ彼。その立場からすれば、今はアシュヴィンに追随することが取るべき行動だ。
だが――恐ろしい。“ケルビム”が。殊に脳髄に恐怖を植え付けられた“エクスシア”ヤン=ハトシュが。
冷や汗が流れ、身体が震える。卑怯者とそしられてもここに留まり、仲間との安全な道を選びたい。その思いが、足の裏を根のように地に着かせ、動かさせない。
しかし、最終的には――。
(おれは――臆病者には、なれねえ。絶対に。ダン叔父貴には敗けねえし末代までそしられるだろうジュリアス・エルムスみてえには、絶対にならねえ。無念に死んだ、親父の為にも俺は!!)
その思いを原動力に、ついに一歩を踏み出し、走り出し、アシュヴィンの後を無我夢中で追ったのだった。
剣士二名が離脱していくのを見送ったアキナスは、思い切り伸びをして両手を頭の後ろで組み、けだるそうに云った。
「あーあ。
なるようにしかならないんだろうけど、考えるのも面倒くせえなー。指揮官なんざ、アタイには性分からしてどだい向かない役回りだよホント。
ガレンス師、人生の大先輩のあんたに、全部受けちゃあもらえないですかねえ?」
ガレンス師は自分を振り向いた艶めかしく若い美女を好色そうな目で見た後、言葉を返した。
「お主ほどの別嬪からの頼みとあれば何でも聞いてやりたい所じゃがのぉ、アキナス。それだけは受けられん相談じゃぞい。ワシは歳を食ってる以外取り柄のない生い先短いじじいじゃ。
それに引き換えお主のさっきの毅然とした態度、見事じゃった。歳は若くとも、それにふさわしい実力があるからこその序列。ぜひワシらを導いてくれるよう、ワシからお願いしたいぐらいじゃ」
別嬪と云われて悪い気はしなかったことと、褒めそやされてすっかり機嫌を良くしたアキナスは、好色な視線を返しながら云った。
「そこまで云われちゃあ……しょうがないですねえ。分かりましたよ。そのかわり、後でアタイの『相手』してくださいね。血破点打った背教者って、あっちの方スゴイって聞きますから……。
皆!! 止血膏とガレンス師の法力で傷を処置後、北北西に出立する! 元気な奴はリザードグライドの準備と荷の確認を! 馬を失い水と食糧が不足しつつある今、まず一刻も早く森林を目指す!! その後の目的は二つ! 一に近距離のアケロンと“エクスシア”一派にサタナエル一族および気脈の情報を求める事! 二にその過程でラウニィー導師およびエイツェル中尉を救出すること! 以上! 行動を開始せよ!!」
アキナスの号令でそれぞれ処置に動こうとする面々をよそに、エルスリードはアシュヴィンの去った先を見つめ続けていた。そこにレミオンが寄り添い、声をかけた。
「心配すんな。今多少情緒不安定なのは心配かもだが、あいつはそう簡単にくたばるタマじゃねえ。
それに――安心したぜ。何だかんだ云って、姉ちゃんを大切に思って、護ろうとしてくれたことに対してな」
その言葉にエルスリードもようやく微笑みを浮かべ、頷いた。
「ええ――。そうね、本当に」
「多少トチ狂っちゃいても、魂まで変わっちまった訳じゃねえ。
なあに、必ず会えるさ。一緒に、ラウニィー様と――姉ちゃんを助け出そうぜ、必ずな」