第十話 許す者たち、赦されし者たち
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ボルドウィン魔導王国、首都ヴェヌスブルグ。その近郊にある巨大火山ラーヴァ・キャスムの麓に建てられた、魔導王修練場。
火山の存在により、ここボルドウィン半島は古来より魔導士の楽園として発展してきた。そして数十年前、建国王ディオス・キルケゴールの手で建てられた魔導王国により、国家として始めての体裁が整えられた。その際、ディオス王が己の強大な魔力を修練するための場として、強権を発して建造させたのがこの修練場である。
周囲500m、高さ50mにおよぶ壁は、魔導を伝導しつつ封じこめる黒曜石でできている。魔導を散らし内に封じこめる構造により、強大な魔導士が力を使っても外に被害がおよぶことがないのだ。
紆余曲折を経て現第4代女王ナユタ・フェレーインの代になっても、この修練場は使用され重宝されていた。大導師を兼ねる最強魔導士ナユタ、その右腕の導師ラウニィー・グレイブルクによる災害規模の魔導修練は、この場所でしか行うことができないからだ。
そして今、この場で修練を行う者が、4人。
ナユタ、そして夫で大僧正のルーミス・サリナス・フェレーイン、アトモフィス自治領伯爵シエイエス・フォルズ・サタナエルと同じく元帥、シェリーディア・ラウンデンフィルだ。
彼ら4人はサタナエル大戦の英雄レエテ一行の、生き残り。強大なサタナエルが滅びた今、4人は大陸においてあまりに突出し強すぎる戦闘者であり――。鍛錬相手に足る者が、彼ら同士以外にほぼいない状況であるのだ。
よって、大陸のパワーバランスの中心である己を自覚し、力を衰えさせないためにこうして定期的に鍛錬の場を設けているのである。
以前は二組に分かれての組手が中心であったが、今現在ではその様相は変化していた。
4人の中でも天の高みの強さに成長してしまった――ナユタに、3人がまとめて挑むという形式に。
「“熾天使の手” “蟲魔握撃殺”!!!!」
ナユタを取り囲んだ3人のうち、ルーミスが最初に仕掛けた。彼がサタナエル大戦で失った右手に装着した義手、“熾天使の手” 。魔導を吸収し柔軟に姿を変える金属イクスヴァの筋肉、その上に強化オリハルコンを装着した兵器だ。ルーミスの最強の法力を吸収したそれは、直径2m、長さ10m以上の大きさに膨れ上がり、金属の蟲の塊がごとき砲弾となって襲いかかるその技は、アイスゴーレムですら一撃で叩き潰し、握りつぶすほどの威力を秘めている。
悍ましい見た目の、巨大な物理的脅威。これに対し呑み込まれる小石のような大きさのナユタはしかし、眉ひとつ動かすことなく左掌を突き出し、魔導を発動した。
「“念動力”」
瞬間ルーミスの右手には、天上から巨大な手でつかみ上げられるような、信じがたい力が働いた。攻撃を届かせることも、法力を発動することも、耐魔を通ずることも許されないまま、ルーミスは“熾天使の手”ともども、錐揉みしつつ壁まで吹き飛ばされた。
「ぐあああ!!!」
「ナユタ!! 次は俺だ!!」
あしらわれたルーミスを見て、兄シエイエスがナユタに挑む。
彼の用いる無二の特殊魔導、変異魔導。魔導を体内の細胞に強力に作用させ、あらゆる物理的、化学的な変化を起こさせる技だ。
「“蛇王乱舞”“骨針墜聖神槍撃”!! 」
シエイエスの解かれた長い白髪は、またたく間に数十本の白蛇のようにまとまり長く長く伸び、上空からナユタに刃となって襲いかかる。また彼の脇腹を突き破って現れた、変化せし6本の肋骨。直径10cm以上に肥大し伸びる肋骨は、途中で一つにまとまり、直径50cmを超える一本の極太の槍となって正面からナユタに襲いかかる。
しかし、一個旅団を易々撃破しうるであろうこの攻撃すらも――。ナユタにとって問題にするべきレベルの業ではないようだった。
「“障壁”、“元素固定拘束」
まず上空の巨大刃の乱舞に対し、魔導の障壁で対抗する。通常技ではあるが、ナユタの頂点を極めた魔力によって恐るべき防御力を発し、ことごとく脅威を弾き飛ばす。次いで、己の眼前にまで迫った肋骨の槍の先端に対し、右手指から極微量の魔導を発した。
「ぬうっ!!!」
この魔導が肋骨に侵入した途端、シエイエスは即座に身体の自由を奪われ立っていられなくなり、地面に横向きに倒れ伏した。そこに、異常発達した髪と肋骨は静かに戻っていった。
最後は――“魔熱風”を抜き放ったシェリーディアだった。
「ナユタあああああ!!! 今日こそアタシは、テメエをぶっ潰す!!!」
「――あんた如きにやれるもんならね、シェリーディア。あたしもあんたにだけは、泣き言云わしてやりたいから手加減しねえよ!?」
サタナエル滅亡後に互いの事情を水に流しはしたものの、同じレエテの親友として最悪の相性をもつこの二人の仲の悪さは、大陸でも語り草だ。ナユタも仲間の男性二人に対するものとは明らかに異なる、殺気すら漂わせてシェリーディアに相対した。
「赤影流断刃術 “紅陽刃 稜線の断” !!!」
「獄炎竜殲滅殺連撃!! 」
“魔熱風”から突き出た爆炎の巨大刃と、9つの炎竜がぶつかりあった。ルーミスとシエイエスに対するのとは違うナユタの明確な「攻撃」と激突したシェリーディアの刃はしかし、互角の威力を見せて互いを弾き飛ばした。まさに龍虎の争いだ。
「シイイイッ!!!」
「ぬ――あああ!!」
気合とともに見事に着地したシェリーディアと、思わぬ強撃に身をよろめかせてダメージを受ける、ナユタ。
隙を見せたナユタに、超一流の魔導戦士シェリーディアは、機を逃さず追撃に移る。
「赤影流断刃術 “紅陽刃 刺貫の断” !!!」
爆炎の刃“紅陽刃”を身体の正面に構え、凄まじい下半身のバネで突撃、跳躍するシェリーディア。
それは見事にナユタに攻撃を届かせたかに見えたが――。大陸最強魔導士の力はやはり甘くはなかった。
「“神罰滅火煉獄殺”! 」
抜き放たれた両手のダガー。それが交差された先から放たれる、ナユタ最強の煉獄の刃。
ぶつかりあった瞬間に打ち負け、背後に吹き飛ばされたシェリーディアは壁にめり込むほどに激突した。同時に放散された大エネルギーの獄炎が、壁の周囲をつたい、あまりの量に炎を天に放出されて散らされていく。
無数の炎の柱が上がる中、超越者の様相で胸をそびやかし、シェリーディアに歩みよるナユタ。
シェリーディアは地面に座り込み、立ち上がれない様子だ。
「勝負あったね、シェリーディア。正直会う度に想像以上強くなってて、ヒヤッとはするよ。今じゃ間違いなくあんたは、大陸『第二位』の戦闘者だ。
だが……まっだまだ、『第一位』のあたしの敵じゃあない。魔力の練りも足りねえし、攻撃力もスピードも中途半端。あのレエテの足元にも、及んじゃいない。あんたは曲りなりにもあたしより若いんだし、次はもっと時間かけて気合入れて鍛錬してきやがれ」
「ケッ……!!! ご指導感謝申し上げるよ、『大導師様』。差は確実に縮まってきてる。次こそはその取り澄ました面を泣きっ面に変えてやるよ、ナユタ」
「相変わらず可愛くない女だねえ。よく堂々としてられるよ。親友の男を泥棒猫みてえに奪っておきながら」
「――!!!!」
流れの中でナユタが口にした言葉を聞いたシェリーディアの貌は、一気に血の気が引き蒼白となった。
そして全身を冷たい汗が流れ、震えが止まらくなった。
ナユタが続ける。
「このまま今日の本題に入らせてもらうよ。シエイエス、あんたもだ。
単刀直入に云う。あんたら二人、『出来て』んだろ? もう寝たんだろ?
あたしにはお見通しだよ。いつからそうなった?」
「……あ……あ……アタシ……。その、アタシは……」
「……一ヶ月ほど、前からだ。ナユタ」
恐怖のあまり縮こまってしまったシェリーディアに代わり、歩み寄ってきたシエイエスが答える。
「彼女は4年ほど前から、俺は最近と時期は違うが、互いに好意を持っていた。
一ヶ月前に彼女が俺に気持ちを伝え、俺はそれに応え、愛し合うことになったんだ」
「それが、レエテを裏切る行為だってことは分かってんのか?」
「そうだと思う。だが俺の中で、レエテを想う気持ちはわずかでも揺らいではいない。
その上で俺は今、シェリーディアを愛している。
その気持は変えることはできないし、ナユタ、お前とルーミスには伝えようと思っていた」
「なるほど、状況はよくわかった。あんたはもう黙っていろ、シエイエス。あたしはこの女の口からもはっきりと聞きたい。
あんたはどうなんだよ、シェリーディア。横恋慕のすえ、親友の旦那をモノにしたあんたとしては?」
怒りに満ちた冷酷な目でシェリーディアを見下ろすナユタ。戦闘時と一転して彼女に完全に萎縮してしまったシェリーディアは、ぶるぶると震えながら両手をつき、頭を下げる姿勢をとった。
「……シ、シエイエスは……悪くない……。悪いのは全部、誘ったアタシなんだ……。
アタシも、同じ……。レエテのこともダレンのことも忘れちゃいないし愛してるけど……。それと同じ以上に、シエイエスを、愛してる……もうどうしようも、なく。
許されないのは、わかってる……レエテには本当に、申し訳ない……。仲間だった、アンタらに対しても……。
ごめんなさい、本当に……。アタシは、アシュを連れて、アトモフィスを出ていくから……許して……」
「ふざけるんじゃないよ。レエテは、あいつは特別な奴なんだ。あれほど恩義のあるあいつの最愛の男を誘惑なんぞして、それだけで落とし前つけたことにはならねえよ。
どうしてくれるんだよ」
「許して……本当にごめんなさい……ごめんなさい……」
涙ながらに、か細く謝罪を繰り返すシェリーディア。それを見て耐えきれず口を開こうとしたシエイエスを、ルーミスが引き止め首を横に振った。
しばらく頭を下げるシェリーディアの帽子を見つめていたナユタだったが――。
急にため息をつき、貌をしかめて頭を掻き始めた。
「あああ!!! わかった、もういい、止め止め!!!
冗談だよ、あたしもルーミスも、別にあんたらに怒ってなんかいねえよ」
「え――?」
「ただあたしが、あんたが気に入らねえからこの機会にガツンとやってやろうと思って、一芝居うっただけだよ。けど――あんたが真面目にしおらしく謝るなんて思わなかったし、こんな自分に対して気分が悪くなるだなんて思ってなかった。ごめんな。謝るよ、シェリーディア」
「それじゃ――」
「ああ、祝福するよ、あんたらのこと。再婚するっていうなら、それもな。今はどっちも独り身なんだし、気持的なとこは別にして止める理由はないしね。
実はな――これは生前のレエテから、あたしとルーミスが言付かってたことなんだ」
「!!! そ、そんな、レエテがシエイエスとアタシのことを――!?」
「ああ。2年くらい前かな。レエテがボルドウィンを一人で訪れたとき、あたし達に云ったのさ。
『私が死んだ後、シエルとシェリーディアはきっと結ばれると思うの。そのときは私に免じて許して、応援してあげて』ってな」
「レ――レエテ――が?」
今度はシエイエスが驚愕してつぶやいた。これにルーミスが、ナユタに代わって答えた。
「そうだ、兄さん。レエテは、そのときすでに兄さんに好意を寄せてたシェリーディアの気持ちを、見抜いていた。そして目を閉じて苦笑いしながら、こう云ったんだ。
『もちろん私は妻として、シエルのこと誰にも渡したくはない。けど私はもうそんなに生きられない。それから先シエルの孤独を癒やしてくれる人が必要だとは、ずっと考えてたの。
シェリーディアがその人になってくれるというなら、私は安心だし満足だわ』、と」
「レエテ――お前は、お前は――」
わなわなと震えるシエイエスに、ナユタが云う。
「だからあたし達はレエテが亡くなってから今まで、あんたらの成り行きを見守ってきた。自然の成り行きで関係が成就したそのときに、真実を伝えて許してやろうと思ってたんだよ」
「そんな、知っていてどうして、俺達に教えてくれなかったんだ……?」
「バカだね。自分達の胸に聞いてごらんよ。事前にもし話を聞いていたとして、レエテのお許しが出たからハイくっつきましょうなんてガラかい? あんたらが。絶対くそ真面目に意地はって、俺はレエテへの愛を貫くだとか、親友の男に手出しなんてアタシはしないとか、変に誓いなんざ立てちまいかねないだろ? 云ったらもう後には引けないし、そうなったらそれきりになる。だから黙ってたんだよ、あたしの判断でね」
「ナユタ――」
「やっぱりアタシ達――レエテにはかなわないね、シエイエス。あいつには全てお見通しで――。自分の気持ちを押し込めて、お膳立てまでしてくれてただなんて。
ありがとう、レエテ。本当に――。アタシはアンタの分まで、アンタが生涯愛したシエイエスを、必ず幸せにするって誓うよ――」
涙を拭いて貌を上げたシェリーディアは、はるか天上の楽園に旅立った親友の魂に語りかけるように、空に向けて云ったのだった。
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その後シエイエスとシェリーディアは話し合い、正式な婚姻関係は結ばず、別性のまま内縁の夫婦となることを決めた。レエテという大切な人への、彼らなりのけじめと――。子供たちのある事情を考慮してのことだった。
すぐに子供たちには事実を告げ、判断を委ねた。
エイツェルもレミオンも、アシュヴィンも戸惑い、義理の兄弟同士になることに実感がわかない様子だったが――。
認めてくれ、少しずつではあるがお義父さん、お義母さんと呼んで互いの義理の親を受け入れてくれるようになっていったのだ。
結果義理の家族として結束が深まり、紆余曲折あるも現在に至るまで、彼らは幸福な家庭の場を享受していたのだった――。