第九話 地上にて
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ラウニィーらがヌイーゼン山脈の逆鱗に触れ、細胞蠢く地下に落下させられた頃。
ショウジョウの群れを撃退したレエティエム主力部隊は、点呼・状況把握の中でラウニィーら32名の部隊が脱落している事を確認。
その後30分ほど場に留まり部隊が追いつくのを待ったが、一向にラウニィーらが現れる気配はなかった。そして斥候の報告により、彼女らが忽然と姿を消したことが明らかとなった。
シエイエス、シェリーディア、ルーミス、サッド、ネメアら首脳は、馬を寄せ協議に入った。
だが残念ながら、彼らレエティエムが出立の前に取り決めた事項に従い、結論は既に出ていた。
まずシェリーディアが、青ざめブルブルと震えながらも言葉を吐き出す。
「…………皆、シエイエス……。
ア、アタシに遠慮はしなくて、いい……。分かってる。未知の場所を行軍中、位置と生存が確認できない遭難者は当人からの救援要請が得られない限り捜索、助力をしない。共倒れを防ぐために皆で決めた事だ。
行こう、北へ。きっとあいつらは自力で生きている。大丈夫だ……」
シエイエスは妻を憐れむ目を向けた。彼も娘エイツェル含め心配なのは同じだが、シェリーディアは親友ラウニィー、溺愛する息子アシュヴィンが生死不明の状態。今すぐ駆け出して探しに行きたいほど、気が狂わんほどに動揺し心配であろうが必死に耐えているのだ。
ネメアは苦渋の表情で首を振り、重々しく口を開いた。
「先刻ショウジョウどもとの戦闘の際、後部よりラウニィー様の凄まじく巨大な魔力の発現を感じました。おそらくは“壊嵐滅烈刃圧殺獄”級の最大奥義を発動したものと思われ、奴らや“ケルビム”など敵対勢力に不覚をとった可能性は万が一にも無いと考えまする。
詳細は全く不明ですが、大がかりな罠にかかったか、もしくは巨大な自然現象か――。姿は消しましたが生存の可能性は十分でしょう」
一同は頷き、その中のサッドが続けた。
「そうだな。希望的観測ではあるが、十分な見込みがある。魔力は徐々に遮られ、漂うガスが濃くならぬとも限らん。我々は一刻も早くこの危険域を抜ける事に邁進すべきかもしれん」
シエイエスは眉間に皺を寄せ、苦しい決断に踏み出した。
「わかった。後ろ髪を引かれる思いだが、我々は目的に向かい進む――」
「ちょっと待てよ、親父!!!」
一同の背後から突如大きな声がかかり、全員が振り向いた。
そこにはエルスリードを背後に伴い馬で近づいてくるレミオンの姿があった。
その貌は興奮に上気し、真っ直ぐにシエイエスをにらみつける。対照的にエルスリードは苦悩しながらも極めてバツの悪そうな貌で下を向いていた。状況は一目で理解できる。行方不明の部隊を置き去りに進むことを察知し直談判に行こうとするレミオン。自身も幼馴染が心配ながらも、エルスリードは彼女らしく理性的に彼を諫めたのだが、止められなかった。という、実際に起きたであろうその状況が。
「今聞こえたぜ。ラウニィー様やアシュヴィン、姉ちゃん達を探さず置いて、見捨てるっていうあんたの尊いご判断の言葉がな。
出発前にお偉い方で何を取り決めたかは知らねえ。だがそれと、現実の現場の状況判断は別だろう。
ウチの中でも2番目に強く、優秀な指揮官のラウニィー様。法力使いの熟練者ガレンス爺さん。誰より、あんた自身の家族であるアシュヴィンとエイツェル姉ちゃん。これだけの大事な人を見捨てて置き去りにする、あんたの神経が欠片も理解できねえ。
あえて云わせてもらうぜ。俺はあんたとは違う。今からエルスリードと一緒に、あいつらを探しに行く。
皆にも参加を募るぜ。必ず賛同してくれる奴らはいるだろう」
シエイエスは、通常息子に接するのと同様に厳しい視線を向け、口を引き結んだ。
が、これはいつもと異なり、言葉が出てくるのは早かった。
「レミオン・サタナエル。お前の発言は命令違反宣言、越権的意見上奏、個人的感情による集団扇動――。複数の、違法かつ軍を重大な危機にさらす危険行為に満ちたものだ。お前の望み通りに行かぬのは勿論のこと、即時の拘束が妥当なものと判断する」
――父の普段とは比較にならぬ取り付く島のない、厳粛に過ぎる態度にほんの僅か、たじろぐレミオン。だがすぐに怒りがそれを遥かに上回り、父に食ってかかる。
「……面白れえ。やれるもんならやってみろよ。止められるもんなら止めてみろよ。法の名のもとに、真っ当な人道的な意見ってもんを力ずくで封じる気ならな。
ある意味、真正ハーミアの野郎どもの云うことも的を射てるぜ。
『レエテが始祖クリシュナルの転生ならば、シエイエスもまたサタナエル元凶ケテルの転生。奴は必ず秩序を盾にとる暴君となる』ってな。今となっちゃ、それが現実のものになろうとしてるって思えるぜ」
嘲笑と捨て台詞を浮かべて踵を返し、宣言を実行に移そうとするレミオンだったが――。
側方からぞっとするほどの殺気を感じ、振り向いた。
「うっ――おおおお!!!」
驚愕の声を上げたレミオンの目前に、大樹の枝のごとくに細分化し広がった「金属塊」が襲い掛かる。自らを覆いつくし絡めとろうとするそれを、必死に結晶手で弾き、馬から跳躍しながら退避するレミオン。
そして、彼の目の前に降り立ったのは――。「金属塊」“熾天使の手”を右腕に超速で戻す、白い法鎧に身をまとった壮年の美男子。
「ルーミス叔父さん……。邪魔すんなよ……!」
ルーミス・サリナスはしかし、そのレミオンに対しいつもの優しい眼差しを向けることはなく――。むしろレミオンが彼に対して想像することもできないような激怒の表情で、低く言葉を返した。
「レミオン……。今オマエは、何と云った……!
あの巨悪と自分の父が同じだと? よりにもよってあの狂信者どもの言葉を借りて……?」
身体を震わせていたルーミスは、次の瞬間、恐るべき怒気を散らせて咆哮した。
「ふざけるな!!!!! この大莫迦ものがああ!!!!!」
これまでどちらかといえば彼を溺愛してくれ、今でも慕い尊敬する優しい叔父ルーミス。その初めてといっていい叱責――という次元のものではないが――を受けたレミオンは――不覚にも、身体を大きく震わせてしまった。それは、背後にいたエルスリードも同様だった。初めて見る義父ルーミスの鬼のような怒気を見て、口を拳で押さえて青ざめると同時に、震えて涙ぐんだ。
「その暴言と愚行を通す気ならな。オレを殺してから行け。
……繰り返すが、『殺して』だぞ? 結晶手を出して、本気で来い!」
挑発を聞いたレミオンはギリッと歯噛みし、即座に両手に結晶手を発現してルーミスに殺到した。
「上等だよ!!! 俺だってなあ! 半端な覚悟でこんな事しやしねえよ!! あんたを倒して押し通ってやる!!!」
「や、やめて!! やめてレミオン!!! お父様!!!」
レミオンの咆哮とエルスリードの悲鳴が交錯する。
その音が耳に入るよりも早く――。レミオンは姿勢を低く、結晶手でルーミスの「両脚」を狙う。
しかしレミオンの全力の攻撃は――。
何とその場から動くことなく、魔導義手ではない「左手」一本で彼の手首を無造作に掴んだルーミスによって止められた。
「ぐッ!!!」
レミオンは抵抗を試みるが――。自分より一回り細身のルーミスが発揮するこの世のものとも思えない、凄まじい剛力。びくともせず、逃れられる気は全くしない。差は知っていたが、この偉大な英雄である叔父からの全力を受けた事の勿論ないレミオンにとって、想像の埒外の実力差であった。
そしてルーミスは無言で、掴んだレミオンの右手首から容赦のない法力を流した。
――痛覚に直接。身体が斬り刻まれるような激痛を。
「ぐっおおおおおおおお!!!!」
白目をむき、身体を痙攣させるレミオン。エルスリードは涙目のまま義父に抗議した。
「やめてお父様!!! 相手はレミオンよ!!?? どうしてこんなひどいことをするの!? ネメア様!! お父様を止めて!!」
「……ネメア。手枷を持ってこい」
義娘に言葉を返す前に、彼女がすがった相手である、自身の部下に命ずるルーミス。ネメアは厳しい表情で踵を返し、二人のうち主であるルーミスの命に従いオリハルコンの手枷を取り手渡した。
「ネメア様!!」
呼びかけに黙して語らないネメアに代わり、ルーミスが口を開いた。
「エルスリード。オマエもあわよくばエイツェル達を助けに行きたい、そう思っていただろう。
だがオマエ達は、辛く苦しいのが自分たちだけだとでも思っているのか?
ネメアにしても、親同然の大恩ある師のラウニィーがいる。だがオマエと同じ心を押し込め、必死に耐えている。何故ならラウニィーは自分を助けずオレ達が前に進んでくれることを望んでいるからだ。オレ達がここにいる目的、大義を果たすことが最も重要なことだからだ」
レミオンの両手に枷をはめ、その先端の鎖を馬車の後端のフックに固定するルーミス。地にぐったりと倒れるレミオンを冷たく見下ろし、言葉を続けた。
「シェリーディアも兄さんも同じ苦しい決断をしたのだ。レミオン。もしも消えたのがオマエならば、兄さんは最大の苦しみに耐えながらこの決断をせねばならなかったろう。
オマエにこれほどの愛情を注ぎ、レエテを愛し、そして彼女が愛したハルメニアを救う為に己を犠牲にし続ける兄さんの心。それを知らず、決して口にしてはならん侮辱の言葉を感情のままに吐き出すような愚か者は、徹底的に頭を冷やす必要がある。ここから徒歩で付いてくるがいい」
馬に乗ったルーミスは、首脳陣のもとへ戻った。
「出立しよう。大分時間も消費している」
「ルーミス……。
すまんな。俺が不甲斐ないばかりに」
「よすんだ、兄さん。当然のことだ。何も間違ってない。自信をもって前進を命じてくれ。オレ達に」
前進を開始するレエティエム。自身は馬を奪われ手枷を通じた鎖で馬車に引っ張られるレミオンは、痛みの引いた身体を起こして走り出した。
馬の歩幅に合わせるため、かなりの速度での走りを要求されるレミオン。彼の無限の体力からすればそれ自体は全く問題ないのだが、ルーミスが彼に課した処罰はそのような身体へのものではなく心への苦痛。レミオンの心は悔しさと衝撃と屈辱とで砕かれていたのだ。
エルスリードは心配な表情で馬を並べ、彼に語りかけた。
「……レミオン……。大丈夫?」
レミオンはそれに応えず、歯ぎしりをしながら低く呟いていた。
「…………畜生が。どいつもこいつも……。
やっぱり、同じなのかよ。『あの時』からよ……。俺をどこまで蔑ろにすりゃあ……追いつめりゃあ気が済むってんだよ……。クソが……地獄へ落ちやがれ……」
「……レミオン……?」
「……大丈夫だ、エルスリード。心配するな。
俺はな、まだ諦めてねえぜ。あいつらのクソ偉そうなご高説になんざ、耳を貸すな。
隙を見て脱出し、必ず姉ちゃんやアシュヴィンを助けに行くぜ――」