第八話 自己防衛機能
ヨシュアが指さした先を見たラウニィーは戦慄と、背筋に虫が這ったような強い嫌悪感を感じた。
光が途絶え始めた洞穴内で、一団はトーチに蒼魂石を嵌めた青白い光で前方を照らし進んでいた。
明るく照らされた洞穴は、10mほど先で開け広い場所に到達していたが――。
そこは、これまでとは比較にならない数の「細胞」が壁、天井、床にぎっしりと並ぶドーム状の空間であった。
その様は、これまでの光景に数倍する悍ましさを感じさせたが――。ヨシュアが示したのはそれにすら輪をかけてグロテスクな事象だった。
「細胞」一つ一つから、まだ毛の生えそろわない青白いショウジョウの形をしたモノが、ずるずると音をたてて「発生」していた。白く粘性の高い液体を垂らし、水飴状に固まったそれを漆喰のようにして集合、接合していく。
そして遂に――。全長15mが1体、8mほどが2体という巨大なショウジョウの形態を形づくった。
洞穴内の地面にのたうち、生まれたての野生動物のごとく立ち上がる姿。悍ましい体液を滴らせながら禍々しく立ち上がる身体は、無数の生体の集合体である羊膜に包まれたような巨体――。元々ショウジョウという個体がもっていた、トロールと猿の中間のような不気味な姿、とさえかけ離れた悪魔のものでしかなかった。
「うっ……グうっ……ふううう……!!」
涙目で口を押さえるエイツェルは、嘔気と恐怖に必死で耐えつつ声を上げた。その彼女の肩を抱くラウニィーの目の前を一つの影が横切った。
「アシュヴィン!!」
アシュヴィンは慄く兵士達を後目に両腰の双剣を抜き放ち、巨大ショウジョウ達へと殺到した。
怪物達の手前10mほどで踏みとどまり、双剣を交差させて構え振り抜こうとするが――。
「だめだアシュヴィン、氣刃を使うな!!! 何が起こるか分からない!!!」
構えから技を察したヨシュアが叫ぶ。そう、ソガール・ザークが編み出した剣技“氣刃”は技の鍛錬過程は違えど、実態は凝縮した光魔導に近い性質のもの。ここでそれを放てばヌイーゼン山脈は立ちどころに反応し、自分達を奈落に落としたような「反撃」を繰り出してくることは明白。それを失念していたアシュヴィンはギリッと歯を噛みしめ、踏み込みを継続して前進し、最も巨大なショウジョウの脚を物理的な剣撃で断ち切りにかかった。
見た目は非常に柔らかそうな敵の肉体。しかし双剣を当てたアシュヴィンが感じる手ごたえは、見事にその想像を裏切るものだった。非常に密度が高く刃の通りにくい肉体だ。刃を1mほど斬り込ませはしたが、その程度では敵の巨体を揺らがせるに至らない。
斬り刻んだ羊膜の向こうから、悍ましい白くぬめった液体が飛び散る。身体にそれがかかるのも厭わず怪物に対し構え直したアシュヴィンの視界に、一人のレエティエム戦闘者の姿が目に入った。
「ほほほハハハハアアア!!! 久しぶりじゃのお、この身体になるのはのお!!! 全くもって滾るのお!!!」
ガレンス師だった。枯れ木のようであった70代老人の姿は今やどこにもなく、法衣を突き破って肥大化した筋肉が――。レエティエムでも突出したそれの持ち主であるムウルすら軽く凌駕し、おそらく身長2m、体重150kgはくだらないであろう血色良い筋肉の固まりの修行僧の出で立ちとなっていた。シュメール・マーナの祖として、ハーミアの徒が推奨する血破点開放をかたくなに拒否する師は、法力の肉体強化の礎である血破点打ちを極めてきた。肉体を活性強化する肩、鼠径部の二カ所に過剰な法力を流すという手法において、もはや師の右にでる者はハルメニア大陸に存在しない。
「皆!!! 奴らの急所は、身体の鳩尾部分にある核よ!! 魔力を感知できた! そこを叩き潰せば奴らの結合状態と生命活動を停止することができる!!!」
魔導を使用できず何もできないラウニィーは、しかし彼女にしかできない情報収集によって味方を支援する。これを受け徒手空拳での敵撃破に動こうとするガレンス師に対し、一瞬観察するような鋭い目を向けるアシュヴィン。
極めて短い時間に何かを考え、そしてある結論に達したアシュヴィンは――。
何を思ったか、双剣を腰の鞘にしまい――。
代わって背に差していた長大な剛剣、ロザリオンの形見である“神閃”の柄を握り、一気に抜き放った。
両手で持ち、斜めに構えるや、彼は鋭い声を放ったのだ。
「ヨシュア!!! 高く、飛ぶ!! 手を貸してくれ!!!」
自らも腰の双刀のうち1本、銘刀“孤狼”を構えていたヨシュアは、自らに走り寄ってくるアシュヴィンの意図を瞬時に見抜いた。“孤狼”を床の細胞に突き刺し、腰を落として組んだ両手を下げ、叫び返す。
「おお!!! 来い、アシュヴィン!! かましてやれえ!!!」
猛然と走り寄ったアシュヴィンの踏み足をしっかりと両手に受け止め、ヨシュアは全身の全力のバネを使い相棒の身体を上空に放り投げた。その力と、彼自身の跳躍力でアシュヴィンは、15m上方の宙へと舞った。
そしてそのまま――渾身の魔力を“神閃”の内部へと込めた。そう、「内部へと」。
己の頭上にまで舞った敵の姿を視認した巨大ショウジョウは、小虫のように矮小な敵を叩き落とそうと、両手を伸ばし振り払おうとしてくる。体高10mを大きく越える巨体から繰り出される攻撃は周囲の空気を巻き込み、温い猛烈な風と悪臭を周囲に放つ。当然ながら大木の幹のような腕、巨石のような拳に当てられれば、身体が粉々に粉砕されるのは明白。
だがアシュヴィンにとっては止まって見えるような鈍重な動き。冷静に敵の手首部分に向けて“神閃”を振り抜く。
双剣よりも重量と硬度に勝る銘刀は――見事に、手首に刃が入り振り抜け――敵の手の寸断に成功した。
それは“神閃”そのものの鍛度もそうだが、それ以上に――。
「――斬れろ!!」
気合一閃、アシュヴィンは“神閃”を最上段の構えに持ち替えて振り上げ、正中線に敵の「脳天」へと振り下ろした。
個体が密集し、怖気を震うような醜悪な容貌の頭上に、刃は静かに入り――。
斬り抜きながら自然落下していくアシュヴィンの動きに合わせて、巨大ショウジョウの身体を真っ二つに薙いでいく!
「ギイイ……エエエエエアアアアアアアア!!!」
耳を塞ぎたくなるような断末魔とともに――。
銘刀が喉を通過し、胸部の「核」と思しき箇所に到達した時点で、アシュヴィンの柄を握る手に感じられていた手ごたえが一気に消えた。
急激に、強靭な生命ではない只の「肉塊」となって無抵抗に斬り伏せられていく。
そして“神閃”は完全に巨大ショウジョウであった生物塊を左右に両断した。
羊膜の内部に固められていた、崩れたショウジョウが粘液とともに大量に落ちかかり、アシュヴィンはこれを避けるため後方に飛び退る。
と、そこへ――。
気配を感じ急激にアシュヴィンが振り返ると、彼のうなじに向けて、中型のショウジョウ個体の腕が迫っていた!
しかしその攻撃は、彼の目前数cmの位置で、止まった。
そしてゆっくりと、先ほど彼自身が斃し切った最大個体と同じように崩れ形を失っていく。
その後方に――拳を突き出し豪放に笑うガレンス師の姿があった。
師もまた、拳撃によって見事に敵の核を破壊する事に成功したのだ。かつて最強の法力使いルーミスとの鍛錬立ち合いでも善戦したという実力の持ち主ゆえの、安定の剛力と強さであった。
「よう、本質を見抜き策を思いついたのお……アシュヴィン。
ワシがさっきから好きに法力を使いよるのに、この山脈が反応して来ん訳。おそらくは、魔力を放出せず『消費する』、もしくは『内に込め使用する』方法でならば、この忌々しい細胞どもはそれを感知できんのじゃ。法力しかり、おそらくシエイエスの変異魔導しかり……。
お主はそれをロザリオン嬢の遺品に込め、硬度と切れ味を数倍増させた。見事じゃったが……。
まだまだ、青い。最後の詰めが甘かったのお」
アシュヴィンは、すっかり反発心を抱いているこの老人に苦々しい表情を向けたが、この場は素直に言葉を返した。
「……ひとまず、助けて頂いたお礼は云っておきます、ガレンス師。
次は、不覚は取りませんが」
一方――。
残りの中型ショウジョウは、ラウニィーとエイツェルの元に向かってきていた。
現在反撃手段を持たないラウニィーを護ろうと、エイツェルは健気に前に出たが、恐怖心と嫌悪感で攻め込む事が中々できずにいた。
「エイツェル。私は、大丈夫だから。あなたは下がっていなさい」
「そんな!! だってラウニィー様は――」
一瞬振り返ったエイツェルの隙を見逃さず、中型ショウジョウははるか高みから巨大落石のような掌撃を繰り出してくる。
「――!!!」
戦慄したエイツェルに対し、これもまた攻撃が到達することはなかった。
核を破壊された中型ショウジョウは、間を置かず崩れ落ちていく。
女性二人の危機を救ったのは――。アシュヴィンの援護を終えて追いついたヨシュアであった。
彼の抜刀された双刀“孤狼”は、敵の核を水平に切り裂いていたのだ。
「……危ない所でしたね、ラウニィー様」
納刀するヨシュアの貌を、じっと見つめていたラウニィー。
やがて複雑な表情を浮かべながら、彼女は呟くように云った。
「ヨシュア・……リーザスト、だったわね、あなたの名前は……。
もしやとは思っていたけれど……。口調もそうだし、その面差し……やはり似ている。
あなたは……。
ダン・リーザストの血縁の人なのね」
「……え……?
その人って……『あの』? まさか……」
ラウニィーとエイツェルの言葉を受け、ヨシュアは両目を閉じて不敵に笑い、これに答えた。
「そうダン・リーザスト。ラウニィー様、あなたの大導師府“許伝”時代、ともに学ぶ友であった――。そしてあの伝説のルヴァロン山の“探索任務”で自己犠牲により命を散らした、“ブラウハルト・サガ”の英雄の一人。
彼はおれの父の弟で、叔父にあたる人です」
やはり、という表情で、今度はラウニィーが両目を閉じた。
「やはりそう、だったのね……。ダンから、故郷ディアリバーに兄がいるという話はよく聞いていたから。
その子、彼の甥にあたる子が立派に成長してくれて、会えて嬉しく思うわ」
「おれも、あなたに気づいてもらえて嬉しいですよ。本当にね。
何しろおれは、ナユタ陛下やあなたの勇名のおかげで――。英雄視された偉大な叔父と、父ともども嫌というほど比較され、村で蔑まれて生きてきましたから。
やれ役立たずだ、ウスノロだと……。おれ達は耐えられなくて村から逃げ、ダフネ様に弟子入りできましたが、それを膳立ててくれた父は心労の為に病気で死んでしまいました。
その苦労が、今報われて本当にね! 嬉しいんですよ」
痛烈な皮肉と意趣返しの意思を感じたラウニィーは、表情を険しくして云った。
「ダンは……かつてウスノロと蔑まれながらも、情熱と努力で蔑んだ相手を越えた素晴らしい人。そして正義を貫き犠牲になった、正しい人。
あなたも、同じものを持っていると思うわ。どうかそれを分かって、道を正して。復讐心に囚われて、同じように道を違いかけているアシュヴィンを連れだって昏い道を行かないで。
ヨシュア……どうか……」
だがヨシュアは、益々目に暗い影を宿らせながら、踵を返した。
「想像してたとおりの綺麗ごとのご高説、ありがとうございました。
おれは、おれです。叔父とは、違う。
ダフネ様という偉大な師。その高弟で仲間のロザリオン様。同胞のアシュヴィン。
今大事なものの為に、皆に報いる為に、迷わず道を行くだけですよ。
まあ見ていてください。おれは必ず、自分の力でおれを皆に認めさせてみせる。そしてあなたが作り上げてきた虚像をぶち壊してみせますよ。必ずね……」
その言葉にラウニィーは悲しみに貌を曇らせながら、貌を背けるしかなかったのだった。