第七話 脱出へと
驚くべき本性を現したヌイーゼン山脈。戦慄するレエティエムの面々だったが、大いなる目的のためにも彼らが手足を止めることは許されなかった。
地下に落下させられ30分あまり。50mほど上空にある地上に、仲間が救助にかけつける様子は見られない。シエイエスとネメアの極めて、正しい判断だ。未知の土地で未知の現象に陥るとき、下手な手を差し伸べて共倒れに陥るのは、最も避けねばならない事態。勢力を少しでも多く生き延びさせ、目的を果たさねばならない。
ラウニィーは指揮官として何としても、自力でこの状況を脱しなければならないのだ。彼女がまず行ったのは、この巨大な細胞群をできるだけ刺激することなく、自勢力の体勢を整えること。大きな音を立てず暴れず、騒がず。負傷者を救助し人員を確認し、物資を確保し、動き出すまでの準備を整える。
ラウニィーの風魔導による落下救助、闊達なガレンス師の法力手当の甲斐あって、やがて負傷した者も最小限の時間で回復復帰。点呼により、落下に巻き込まれた者の人数は計32人と分かった。
そしてその中で主要戦闘者は、ラウニィー、ガレンス師、アシュヴィン、ヨシュア、エイツェルの5人。魔導、法力、剣術、一族の力と、非常にバランスのとれたパーティとはなった。
ラウニィーは全員を集め、作戦を示した。
「皆、聞いて。現在我々は残念ながら敵対勢力に『囚われてしまった』。
敵は正体不明ながらおそらく、『この山脈そのもの』、大自然。生きた細胞のようなこの山がショウジョウを生み出し、我々を落下させ、他にもどのような脅威で襲ってくるかわからない。
まずはここを脱出し、本隊と合流することを最優先の目的とする。
この高さ、切り立った形状の上――あの天井部分は常に蠢き開閉していて、よじ登っての脱出は不可能。私の風魔導で一人一人打ち上げようにも、これだけ高く上げるパワーとなれば確実に命を奪うダメージを与えてしまうし、私は自身を吹き飛ばすことはできない。
伸びる洞穴を、進むしかないわ。幸い方位磁針は問題なく機能している。北方向を目指し、地上もしくはアンカルフェル側の山脈中腹からの脱出口を捜索する」
未知の事態への恐怖心をにじませながらも、納得の表情で頷く一同。すぐにガレンス師が口を開いた。
「物資はどうするかの、ラウニィー嬢? 馬車はもう放棄せんといかんし、持ち出せる物資も限られようからの」
ラウニィーは唇を噛みしめながらも、これに答えた。
「そう、馬車は放棄しないといけない。気の毒だけれどまだ生きている馬は安楽に死なせてあげて。
そして我々の馬車は、不運なことにあまり食糧を乗せていなかった。非情だけれど彼らを解体して、肉をできる限り取得してほしい。
その他の金属資材や蒼魂石も貴重な物資。全部は無理でしょうけれど、剣を咄嗟に振れる程度には背負っていって。
水3、食糧2、資材5の重量割合で所持すること。それら準備が出来次第、すぐ出立するわ」
的確な指示に、それぞれの準備を整えようとした面々の中で、一人挙手をする者がいる。
「何? アシュヴィン」
「……もう一つ、考慮しなければならない要素があるでしょう、ラウニィー様。
この中で感じ気づいているのは、おそらく僕とあなただけのはず。
不気味な山脈とはまた別の……かすかな『魔力』の存在に」
抑えた動揺が走る一同の前で――ラウニィーは強い苦渋の表情をにじませ、これに答えた。
「――そうね、アシュヴィン。私も感じ取ってはいる。同じこの地下に複数の『魔力』を。
おそらくは“ケルビム”。アンカルフェル州“ヴァーチェ”かアケロン州“エクスシア”からの手の者でしょうね」
これを聞いて気色ばむヨシュアとともに、アシュヴィンは進み出て云った。
「それなら、脱出よりも前にやるべきことは――明確な敵対勢力の排除でしょう。
奴らの潜伏する方角へ向かい、戦端を切り開くべきです」
「そうです、ラウニィー様。奴ら“ケルビム”がここにいるのなら、何をおいても殲滅させるべきです」
アシュヴィンとヨシュアの進言に対し、ラウニィーは首を横に振り、はっきりと却下の意思を示した。
「だめよ。この状況下で戦闘を主たる作戦に置く判断はしない。“ケルビム”との接触は避ける。
確かに奴らは、我々への殺意をもった危険勢力。通常ならば殲滅に動くのが道理だけれど、現在我々は明確な危機にさらされている。未知の状況からの脱出が先決よ」
「……逆でしょう。奴らは我々よりもはるかにこの山脈の事情に通じているはず。
何も知らない我々が闇雲に動くことのほうが危険で、奴らの誰かから力ずくで情報を得るのが先決ではないでしょうか?」
「……敵を拷問でもする気? そして、情報を聞き出した後は残酷に殺す、の?」
静かな、しかし詰問するようなラウニィーの口調。アシュヴィンは鋭い目を向けながら一瞬黙った。
それを見たラウニィーが言葉を継ぐ。
「アシュヴィン。冷静になって状況を見て。復讐心から盲目になってはいけないわ」
「僕は冷静で、きちんと状況を見ています。ラウニィー様こそ、伝説の“探索任務”から生還した偉大な方でありながら、臆されたのですか? 一体――」
「――そこまでにしておくが良かろう、少年よ……。
それ以上剥きになるんは何一つ、誰あろうお主自身のためにならんぞ……?」
突如――。
二人の間に割って入ったガレンス師。
両手を各人の貌に向けて上げ、視線はアシュヴィンに対して向けていた。先ほどまで気さくで闊達な好々爺のそれであった眼光は極めて鋭く、積み重ねた年月の迫力を感じさせ、アシュヴィンをもたじろがせた。
「お主はお主で、正しいことは云うちょるかもじゃが……。その主張、まず死ぬ心配のない強いラウニィー嬢じゃのうて、兵士の皆にも同じことが平気で云えるもんかのお……? そちらの、お主の幼馴染の可愛いお嬢にもじゃ。
……云えんわのお? それはお主が自分で、利己的な目的があることを認めちょるからじゃ。それを承知で危険を押し通すならお主は他人の信用を得るんはおろか、己を許す事も信用することも出来んようになるぞい」
アシュヴィンはラウニィーに反論された時よりもさらに険しい表情になり、今度は言葉を返すこともできなくなった。
そしてギリッと歯を噛みしめると踵を返し、黙って物資の確保に向かっていった。ヨシュアも無言でそれに続いた。
ラウニィーは一つ大きなため息を吐いた後、ガレンス師に向かっていった。
「ありがとうございます、師。けど……」
「可哀想に思うお主の気持ちは分かる、嬢。じゃがのお、これは一人の男としてのあやつの問題じゃ。あやつ一人の中で解決してもらわにゃあいかんのじゃよ……」
*
そして一団は出発した。
歩みを進めれば進めるほど、得体の知れぬ不気味な場所だった。大半は石、砂、石灰などの一般的な鉱物などで形成されてはいるが、それと融合するかのように有機的な粘膜、液体で構成された部位が存在した。
一団が進行路に選んだ洞穴も、幅5m、高さ3mほどの大きさの中至る所に糸を引く乳白色の粘膜や、壁・天井にあたる場所に現れ出た細胞壁のような柔らかい膜の向こうで、赤や紫などの気味悪い組織が蠢いている状態。現実から乖離し、悪夢の地獄に連れ去られたような状況だ。しかもこの組織は――。時折突出し、レエティエムの面々に向かって触手のように伸びてくる。それ自体は速度も遅く弱々しく、取るに足らぬ攻撃ではあったがそれを斬り落とす兵士の貌は恐怖と嫌悪感に満ちていた。
この触手のようなものは――他の者と突出してエイツェルに向けて伸びてくる数が多かった。奥に進むにつれて増える「細胞」の割合に比例して数も増える。今もまた3本同時にノロノロと、エイツェルの両側から青紫色の触手が迫ってくる。
「……いや! もう――いやあ……こんなの……」
目に涙をうかべ貌をしかめながら、エイツェルは触手をかわし瞬時にこれを結晶手で斬り伏せる。先端に攻撃を受けると触手はそれ以上追跡してくることはなく、元の細胞壁内に戻っていくのだ。
何度かこの様子を目にしていたガレンス師は考え込むような表情の後、ラウニィーを振り返り云った。
「嬢……どうもこの細胞どもは、音や物理的な刺激よりも、魔力を検知しとるように感じんかの?
前の方じゃとアシュヴィン、それ以外にも耐魔が得意な者が明らかに触手の標的になっとる。潜在的に魔力を秘めとるこのエイツェル嬢が特に標的になり、感情の昂ぶりに合わせて攻撃も強くなっとるように見えるしのお」
ラウニィーは上目遣いに「細胞」をにらみながら、これに対し口を開いた。
「私も、同じことを考えていたわ……。エイツェル。あなたはダルダネスでの出来事が示すとおり、裡に大きな魔力を秘めている。できるだけ感情を平静に、そして意識して魔力を抑えて。
皆も!! ここより先、己の魔力を抑えること! 魔導の放出も極力禁止する!!
……そしてごめんなさい。おそらくこの山が我々に罠を発動したのは、私が原因よ……。
ショウジョウの軍勢を皆殺しにするため、私は“壊嵐滅烈刃圧殺獄という過剰に強い魔導を用いてしまった。ヌイーゼン山脈はこれに反応し変形し、我々を谷底に落としたんだわ……」
唇を噛みしめ自責の念にかられるラウニィーに、エイツェルはかぶりを振って否定して見せた。
「そんな、ラウニィー様!! ラウニィー様があいつらを斃してくれなかったら、私達はきっと先に命を落としていたんだもの。ラウニィー様のせいなんかじゃない。責任なんて感じないで!」
「エイツェル……」
エイツェルに目を向けたラウニィーの耳に、今度は――。
一団前方からの鋭い声を捉えたのだった。ヨシュアだった。
「ラウニィー様!! あれを――! あれを見てください!!」