第四話 畳みかける襲撃
レエティエムは、800名の陣容を誇る一個大隊の規模をもって――。豊富な物資を携え踏破困難な国境を越えようとしている。
越えるべきヌイーゼン山脈は2000から3000m級の山々が数十存在し、尾根を隔てて麓から麓までの幅直線距離は80kmほど。山脈自体はハルメニアのアンドロマリウス連峰よりもだいぶ小規模であり、地理的な要素だけでいえば踏破は数倍容易なはずであった。
だがこれまでに実際目にしてきたように、この山脈には連峰を遥かにしのぐ困難の壁が立ち塞がっている。それはこれより先、実際に災厄として襲い掛かってくるのであろう。
シエイエスら首脳が計画した当面の目的地は、三大州の中でも「比較的」平穏と云われるアンカルフェル州。ダルダネスのハロラン将軍の出身地であり、“不死者”の目撃情報があった地だ。ひとまず忍びつつそこを目指し、フォーマ王が告げていた“ケルビム”の敵対勢力であるという、“ルーンの民”とやらへの接触を図る方針だ。――その地の幹部、“ヴァーチェ”の目をかいくぐりながら。
そのためにも、物資の要である食料・水を失う訳にはいかない。特にこの荒涼たる土地において水はダイヤより貴重であり、ショウジョウなどの怪物に最も狙われやすい物資の一つ。馬車の守りは一団の中でも最強クラスの強者たちがつとめた。
強者の一人、“壊嵐の導師 ”ラウニィーは馬車の後列にいた。彼女の盟友ナユタは相変わらずの運動音痴で馬に乗れないが、ラウニィーは騎士レベルの乗馬の腕をもち、その万能ぶりを羨ましがられたほどだ。手綱を握る左手は、鈍い輝きを放つ黒の魔導義手。宿敵フレア・イリーステスに潰された名誉の負傷だ。
そのラウニィーと随行する騎馬が一騎。エイツェルだ。
麓の宴では酒に酔い一時忘れるも、醒めるとまた傷心の思いに囚われる。この苦しみ、悩みを最も相談できる大人の女性がラウニィーであったのだった。
ラウニィーはエイツェルの横顔を見やり、その後――。
馬車の左翼側に並走するアシュヴィンの姿を見た。かなり距離はあったが、彼の尋常ならざる雰囲気はまざまざと感じられた。
「アシュヴィンは相変わらずのようね。あの件の後、彼と話はしていないのね、エイツェル?」
優しく問うラウニィーに、目を落としながら首を振るエイツェル。
「話してないの……。また冷たくされたり怒られたらって思うと、怖くて怖くて……。
でも話してなくても、もうとっくに嫌われちゃったんじゃないかって……ずっと他人みたいに扱われたりしたらどうしようって、不安で涙が出てきて……。
本当はあの子のこと心配で、今だって何かしてあげなきゃって思ってるのに……何もできないことも悲しくって。
ラウニィー様、あたし、どうしたらいいの……?」
思いを言葉にするうち、エイツェルの目はこみ上げてくる悲しみで見る見る涙に覆われていく。ラウニィーはゆっくりとかぶりを振りながら、エイツェルに語りかけた。
「今は何もせず、彼を信じてあげるべきだと思うわ、エイツェル。
人には色んな運命があるし、一時的には変わることもあるかもしれない。けどその人の本質まで完全に変わることなんて、まずない。ましてや、あの優しいアシュヴィンよ? 大丈夫、心配しないで。
私は直接知らないけれど、シェリーディアによるとね、今のアシュヴィンは少しお父様と似ているらしいの。“狂公”としての」
「……ダレン=ジョスパン公爵と……?」
「とてもストイックで近寄りがたい求道者で、他者には攻撃的で害をなす。そんな生き方を生涯貫いた方だった――知っていると思うけれど。今のアシュヴィンも確かにそう見えるわよね。
けどシェリーディアだけが知る公爵の真の姿は、そうではなかった。
冷淡で突き放す態度を取るけれど、その実数少ない愛する人をとことん愛する、そんな情の深い方だったって」
「……」
「アシュヴィンも同じはずよ。情が深いからこそ、ロザリオンの仇を取ることに囚われている。それ自体悪いことでないし、遂げたその時は間違いなく元の彼に戻る――」
ラウニィーのその言葉は、中途で強制的に途切れさせられた。
馬車の左右前方、後方から響くけたたましい音と鳴き声によって。
それは――地を突き破って出現した、大量のショウジョウだった。
轟音をたて、砂埃を巻き上げ――。むせかえるような匂いすら伴って、見る者を圧倒させるスケールで悪夢のように出現してくる。
その数おそらく、200体以上――。
先刻レミオンを襲撃した2m程度の個体が大半ではあるが、中に飛びぬけて巨大な5m級の個体が10体ほど見える。
事前にダルダネスで情報は得ている。“司令”と呼ばれる個体だ。それ自体の戦闘能力も驚異的ではあるが、彼らは他のショウジョウらを従え恐るべき集団戦法を活用し、数倍する強敵に変異させるという。これに遭遇したら、非戦闘員の行商団などは死を覚悟せねばならないというが――。いかなる理由からか、そのようなケースで聞いていたよりも飛び抜けて多い出現数だ。
敵は“司令”を取り囲むように集団で陣のようなものを形成し、10団に別れてバラバラに迫ってくる。
彼らに確実に知能がある証左として、見た目に防御の薄い馬車団の後方を、左右翼の勢力を引きはがしながら狙う動きを見せている。人間の一流の国軍すら凌駕するように統制のとれた動きだ。
ただ規模はともかくこの事態はすでに想定されており――。馬車団の陣形もまた、ネメアの立案によって周到に組まれた罠だった。
細身の女性ばかりで手薄に見える後方だがここには――。レエティエム最強の魔導士ラウニィー・グレイブルクが控えているのだ。
すでに左右翼の戦士たちも武器を抜き、事態に備えるべく動き出している。敵の動きに対応し、可能な限り戦力を散らさせつつ、ラウニィーの射程に全頭を誘導するよう動いていた。
「――ラウニィー様……!!」
「安心して、エイツェル。私から絶対に離れないで。皆が奴らをまとめてくれた所で、私が全部始末するから」
エイツェルに微笑みかけながら、ラウニィーは両手に魔力を充填し始めていた。
ショウジョウの群れに怯んだエイツェルだったが、それ以上の戦慄を感じ――。極小の嵐を生じているラウニィーの手、特に左の魔導義手を凝視してしまった。
エイツェルには――ダルダネスで判明した天才的魔力感受能力がある。その能力をもって感じる所では、この場で自らの身体を押しつぶされるような、これまでに目にしたことがないラウニィーの本気の力を体感していたのだ。
戦闘者としてはシェリーディアに一歩及ばないが、魔力魔導という1点でいえばラウニィーと比較になる者などレエティエムにただの一人もいない。敵がいかに数で攻め寄せようが問題ではないのだ。エイツェルの中に瞬く間に安堵が広がった。