ナザーク大陸
「ご苦労だった。」
予定時刻ピッタリにナザーク大陸の西の端の港ナタリに到着した一行。
ユナが黒い球体になっているファルシオンに手をかざすと、その巨艦は黒いネックレスに姿を変えてユノの胸に収まった。
「今更だが…なんでもありだな。」
「それがユノ様っす。」
「私は理に外れた事をしているわけじゃない。ただ少しだけ魔力を効率良く使う術を知ってるだけさ。」
胸の谷間に埋まるファルシオンを撫でながら言うユノの表情は、先日に増して人間味を増している様に思う。
「記憶の影響が出てるんすかね。」
「あぁ、中々に興味深い記憶達だった。お前の淹れてくれた濃い目のお茶で目覚めも良いしな。」
「うぐっ…、さ、さぁ、まずは情報収集といきましょうか!」
そそくさと歩き出したレオに続き、ユノとガイアスもナタリの街を歩き出した。
―――――――――――――――――
「なんつぅか…予想通りの展開っすね。」
「予想以上に最悪の展開だな。」
ナタリ区のギルドにガイアスが顔を出した途端、一行は二階の会議室に連れられて、一方的に話を聞く事になった。
内容は危惧していた魔物の狂暴化。
しかも、その影には魔族の存在もチラついているらしい。
「魔族か。確か今は北の大地に少数がいるだけだと思ったが?」
ユノの問いに、ギルド長であるムスカは緊張した面持ちで答える。
「確かに。魔族は3000年前の戦争で人と亜人に敗れ、生き残りの少数が北の孤島へ逃げ延びたと言われています。ここ1000年は目撃情報もなく、過酷な環境に滅んだのではないかと思われていましたが…」
「何か確証があったのか?」
「先日、街の北にある獣人の村がオーガに襲撃されました。狂暴化の被害に遭う村が多く、警戒し巡回していたナレスト王国軍が近くにいたので全滅は免れましたが…兵士が見たそうです。」
魔族…その中で最も高位の存在である魔人。
「褐色の肌に黒い髪と赤い瞳の…背筋が凍りつくほど美しい男が、オーガを使い獣人を連れ去ったと。」
「連れ去った?」
魔族は暴力と愉楽で生きている。
弱者を嬲り、悲鳴と恐怖に歪んだ表情を見て快楽を得る生き物だ。
同時に、面倒な事は一切しない。
連れ去って玩具にする可能性も無くはないが、飽きるのが早く思考が短絡的なので、その場で蹂躙を楽しみ去っていくのが行動パターンだと記録に残されている。
「今、ギルドとナレスト王国が合同で連れ去られた者達の調査にあたっていますが、まだ何の情報もなく…。『魔狩り』と呼ばれるあの方も動いて下さっておりますが…」
「グラナードが出たか。」
ニヤリと笑うユノに、ムスカの表情が引き攣る様に笑う。
「と、ところでガイアス殿…こちらの高貴なお方はどなた様でしょう…」
「今の俺の雇い主だ。」
「私の名はユノ・ミズリー。ナザーク大陸に人を探しに来た者だ。私に気を使う事はない。ガイアスに話があるのなら続けるがいい。」
ミズリーという家名に聞き覚えはなかったが、堂々として威厳のある姿にただならぬ高貴さを感じ、ムスカは背筋を伸ばした。
王族だと説明すれば、あっさり信じるだろうほど、ムスカはユノの存在に気圧されている。
(話し方がアシュレイ陛下そっくりっすからねー。ある意味影の皇帝って奴っす。)
へり下るムスカを意に介さないユノの姿に、改めてユノが何者なのかと思うガイアスだったが、それは今考える事ではないと視線を戻す。
「ありがとうございます。ガイアス殿には是非魔物や魔獣の討伐をギルドから依頼したかったのですが、護衛任務中でしたら仕方ありません。どうか道中お気を付け下さい。」
「すまない。だが、魔物に遭遇した際は、状況の許す限り、極力討伐する事は約束しよう。」
ギルドで調べ物をするというレオを残し、ユノとガイアスは二人で街を散策する事にした。
「以前来た時にはもっと賑やかだったんだがな…」
物流にも影響が出ているのか、商店街に活気がなく、並ぶものも多くはない。
「そこの綺麗な姉さん!串焼きはどうだい?サービスするよ!」
「串焼き?珍しい食べ物だ。一つ貰おう。」
受け取った串焼きをじっと見つめるユノは、どう食べるのかと首を傾げる。
「そのままガブっといけばいい。」
「そうか。…ん、これは美味いな。」
「そっちの兄さんもどうだい?二本で300マルクにまけとくよ!」
「俺も貰おう。」
代金を支払い齧り付くと、甘い肉汁が口内に広がり、ピリッとした香辛料が食欲を増進させる。
「確かに美味い。」
「だろ?ここ最近は商業用道路も危険でなぁ。野菜や小麦なんかは手に入り辛いんだが、オーク肉なんかは逆に増えてるからな。新鮮な肉が揃ってるぜ!」
「これは魔物の肉なのか。まさか奴らにこんな有効な使い道があるとは…。ん?この味ならばトンカツの再現も可能か?いや、トンではないからオーカツ?」
食べかけの肉を前に思考を始めたユノだが、ふと足元に気配を感じて視線を下げる。
そこには、スカートの裾を掴み、物欲しそうに見上げる瞳があった。
「おい!こら!姉さんの上等な服が汚れちまうだろうが‼︎」
串屋の店主に怒られて、小さな手がパッと離れる。
「すまねぇなぁ、姉さん。怒らないでやってくれるか?そのガキは村を魔物に襲われて親を亡くした孤児でな…村外れの孤児院から抜け出して来たんだろう。」
「娘、抜け出して来たのか?」
「だって…お腹すいて…」
匂いに反応してか、口元には涎が垂れていて、視線はユノの串に釘付けだ。
「これは私のものだ。お前ももらえばよかろう。」
「お金…ないから…」
「お金?」
首を傾げるユノに、ガイアスは溜め息を吐いた。
さっき金を払う前に食べ始めたのは、単純に自分が払うという意識がなかったからなのか…と。
ユノ程の身分の貴族令嬢ならそれが普通なのかもしれないと、妙に納得もした。
「金があればいいんだな?店主、串を一つ娘に貰おう。」
「えっ⁉︎いいんですか⁉︎まいど…って‼︎白金貨⁉︎待ってくれ‼︎こんな大金じゃ釣りが出せねぇよ!」
「…種類があるのか。ガイアス、現状で適しているのはどれだ。」
収納空間から取り出した五種類の硬貨を手に広げる。
「これだな。銅貨二枚で200クルト。さっきの白金貨は一枚で100万クルトだ。」
ガイアスから簡単な説明を聞き、頭に浮かんだのは優乃の記憶だった。
青銅貨は10円
銅貨は100円
銀貨は1000円
金貨は10000円
小白金貨は10万円
白金貨は100万円
大白金貨は1000万円
「成る程、理解した。ならば私がお前の願いを叶えよう。」
銅貨を二枚差し出すと、店主はそれを一枚受け取り串を渡した。
「姉さんの優しさにまけとくよ。」
「そうか。娘、これでいいか?」
差し出す串を小さな手が握り締め、その瞳に水が溜まる。
「食わんのか?」
「が、まん、する…」
「何故だ。」
「お家に帰って、お兄ちゃん達と一緒に食べたいから…」
「ならば早く帰るといい。」
だが少女の足は動こうとはせず、大きな瞳からは涙が溢れ、口からは飲み込みきれない涎が垂れていた。
「あぁ…そうだよなぁ…」
「なんだ店主、事情を知っているなら話せ。」
「今孤児院には20人位のガキがいるんだ。持って帰れば20等分…いや、年上の悪ガキ共に奪われちまうだろうなぁ。」
「けど兄貴には食わせてやりたい。か…。お嬢ちゃんは優しいな。」
ガイアスに頭を撫でられて、益々涙が溢れ出る。
しかし、ユノは感情のない瞳で少女を見下ろす。
「解せんな。食いたいなら食えばいい。何を迷う必要がある。」
ビクッと怯える少女の肩を抱き、ガイアスがけわしい視線をユノに送る。
「兄貴を思い遣ってるだけだろう。」
「だが持ち帰れば奪われるのだろ?ならば迷う意味などない。娘、熱いうちに食べてしまえ。」
「でも、でもお兄ちゃん、私よりお腹すいてるもん…昨日も、その前も、ミナにお兄ちゃんの分のパンをくれて…」
「だからなんだ。兄がお前に渡したのなら、それはお前のものだ。何を気に病む必要がある。」
「だって、お兄ちゃんはミナの為に…」
「だがお前は受け取ったのだろう?兄の空腹を知りながら、それでも受け取り食ったのだ。」
「ユノ‼︎」
鋭い声と共に、ガイアスの手がボレロの襟を掴み上げる。
「……………」
「……………」
怒りを隠さない視線を真っ向から見つめ返す。
「解せん。何故この状況で迷う。怒る。」
「…こっちのセリフだ。何故迷いが、怒りが理解出来ないか、教えてもらいたいね。」
「じゃあ解説しましょ〜!」
串焼きを両手に現れたレオに、ボレロを掴んでいた手が離れる。
「いや〜、やっぱ俺がいないとダメっすね〜。言ったでしょ?ユノ様は箱入りお嬢様なんだから!」
「箱入りかは知らんが、私には解せん事ばかりだ。」
「でしょうね。ん、これ美味いな!お嬢ちゃんも食べなよ!はい。」
「んむっ‼︎…お、美味しい…美味しいよぉ…」
レオに突っ込まれた串肉を噛み締めながら、ミナの瞳からは滝の様に涙が溢れる。
「良かったっすねぇ。ユノ様に出会えた事に感謝しながら食べるっすよ?」
「うん、うん、美味しい、ごめ、お兄ちゃん、ごめんなさい、お兄ぢゃん、ごめんなざい〜…」
幸福感と罪悪感を感じながら食べる姿に、ガイアスは視線を反らす。
「はいはい、そんな顔しないで。兄さん忘れたんすか?知りたいから学ぶ。邪魔だから排除する。欲しいものは手に入れる。それがユノ・ミズリー様っすよ?」
「だからなんだ。その価値観を人に押し付けるのも当然か?力のない者の気持ちなど気にする価値もないと?」
「察しが悪いっすねぇ。いや、俺が兄さんを過大評価し過ぎてたかな?ちょっと評価を考え直す必要が…。ま、今は置いといて、ユノ様は言ったっすよね?『私がお前の願いを叶えよう。』って。」
確かに言った。
大仰な言い回しだが、優しい女だとガイアスが思った言葉だ。
「そりゃ『解せん』はずっすよ。願いを叶えてやるって言ってんのに、泣くばっかで何も願わない。ねぇ、兄さん、弱者ってのはなんで『でもでもだって』の察してちゃんばっかりなんでしょうねぇ?」
「っ…」
「なるほど。つまりは察することを求められていたのか。ん?そう考えると、あの冒険者の娘達も察して欲しかったのか?…ガイアスに好意を寄せているから、連れていくな。どうだ、レオ。」
「正解っすけど…言わないであげるのも優しさかと。(あの場で言ってたらお嬢ちゃん達爆死っすよ。)」
察する事について議論を始めた二人を、ガイアスと店主は呆然と眺めた。
先程までの険悪な雰囲気などまるでなかったかの様に、ユノは新しい知識を得たと言わんばかりの顔をしているのだ。
「あ…あの…」
「あぁ、すまんな娘。どうした。」
「おね、お願いしてもいいんですか?お願いしたら、叶えてくれますか⁉︎」
「そう言っただろう。」
「お兄ちゃんに‼︎お兄ちゃんにも、串焼きを、食べさせてあげて下さい‼︎お願いします‼︎」
小さな身体を地につけて、ミナはお願いしますを繰り返す。
しばらくそれを見つめたユノは、ミナの傍に片膝をつき、小さな頭を優しく撫でた。
「違うのだろう?」
「…えっ?」
「その願いは違う筈だ。ガイアスはお前を優しい子だと言っていた。ならば願いはそれではないのだろ?」
ガイアスの瞳が見開く。
ユノは自分の言葉を聞いていた。
確かに理解は出来なかったのかもしれない。
けれど聞く事はしていたのだ。
解せんと繰り返したのは、理解するための言葉だった…
「ぅ、ぁ、おなか…」
「うむ。」
「おなか、いっぱい、食べたいです…わたしも、お兄ちゃんも、みんなも、おなかがすいて、泣くのはいや…寒くてねむれないのも、いや、」
「そうか。」
親指で涙を拭ってやりながら優しい笑みを浮かべる姿に、ミナは年相応に声を上げて泣き始めた。
魔物に襲われ、親を、居場所を奪われて、食べるものも無く、どれだけ辛かった事だろう。
今まで兄を心配させまいと耐えて来た糸は、ユノという存在の前に切れてしまったのだ。
「レオ。」
「はいはい。おやじさん、オーク肉はいっぱいあるんでしょ?それ、全部買うから出張してよ。」
「そりゃ構わないが…用意もあるし、昼からでもいいか?」
「ついでに野菜も頼むね。じゃあお嬢ちゃん、案内よろしく!」
レオが指先で弾いたコインが店主の手に収まる。
それは先程ユノが見せた白金貨だった。
手早く屋台を片付ける音を背に、一行は村外れの孤児院に向かうのだった。
next…
ユノ「オークのオーカツ、キングバードはヤキトリ、ビッグホーンはヤキニク…」