死にたがりのエルフ
せっかく竜に名前を呼んでもらったのに、それを確認できずに走り去ってしまった暖。
彼女が次に向かった先は、この集落の外れにある森だった。
「いつもの木です! ……そこに、縄をかけて!」
あっという間に暖に追い抜かれ、彼女の後を遅れがちに走るサーバスが、後ろから叫ぶ。
残念なことに、毎日が事務仕事の役人は、とても体力がなかった。
ハアハアと息を乱し、ついには立ち止まってしまうサーバス。
「と、とりあえず、ウルフィアが説得しています。…… いつも、すみません …… ウララ、お願いします!」
「ハイ!」
暖は、後ろを見ずに返事をして、先を急いだ。
ようやく森が見え、森の端に立つ大きな木が見えてくる。
「邪魔をするな、ウルフィア!」
「そう思うなら、余所でやってくれ」
「この木の高さが丁度良いんだ」
「”自殺”するのにどの木でも同じだろう? わざわざ私の家の近くを選ぶな。見えない所で死んでくれ」
「ダメェ~! 止メテ! 止メテ! ウルフィア!」
物騒な会話を交わす二人を、暖は必死に止める。
ウルフィアの説得は、方向性が間違っているだろう。
息せき切って駆けつけた先には――――
抜き身の剣を片手に、面倒くさそうに立つウルフィアと、木の上で太い枝に縄をかけ、その縄の先を丸めて自分の首に巻き付けている見た目20代の青年がいた。
「ウララ! …… 来、来るなぁ~!」
青年 ―――― リオールは、泣きながら叫んだ。
リオールは、うつ病のエルフだ。
青い髪に青い瞳。儚げな風貌に先の尖った耳を持つ美青年に見えるのだが、本当の年齢は三桁代らしい。
自殺願望の強いこのエルフも、暖がお世話をする住人の一人だった。
「リオール、ドウシテ? 今日モ、話スルッテ約束シタノニ?」
駆けてきて、ハァハァと苦しい息の下から問いかける暖を、リオールは涙に濡れた目で見おろしてくる。
「ウ、ウララが、遅いから、……み、見捨てられたと思って」
リオールは、涙ながらに訴えた。
暖は、ブンブンと首を横に振る。
「違ウ! 遅レタダケ!」
「わ、私が、うっとうしくなったのなら――――」
「お前が、うっとうしくない奴がいるものか」
ウルフィアがポツリと口を挟んだ。
ダーッと、リオールの目から涙を流れる。
「死、死んでやる~!」
止める暇もなく、リオールは、あっという間に、首に縄をかけたまま樹上から飛び降りた。
「キャ~ッ!!」
暖が叫ぶ。
同時に、ウルフィアの剣が一閃。遥か頭上のリオールのぶら下がった縄を、スッ! と断ち切った。
ドシン! と、リオールが地面に落ちる。
「リ、リオール大丈夫?」
暖は、直ぐに駆け寄った。
「痛た……」
落ちた時に打ったのだろう、お尻を押さえながらリオールがうめく。
慌てて暖はリオールの手がある辺りを撫でた。
「痛イ?」
のぞきこむ暖の顔を見て、再び、ポロポロと泣き出すリオール。
「遅レタ。ゴメン」
暖の謝罪にウワ~ン! と声を上げ暖にしがみついた。
ウルフィアが、大きな溜め息をつく。
リオールは、涙ながらに、自分が辛かったこと悲しかったことを切々と訴えた。
「ウンウン、辛カッタネ」
「ソウ、悲シイネ」
暖は、聞きながらずっとリオールの背中を撫でる。
「ウララは、リオールを甘やかし過ぎだ。もっとビシッと言ってやれ」
背後でウルフィアが呆れながら呟いた。
暖は、黙って首を横に振る。
――――もちろん、暖だってリオールに出会った当初は、いろいろ話して慰めたり説得したりしようと思ったのだ。
しかし、いかんせん暖はそこで言葉の壁にぶち当たった。
思いを言葉にしたくとも、できない暖。
仕方なく言葉少なに相槌を打ちながら聞き役に回ったのだが、――――どうやらそれが、とても良かったらしい。
リオールは、黙って自分の話を聞いてくれる暖に、心を開いてくれた。
そして、暖は気づく。
暖がリオールを説得して言おうと思っていたような事は、彼にはとっくにわかっていることなのだと。
わかっていてもどうにもできずに苦しんでいるのだと。
ならば暖にできるのは、ただ話を聞いて思いを共有してやる事だけだった。
「わかっているよ」 「一人じゃないよ」 と伝えるだけ。
今も、暖はリオールの話を聞き続けた。
そうすれば、リオールはゆっくり落ち着いていく。
ようやく笑みを見せるようになった彼を、暖は家へと帰した。
「マタ明日リオール。絶対、行クカラ! 待ッテテ」
リオールはうんうんと頷く。
後から来たサーバスが、リオールを送ってくれることになった。
「やれやれ、ご苦労さまウララ。家でお茶でも出してやりたいが、これから王子の所だろう?」
そう、暖には、まだまだ仕事が山積みなのだ。
心配そうにリオールを見送る暖に、ウルフィアが声をかけてくる。
ウルフィアの家はこの森の直ぐ側だった。
そのせいで彼女は毎回リオールの自殺未遂に付き合う羽目になっている。
「リオールは大丈夫なのだぞ。ああやって自分の辛さを外に出せるようになった奴は、本当に死んだりしない。危ないのは全てを一人で抱え込んでへらへら笑いながら、ある日突然自分で自分を終わらせる奴だ」
全てがそうとは限らないだろうが、その傾向が大きいとウルフィアは語る。
騎士として死と隣り合わせの場所で生きてきた彼女。
仲間の中には苛酷な環境に耐えられず自ら死を選ぶ者も多いのだそうだ。
自分の経験談としてウルフィアは話してくれた。
「ソレデモ、リオール辛イ、本当」
暖は、そう思う。
辛くて泣いている人がいて、その人に自分の手が届くのならば、どうして手を伸ばさずにいられるだろう。
「ウララは、優しいな」
ウルフィアは少し憂いを含んだ顔で微笑んだ。
暖は、自分は優しいわけではないと思う。
できる事以上をしようという気が暖にはないからだ。
(私が、できるのは小さな事だけだわ)
大きな事はとても無理だ。
(異世界トリップをしても、チート能力とかないし。…… ああいうのって、お約束じゃなかったの?)
そう思いながら、暖は溜め息をついた。
しかし、無い物ねだりをしても仕方ない。
「私、アルディア所、行ク。ウルフィア、後デ、マッサージ、イルカ?」
だから、暖はそう尋ねた。
マッサージは、暖ができる数少ないことのひとつだ。
ウルフィアは、嬉しそうに笑う。
「ああ、よろしく頼む。ウララのマッサージは良く効くからな」
誉められれば、誰だって嬉しい。
暖は大きく頷くと、元気よく駆け出して行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
異世界から来て、あっという間にこの場所に馴染んだ暖の後ろ姿を、ウルフィアは見送る。
「不思議な娘だ」
年老いた女騎士は、しみじみとそうつぶやく。
彼女が来てから、この村は”奇跡”続きだ。
年老いて現実と記憶の区別がつかなくなり、石のように眠ったままだった竜が、暖が世話をするようになってから、起きて話をするようになった。
誰が何と話しかけても無表情で、死ばかりを渇望していたエルフが、あれほど感情を表し泣く姿だって、暖が来る前は誰も見た事は無い。
気難しいディアナが一緒に暮らし、人嫌いの王子が文句を言いつつ言葉を教える少女。
何より、騎士であり無防備に他人に体を触らせる事など、例え治療のためでも厭っていた自分がマッサージをさせるなど――――
ウルフィアの昔を知る者ならば誰も信じはしないだろう。
「ウララのマッサージは、温泉のようだ」
異世界から呼び寄せた温泉。
暖が現れた騒動の後、あらためてゆっくり入ったお湯は、とても気持ちの良いものだった。
体がポカポカと温まり、心まで温かくなる。
そんな温泉と一緒に来た娘。
彼女自身も温泉のように人の心を温める存在なのかもしれない。
女騎士は、最近前より痛みの軽くなった腰を伸ばし、暖の去った方を見つめる。
ウルフィアの顔には、知らず笑みが浮かんでいた。