選べない……
暖にかけられた自動防御魔法は完璧だ。なにせ、落ちたる竜王とエルフの失われた王、神を堕落させた吸血姫、世界を二度滅ぼしかけた魔女が、全員一度に攻撃したくらいの威力なのだ。
だからこそ、誰の心にも隙があったのだろう。
まさか、魔王が、こんな手段を取るとは思わなかったのだ。
焦るアルディアたちの耳に、魔王の声が聞こえる。
「――――開け! 異世界への扉! この娘と、最も近しい者の元へ!――――」
同時に、部屋の一角が光りはじめた。暖を真ん中に、アルディアたちとは正反対の場所に、ユラユラとした光の壁が現れる。
光は、徐々に固定され、姿見くらいの大きさになった。
やがて、キラキラとしたきらめきが落ち着き、表面が透明な水面のようになる。
その水面の向こうに、白いベッドに身を起こす、ほっそりとした女性の姿が映った。
女性は、大きく目を見開き、こちらを――――暖を、凝視している。
『お姉ちゃん!』
女性は、そう叫んだ。
歓喜に満ちた、泣き声だ。
「喜ぶがいい、ウララ。私が、お前の帰り道を繋いでやったぞ! その光に飛び込めば、お前は元の世界に帰れる。…………我のものにならぬのなら、永遠にこの世界から失われてしまえ!」
魔王はそう叫ぶと、カラカラと笑った。
光の中にいるのは、間違いなく暖の妹の陽詩であり、魔王の言葉が真実ならば、水面の向こうの世界は日本なのだ。
『お姉ちゃん、お姉ちゃん! あぁ、夢じゃないわよね!』
涙をポロポロとこぼしながら、陽詩が叫ぶ。
「……陽詩? ……本当に?」
暖は、大きく目を見開いた。
信じられずにパチパチと何度もまばたきを繰り返すが、映像は消えない。
……暖の目から、涙がこぼれはじめた。
そんな暖の姿を見、ディアナは大きく舌打ちをする。
「クソ魔王! 相変わらず、やり口が最低じゃ!」
『貴様!』
怒りをあらわにしたギオルが上空に飛び上がり、巨大な尾を一閃、器用に魔王だけを狙い、壁にドガン! と、叩きつけた。
壁にめり込んだ魔王は、口から血を流しながらも、クックッと笑う。
「ウララの周囲には、強力な結界を張った。視覚や聴覚を遮断することはできないが、お前たちから、ウララに直接触れることは不可能だ。……そこで、指をくわえて、大切な娘が異世界に帰る姿を見送るがいい」
本当に、性格の悪い魔王だった。
「ウララ!」
魔王の言葉は真実で、駆け寄ろうとしたリオールの体が、結界にぶつかり阻まれる。
「退け! 俺がやる!」
遅れて駆けつけたネモが、ドワーフ渾身の一撃を結界に叩きつけた!
しかし、結界はびくともせず、反対にネモの方が弾き飛ばされる。老ドワーフは、悔しそうに歯噛みした。
「――――無駄だ。他の場所ならともかく、この魔界の中で、我の作った結界を打ち破ることなど、簡単にはできん」
魔王の言葉を聞いたリオールは、拳を握り締め、立ち尽くした。
魔王は不可能とは言い切らなかった。しかし、簡単にできないということは、つまりは、時間がかかるということだ。
手間取れば、暖は日本に帰ってしまうかもしれない。
――――そう、今この瞬間にも、暖はあの光の中に飛び込んでしまうかもしれないのだ。
「ウララ!」
「ウララ!」
必死のリオールやネモの声が聞こえないのか、当の暖は、呆然として光の中を見ていた。
『お姉ちゃん!』
映像の中では、陽詩が、ベッドから降りようと体を動かす。病弱な暖の妹は、床に足をつけた途端、フラフラと体勢を崩した。
「陽詩!」
思わず、暖は叫んでしまう。
その時、
『陽詩! 何をしている!?』
光の中から、新たな声が響いた。しっかりとした男の声で、命令することに慣れた響きを持っている。
声の持ち主は、どこからか映像の中に現れ、陽詩に近寄ると、その体を支えた。
水面のような光が映すのは、背の高い美丈夫だ。――――言わずと知れた、暖の義弟である。
『正樹さん! お姉ちゃんが、あそこに!』
陽詩の声で、義弟――――正樹が、こちらを向いた。
彼は、大きく目を見開く。
『暖!? お前は! ……なんて格好をしているんだ!』
やっぱり、男性が一番に目につくのはそこなのか。正樹は、目を三角にして怒鳴りつける。
……暖は、なんだか、がっくりした。
これでも、アルディアの彼シャツになっている分、幾分マシなはずなのに。 いや、かえってそこが、いけなかったのかもしれなかった。
『やっぱり、思っていた通りだ。……その服! お前は、今度は、どんな大物を引っかけたんだ?』
正樹は、忌々しそうに舌打ちする。
なんて言いぐさだと暖は思った。
(やっぱり、あいつは、気に入らないわ!)
『何をしている! さっさとこっちに来い! お前がいない間、陽詩は三回も発作を起こしたんだぞ。……処置が早かったから、大したことにはなっていないが。……これ以上、陽詩を苦しめるな!』
イライラと怒鳴る正樹。彼の一番は、いつでも陽詩だ。
そして、暖の一番も、いつでも陽詩だった。
――――少なくとも、これまでは。
「三回も!?」
驚いた暖は、慌てて走り出そうとした。
この世界に暖が来る前、陽詩の症状は落ち着いていた。最近は、滅多に発作を起こさないくらいになっていたのだ。
「あなたがついていながら、何をしているのよ!」
義弟を怒鳴りつけながら、暖は足に力を入れる。
『お前が、急にいなくなったせいだろう!』
「言い訳なんて、聞きたくないわ!」
怒鳴り合いながら、暖は光を――――その先の妹を目指そうとする。
「――――ウララ!!」
そんな彼女を、声が呼び止めた。
叫んだのは、アルディアだ。
彼の声を聞き、暖は足を止める。
「ウララ、往かないでください!」
『ウララ、我を置いて行くな!』
リオールとギオルも叫んだ。
暖は、ゆっくりと後ろを振り返る。
エルフと竜の姿を目に入れた。
「……リオール、ギオル」
「ウララ! あなたは、私の世話を放り出すの?」
いつも気だるそうに話すラミアーが、真剣な声を出した。
「ウララ! 俺を見捨てるつもりか!?」
髪の毛や髭を逆立てて、ネモも叫ぶ。
「魔族の治療は、これからが本番だぞ! お前は、何処に行くんだ!?」
ダンケルの声は、悲痛だった。
確かに彼の言う通り、魔界のこれからは、全て暖にかかっている。
必死な思いが、ひしひしと伝わった。
見れば、モノアや正妃も、祈るように手を組み暖の方を見つめている。
暖の脳裏に、この世界に来てからの思い出が、次々と浮かんできた。
言葉も通じぬ暖に、みんな……優しかった。
(ディアナみたいに、わかりにくい人もいるけれど)
それでも、彼らは、暖を助け、好意を寄せてくれたのだ。
「ア、ミンナ……」
揺らぐ暖の後ろから、陽詩の声が聞こえてくる。
『お姉ちゃん!』
「ウララ!」
今度、暖を呼んだのは、リオールだ。
泣き虫なエルフの目からは、先ほどから、涙がこぼれ落ちている。
両方から呼ばれ、――――暖は、どちらにも答えられなかった。
どちらも、大切なのだ。
どちらも、選べない。
『何をしている!? 早く来い! 陽詩を、これ以上泣かせるな!』
光の中から、正樹の声が聞こえた。
暖は、ノロノロとそちらを向く。
小さな頃から暖が育ててきた、可愛い可愛い妹。
陽詩が、泣きながら自分を呼んでいるのだ。
―――― 一方、アルディアは、最初に暖の名を呼んだきり、黙ったままだった。
ただただ、暖を見つめ続けている。
美しい紫の瞳に、激しい焦燥を映しながら、彼は、ただ暖を……見ている。
『お姉ちゃん! お願い、帰って来て!』
「陽詩……」
妹に呼ばれた暖の足が、そちらに向いた。
フラフラと、一歩、二歩と進んで行く。
――――その時、
今の今まで動かなかったディアナが、杖を振りかぶった。
その杖で、ズン! と、アルディアの腹を突く。
「グッ!」
鳩尾を突かれたアルディアは、たまらず派手に咳き込みはじめた。
「ゴホッ! ……グッ、ゴホッ! ゴホッ、ゴホッ!」
「キャァッ! アルディア! 大丈夫!?」
慌てて、暖は、アルディアに――――駆け寄った。
ディアナ、グッジョブ!
あと2~3話で完結予定です!(あくまで、予定……)