反旗
「ともかく、父上の元に行くぞ。この騒ぎをおさめなければならない。ギオルへの攻撃を止めさせて、対策を練らなければ――――」
焦ったようにダンケルが話す。このままギオルが暴れては、魔界はめちゃめちゃになってしまう。
彼の焦りは、当然だ。
暖だって、せっかく仲良くなったモノアたちが、戦いに巻き込まれ死んだりするのは嫌だった。
ダンケルの言葉に、力強く頷き、一緒に動き出そうとしたのだが、そこに――――
「ダンケル! あの娘はどこだ!?」
大声と共に、魔王が現れた。
「父上!」
タイミングのよい父王の登場に、ダンケルはホッとした顔をする。
しかし、その安心は、少々早すぎたようだった。
「そこか!」
暖を見つけた魔王は、足早にずんずんと近づいてくる。
「急げ! 城の地下に移動するぞ。“奴ら”が後宮に来る前に、この娘を隠さなければならん!」
にゅっと手を伸ばしてきた。
思わず首をすくめる暖を、ダンケルは、背中に庇う。
「父上、何をするんです! それに、隠す? ……いったい何を仰っているのですか? 誰から、ウララを隠すおつもりです?」
一歩も引かず、ダンケルは、魔王の前に立ちはだかった。
魔王は、イライラと息子を睨みつける。
「忌々しいあの“魔女”が、魔界に来ているのだ! 人間の王も。――――アルディアとか名乗った王が、娘を返せと言ってきた。人間など怖れるに足らんが、魔女の他にもエルフや吸血鬼、ドワーフもいる。外の竜も、奴らの仲間だろう。……隠さねば、娘を奪い返されてしまう」
魔王が「竜」と言った途端、外で派手な爆発音が響いた。グラグラと城が揺れて、魔王の顔には、焦りの表情が浮かぶ。
一方、魔王の言葉を聞いた暖は、慌ててダンケルの背中から、顔をのぞかせた。
「アルディア! アルディア、来テル!?」
勢い込んで、たずねる。
「そうだ。人間の王は、よほどお前のことを気に入っているようだな。他の何よりお前を取り返すことを優先しているぞ」
不機嫌さを隠さず、魔王は答えた。
しかし、揶揄をこめた魔王の言葉は、暖の頭の中に、まったく入っていかない。彼女は、アルディアの名を聞いた瞬間、彼のことで、いっぱいいっぱいになってしまったのだ。
「アルディア、無事? 怪我、ナイ!?」
今にも掴みかかりそうな勢いで、暖は魔王に詰め寄ろうとする。
慌ててダンケルが、彼女を引き止めた。
「落ち着け、ウララ! 王子――――いや、王なのか? ――――ともかく、そいつが魔界に来たということは、無事だということだ。……魔女というのは、間違いなくディアナだろう。エルフや吸血鬼、ドワーフというからには、……まさか、全員勢ぞろいで来ているのか?」
話ながらも、ダンケルの顔は、徐々に青ざめていく。そういえば、ギオルも「みな」と言っていた。“全員勢ぞろい”というのは、どうやら間違いないようだ。
アルディアが無事だと言われた暖は、ホッと安堵の息を吐いた。
「無事。……アルディア、無事……良カッタ」
安心のあまり、体の力が、ガクンと抜ける。
「おい!」
倒れそうになった暖は、焦ったダンケルに抱きとめられた。
「こんなところで倒れるなよ。倒れたお前の姿を、奴らに見られでもしたら――――」
間違いなく、その瞬間に、魔界は終わる。
ダンケルは、大きな衝撃を与えないよう、細心の注意を払いながら、彼女の体をユサユサと揺すった。
「これは、攻撃じゃないからな!」
誰に向かってなのか、必死に言い訳をしたりもする。
揺さぶられた暖は、意識を保とうと、首を小さく左右に振った。
そこに、魔王の言葉が聞こえてくる。
「いや、そのまま意識を失わせた方が、好都合だ。娘を連れて移動するぞ。急げ!」
低く冷たい声が、ダンケルに命令している。
(移動?)
ようやく意識がはっきりした暖が目を開ければ、そこには呆れた表情のダンケルの顔があった。
「そんなこと、できるはずがありません。ウララの意思を無視して、彼女を隠したりしたら、ギオルやディアナだちの怒りを買うだけです! ……そもそも、ウララが魔界にいるのは、あくまで彼女の好意ゆえ。それを裏切るような真似をするのは、自殺行為です!」
ダンケルは、父王を睨みつけた。
その瞬間、魔王の纏う雰囲気が、怒りで膨張する。比喩ではなく、本当に魔王の体は、大きくなった。
「では! お前は、このまま、娘を奴らに渡すつもりか!? 後宮の病の本格的な治療は、これからなのだぞ!」
怒鳴る姿は恐ろしく、空気がビリビリと震動する。
憤怒の表情を浮かべたまま、魔王は、正妃やモノアの方に、チラリと視線を向けた。
――――暖のおかげで、後宮の女性の意識は変わりつつある。彼女のマッサージを受けた侍女や下女は癒され、女性としての機能を取り戻してもいる。
しかし、それはまだほんの一部。
今、暖がいなくなれば、全てが元の木阿弥に戻る可能性は、限りなく大きい。
何より、正妃に対する治療は、はじまってもいなかった。
「――――我らは、まだ、その娘を、失えないのだ!」
魔王の叫びは、魔族全体の正直な思いだろう。心の叫びと言っても、いい。
しかし、ダンケルは、必死で魔王に対し、首を横に振った。
「だから! それは、ウララの意思次第なのです! ……大丈夫です。彼女は、呆れるほどのお人好し。いったん彼女を人間界に返したとしても、ウララは、魔族を絶対見捨てません!」
魔王に対し、キッパリと言い切った。
それはそれで、暖としては複雑な評価だ。
(……お人好しって、魔族にとって褒め言葉じゃないわよね?)
ムスッとしてダンケルを睨むが、必死なダンケルは気づきもしない。
「どこに、そんな保証がある!?」
魔王は不信そうに怒鳴った。
「彼女を知る者なら、全員保証してくれるはずです。――――そうですね、正妃様?」
ダンケルは、話を正妃に振る。
問われた正妃は、不承不承頷いた。
「ダンケル殿と意見を同じくするのは、不本意なのですが、……ウララが、魔族の我らにとっては考えられないほどに素直で、お人好――――コホン、優しい娘であることは、会ったばかりの私にもわかります」
正妃の言葉も、なんというか微妙な内容だ。
正妃とダンケルの二人から、お人好し認定をされた暖は、なんだか釈然としない。
しかし、それでも魔王は納得しなかった。
「人の好意など、信じられるか!」
大声で叫ぶ。
その言葉に、
「……魔族の好意よりは、信じられるわよね」
ついつい暖は言い返してしまった。
日本語で話された言葉は、今までであれば通じない。しかし、魔王は翻訳魔法を持っている。
ただでさえ怒っていた魔王は、ギロリと暖を睨みつけた。イケメンの怒り顔は、迫力万点である。
(……若作りのくせに)
その顔に、暖は、無性に腹が立った。
「他人を信じられない者は、他人からも信じてもらえなくなる者よ。王として、それはどうなの?」
気づけば、彼女はそう口走っていた。
一瞬、目を見開いた魔王は、次の瞬間ニヤリと笑う。
「よく回る口だ。……どうやら遠慮は、いらないようだな」
言うなり、暖に手を伸ばしてくる。
「お止めください! 父上! 魔界が滅んでしまいます」
焦ったダンケルが、立ち塞がるが、魔王の手は止まらなかった。
「安心しろ。私の魔力で少しの間なら防御魔法を無力化できる。その間に地下牢に放り込めば、奴らも手出しできまい!」
それは、最低最悪な悪手だ。
そんなことをしてしまったら、魔界の全てが壊滅するまで、ギオルやディアナたちを止めることができなくなる。
「バカなの?」
思わず、暖は呟いた。
ダンケルも、大きく顔をしかめる。
「逃げろ、ウララ! 父は俺がくい止める! 無事に逃げて、俺が迎えに行くのを待っていてくれ! ……お前は、また魔界に来てくれるだろう?!」
叫ぶなり、ダンケルは魔王に対し、攻撃を放った。




