王 VS 魔王
時は少し遡る。
暖と正妃が出会った頃、魔王は謁見の間で不本意な再会を果たしていた。
「………………何故、人間の王の使節団に、“お前”がいる?」
「望まれたのじゃから仕方あるまい。おぬしと違い、わしには人望があるからの」
フォッフォッと笑いながら、使節団とは思えない小さな老婆がふんぞり返る。
思わず握り締めた拳の中に、魔王は一撃必殺の攻撃魔法を溜めた。
「相変わらず短気なバカじゃの。……おぬしが、その魔法を放てば、この会談は水泡に帰すぞ」
フンと鼻で笑いながら、老婆が魔王をバカにする。
ギリギリと歯軋りした魔王は、それでも拳の中の魔法を消し去った。
「――――ディアナ、懐かしいのでしょうが、じゃれ合いはそのくらいにしてしてくれませんか? 私たちはここに遊びに来たわけではないのですから」
睨み合う魔王と老婆の横から、涼やかな声がかかる。発したのは、妖精かと見紛うほどに美しい人間の男性だ。透きとおるような白い肌と整い過ぎた顔、深い紫の瞳が真っ直ぐ魔王に向けられている。
魔王の居城で怯みもせず、凛として立つ彼は、言わずと知れたアルディアだ。相変わらずの美貌だが、ただ一つ、金冠を戴く白銀の髪が、肩ほどの長さに切られていた。
まあ、それはまたそれで、長髪とは別種のキリリとした美しを放っているのだが。
「ハ? 誰がじゃれ合っておる! 懐かしくなんぞ、あるはずがないじゃろう!」
「ハ? 誰がじゃれ合っている! 冗談でも笑えぬぞ。――――人間の“王”よ」
ディアナと魔王は、ピッタリ同じタイミングで、アルディアに怒鳴り返した。二人睨み合い、同時にフンと横を向く。さすが長年の因縁の中。一糸乱れぬ息の合いようである。
『人間の王』と呼ばれたアルディアは、動じた風もなく二人に目を向けた。
「では、さっさと平和条約を結んでしまいましょう。無駄口に付き合うほど、私は暇ではありません」
相変わらずの高飛車。傲岸不遜の王子さま――――いや、王さまだった。
さすがの魔王も呆れたような視線を返す。
「――――翻訳魔法は完璧か。人間は王を見失っていると聞いたが、……どうやら、正しき王が即位されたようだな。お祝い申し上げよう」
魔王の言葉に、アルディアはキレイな顔をしかめた。
「めでたくなどあるはずがないでしょう。王なんて面倒なモノ、私は、なりたくありませんでしたよ。……それでも、王にならなければ、“大切なもの”を奪い返すこともできない。……苦渋の決断です」
心底嫌そうにアルディアは話す。
彼の後ろに控える使節団の端っこにいたサーバスは、顔色を悪くした。
「アルディアさま……そんな、バカ正直に」
仕える主君に対して『バカ』などと、彼もたいがいにたいがいな側近である。
隣にいたウルフィアが、困ったように苦笑した。
「王の言う“大切なもの”とは、我が魔界にお招きしている治癒魔法の使い手殿かな?」
白々しく魔王が問う。
「自分で攫うように命令しておきながら『招く』などと、相変わらず面の皮が厚い男じゃの」
ディアナが、呆れかえって肩をすくめた。
アルディアは平然としている。
「その通りですよ。だからこそ今回の平和条約も、有り得ないくらいあなた方に有利にしてありますでしょう? 無駄な交渉に割く時間はありません。さっさとそれにサインして、暖を返してください」
あっさりと魔王の言葉を認めた。
勝手に人間界に介入し、戦争を起こして、引っ掻き回すだけ引っ掻き回した魔族。あげく彼らは、自分の都合で、途中で引き上げた。
魔族の身勝手な行いは、戦争の相手国トクシャの証言で全て明らかになっている。
つまり今回の戦争の責任は、八割方魔族にあり、その事実は誰もが認めるところなのだ。
しかし、今から結ぼうとしている平和条約は、その割には、魔族に賠償責任を問わないものとなっていた。領地の没収は一切なく、賠償金も必要最低限。責任者の処罰も求めていない。
「そちらは、それで良かったのかな?」
魔王は面白そうに聞いてくる。
「魔族は証拠を残しませんでしたからね。捕虜はもちろん、遺体の一部さえ戦場に残さなかった。魔力の痕跡も消し去っている。……こちらにあるのは、トクシャの言い分と目撃証言だけ。多少強引でも、そちらにでっち上げだと言い張られてしまえば、交渉は長引きます。そんな暇は、ないのだと言いましたでしょう?」
柳眉を上げながら、アルディアは、魔王に冷たい視線を投げた。
魔王は、わざとらしく目を見開いて見せる。
「人間の王は、交渉で得られる利益よりも、人の子一人の解放が早まることを選ばれるか? それは、執政者として失格なのでは?」
アルディアは、フンと鼻を鳴らした。
「利益を渡すつもりもないくせに、よく仰る。……得られるかどうかもわからぬ利益にかける時間よりも、私自身の“大切なもの”を優先するのは当た有り前でしょう? それくらいのメリットがなければ、王なんてやってられませんよ」
見も蓋もないアルディアの言葉に、魔王は、「ハハッ!」と笑い出した。
「これはいい! 新しい人間の王は、我ら魔族に思考回路がよく似ている。わけのわからぬ正義や規則なぞに縛られる輩より、よほど話が通じやすい。……しかし、そんなに正直に、自分の望みを話してしまってよいのかな? あなたが“大切なもの”に執着すればするほど、魔族はそこにつけこむぞ?」
魔族に似ていると言われたアルディアは、嫌そうに眉をひそめた。一緒にするなとばかりに、ジロリと魔王を睨みつける。
「つけこませるはずなどないでしょう? なんのためにディアナや“他の者たち”を、連れてきたのだと思っているのです? この引きこもりの老人たちを、ここまで引っ張ってくるのは、たいへんだったのですよ」
アルディアの言葉に、ディアナはチッと舌打ちした。
そんな老婆の後ろから、
「……自分も引きこもりだったくせに」
「あらあら、ずいぶんな言い草ねぇ?」
「人間の使節団などと面倒な。ギオルと一緒におれば、瞬時に移動できるものを」
青い髪、青い瞳のエルフと、気だるげな雰囲気の絶世の美女、もさもさな白髪と長いひげのドワーフが現れた。
言わずと知れたリオールとラミアー、そしてネモである。
辺境の村で、ディアナ共々暖に呼ばれるのを待っていた彼らの前に、王となったアルディアが現れたのはつい先日。そこから彼らは、問答無用で使節団に組み込まれた。
「私の留守に、よくも好き勝手してくれましたね。……今後もこの村でウララと一緒に暮らしたいのなら、私に従ってもらいますよ」
そう告げたアルディアの美しい顔は、真夏の怪談話よりよほど怖かったという。
巨大すぎて一緒に移動できなかったギオルを残し、彼らはアルディアに従った。
暖との暮らしを盾に取られてしまえば、否やの言えない彼らだ。
姿を現し、隠していた力の波動を表に出したリオールたちに、魔王は顔色を変える。
ディアナはともかく、他の面々までは把握していなかった様子だ。
「なっ!?」
ディアナは、ニィーッと笑った。
「おぬし一人の相手なら、わし一人でも余裕じゃが、他にも魔族が大勢いてはな。力加減を誤って、今度こそ世界を滅亡させてしまうやもしれぬ。さすがにそれは寝覚めが悪いからのぉ」
物騒なディアナのセリフを気にもせず、アルディアは他の面々を前に出す。
「改めて紹介する必要もないかもしれませんが、――――"エルフの失われた王"と、"神を堕落させた吸血姫"、“ドワーフの狂戦士”です。……"世界を二度滅ぼしかけた魔女"と仲の良い魔王さまには、おわかりでしょうがね」
アルディアの言葉に、魔王の周囲にいた魔族たちに動揺が走る。
「仲など良くないわい!」
「仲が良いはずないだろう!」
ディアナと魔王は、またピッタリ息を合わせ怒鳴る。フン! と顔を背けるタイミングも、やっぱり同じだ。
「最後通告です。……さっさとその平和条約にサインして、暖を解放しなさい。さもなければ、彼らをけしかけますよ」
アルディアは、冷たくそう宣した。
「まあ、ひどいわ。私たちを番犬かなにかのように言うなんて」
ラミアーが、ツンと唇を尖らせて見せる。
「仕方ありません。全て、ウララのためです」
リオールは、拳をギュッと握りしめ、我慢する。
「グルルル……」
本当に番犬みたいに、ネモが唸り出した。
いまだかつて、魔王に対し、ここまで高飛車な態度に出た人間の王は、いないだろう。
魔王は、唇をかみしめる。
本来なら、多少業腹でも、ここは人間の王の要求をのむべきだ。
平和条約は、魔界にとって大きなデメリットにならず、それに反して、目の前の二つ名の持ち主たちと争うのは、こちらの被害が大きすぎる。
どうするべきかは、火を見るより明らかだ。
しかし、今の魔王――――魔界にとって、暖を手放すことは、どうあってもできないことだった。
暖の力で、後宮の女性たちは癒されはじめている。その効果は、ゆっくりではあるが着実に表れていて、最初に後宮を出た魔族女性が無事妊娠したという報告も受けている。
(まだ、手放すわけにはいかぬ!)
魔王は、そう決意する。
だとすれば、どうするべきか?
こちらの事情を話し、説得するか?
それとも――――
グッ! と、魔王が両手を握り締めた、その時、
ガァォォォオォォォッ――――!!
と、大地を揺るがす咆哮が、魔界に響き渡った。