アラビアンナイト
そして数日後。
「やったわ! ウララ、大成功よ! あなたのブラジャーを、正妃さまが、とても喜んで受け取ってくださったの!」
その日、いつものように部屋を訪れた暖に、モノアが飛びついてきた。
大きな一つ目は、喜びのあまり潤んでいる。上機嫌にモノアは話し続けた。
「正妃さまが、私に『ありがとう』と仰ってくださった時の、悔しそうなイノトの顔を見せてあげたかったわ。いつも隠している牙が伸びてギリギリと歯軋りをしたの。……フフフ、いい気味だわ」
イノトは、ボアというイノシシの牙を持つ魔物だそうだ。普段は可愛い八重歯になっている牙が、興奮時には伸びて剥き出しになるのだという。
「やっぱり、私のこの美しい姿に嫉妬したのよね」
モノアは、そう言うとその場でクルリと回って見せた。
モノアの動きに合わせてアラビアンナイトの踊り子に似た衣装がヒラリと舞う。
(……モノアったら、最初は、あんなに嫌がっていたくせに)
あまりの彼女の浮かれっぷりに、暖は苦笑した。
ブラジャーを正妃に献上するにあたり、暖は、まずモノアに試着させようとした。
勧める本人がブラジャーの良さをわかっていないようでは、話にならないと思ったのだ。
しかし、モノアは当然のように嫌がった。
「そんな小さな布きれを、正妃さまが喜んでくださるとはとても思えないわ。私だって、身に着けたいとは思えないもの」
ツンと横を向くモノア。
それをなんとかなだめすかし、暖は彼女の胸のサイズを測った。
そしてモノアお抱えの腕の良いお針子と、最上級の布と糸。レースや宝石などを手に入れたのだ。
(地球のエロ可愛いブラジャーの魅力を、侮ってもらっちゃ困るのよね)
温泉が趣味の暖。温泉に入るからには脱衣所で下着姿になるのは当然で、彼女は下着に目が肥えている。女性用下着に関しては、一家言あるくらいである。
美しくも扇情的な数々のブラジャーを思い出し、暖はデザインを決めていく。
(レースは白がいいかしら? 赤も捨てがたいわよね。谷間に小さなリボンと宝石を付けて、ゴージャスな花のパッカーアップリケに宝石を散りばめるのもステキだわ)
暖の指示のもと、世にも豪華で美しいブラジャーが製作されていく。
徐々に出来上がるブラジャーに、まず料理長が感嘆の声をあげた。
「すごいな、これは。本当に胸を支えるためだけのものか」
心の底から感嘆していることがわかるその声に、最初は興味なさそうだったモノアも、目を向けてくる。チラチラと暖とお針子たちの手元を窺いて、大きな一つ目をキラキラと輝かせた。
クスリと笑った暖は、仕事を急がせる。
そして、ついに出来上がったブラジャーを、これ見よがしにモノアの前で広げて見せたのだ。
「ドウ? ステキデショ?」
掲げられたのは、清楚な白の総レースに美しい刺繍が施された芸術品みたいなブラジャーだ。胸の谷間にあたる中央には、ピンクのレースを重ねたリボンとまろやかな真珠が輝いている。カップの両脇には宝石を散りばめた真紅の薔薇のパッカーアップリケがついていて、蔓を模した刺繍の飾りが肩ひもに絡みついていた。
(しかも、脇スッキリ、谷間バッチリメイク機能つきの優れものなんだから!)
暖は内心鼻高々だ。
モノアはゴクリと息を呑む。
「オ願イ! チョットデイイカラ、着ケテミテ」
暖が下手に出てそう頼めば、モノアは顔を赤くして頷いた。
「ま、まあ……そうね。他ならぬウララのお願いだもの。そんなに頼むのなら着けてあげなくもないわよ」
言いながら早くドレスを脱がせるようにと警護の一つ目に指示を出す。自分から進んで鏡の前に立った。隠そうとはしているが、期待で浮き浮きしているのが、よくわかる。
「ア、コルセット、脱イデネ」
しかし、次いで発せられた暖の言葉に、モノアの動きは凍りついた。
「え? ……コルセットを脱ぐの?」
「モチロン! ブラジャー、アル。コルセット、ジャマ」
暖がきっぱり言えば、モノアは泣き出しそうな顔をした。
それに気づかぬふりをして、警護の一つ目に、暖は指示を出す。
「コルセット、取ッテ。ブラジャー着ケル。早ク!」
どうするべきか一瞬迷った警護の一つ目も、暖の強い視線を受けて動き出した。
美しいブラジャーの魅力に負けたのか、モノアは、唇を噛んでコルセットが外されるのを我慢している。鏡に映る姿を見たくないのか、ギュッと目を瞑った。
「ホラ! 見テ! ステキ!」
暖の弾んだ声を耳にしても、なかなか目を開こうとしない。
「姫さま。本当にお綺麗ですわ」
「こんなにステキな衣装は、見たことがありません!」
「よくお似合いですよ」
「流石、我らの姫さまです!」
料理長と三人の警護の一つ目の言葉を聞いて、ようやくモノアは目を開けた。
そのまま一つ目を、大きく見張る!
「……あ、……キレイ」
実際モノアの胸は美しかった。
芸術品のようなブラジャーに包まれた大きな胸は形良く整えられ、深い谷間を強調しつつピンと上を向いている。モノアの肌は青白いのだが、きめ細やかな肌の美しさが、真紅の薔薇によって、なお引き立てられていた。
暖の感覚では腰が細すぎるのだが、魔界的にはOKだろう。
「布一枚なのに、どうしてかしら? 動きやすいし肩が楽だわ」
モノアはそんな感想も漏らした。どうやら機能的にもOKのようだ。
大満足しながら、暖は考え込む。
「これって、下着だけじゃもったいないわよね。上にドレスを着て隠すなんて、したくないわ。……そうだ! アラビアンナイトは、どうかしら? 踊り子の衣装に似せて、透ける布で腰と足を包むの! ……ここは後宮だし、ぴったりなんじゃない!」
フッと暖はそんなことを思いついた。
考えれば考えるほどその案は素晴らしく思えてくる。
「ウララ?」
日本語の暖の呟きがわからなかったのだろう。モノアが首を傾げて聞いてきた。
「大丈夫! 任セテ! モノア。私、最高、作ル!」
新たな創作意欲をかきたてられた暖は、両手を握り締め決意する。
――――結果、出来上がったのが、今現在モノアが着ている衣装だった。
細い腰やおへそ丸見えのアラビアンナイト風の衣装に、最初モノアは怖気づいたが、斬新な衣装は、料理長や警護の一つ目、協力したお針子たちに絶賛される。
「姫さまの魅力を、あますことなく出せるお衣装です!」
「うっとりしますわ」
「サキュバスほど淫らでなく、そこはかとなく品もあり」
「最高だと思います!」
こぞって誉めそやせば、モノアも満更でもない顔をした。
「大丈夫! 絶対、ソレ、正妃サマ喜ブ!」
そして、暖は太鼓判を押した。
(……だって、魔王が喜びそうな衣装だもの)
魔王の好みは大きな胸と細い腰。モノアの着ている衣装は、そのどちらも強調し、扇情的に魅せている。
(正妃なら、魔王の好みは熟知しているはずよね)
正妃は、きっと一目でこの衣装の持つ、魔王に対する効果を見抜くことだろう。それができないようでは、魔王の正妃であり続けられたはずがない。
自信満々に、暖はモノアを送り出した。
――――そして、予想は違わなかった。
正妃はモノアの衣装を手放しで褒めちぎり、献上されたお揃いの衣装を喜んで受け取ってくれたのだという。
「ありがとう、ウララ! あなたのおかげよ」
満面の笑みを浮かべるモノアに、暖はニッコリ笑い返す。
「モノア、元気ニナッタ、良カッタ」
モノアの心の憂いを晴らすと同時に、あんなに執着していたコルセットも外せて、今回の件は暖にとっても万々歳の結果だ。
(この衣装が後宮で流行れば、全員の脱コルセットも夢じゃないわよね!)
嬉しそうな暖の様子に、感極まったモノアは抱きついてくる。
料理長や警護の一つ目たちも、涙ぐみ、温かな雰囲気が部屋の中に満ちた。
この時、暖は何もかもが上手くいくのではないかと、思った。
―――― 暖に、魔王の正妃から正式な招待状が届いたのは、その翌日だった。




