誤解
下女には婚約者がいたのだという。
親の決めた相手だが、幼い頃より気が合って、結婚するのだと、当たり前に思っていた。
「でも、私には生理がこなかった」
正しく言えば、初潮から最初の一年くらいの間は、キチンとあったそうだ。ただ、年頃になって、自分の容姿が気になって、体型に気を使うようになったら、だんだんこなくなった。
不順になった生理が、完全にこなくなったのは、正式なお披露目をしようかという頃。
婚約者は貴族の跡取りで、子供のできない嫁など迎えることはできなかった。
両家の親から、この婚約はなかったことにすると告げられて、彼女は泣く泣く婚約破棄を受け入れた。
逃げるように、後宮に下女として入ったのだそうだ。
「でも、彼はギリギリまで、私が戻るのを『待つ』って言ってくれているの。もう、絶対ダメだから諦めてって、伝えたんだけど、それでも」
彼の元に帰れると、下女は泣いた。
おそらく彼女と似たような境遇の者もいるのだろう。下女の仲間たちは、みなもらい泣きをしながら喜び合う。
感動的な話に、暖もちょっと涙ぐんだのだが……よくよく考えて、少し呆れてしまった。
そんな優しい婚約者がいたのに、彼女はそれでも食べる量を増やそうとしなかったのだ。
痩せて生理がこなくなったのだから、普通は、食べて体型を戻そうとするだろうに。
(そんなにひどく太らなくても、生理が順調になるくらいまで体型を戻せば良かったのに。……ひょっとして、痩せすぎと生理が無いことを関係ないと思っていたの?)
医療情報に溢れた現代日本で生まれ育った暖にとって、極度の痩せが女性の生理に悪影響を及ぼすことは一般常識である。
魔界ではそうではないのだろうか?
「太ロウ、思ワナカッタ?」
確かめようと暖が聞けば、みんなきょとんとした顔をした。
「痩セ過ギ、生理ナクナル」
暖がそう言えば、料理長が「そんなバカな」と一笑にふした。
「そんなはずがあるか! お妃様方を見たことがないのか? 皆さまとてもお美しい方ばかりだぞ」
当然、ものすごく痩せているそうだ。
「生理アル?」
「正妃さまも側妃さまも、皆陛下の御子を産んだ方ばかりだ」
「最初ハソウデモ、……今モ?」
後宮の食堂で働いて、暖は気づいたことがある。用意する食事の中に、子供用のものがないのだ。
ダンケルが魔王の嗣子で、ブラットが末子。他の子供たちは、後継者争いの中で消えていった。
今現在、暖が知る魔王の子は、彼らだけだ。
しかし、一度会っただけだが、魔王は二十代の青年といっていいほどの外見をしていた。ディアナと同じくらい年寄りの若作りかもしれないが、長命種だという魔王は、まだまだあちらは現役バリバリなのではないだろうか?
(だから、こんな大規模な後宮が必要なんでしょう?)
ちょっと赤くなりながら、暖は考える。
当然、行為に伴って、子供も生まれるはずだ。
それなのに、後宮で子供食はおろか離乳食も用意されていないのは、どうしてだろう?
(生まれた子供は、後宮以外で育てているのかもしれないけれど)
子供自体が生まれていないと考える方が、しっくりくる。
後継者争いに心を痛めた魔王が、これ以上子供を増やさないと決めたのかもしれないが、あの魔王に、そんな繊細なところがあるとも信じられない。
暖の質問に、料理長は、グッと言葉を詰まらせた。
しかし、
「妃様だぞ! 当たり前だろう!!」
大声で暖を怒鳴りつける。一つ目が、ギロリと暖を睨みつけた。
(ひぇ~っ!)
迫力万点である。
これ以上聞くに聞けない雰囲気だ。
モヤモヤとはするが、……仕方なく、暖はその場は引き下がった。
その夜、爬虫類の目の下女が、暖の部屋にやってくる。
「本当に、ありがとう。もう一度、あなたにお礼を言いたかったの。……私は、明日には後宮を出るけれど、外の者に言伝てとかない?」
後宮に入った者は、余程のことが無い限り外には出られないし、連絡もとれない。
だから、下女は親切に申し出てくれているのだった。
暖に取って、それは願ってもない。
「ダンケル様ニ、無事、伝エテ!」
勢い込んでそう言った。
突然、魔王に後宮に飛ばされた暖。
きっとダンケルは、そのことを父である魔王から聞かされているだろうが、心配しているのは間違いない。
(私に何かあれば、ダンケルだって無事に済まないんでしょうし)
ダンケルは、暖に隷属の契約をしている。暖が天寿をまっとうすることなく死んだ場合、隷属している魔物がどんな目に遭うかはわからないが、あまり楽しいものでないだろう。
(まぁ、私に何かある前に魔界が滅亡するとは思うけど)
それは絶対避けたいダンケルである。
なんにしても彼が心配しているのは間違いない。
暖が、そう頼めば、下女は、なんだか納得したように頷いた。
「やっぱり! あなたは、ダンケルさまのイイ人だったのね」
「へ?」
暖は、頭に?マークを飛ばした。イイ人とは、どういう意味だろう?
首を傾げる暖に、下女は「大丈夫よ」と言った。
「今の後宮で、あなたがダンケルさまのモノだって知られたら大変ですものね。……誰にも言わないわ」
とんでもない誤解だった!
だいたい、暖がダンケルのモノなのではない。どちらかと言えば、ダンケルが暖のモノなのだ。
(隷属の契約ってそういうことよね?)
「チ、違ッ!」
「大丈夫よ。内緒にするって言ったでしょう。……私、不思議だったの。どうしてあなたが、自分のことでもないのに、私たちの健康を気にしてくれるのかって? でも、ようやくわかったわ。……あなたは、ダンケルさまが魔王になった時に、後宮を入れ替えるための下調べに来たのでしょう。残せる者とダメな者を判別する。……でも、あなたはできるだけ、皆を残せるように指導してくれているのよね?」
――――本当に、とんでもない誤解だった。
暖は、違うと、必死に首を横に振る。
「もうっ! 大丈夫よ。絶対、誰にも言わないから。――――私は、ダンケルさまに直接会えるような身分ではないけれど、彼に頼んでなんとか伝えるようにするわ。彼、王宮の警備をしているの。身分の高い方々とも時々は会えるって言っていたから、多分できると思うわ」
自分で言うだけ言って、下女は出ていった。
最後まで誤解したままだったのだが、……仕方ない。
(思い込みって、怖い)
ものすごく不安だが、彼女は後宮を出ていく身。決して他言しないと言っていたから大丈夫だろう。
(婚約者の魔族が、ダンケルに伝えてくれれば、誤解も解けるでしょうし)
そう信じるしかない暖だった。




