朝の攻防戦
不安な一夜が明けて、昨日と同じ朝がやってくる。
(あ~あ、良く寝た)
例えどんなに不安でも、しっかり寝るのが暖の主義だ。一晩寝れば心も落ち着くし、昨日は見えなかったものも見えてくる。
コルセットは――――結局、着けなかった。
(っていうか、ムリムリ、あんなの入んない)
紐をめいっぱい伸ばしても結ぶことができなかったのだ。
朝、昨日と同じウエストサイズの暖を見て、問い詰めてきた料理長に、暖は正直にそう伝えた。
「ギュウギュウに締めたのかい?」
「モチロン。胃、飛ビ出ス、思ッタケド、届カナカッタ」
嘘も方便。コルセットを締めることを早々に諦めた暖だが、料理長には懸命に努力したと伝える。
不信そうに一つ目を細めた料理長だが、やがて諦めたのか、今度はもう少し長い紐を探してくれると言った。
なんとも余計なおせっかいである。
ともあれ、仕事は待ってくれない。
昨日同様パタパタと働いた暖は、なんとか朝の厨房の戦いを終えて、休憩時間に入っていた。
ようやくこれから下女たちの朝食の時間なのである。
後宮の下働きが集まる大部屋に向かった暖は、隅っこのテーブルに座る。
もちろん独りぼっちだ。前代未聞の醜い魔族と思われている暖と、一緒に食事をしてくれる者などいるはずもない。
ないのだが――――
何故か、暖のいる場所から、大広間の中央に向かい長い行列ができていた。
暖の目の前のテーブルの上には、料理の山ができている。
しかもそれは、どんどん高くなっていた。
パンに野菜、肉料理に魚料理、デザートの果物が、これでもかと積まれていく。
「あ、これも食べて!」
順番待ちをしていた水かきの付いた指を持つ下女が、その山に、また一品を追加した。
絶妙なバランスで乗せられたのは、つくね団子である。
「ソンナ、食ベラレナ……」
「遠慮しなくていいのよ」
水かきの手で口元を隠した下女は、親切そうに笑った。
暖は、ポカンと口を開ける。
彼女に限らず、後宮の下女たちは、普段暖から距離をおいているくせに、何故か食事時だけはやたらと暖に近寄って来ていた。
しかも必ず、自分の分の食事をお裾分けしてくれのである。
(いや、私だって、同じ食事を食べているわよね?)
力いっぱいお断りするのだが、彼女たちは引き下がらなかった。
「それじゃ、あなたは足りないでしょう?」
いったい自分はどれだけ食べると思われているのか?
憤懣やるかたない暖が、なんとか抗議しようと言葉を探している内にも、食事の山は増えていく。
止めて欲しい! と、心底思った。
そもそも暖は、最初から自分の分の料理を多めに盛っている。
下女の食事は定食形式でセットされているのだが、そこに追加するのは本人の自由なのだ。
ただ、減らすことだけは厳禁で、お残しも許されない。
結果、他の下女たちは、自分の食べられない分を暖に回してきているようだった。
(自分の分は、自分で責任を持ってよ!)
暖はそう言いたいが、彼女らは暖の返事を待たずに皿に料理を盛っていく。
「ホント! 私、食ベラレナイ!」
「大丈夫。ほら、これは美味しいのよ」
(美味しいなら、自分で食べろ!)
必死で断る暖と、後宮の下女たちの攻防戦。
暖にはまったく意味不明なこの戦いが、最近の食事時の恒例行事になりつつあるのだった。
そんな不可解な彼女たちの行動の理由を聞けたのは、翌日の夜。
暖は、ようやく一人の下女を自分の部屋に引っ張り込むのに成功したのである。
「だって、私……太りたくないんですもの」
捕まえた爬虫類のギョロリとした目を持つ下女は、小さな声でそう言った。
暖は、目が点になる。
彼女のウエストは、それはもう細かった。
多分40センチ代で、折れるんじゃないかと心配になるほどなのだ。
「ソンナ、痩セテルノニ?」
呆然と、暖が聞けば、
「私なんて、全然痩せてないわ! お尻も大きいし、太ももなんてぽちゃぽちゃしているのよ!」
下女は、怒鳴って、ワッと泣き出した。ギョロリ目からボタボタと涙が落ちる。
言われてみれば、彼女のお尻は、他の下女よりはほんの少し大きかった。
しかし、お尻だけで、全体的に見れば、全く太っているようには見えない。
(太ももなんて、ぽちゃぽちゃじゃなくて、肉無しの皮がぺラぺラの間違いじゃないの?)
これで自分が太っていると思うなんて、とても信じられない。
戸惑う暖だが、この戸惑いにはデジャブがあった。
あれは、学生時代。――――女の子同士集まれば、ダイエットの話題が出るのは当たり前だが、どんなに痩せている友人も、みんな自分は太っていると主張するのである。
(あれと、同じなのかしら? ……ううん。それにしても魔族の女性は痩せすぎよね。いくらなんでもここまで細い人は、私も見たことなかったし)
「ソレ以上痩セル。体、良クナイ」
心配になって、暖はそう言った。下手すれば死んでしまうレベルである。
まぁ、魔族の生命力がどのくらい強いかはわからないので、一概にそう言えないのかもしれないが。
心の底から心配する暖だった。




