魔界滅亡のかかった攻防戦
そんな経緯の後、朝からバタバタと働き、ようやく仕事の終わった夜半。
暖は、料理長の部屋に呼ばれる。
「ハイ……何カ?」
まさか正体がバレたのかと、恐る恐る暖は料理長をうかがった。
料理長のたった一つの大きな目がぎょろんと暖を見る。
思わず首を竦めてしまったが、よく見れば、料理長の目元は、うっすらと赤かった。
どうやら彼女は仕事上がりの晩酌をしていたようだ。
「あぁ、来たかい。やっとお前にサイズが合うものを見つけたよ。さあ、受け取りな」
料理長は、ニコニコと何かを差し出してきた。
暖は、その何かを恐々と見つめる。受け取れと言われたからには仕方ないと手も伸ばした。
それは、何かの皮でできた1枚の布のようなものだった。
目測で50×30センチくらい。色は黄ばんだ白で、幅の短い方の両端に1列の穴が開き、交互に紐が通った円筒状になっている。
「コレッテ……」
何か嫌な予感がして、暖はちょっと手を退いた。
退いた分だけ、料理長は布を押し付けてくる。
「コルセットだよ! これならぎゅうぎゅうにしめればお前でもつけられるだろう?」
酔っ払い料理長は、とても機嫌が良かった。
「コ、コルセット?」
「そうだよ。そのタプタプの腹具合じゃ、お前、コルセットを使っていないんだろう? これをやるからしっかり絞めてごらん? そうすりゃ、お前だって、ちっとは見られるようになるから」
心からの善意で、料理長は暖にコルセットをすすめてくれていた。
暖の顔は、見事にひきつってしまう。
「ケ、結構デス」
「遠慮するんじゃないよ」
遠慮ではなく、心からお断りしたい暖だった。
生まれも育ちも日本の一般人である暖は、生まれてこのかたコルセットなんてものを身に着けた事がない。卒業式や成人式に着物を着て帯をしめたことはあるのだが、それだってあまりの窮屈さに、式が終わった途端脱ぎ捨てたくらいなのだ。
なのに、目の前のコルセットは、そんなものと比べ物にならないくらいキツそうだ。
(だって、幅50センチくらいなのよ?)
あれで絞められたら、間違いなく死んでしまう確信がある。
”窒息死”という言葉が、暖の脳裏に浮かんだ。
そして、ここが重要なのだが、……暖が殺されそうになるということは、問答無用で、暖にかけられている防御魔法が発動するということだった。
コルセットを吹き飛ばす防御魔法が、そのまま後宮どころか魔界全てを吹っ飛ばす可能性は高いだろう。
(ディアナの魔法なら、ありそうよね)
魔界滅亡の原因が、コルセットの絞めすぎなんて理由では笑えない。
暖の目覚めも悪すぎる。
「ホント、イラナイ!」
力いっぱい断るのだが。
「いいから、騙されたと思って着けてみな。お前、そのプヨプヨの腹以外は、案外見られる容姿をしているんだから。……まあ、角が無いのはいまいちだが、それに目を瞑れば、見違えるような美女になるかもしれないよ?」
タプタプだのプヨプヨだの、本当に失礼な料理長である。
そんな美女になんてならなくてもかまわないと暖は思った。
必死に首を横に振る暖に、料理長は訝しそうな顔をする。
「お前、……まさか、着けかたも知らないのかい?」
呆れたように肩をすくめると、料理長は立ち上がり、暖の方へ近づいてきた。
そのまま、コルセットの着け方を教えようとしてくる。
「とりあえず、今着ている服を脱ぎな」
「オ、オ断リシマス!」
「いいから、早く」
「キャア! 近ヅク、ダメ! ……魔界が、滅亡するぅぅぅっ!」
「何を言っているんだい?」
暖は、必死に逃げ回った。
二人の間で、コルセットを着ける着けないの、ある意味しょうもない攻防が繰り広げられる。
しかし、このしょうもない攻防の裏に魔界の存亡がかかっていたとは、誰も思うまい。
――――結果、暖はその場でコルセットを着けられることだけは免れた。
代わりに、コルセットを無理やり押し付けられ、受け取るはめになる。
「ホントに、変わった娘だね。ああ、コルセットの代金はお前の給金から引いておくからね」
若干息を切らした料理長は、呆れたようにそう言った。
(無料じゃなかったの!)
心の中で叫ぶ暖だった。
その後、与えられた五人部屋に戻り、暖は大きなため息をつく。
五人部屋とはいえ、今居るのは暖だけだ。他の下女たちは、暖が部屋へ入るとわかった途端、出ていった。
「“可哀想過ぎて見ていられない”とか、“悪い病気じゃないか”とか、失礼極まりなかったわよね」
部屋の下女たちが出ていった時のことを思いだし、暖はプリプリ怒る。
一人部屋は嬉しいのだが、その理由に関しては、まったくもって嬉しくない。
「病気なのは、そっちだっていうの!」
暖は、ムウッと唇を尖らせた。
(でも、……つまり、後宮の女性は、自分たちが病気だという自覚もないのよね?)
暖が見た範囲で、自分が病気で死にそうだと思っている魔族はいなかった。
「魔族が滅亡しそうな程の病気って、なんなのかしら? ああ、こんなことなら、ダンケルにきちんと聞いておけば良かった」
後悔先に立たず。
ここが後宮では、ダンケルに会うことも出来ないだろう。
連絡方法もわからない暖には、何一つ打つ手がない。
「これが、本当の八方塞がりよね」
コルセットを手に取り、暖は大きなため息をつく。
幅50センチもないコルセット。
はたしてこれが着られるかどうか、とても不安な暖だった。




