勘違い
人間界で、アルディアが焦りまくっているその頃――――
「うわぁ~世界が回っている」
魔王曰く、ただの転移魔法で後宮へ飛ばされた暖は、その影響なのか、クラクラとする目眩をこらえて床に踞っていた。
視界が揺れて立っていられない。
「酷い二日酔いの朝みたい」
酒に強くない暖は、滅多に呑み過ぎたりしないのだが、たまに付き合いで度を外した翌朝は、必ず二日酔いになってしまう。
頭痛がないのが救いだが、こんなことになるとは思ってもいなかった。
「転移魔法の注意事項とか、トリセツとか、……絶対、必要でしょう」
暖は、地を這う低い声で文句を呟く。大声を出したりしたら、もっと世界が揺れそうだ。
そんなところへ――――
「―――― 誰!?」
鋭い誰何の声がかかった。
暖は、慌てて顔を上げる。クラッとしたが、なんとかこらえた。
「あ! あの……私は、怪しい者じゃありません!」
本当に怪しい人間が自分を怪しいと言うはずないとは思うのだが、とりあえず暖は否定する。
相手を見上げ、……思わず固まった。
そこには、城の侍女なのだろう、きっちりとした黒服に身を包んだ若い女性が立っている。
結い上げた髪の中から二本のねじれた角がのぞいているが、暖が驚いたのはそこではない。
彼女が思わず目を吸い寄せられたのは、侍女の腰の細さだった。
(うっわぁ~! 折れそう!)
ついつい、心の中で、叫んでしまう。
侍女の顔は普通だった。ずいぶんと小顔だが、ありえない程の小ささではない。肩もなで肩で、胸も小さいが、華奢な女性と思えば、地球にだっているタイプの体型だろう。
ただし、――――その腰の“細さ”だけは、あり得なかった。
(いくらなんでも、くびれ過ぎでしょう? いったいウエスト何センチ?)
40センチと言われても頷いてしまいそうだ。どう見ても50センチはないだろう。
もしも、この侍女が魔界の標準体型なら、自分が「子豚ちゃん」と呼ばれたのも無理のないことだと納得してしまう。
「親豚」でも仕方ないかと思った。
もっとも、それとブラットの発言を許せるかどうかは、別問題だが。
(病気なの?)
侍女は、身長が高く180センチくらいはありそうなのだが、それゆえ、尚更腰の細さが目立つ。
こんなに細くなるくらいなら、太っているという評価でもかまわないと、暖は思った。
そんな暖の内心をわかるはずもなく、侍女は警戒した目付きで暖を睨んでくる。
暖は、焦って話そうとして、
「あの…………あっ!」
一声、叫んでから、ここが魔界だということを思い出した。
先ほどは、慌てるあまり日本語で叫んでしまったが、日本語が相手に通じるはずもない。
(あ、でも、魔界でも、私がアルディアに習った言葉は通じるのかしら?)
暖が習っていたのは、この世界の共通言語と呼ばれる言葉のはずだ。翻訳魔法が使えない者たちが、互いに話し合うために普及した言葉だという。
村にいた時は、竜のギオルもエルフのリオールもみんな同じこの言葉を話していた。
しかし、ここが魔界となれば、そうもいかないかもしれない。
今のところ侍女の言葉は聞き取れているが、だいぶ発音が違うと感じられる。
それに何より、話すのと聞くのは、違った。
(ダンケルやブラットは聞き取ってくれたけれど)
彼らは王族だから、共通言語に慣れていただけという可能性もある。
普通の魔族の侍女相手で大丈夫だろうか?
(ええいっ! ままよ)
不安に思いながらも、恐る恐る口を開いた。
「アノ、私、ホント、怪シイ、違ウデス!」
暖の言葉を聞いた侍女は、考え込むように眉間に深いしわを寄せる。
(なんだか、一応、通じているっぽいわよね? えっと、敵意がないことを示しながら――――)
暖は、両手を開いて上げながら、ゆっくり立ち上がった。
そんな彼女の姿を見た侍女が、顔色を真っ青に変える。
「まぁ! なんて醜いの!」
そう叫んだ。
言葉が通じるのは嬉しいが、内容はまったく嬉しくない。
「可哀想に、こんなに哀れな容姿の者がいるなんて。……今までこんなにヒドイ姿は、見たことがないわ!」
震える声で涙ぐむ魔族の侍女。
せっかく立ち上がった暖だが、再び座り込みそうになった。
「魔王様の寵姫の座を狙う侵入者かと思ったけれど、どうやら違うようね」
なにやら一人で納得し、侍女は暖を凝視してくる。
(魔王の寵姫って?)
暖は、心の中で首を傾げる。
いったいここはどこで、どうしてそんなとんでもない誤解を受けなければならないのだろう。
「こんな形で寵姫なんて有り得ないもの。……ああ、そう言えば厨房で下働きの下女を募集していたと聞いていたけれど、お前は、それでしょう? そうよね、下女ならばどんなに醜くとも”後宮”で働けるもの」
(後宮!?)
あやうく暖は悲鳴をあげるところだった。
後宮といえば、魔王の妃が住む宮殿である。
なんてところに自分を転移させるのかと、魔王を恨む。
侍女は、同情いっぱいに暖に確認してくるのだが、彼女が肯定以外の言葉が返ってくると思っていないのは丸わかりだ。
「アノ……」
「厨房を探していて迷ったの? 困った下女ね。仕方ない、案内してあげるわ。視界に入らないように、少し離れてついて来なさい」
侍女はそう言うと、暖の返事も聞かずに歩き出した。
慌てて暖は後を追う。
「アノ……」
「ああ。名乗らなくてもいいわよ。もう二度と、その姿を見るつもりはないから。……でも、そうね。後宮ならば、少なくともその醜い姿が男性の目に触れることはないわ。醜くとも、あなたの選択は、間違っていないわよ」
振り返りもせずに、侍女はそう言った。
ブラットといい、この侍女といい、魔族はとんでもなく高飛車で失礼な者ばかりである。
勝手に決めつけ、勝手に暖を案内する侍女。
釈然としない暖だが、どうやら魔界滅亡の第一ハードルは超えたようだ。
(問答無用で攻撃されて、気がついたら焼け野原――――なんて結末は、目覚めが悪いもの。……それに、言葉はヒドいけど、一応案内してくれているみたいだし)
案外イイ人――――ではなく、イイ魔族なのかもしれないと暖は思う。
暖が無理やりそう思いこもうとしている時、前を行く侍女の足がピタリと止まった。頭をひねり、チラリと暖を見てくる。
「下女と、思ったけど………………、まさかあなた、食料じゃないわよね?」
考えながら聞いてくる。
前言撤回! やっぱり魔族は、とんでもなく失礼な者ばかりだった!