王子さまの焦り
一方、その頃の人間界。
隣国トクシャとの戦争の最前線で戦っていたアルディアは、急に申し込まれた和睦交渉に憤っていた。
戦場に設置された天幕の中、王族が座るにしては簡素なソファーに腰をおろし、苛々と机を指で叩いている。
「実質上の降伏宣言です」
トクシャから本国あてに届いた書簡の写しを手に、直立不動のサーバスがアルディアに報告していた。
全面的に自国の非を認め、どんな条件ものむからトクシャという国の形だけは残して欲しいという申し入れを、全面降伏と言わずになんと言おう。
「いったい何があったんだ!?」
アルディアに怒鳴られたサーバスは、首をすくめる。
「……そ、それは、わかりませんが。なんにせよ終戦です。よかったですね」
生来のなまけもので仕事嫌いのサーバスは、自国の勝利よりも終戦を喜ぶ。
おずおずと主人に同意を求めた。
彼が、これでまた閑職に戻れるとホッとしていることは、ダダ漏れだ。
「理由もわからず喜べるか! 私たちの知らぬところで、とんでもないやり取りが行われているかもしれないんだぞ!」
そんな情けない側近を、アルディは一喝した。
「――――まあ、その可能性は大きいだろうな」
アルディアの言葉に頷いたのは、サーバスではなく、王子の護衛として側近くにいた女騎士ウルフィアだ。老いた女騎士は、自分の胸元から白い紙をおもむろに引っ張り出す。
「私は、小難しい政治の駆け引きはわからんが、……つい先日、ディアナから、いい茶が手に入ったから早く帰ってこいと手紙が届いた」
実にタイムリーに届いた手紙を、ウルフィアはヒラヒラと振ってみせる。
「それは、――――単に、早く帰ってきて欲しいという、お願いの手紙ではないのですか?」
手紙を目で追い、頭を右左に動かしながら、サーバスが希望的観測を述べる。
「あのディアナがそんな殊勝な手紙を書くものか!」
アルディアは、サーバスの言葉をバッサリ切り捨てた。
「まあ、そうだな。……今だけが旬の地方の果実を手土産に持って帰れと手紙にあるから、私がこのタイミングで確実に村に帰れることを、ディアナは知っているとしか思えないだろう」
ウルフィアまでも、そう話す。
慌てたサーバスは、こっそりとウルフィアに余計なことを言うなと目配せした。
ニヤリと笑った女騎士は、諦めろとでも言うように首を横に振る。
サーバスは、ガクリと肩を落とした。
「絶対、あの元気のいい病人たちが何かしたに決まっている!」
確信を持ってアルディアは怒鳴った。元気のいい病人(?)という、なんとも頭を捻る表現で言い表されるのが、ディアナやギオル、リオールたちのことなのは、言わずもがなである。
「お、王子、あまり興奮されると発作が――――」
「発作なんか起こしている場合か! 私は帰る! 今、直ぐ村に帰るぞ!」
鬼気迫る表情でアルディアは宣言した。
サーバスは、青い顔でオロオロと狼狽える。
「止めた方がいい」
今にも立ち上がろうとする王子を止めたのは、ウルフィアだった。
アルディアは、キッ! と女騎士を睨む。
それにはかまわず、ウルフィアは手に持っていた手紙をポンと王子の方へと放った。
焦りながらもサーバスがその手紙を受け取り、恭しくアルディアへと渡す。
「王子が心配しているのは、ウララのことだろう。……だが、どうやらウララは村にいないらしい」
「なんだと!」
「私に怒鳴るな。手紙に書いてある。――――もし、王子がウララを少しでも早く取り戻したいと思うのなら、さっさと“真の王”として玉座に就いてしまえ――――と」
ウルフィアの言葉を聞いたアルディアは、グッと唇を噛んだ。
「…………また、その戯れ言か。私は王ではないと何度言えばわかる」
やがて、苛ついたようにそうこぼす。
「まあ、我ら人間にとっては、それが事実だが、――――まるっきりの戯れ言でもないのだろう? なにせ、今は王ではないとはいえ、かつて竜王だったギオルや、エルフの王だったリオールまでもが揃って王子を、人間の“真の王”だと言っているのだから」
アルディアは、思いっきり顔をしかめた。
「ボケ竜や、死にたがりのエルフの言が信じられるものか」
「しかし、今の竜王やエルフの王が、自分たちのかつての王をあの何もない村に住まわすのを是とするのも、ディアナの結界ばかりが理由ではなく、人間の“真の王”が同じ村で暮らしているからだと聞いたことがあるぞ」
「……仲間を見放した奴らが、自分の罪悪感を薄めるために、体のいい理由をつけているだけだ」
ウルフィアに言い返すアルディアの口調は、にべもない。
女騎士は、小さく肩をすくめた。
――――そう、それは、かなり以前から、密やかに繰り返された論争だった。
アルディアを人間の“真の王”だと言いはるディアナたちと、そんなはずがあるかと一考もしないアルディアとの、言い争い。
議論を大きくして、王都に聞こえたらたいへんだと、アルディアがその話題を持ち出すことを禁止したことと、ギオルが認知症を悪化させたことにより、論争は立ち消えたかに見えたのだが――――
「陛下は“翻訳魔法”をお使いになれないのだろう?」
「“翻訳魔法”そのものが、王家の血筋の中にランダムに現れる遺伝魔法というだけだ。現王族の中で、たまたま私だけが使えるからといって、そんなものは国を治める資質とは関係ない」
“翻訳魔法”は、確かにあれば便利だが、王にとって必要不可欠なものではないと、アルディアは思っている。実際、彼の父王も、どうしても通訳や翻訳が必要な場合にのみアルディアに頼り、対処しているのだ。国を治めるのに、それでなんの不自由もない。
「しかし、毎日のように王都から王子の元へと送られてくる重要案件の伺い書類の中には、翻訳とは無関係のものも多いようだが?」
首を傾げながらウルフィアに聞かれたアルディアは、どうしてそれを彼女が知っているのかと、サーバスを睨みつける。
気の弱い側近は、自分は無実ですと首をブンブンと横に振った。
「……いかに廃嫡同然とはいえ、私も王子だ。政治の動向くらいは知らせてくださろうとする父上のご厚意だと思っている」
ため息をつきながらアルディアは答えた。
「陛下が、無意識のうちに“真の王”たる王子に、採決を仰いでいるのではないと?」
「不敬だぞ! ウルフィア」
アルディアに怒鳴られて、ウルフィアは小さく両手をあげた。
「……ディアナの言う通りだな。王子は、往生際が悪い」
呆れたように呟く女騎士を、アルディアはもう一度睨みつける。
先刻もそうだったが、歴戦の騎士でもあるウルフィアは、アルディアの視線などものともしなかった。
この国に忠誠を誓う騎士であり、仕える主としてアルディアを守るウルフィアだが、彼女は必要以上に頭を下げない人物だ。従う命令も、無条件ではなく、自分が納得したものだけ。
その信念を貫き通せるだけの実力と経歴を、ウルフィアは持っている。
「……水掛け論は、この際どうでもいい。それより、何故私が王位につくことと、ウララが繋がる?」
ここでウルフィア相手に言い争っても仕方ないと判断したのだろう、アルディアは話を切り替える。
自分が王になることと、ウララがどうして関係しているのか、わからない。
「取り戻すとは、いったい誰からだ? ……村にいないと言ったな? では、ウララはどこにいる?」
苛々と怒鳴りながら、アルディアは、手の中の手紙に目を落とした。
読み進めていくうちに、その目が、カッ! と、見開かれる。
「なっ! 魔界? ……なんで! どうして! ウララが魔界に!?」
あまりの大声に、サーバスは耳を塞いだ。
「……それほど、心配はいらないようだぞ。よく読んでみたが、ウララには、過保護なほどの守護魔法が付けられている。ギオルの竜玉だけで十分だろうに、ディアナにリオール、ラミナーまで。――――いや、ここまでくると笑う以外ないな。ディアナの奴、この機に魔界の殲滅を狙っているんじゃないか?」
本当に苦笑しながらウルフィアが言った。
なんとも言えない顔で、サーバスも黙り込む。
冗談とは言えないところが、ディアナだった。
「バカを言え! 魔界だぞ、魔界! ウララに何かあったら、どうするつもりだ!?」
焦った声をアルディアが上げる。
「これだけの守護魔法をかけられて、何かあるはずもないだろう?」
「身体的な安全だけじゃない! ……心は!? あいつは、底抜けにお人好しな、警戒心もなにもない女なんだぞ!」
アルディアは、本気で心配していた。
自分に悪口雑言浴びせられながら、それでも彼の体調を心配していた暖の姿が、脳裏に浮かぶ。
「ウララの優しい心が、魔族に踏みにじられ、傷ついたらどうするんだ!!」
言うなり、今度こそアルディアは、立ち上がった。
勢いそのままに天幕から出て行こうとする。
「帰る! 帰還だ! あの村――――いや、王城にだ! 魔界に行くには、魔族と至急交渉する必要がある」
ようやくディアナの言葉の真意が見えたアルディアだった。
勢いよく自ら幕を上げ、出て行く王子の後ろ姿を、ウルフィアは見る。
ほんの半年ほど前まで、いつもベッドで横になり、立っている姿でさえ、ついぞ見たことのなかったような彼が、大股で他を圧しながら歩いて行く。
兵に帰還命令を下す大声が、天幕の中まで響いてきた。
ちょっと呆然としていたサーバスが、慌てて後を追い飛び出して行く。
ウルフィアは、――――クスリと笑った。
「さて、……ウララは、それほど弱い娘ではないと思うがな」
そこまで心配する必要はないだろうと、ウルフィアは思っている。
何より、ディアナが彼女を送り出したのだ。
あの気難しい魔女は、存外暖を気に入っている。暖が損なわれるようなことを、彼女や村の仲間たちが許すはずもない。
「それくらい。冷静に考えればわかりそうなものだがな」
いや、アルディアのことだ、わかっているのだろうと思われる。
わかっていて、それでもあれ程に焦らずにはいられないのだ。
「……フム。若いというのは、なんとも羨ましい」
クスクスクスと、老いた女騎士は笑う。
羨ましいと言いながら、彼女は自分自身の心も高揚していることに気づいていた。
この勢いで、アルディアは自ら魔界に乗り込むつもりでいるだろう。
当然、守護騎士のウルフィアも同行することになる。
「魔界か――――」
歴戦の騎士である彼女も、まだ一度も見たことのない――――戦場。
「敵は、魔族か。……相手にとって、不足なし」
魔界と聞いて怯むよりも、心躍らせるウルフィアは、根っからの騎士だった。
ディアナに果実を諦めてもらうように返事を書かなければなと、ウルフィアは思う。
「いや、どうせ魔界で会えるだろうから、買うだけ買っておくか」
戦いの後で、一服するのも、また一興だろう。
天幕の外から、ウルフィアを呼ぶ声がする。
「今、行く!」
颯爽と歩き出した女騎士の顔には、見た者が思わず震えるような、凄みのある笑みが浮かんでいた。
魔族に、合掌――――




