美の基準
しかし「子豚ちゃん」とは、流石に暖も聞き捨てならない。
「私、ソンナ太ッテナイ!」
ムッとして抗議したのだが――――
「へっ? いやいや、充分“子豚ちゃん”だろう? むしろ“親豚”と言わなかっただけ、俺気遣いしたよね? 感謝して欲しいくらいだけど」
ブラットは、当然のような顔をしてそう言った。
あまりの言葉に、暖は驚く。
(いくらなんでも、ヒドイわ!)
うら若き女性に対して、子豚ならともかく親豚などと、言ってよいはずがない!
ギロッ! と、睨みつけるのだが、ブラットは少しも堪えずヘラヘラと笑っていた。
これはダメだと思い、今度はダンケルを睨みつける。
弟の非礼は兄の責任だろう。例えものすごく仲の悪そうな、殺し合いをするような兄弟だって、責任は責任だ!
そう思うのに、背の高いイケメン魔族は、あからさまに視線を反らす。
「ダンケル?」
「あ、あぁ、その……」
珍しく口ごもり下を向いた。大きく息を吐き出すと、小さな声で話し出す。
「……実は、魔族の女は、とても細いんだ。お前は、魔族の基準から見たら、その……充分、ふ……太っている……方だ」
「………………ハ!?」
一瞬、何を言われているのかわからなくて呆けてしまう。
そして、次の瞬間、ガァ~ン! と、ショックを受けて、暖は固まった。
「太っている」なんて言われたのは、人生初のことである。
あらためて自分の体を暖は見回す。痩せてはいないが、決して太っている方ではないと思う。
(そうよ! あの失礼が服を着て歩いているような義弟にだって、私は太っているなんて言われたことがないのよ!)
暖の可愛い妹と結婚した義弟は、妹に対してだけは別人かと思うほど優しいくせに、それ以外の人間には失礼極まりない傍若無人の男である。
特に暖には、妹がシスコン気味なこともあってか、慇懃無礼を通り越して、明確な敵対心を持っていた。
(あれで私より年上なんだから、始末におえなかったわ)
あれが可愛い妹の夫でなかったら、暖は決してお近づきにならなかっただろう。
思い出しただけでムッとする腹立たしい義弟。
しかし、そんな男にだって、暖は容姿の件であれこれ言われたことはない。
ウエストの細さだけなら、美女のラミアーにだって負けない自信があった。
(他のサイズは、ダメだけど……)
ポン! キュッ! ポン! なラミアーを思い出し落ち込みそうになった暖だが、今はそんな場合じゃないと気を取り直し、思いっきりダンケルを睨む。
ダンケルの顔色は、サッと青くなった。
「よ、よせ! 気を損ねるな! お前が不機嫌になったりしたら、魔界が滅ぶだろう」
叫びながら、必死に言い訳をはじめた。
ダンケル曰く――――
魔界の男性の優劣は、強さを絶対的な基準としていること。
強い男のステータスとして、いかに番の女性に何一つ苦労をさせず守れるかを求められること。
番が弱く何もできない女性であればあるほど、男性には、強さ――――力、地位、金、権力――――があるという証明になる。
このため女性は、かよわくなよやかで“儚い”方が好まれるていた。
一人では何もできないほどに弱く、外見は痩身であることが好まれ、手も足も折れるほど細いことが良く、腰などは細ければ細いほど美しいと言われること。
「昔は、それほどでもなかったんだがな。……現魔王の正妃が、とてつもなく細く“儚い”方だったことから、細い=美しいに拍車がかかったんだ」
頭を抱えながらダンケルは深いため息をつく。
暖は、びっくりして目を見開いた。
(そんな、男の都合で女性の美しさが決まってしまうの?)
理不尽だとは思うが、美の基準が場所によって違うのはよくあることだ。同じ場所でも時代が違えば美の基準も違う。日本の平安時代の美人は、しもぶくれの細目、おちょぼ口だと聞いたこともある。
魔界の美の基準が他のものと違うのは、考えてみれば当たり前のことかもしれなかった。
(ひょっとして、私ってここでは女性として扱ってもらえないくらいの容姿なの?)
考え込んで動かなくなってしまった暖を見て、ダンケルは慌てた。
「あ! だが、俺の母は妃の中でも例外で、さほど細い方ではなかった。人間世界に近い辺境の出で、俺は、幼い頃は母方の領地で育ったんだ。そこでは、そんなに細い女がいいと思われていなくって……だから! 俺は、俺自身は、お前を太っているとは思わないぞ!」
大声で叫ぶ。
確かに、ダンケルの暖への態度は、最初から普通だった。
そこに容姿に対する否定的な感情を感じたことはない。
要は、ダンケルの母の故郷が田舎で、魔界では流行遅れだったのだろう。
「ダンケルの女の趣味の悪さは有名だもんな」
案の定、ブラットはニヤニヤ笑ってそう言った。
「まぁ、でも、俺もポヨポヨとした子はキライじゃないよ。――――女性っていうより食べる対象としてだけどね」
ヒドイセリフを吐きながら、ケタケタと笑う。
「黙れ! このバカ!」
ダンケルは、勢いよくブラットを殴り飛ばした。
「趣味、悪イ……」
そんな兄弟げんかも目に入らぬ用で、ポツリと呟いた暖は、唇を噛んで下を向く。
彼女の周囲からドヨドヨとした空気が涌き出てくるのが見えるかのような落ち込みようだった。
なぜか、窓の外に見える空が一転にわかにかき曇り、稲光が走る。
ドドォ~ン!! と、どこかに雷が落ちた。
◇◇◇
「あれ? 急にどうしたんだ?」
殴り飛ばされ追突した壁に背を預けながら、ブラットが驚き顔を上げる。
ダンケルの顔から血の気が引いた。
「うわっ! ウララ、ショックを受けるな! お前の感情が落ち込むと“奴ら”が攻撃的になるだろう!」
暖の側に駆けより、顔を覗き込む。
女性ではなく食料として魅力があると言われたのがよほどショックだったのか、呆然としている暖から返事はない。
――――暖は竜玉の持ち主だった。
体の中の玉を通じ、彼女の状態はそのまま契約者である竜にストレートに伝わるだろう。
つまり、原因はわからずとも暖がショックを受け落ち込んでいることは、ギオルに伝わるということなのだ。
ギオルは、『落ちたる竜王』である。
しかも、ギオルの側には、『エルフの失われた王』たるリオールもいるのだ。
竜王やエルフの王は世界でも屈指の高位の存在で、彼らはその心の動きだけで世界に影響を与えると言われている。
落ちたり失われたりしたままであれば、影響を与えるほどの力はなかったのだろうが――――
そんな彼らを暖は癒してしまった。
往年の力を取り戻した“王”たちが魔界に悪意を抱けば、……影響が出るに決まっている。
ダンケルは、チッと舌打ちした。
(それにそうだ! あの吸血鬼。あの女は『神を堕落させた吸血姫』じゃなかったか?)
それは、はるか昔のおとぎ話だ。
歴代の吸血鬼の女王の中でもずば抜けて美しく賢い女王が、彼女を成敗しようと攻め入った神々の一柱を魅了し神の座を捨てさせた話。
(……ってことは、あの女の伴侶は、堕ちたとはいえ神のはず!)
神の妻の不興をかった世界が、無事であるはずがない。
どうして暖の周囲にはとんでもない者ばかりいるのだろうと、ダンケルは身震いしてしまう。
稲妻が空を走り、雷鳴が魔王城をビリビリと震わせた。
この天候の急変は、暖を守ろうとする彼らの怒りを伝えているのかもしれない。
なんとかしなければ、このままでは何らかの犠牲が出る可能性もある。
(…………それに)
何よりショックを受けている暖を、なんとかしてやりたいと、強く思う。
「ウ、ウララ! お前は……その、か、可愛いぞ!」
口ごもりつつ、ダンケルは叫んだ。




