働く魔族さま(パクリ?)
本年もよろしくお願いします。
そんな大騒ぎがあった三日後。
「ソコ! モット、丁寧ニ!」
どこか舌足らずながらも、キリッとした声が、長閑な村に響く。
「クソッ! なんで、この俺が、こんなことを」
頭の両脇に立派な巻角を生やした青年が、悔しそうに嘆いた。
「シッカリ、磨ク!」
デッキブラシを片手に仁王立ちになった暖は、青年――――ダンケルを叱りつける。
村の外れの竜の住処。いつものように暖は、ギオルのウロコを磨いている。
今日は、そこに、ダンケルの姿もあった。
しかも、彼もデッキブラシを持たされて、ゴシゴシとギオルのウロコをこすっている。
「長生きはするものだな。よもや、魔族に体を磨かれるとは、思いもしなかった」
流石のギオルも呆れていた。
「ダンケル、力、強イ。ウロコ、キレイ磨ケル。ギオル、良カッタネ」
ニコニコと上機嫌な暖と、この世の終わりみたいな顔でウロコを磨くダンケル。
誰も思いもよらなかった光景が、そこには繰り広げられていた。
―――― 三日前、強制的にダンケルと契約を結ばされてしまった暖。
あの後、魔族の王子は……
「ウララ、お前が望むのなら、世界征服でも、なんでもしてやろう。……さあ、望みを言え」
偉そうに、そう宣言してくれた。
「契約、解除シテ」
「それは、ダメだ」
なのに、暖が一番に望んだことは、叶えてくれなかったりする。
ムウッと頬を膨らませながら、暖は次を考えた。
「ナンデモ?」
「あぁ。契約の解除以外ならな。……お前の望みは、何だ? 富か? 栄誉か?」
小人から一変、細マッチョな青年魔族となったダンケル。偉そうに言うだけあって、彼の姿は逞しく頼りがいがありそうに見える。あちこちに傷や青あざはあるけれど、確かになんでもできそうだった。
だから暖は、遠慮なく望みを叶えてもらうことにする。
「ダッタラ、コレ持ッテ」
ニッコリ笑った暖が、ダンケルに渡したのは、1本のデッキブラシだった。
「………………俺が! この俺が! どうして竜のウロコ磨きなど!」
次の日から問答無用でギオルの元に連れて来られ、ウロコ磨きを命じられ、ダンケルの不満は爆発寸前にまで高まっている。
「ダンケル、ナンデモスル、言ッタ」
「だからって、ウロコ磨きはないだろう!」
「ワガママ、言ワナイ」
「これは、ワガママなのか!?」
ダンケルの心からの叫びを、暖はあっさり聞き流す。
実は彼女は、以前からギオルのウロコをもっとキレイに磨いてやりたいと思っていたのだ。しかし、悲しいことに女性の腕では力が足りず、落ちない汚れを悔しく思っていた。
そこに、細マッチョで十分力のありそうなダンケルから「何でもしてやる」という気前のよい申し出があったのだ。暖が喜んで申し出を受けたのは、当然のことだろう。
隷属の契約のせいで、ダンケルは暖の命令に逆らえない。
力が強く、その分プライドも山のように高い魔族が、デッキブラシを持って、竜のウロコを磨いていた。
その姿は、魔族を好かないギオルでさえ、なんだか可哀想になってしまうくらいだ。
しかも、暖の勢いは、これだけで止まらなかった。
「俺のしたいのは、こんなことではないんだ!」
ダンケルの必死の訴えを聞いて、だったら次はディアナの家の掃除を手伝って欲しいと、暖は望む。
その次はネモの散歩、次はラミアー用のお料理作り、等々、暖は容赦なくダンケルに望みを告げた。
嫌々ながらにダンケルは、彼女の望みを叶えていく。
「……そのうち、エルフの精神相談にのれとか言うんじゃないか?」
ある日の昼下がり、命じられたリオールの家の庭にある露天風呂の掃除をしながらダンケルは、こぼす。
エルフの聖気が満ちたリオールの家だが、庭ならなんとかダンケルでも居ることができる。
毎日毎日暖の手伝いをさせられた魔族の目は、すっかり諦めを宿していた。
「お断りです!」
ダンケルのぼやきにリオールは憤然とする。
「俺だってお断りだ」
ダンケルもブスッとして返す。
魔族とエルフは睨みあい…………フンと顔を逸らした。
今、ここに暖はいない。
ディアナにマッサージを命じられた暖は、そちらを優先させたのだ。
暖の不在で、エルフと魔族は、互いの嫌悪を隠さずいがみ合う。
言葉を交わすのも嫌そうにしていた二人だったが――――
「……それにしても、あの王子は、不憫だな」
独り言のように、しみじみと呟いたダンケルの言葉に、リオールは、ハッとした。
王子というのは、アルディアのことだろう。
エルフの青い瞳が、ジロッとダンケルを睨む。
魔族の青年は、両てのひらを上に向け、肩をすくめた。
「だってそうだろう? 人間の王子は、あの娘を守りたくて病を押して出陣したってのに、当の娘は、王子に会いたくないと言うんだ」
聞いたリオールは、柳眉を逆立てた。
「貴様! ウララに何を言った!」
リオールの怒声を浴びて、しかし、ダンケルは、ヘラリと笑う。
「ウララには、傷が治ったら王子の情報を教えると約束したからな。……だから、教えてやったのさ。王子の悲壮な覚悟と、居場所をな。王子は今、戦いの最前線にいる。教えついでに、王子の元に連れていってやろうと言ったら、あいつは断りやがった」
思い出したのだろう。ダンケルの顔がしかめられる。
彼は、王子をエサに、暖をこの村から連れ出そうとしたようだ。
しかし、その誘いはあっさり断られた。
他ならぬ王子と、「決してこの村から出ない」と約束したからと、暖は言ったそうだ。
聞いたリオールの顔から、表情が抜け落ちた。
冷気が辺りに満ち、白い霧が周囲にたちこめる。
「なっ!?」
ダンケルが息を呑んだ、次の瞬間――――
見えない空気の刃が、ダンケルの皮膚を切り刻んだ!
浅く切られた傷から出血し、あっという間に血塗れになる魔族。
「契約さえなければ、今すぐ切り殺してやるものを」
静かな声で、リオールは言った。
何の表情も浮かべない整った顔が、恐ろしい。
「ウララの気持ちを考えれば、お前など、千回殺しても足りない。……どんなにか王子が心配だろうに、約束を守って行けない彼女の苦しみが、お前にわかるか!」
リオールの怒りは、壮絶だった。
エルフの逆鱗に触れ、魔族として生まれ落ち、生きることがすなわち戦うことだったダンケルの背中に、震えが走る。
血だらけの自分の手を、愕然として見つめた。
「……魔族の王族である俺に、こんなに容易く傷つけるなど、普通のエルフにできるはずがない。……まさか、お前! 失われた、エルフの王――――」
「そこまでじゃ!」
呆然と呟くダンケルの言葉を遮って、突如その場に声が響いた。
ポン! と空間が割れて老いた魔女が現れる。
「阿呆! 何をやっておる!」
言うなりディアナは、ポカリと杖でリオールを殴った。
「怒りに身を任せるでない! わしの結界が不安定になるじゃろうに!」
殴られたリオールは、涙目になる。
「世界を滅ぼす力を持つトネリコの杖で、私を殴るのは止めてください」
頭を押さえながらリオールが抗議する。
「トネリコの杖……」
聞いたダンケルは、どん退いた。
そんなもので殴られて、普通の者が無事でいられるはずがない。
「やっぱり――――」
ダンケルが呟くと同時に、ディアナはクルリとダンケルの方を振り向いた。
思わず、ビクッとしてしまう魔族。
ディアナは、………… ニタァと笑った。
「"エルフの失われた王"など、どこにもおらぬ――――」
しわがれた声が、響く。
「――――"落ちたる竜王"も、"ドワーフの狂戦士"も、"神を堕落させた吸血姫"も、"世界を二度滅ぼしかけた魔女"も…………そんなものは、全て子供騙しのおとぎ話じゃ。どこにも存在しない」
老いた魔女は、滔々と語った。