隷属する小人
「へ?」
暖は間抜けな声を上げる。
小人――――ダンケルは、偉そうに胸をそらした。
「喜べ。俺が自ら名乗ることなど滅多にないのだぞ。お前には俺の名を呼ぶ栄誉を与えよう」
(いやいや、そんなもの要らないし)
即座に暖は思ったが、流石に言葉にはできない。
それに、どうやらダンケルは、暖に拒否権を与えるつもりがないようだ。
「手を貸せ」
偉そうに命令してきた。
この時、暖はダンケルの背中の傷を消毒している最中だった。彼はテーブルの上でうつ伏せになっていて、小さな手だけを背中から暖の方に向けている格好だ。
体勢を変えて起き上がるのに手伝いがいるのだろうと思った暖は、「ハイハイ」と返事した。
「ムダに威張っているんだから」
思わず日本語で、ブツブツと呟きながら、人さし指を伸ばし、ダンケルの手にそっと添える。
暖の指に小さな手で、ギュッと掴まるダンケル。
その感触に、暖は、ほんわかしてしまう。
…………魔物は、ニヤリと笑った。
ピョン! と、勢いよく立ち上がる。
「我が名はダンケル! 魔王の嗣子にして破壊と殲滅の王。我が名にかけてウララに忠誠を誓わん。我が全てウララのものとなり、生涯、御命に従う。……対価は、ウララの百年の寿命。……理の天秤よ! 契約の均衡やいかん!」
わけのわからないことを、叫び出した!
「え?」
いきなりの展開に、暖はキョトンとする。
次の瞬間、繋いだ小人の手と暖の指の間から、カッ! と光が放たれた!
思わず目を瞑る暖。
ダンケルは、してやったりとばかりに、満面の笑みを浮かべたが……
直後、光がポツポツと点滅しはじめたのを見て、顔をしかめた。
「え? え? なに、なに? この光?」
全然、まったく、わからない暖。
「クソッ! この明滅は、対価が釣り合っていないということか? たかが百年ぽっちの寿命で? チクショウ! じゃあ五十年ならどうだ?」
ダンケルは、悔しそうに叫ぶ。
言葉を受けて、光は少し強くなったが、点滅は止まらなかった。
「足下を見やがって――――」
ダンケルは地団駄を踏む。
「――――三十年だ! これ以上1分たりとも譲らんぞ!」
やけくそみたいにダンケルは怒鳴った。
点滅していた光が、クルクルと回り出す。
固唾を呑んで見守る中で、……光は、ゆっくりと落ち着いた。
安定したフワッとした光が、暖とダンケルを包む。
「ハハッ! ハハハ! やった、やったぞ!」
大声で笑い出すダンケル。
「ウララ!」
その途端、家の中にリオールが飛び込んできた。
駆け寄ってきたリオールは、長い腕で暖を抱きしめ包み込む。
「リオール、そこを退け! わしがその虫けらを踏み潰してくれる!」
続いて聞こえてきたのはディアナの声で、家の中に突如不穏な風が巻き起こる。
虫けらというのは、十中八九、ダンケルのことだろう。
物騒な内容に、思わず暖はディアナを止めた。
「ダメ!」
「そんなことをすれば、こいつの命は三十年縮むぞ!」
暖の制止に重なって、落ち着いたダンケルの声が響く。
リオールがピクリと震えた。
何のことかわからずに、暖は首を傾げる。
「小賢しい魔物め。貴様ウララと隷属の契約を交わしたのか?」
忌々しそうな声と同時に風が治まって、ディアナが姿をあらわした。
ダンケルが、フフンと鼻で笑う。
「その通りだ。隷属の契約の対価に三十年の寿命を証とした。俺が死ねば、そいつは三十年の時を失う」
――――それは古い魔物の契約方法なのだそうだった。
隷属を誓った魔物が、理不尽に殺されないための担保として、相手の寿命を預かるのだと。
どちらかが天寿を全うすれば契約は何事もなく解除されるが、それ以外で魔物が死した場合、契約主は、対価となった寿命を失うことになる。
つまり、ダンケルがここでディアナに殺されたら、暖はいっぺんに三十歳年をとってしまうのだった!
人間にとって三十年は、長い。
(私、いっぺんに五十代になっちゃうの?)
――――それは、絶対嫌だった。
最初にダンケルが言った百年なんてとんでもない! それでは彼が殺された途端、暖も死ぬことになっていただろう。
「三十年などあっという間じゃ。大丈夫じゃウララ。わしが良い茶飲み友達になってやろう」
ディアナは、そう言って杖を振り上げる。
「キャアァァッ! 止メテ!」
暖は、必死に止めた。
「止めてください! ディアナ!」
リオールも慌てて止めてくれる。
「私は、ウララが何歳であろうとも変わらず向き合える自信があります。しかし、ただでさえ短いウララの寿命が減ることは我慢できません! ……しかも、魔物風情に奪われるなど!」
リオールがダンケルを睨む視線は、それだけで相手を殺せそうなほど強い。
本当に、死んだら困るので、止めて欲しいと暖は思った。
「リオール、私、大丈夫ヨ」
それも含めて、安心して欲しくて、彼女をきつく抱きしめるリオールの腕を、暖はそっと撫でる。
ところが、リオールの腕の力は、緩むどころか反対に尚更強くなった。
それだけ自分がリオールを心配させてしまったのだと思えば、申し訳なさに暖は項垂れる。
二人の様子を見ながら、杖を下ろしたディアナは、大きくため息をついた。
「リオール、ウララを離してやれ。お前がその調子では、ウララが不安になる。……その魔物にしてやられたのは、口惜しいが、隷属を誓ったからには、そやつはウララを害せない。逆らうことすらできんじゃろう」
ディアナの言葉に、ダンケルはわずかに顔をしかめる。
「誇り高い魔族が。バカな真似をしたものじゃ」
呆れるディアナを、ダンケルは睨みつける。
「俺がそうしなければ、お前らは俺を殺しただろう?」
「むろんじゃ。いくらウララの望みでも、魔物を生かしておくなど愚の骨頂じゃ。ウララには適当な嘘をついて、プチッと一息に潰しておったじゃろうな」
悪びれもせず、殺意を認めるディアナ。
厳重な結界で逃げ道を塞がれ、エルフの聖気でケガを負った魔物。
魔女やエルフ、竜やドワーフ、吸血鬼らに命を狙われたダンケルは、絶体絶命だった。単に暖を人質に取ったとしても、彼が逃げおおせる可能性は、万にひとつもなかっただろう。
生き延びる術は、隷属の契約以外になかったのだ。
「死んだら何にもならないからな」
ディアナから視線を外し、ダンケルはひょいっと肩をすくめる。
「あさましい奴だ」
「あさましくて結構。我ら魔族は食うか食われるかだからな。死ねば負けだ。お綺麗に生きるエルフとは、一生わかりあえんさ」
リオールの言葉を、ダンケルはバカにしたように嘲笑った。
気色ばむリオールをディアナが止める。
「こやつの考え方など、どうでもよいじゃろう。それより、……さっさと正体を表せ!」
そう言ってディアナは、ビシッと杖をダンケルに突きつけた。
「正体?」
怪訝そうな暖に対し、魔女の老婆は「本当にお前は間抜けじゃな」と呆れながら、教えてくれる。
「ただの魔物ならともかく、隷属の契約を行えるような魔族が、こんな吹けば吹っ飛ぶような姿のわけがないじゃろう。確かに魔物の中には小人もいるが、魔族が小人とは聞いたことがない」
魔に属する者全てを魔物といい、その中でも特に力や知恵の優れた種族を魔族と呼ぶのだと、ディアナは教えてくれる。
なんと、小人は小人ではなかったようだった。
驚きに暖の目は丸くなる。
「元の姿に戻った方が、変化の魔法に力を使わぬ分、回復が早いじゃろう。さっさとせんか!」
ディアナに怒鳴られて、ダンケルは肩をすくめる。
「こっちの方が、同情心と庇護欲を煽って、そのお人好しに色々面倒をみさせられて、楽なんだがな」
「やっぱり、潰しましょう!」
たちまち殺気だつリオールを、暖は必死に止めた。
――――そうして元の姿に戻ったダンケルは、
黒髪黒目の、もの凄い美丈夫だった!
見上げるほどに背が高い細マッチョのイケメンに、暖は言葉を失う。
彼の頭の両脇には、立派な巻角がついていた。
「…………コ、小人サンハ?」
「俺だ」
右手の親指を立て、ダンケルは自分の胸をさす。
高い位置から、暖の困惑を、面白そうに見下ろした。
「ウ、嘘ツキ~!!」
暖の大声が、古いディアナの家を揺るがす勢いで響き渡った。
本年最後の投稿になります。
今年一年九重のお話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。




