バカは、どっち?
「あんな野蛮なドワーフの世話をウララがするなんて …… そうでなくとも、竜や吸血鬼やクソ王子に時間をとられてあまり一緒に居られないのに …… やっぱり世界は私を嫌っているんだ ……」
どんよりドヨドヨとリオールがいじける。
何やらクソとか聞き捨てならない言葉を聞いた気がして、暖は首を傾げる。
「リオール?」
「ウララ、あんな性根の腐った魔女の家なんか出て、私と一緒に暮らしましょう! そうすれば、私がウララをどこにも出したりしません! 二人でずっと一緒に居られます!」
突如、リオールはとんでもないことを叫び出す。
暖は慌てて頭を横に振った。
「リ、リオール、落ち着いて!」
「私は十分落ち着いています」
「そんなはずがあるか!!」
ディアナの杖が、ポカリとリオールの頭を打った。
「人の家に押しかけて、あまつさえ当人を前に性根が腐っているとか言い出すエルフのどこが正気じゃ!」
プンプンと怒りながらディアナが怒鳴る。
そう、ここはディアナの家だった。
ドワーフのネモの世話が増え、最近あまりリオールの家に行けなくなった暖を訪ねて、今日はリオールの方から、暖とディアナの家にきてくれたのだった。
うつ病で引きこもりがちなリオールが、自分から動いてくれたことに、とても感激した暖だ。
「世界を滅ぼす力を持つトネリコの杖で私を殴るだなんて、ディアナ、やっぱりあなたは私を殺す気ですね?」
「死にたがりのくせに何を怒っておる。今すぐわしが引導を渡してやるから、とっとと往生しろ!」
「ウララを遺して私が死ねるはずがないでしょう?」
ね、ウララと、リオールはニッコリ笑う。
いったいどう反応して良いものか、暖は戸惑った。
(それに、あの杖、世界を滅ぼすって? …… 私、普通にお布団干しとかで叩き棒代わりに使っていたんだけど?)
まさか、そんな恐ろしいモノとは思わなかった。
そんなものを家の中に転がしておかないで欲しいと、暖は切実に願う。似たような杖が、他にも五~六本は有るのだが、それは違うわよね? と、思わず祈ってしまう。
「ウララ?」
返事のない暖を、リオールは不安そうに見つめてきた。
「ア、ア、モチロン! リオール、死ナナイ嬉シイ!」
暖は慌てて答えた。
破顔一笑、リオールはとても美しく笑う。
「ウララ、その腐れエルフは死なないそうじゃ。これからはそいつの様子を見に行く必要はないぞ」
意地悪くディアナが言ってくる。
「何て事を言うんです! 私はウララの顔を一日見られなければ間違いなく死んでしまいます!」
「たった今、ウララより先には死なないと言ったばかりじゃろう!」
「会えなければ、生きていたって死んだも同然です!」
堂々と宣言するリオールに、ディアナは呆れ果てたように大きなため息をついた。
「こんな奴、相手をするのもバカバカしい。ウララ、お前も相手にするな。 …… それより、あのドワーフが自分の名前をお前に名乗ったと聞いたが、本当か?」
興味津々でディアナが聞いてくる。
いったい誰から聞いたのだろう?
(ウルフィアかしら? ウルフィアは、ディアナともおじいさんとも親しいものね)
そう考えた暖は、別に隠すことでもないからと、ディアナに「ハイ」と返事をする。
「ニモ …… ではなくて、ネモって聞きました」
彼女の返事に、ディアナは満足そうに頷いた。
一方、リオールは、ひどくびっくりする。
「ドワーフは非常に閉鎖的な種族です。もともと地中で暮らし、外の世界を極端に嫌ってきた彼らは、自分が心を許した者にしか名前を教えないし、呼ばせません」
リオールの言葉に、暖は目を丸くする。
「まあ、それだけウララを気に入ったんじゃろう。じゃが、教えられたからと言って、あまりうかうかとドワーフの名前を呼ぶでないぞ。許可もないのにうっかり名前でも呼ぼうものなら、たちまち殺されてしまうのじゃからな」
「エ?」
ディアナの忠告を聞いて、暖はびっくりして固まった。
(名前、呼んだけど ……)
それどころか、間違って呼んでしまった。
(あ、でも …… ってことは、私、まだ正しい名前は呼んでいないわよね。ギリギリセーフ?)
不安いっぱいになりながら、暖はディアナに確認する。
「ソレッテ、名前、呼ビ間違エテモ、ダメ?」
「大切な名前を呼び間違えられでもしようなら、百回は殺されるじゃろうな」
大真面目な顔で、ディアナは断言してくれた。
暖の顔は、蒼白になる。恐怖でこぼれそうな涙を、必死でこらえた。
そんな彼女の様子に、ディアナとリオールは首を傾げる。
「どうした?」
「ナ、名前、間違エタ。殺サレル ……」
ディアナとリオールはポカンとした。
「ドワーフの名前を間違えたのか?」
コクコクと頷く暖を、彼らは信じられないように見つめた。
それなら、何故この娘は、無事にここにいるのだろう?
プルプルと震える平凡に見える少女が、それゆえに不思議だった。
やがて……
ディアナは、ガハハと笑い出す。
「そうか、そうか。…… 間違って呼んだか」
「笑イ事、違ウ!」
「いやいや、大笑いするところじゃろうて」
ディアナは、心底楽しそうだ。
「あのドワーフめ、なんて手の早い! ウララ、やっぱり私と一緒に暮らしましょう!」
訳のわからない事を言いながら、リオールがガシッ! と暖の手を握る。
「ソレヨリ、私、死ンジャウノ?」
暖の心配を他所に、ディアナは笑い続けた。
「やっぱり花冠を!」
叫ぶリオールを、ディアナがまた杖で殴った。
――――――
そんなことがあって、とっても心配した暖だが、殺されることもなく翌日再びドワーフと会う。
「ゴメンナサイ!」
暖は、力一杯謝った。
「ああ?」
「名前、間違エタ。殺サナイ?」
ブルブルと震える暖にそう聞かれ、ネモは目を瞬いた。
「そんな事ぐらいで、いちいち殺してたまるか!」
彼に怒鳴られ、暖はホッと息を吐く。
「ソウデスヨネ。ソレクライデ、殺サナイヨネ」
安心して、ホッと胸をなでおろす。
「当たり前だ! 俺をなんだと思ってる! 名前を間違えた奴なんか殺すまでもない。二三発ぶん殴って地中に埋めて終わりだ」
暖は、胸に手を当てたままその場にヘナヘナと座り込んだ。
そんな事をされたら間違いなく死んでしまうだろう。
「ナ、殴ラナイデ ……」
プルプルと震える暖に、ネモは、呆れたような視線を向けた。
「今更、殴るわけがないだろう? それより、またあのマッサージってヤツをしてくれ。あれをしてもらうと痺れるような痛みが薄れる気がする」
暖は勢い良く頷いた。
それで殴られないなら、マッサージなんかお安いものだ。
「ああ、でも …… あまり気持ち良くさせ過ぎないでくれ。この前みたいに無防備に寝るのはゴメンだ」
ネモは、そう言った。
暖はキョトンとしてしまう。
「寝タクナイ? 何デ?」
「寝てる間に何か有ったら困る。油断して殺されるなんざ、戦士の恥だからな」
暖は、ますますネモが何を言っているのかわからなかった。
「私、殺シマセンヨ?」
もしかしたら、ネモは、眠っている間に暖が自分を殺すと思っているのだろうか?
「当たり前だ! お前に俺が殺せるものか!」
しかし、ドワーフは真っ赤になって否定した。
「ジャア、眠レナイ、何デ?」
「お前以外の敵が現れるかもしれないだろう!」
「此処デ?」
「いついかなる時も油断したくないということだ!」
ゼイゼイと息を弾ませながらネモは怒鳴る。
それを聞いた暖は、ようやく「アア」と納得したように頷いた。
「ダッタラ、此処ハ大丈夫。ディアナ、魔法守ル、強イ! ソレニ、何カアレバ、私、起コス!」
ドン! と胸を叩きゲホゲホとむせる暖。
それでも彼女は「ダカラ大丈夫」と言って、ニッコリ笑った。
ネモは、呆気にとられる。
「お前が、俺を起こす?」
「ソレデ、間ニ合ウ?」
「あ? ……あ、ああ」
「良カッタ! ジャア一生懸命マッサージスル! 寝テ、大丈夫!」
暖はそう言うとネモの足を揉みはじめた。
◇◇◇◇◇◇
暖のマッサージを受けながら、ネモは、心底戸惑っていた。
そういう意味ではないと、目の前の人間を叱ってやりたいと思う。
しかし …… 何をどう言っても、結局暖に押しきられるような気がするのは、何故だろう?
小さくひ弱な人間の女性。
ちょっとマッサージが上手いだけのとるに足らない存在のはずなのに、自分の大切な名前を間違えられても、ネモは殺さなかった。
(あの時、どうしてこいつを殺さなかったのだろう?)
ネモは不思議に思う。
いや、それ以前に大切な名前をこんな人間風情に教えた自分が信じられなかった。
暖は懸命にネモの足を擦っている。
小さな掌からぬくもりが伝わった。
(この温かさがいけないのかもしれない……)
いつまでも浸って動きたくなくなるような心地良さが――――
ネモは、まぶたがゆっくりと落ちてくるのを感じた。
意識が蕩けそうに、気持ちいい。
体から、余計な力が抜けて、温かさが満ちる。
「大丈夫。何カアレバ声、出シマス」
(……そういう事じゃない)
この人間はバカだと思いながら、ネモは意識を手放す。
そんなバカに身を任せて眠る自分は、もっとバカだと思いながら、…… ネモは、満足して眠った。