竜玉
結局、暖が無事地面に生還出来たのは、それから30分くらい経った後だった。
約束の時間になっても来ない暖を心配したリオールが、サーバスに泣きつき、あちこち調べてくれたのだ。
空中の暖に気づいたサーバスは、腰を抜かすほど驚いた。
そのサーバスに怒られながら、ディアナは渋々暖を下ろしてくれた。
………… 当然、ギオルは何も覚えていなかった。
「急にいなくなるから驚いたぞ。ウララは移動の魔法が使えたのだな」
逆鱗に触れられ自分が怒ったことなど、すっかり記憶の彼方のギオル。
いや、そもそも記憶すらもしていなかったかもしれない。
「使エマセン」
「そうなのか? おお、そうだ。移動の魔法と言えば、昔 ――――」
暖の返事に、訝しそうに首を傾げるが、それも一瞬、すぐにギオルはいつもの昔話をはじめてしまう。
暖は、どっと疲れた。
(まだ怒っているよりは、良いけれど……)
「ギオル! あなたという竜は! 暖は、あなたの尾に弾き飛ばされて、もう少しで死にかけたのですよ!」
暖の代わりに怒ってくれたのは、リオールだった。
うつ病のエルフは、暖が助かってからも、彼女を心配しずっと側にいるのだ。
ギオルは、目を丸くした。
「そうなのか?」
暖は、コクリと頷く。
ギオルは、長い首をひねった。
「そんなことが、あったのか?」
「ギオル!」
「ア、ア、イイヨ、リオール。私モ不注意ダッタシ」
リオールがギオルとケンカしそうになり、慌てて暖は、彼らの間に入った。
こんなところで ”竜 vs エルフ” などというファンタジー映画みたいな戦いを見たくはない。
暖に宥められ、リオールは、渋々引き下がった。
ギオルは、「ううむ」と考え込む。ふと、思いついたように頭を上げた。
「よくわからんが、暖は気に入っておる。…… もしも、わしが迷惑をかけたのなら、詫びと礼を兼ねてこれをやろう」
そう言うなりギオルは、グゲッと変な唸り声を上げはじめた。
ゲッゲッと長い首をふるわせて嘔吐く。
(え? まさか、吐くの!?)
暖が慌てたところで、ギオルは、ポンッと口の中に何かを吐き出した。
大きく鋭い牙の間に、光る玉が見える。
首を伸ばした竜は、それを暖の方に差し出してきた。
「エ?」
「スゴイ! ウララ、あれは竜玉ですよ。持つ者に幸運と竜の加護を与えると言われる伝説の玉です!」
興奮気味に、リオールが叫ぶ。
ギオルは、その玉を、牙のはえた口ごと近づけてきた。
暖は ………… 思わず目を逸らす。
(だって、ばっちい)
ギオルが体の中から吐き出した玉は、当然ながら涎まみれだった。
「長く生きてきましたが、私も本物を見るのは、はじめてです。ウララさあ早く受け取って」
感動に震えるリオールの言葉に、暖はプルプルと首を横に振る。
「大キイ。…… 持テナイ」
正確には ”持ちたくない” だったが、流石にそんなことは言えなかった。
暖は、ノーと言えない日本人なのである。
「大丈夫。正しい受け取り手が触れれば、それに合わせて大きさも変わるはずです」
さあさあと勧められ、暖は困った。
「早く。触れられるのはウララだけです。正当な持ち主以外に触れられた玉は、あっという間に不幸を撒き散らす呪いの玉になると言われていますからね」
……ますます触りたくなくなってしまう。
それでもリオールと、何よりギオルの期待に満ちた眼差しから、逃げられない。
仕方なく、…… 本当に仕方なく、暖は手を伸ばした。
ギラリと光る牙の間のヌラヌラとした玉に、震える指で ちょん! と、さわる。
ペトッとした感触に慌てて指を引っ込めた。
その途端、玉が爆発するような光を発する。
「ウギャ~ッ!」
暖は、ズザザッ! と飛び退いた。
なのに、光った玉は、どんな物理的な法則なのか、ギオルの牙をすり抜けて飛び出して来る。
(本当に小さくなった!?)
暖の目の前で、グルグル回りながら光を発し、どんどん近づいてくる玉。
「嫌々! 来ないで!」
暖は思わず叫んだ。
日本語で叫ばれた言葉は、幸いなことに周囲には伝わらず、リオールとギオルは首を傾げる。
「何と言ったのだ?」
「さぁ、でも嬉しそうに手を振り回していますよね」
とんでもない誤解だった。
竜とエルフが微笑ましく見ている前で、玉はますます小さくなり、暖の握りこぶしくらいの大きさになる。
一瞬、動きが止まった。
冷や汗ダラダラの暖と、玉が睨み合う。
(いや、玉に目はないけれど …… )
――――次の瞬間、
玉は、再び暖に向かって飛んで来た!
「ギャァ~ッ!」
暖が逃げる間もなく、玉は彼女のささやかな胸に、吸い込まれる!
衝撃も何もなく、体の中に沈んでいった。
「は、入った …… あの、ヌルヌルベトベトのキンキラキンの玉が …… 私の中に!」
呆然自失して、暖は呟く。
「良かったですね、ウララ。これであなたは竜の加護持ちです。――――今後、もしもあなたに危機が迫った時は、加護を与えた竜が瞬時に駆けつけてくれるんですよ」
それは、暖が危機に陥った時には、ギオルが来るということだろうか?
――――全く、全然、役立たなそうな加護だった。
ガックリ項垂れる暖。
嬉しそうなギオル。
「ギオルに負けていられません。私も何かウララに贈り物をしなければ!」
何故かギオルにライバル心を燃やすリオール。
「ダ、大丈夫ヨ、リオール。気持チダケ、嬉シイ!」
暖は慌てて断った。
認知症の竜に加え、うつ病のエルフにまで駆けつけられては、危機が大きくなるような気しかしない。
それに、リオールに負担はかけられなかった。
「優しいですね、ウララ」
「ソ、ソンナコトナイ! 優シイ、ミンナ、アリガト!」
そう、何はさておき、彼らが暖へ向けてくれる思いは、優しく温かい。
例えそれがヌルヌルの玉だったとしても――――
暖は、複雑な気分で自分の胸を見る。
(……まあ、変わった感じはしないし。だったらいいか)
そう思った暖は、ニコリと笑う。
彼女の笑顔に、満足そうなギオルとリオールだった。