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「さて、と。どうするかな」
黒い地面を蹴る黒馬と対峙しながら、セガワは横目でヒイたちが逃げたことを確認した。
正直なところ、彼女たちがいてもいなくても、何ら変わりはなかった。足手まといがいても守り切れる、なんて過剰な自信からくるものではなくて、もっと根本的な問題だった。
自分が負けることは既に確定しているのだ。ヒイたちを逃がしたのは、せめてこれくらいはこの世界に報いてやろうとしたまでだ。
格好良く登場した手前、激痛に苛まれる腹を抱えてうずくまることはできなかった。激しく動いたせいでヒイラギに刺された傷はより広がってしまった。
ここからでも見える、あのボロ雑巾のようなレインコートの正体は間近にしなくてもわかった。あれだけ苦戦した相手だというのに、あんな情けない死に様だ。そんな人間に不覚を取ったとなれば、自分があいつ以上にみっともない人間に思えてくる。
それだけは避けたいと、ヒイたちを庇ったのである。
黒馬と睨み合いながらも、気配だけでマジメを探す。黒丸に吹き飛ばされてから音沙汰がないが、そう簡単にくたばるとはセガワは欠片も思っていなかった。
なにせ、ただの石ころでこの世界を生き抜いてきたのだ。たかが黒丸の一撃程度で死ぬわけがない。
止まらない血が服を濡らしていくのがわかる。生きて帰ったらとしたら、この服は処分するしかないだろう。
「いや、希望的観測はやめとこ」
瀬川正という人間は、今日ここで死ぬ。
ヒイラギに刺された傷が深すぎたのである。いまも垂れ流しになっている血液は、そのうちすぐに致死量になる。いや、貧血のせいで黒馬に轢き殺されるかもしれない。どちらにせよ、死ぬことは直感的に理解していた。
既に息は荒く、これから足元さえおぼつかなくなるだろう。更には視界までかすんできて、そのタイミングを狙ったかのように黒馬が突っ込んできた。
一瞬の遅れは致命的で、だが、黒馬の角がセガワに突き刺さる前にあらぬ方向へと弾かれた。
「なにしてんだ、あんたらしくもない。他人を利用してでも生き残るのがあんたのスタンスだろうが。借りがあるんだから、返すまえに死ぬなよ」
ぶっきらぼうに言い放ったマジメは、セガワの隣に並んでまっすぐ黒馬を睨みつけた。手には聖剣よりも頼りになるヒイのスケッチブックがある。
鉄パイプとスケッチブック。パーティメンバーは二人だけで、いまから挑むのは魔王のような奴だ。それでも、投げ出すつもりは一切なかった。
「まったく、本当に物好きだなぁ、きみは」
隣に立ったマジメに苦笑を浮かべて、セガワは改めて鉄パイプを握った。
どうにも弱気になっていたようだ。確かに、誰かのために、なんてのは柄じゃない。
「こっちの勝利条件は?」
「朝まで持ちこたえること」
「じゃあその逆が敗北条件ってことだな。まったく、若い子は無茶出来て羨ましいよ」
「なんなら寝てるか? そのままぽっくり逝くかもしれないけど」
「勘弁してくれよ。まだ死にたくない」
死にたくない、という言葉に、全てが集約されていた。
幸運なことに、朝までそう時間は残っていない。なにせ、いまのいままでずっとあやを探していたのだ。もう太陽は上っていると見ていいだろう。だとすれば、あとはこの場を切り抜けて、現実世界でこの世界の主を見つけるだけだ。
「よし、来るぞ」
油断なく睨みつける先の黒馬が、 動きを見せた。それと同時に、周囲の黒丸たちも輪を縮めるように迫ってくる。かなりの数を倒したというのに、まだまだ存在している。
最初に動いたのは、周りの黒丸たちだった。
黒馬の一撃が必殺だと理解しているのか、ヤミコに指示されたのかわからないが、黒丸たちはマジメたち二人の足止めに入った。とにかく、この黒丸の輪の中から外へ出さないようにして、黒丸ごと轢き殺そうとしているらしい。姑息な手だ、と黒馬の向こうにいるであろうヤミコを睨んだ。
一番早くマジメに近づいてきた黒丸を、スケッチブックの角で消滅させた。同時にセガワが鉄パイプをわざと大きく振るって輪の一角を崩すと、そこにマジメが飛び込んでスケッチブックを振り回した。
撤退戦、とでもいうのだろうか、黒丸の輪のなかという限られたスペースで戦うのは無謀を通り越してただ馬鹿だ。わざわざ相手の土俵で戦ってやる必要はない。少しずつ後退していけば、それだけ黒馬は軌道を修正しなければならず、万が一焦れた黒馬が突進してきてもその精度は格段に落ちていることだろう。
作戦を話し合ったわけではない。もっとも生き残る可能性が高い行動を、お互いに取った結果がこの連携だ。黒馬の後方に控えるヤミコはさぞ歯噛みしていることだろう。
マジメが人一人分の道を割り開いて、そこをセガワが拡張する。それだけで二人は黒丸たちの囲いをやすやすと食い破ることに成功したのである。




