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ヒイはどうかわからないが、マジメは巻き込めない、などと殊勝なことを考えて黙っていたわけではない。シキとはただの協力関係だ。彼女の言葉は事実を言っているに過ぎないし、それを裏切り者と糾弾するほど狭量ではないつもりだ。
だが、
「ん? ああ、確かにそうみたいだね。でもせっかく私に会ったんだし、私の糧になってもらおうかな」
「ずいぶんと理不尽ですね」
「きみは馬鹿か? この世界の何を見てきたんだい。理不尽で横暴で不条理で、破壊だけを撒き散らす世界で常識は通用しないさ」
「なるほど、その口振りでは貴方もこの世界の真実を知っているようですね」
「なに? カマを掛けたつもり? 生憎だけど、少し長くこの世界に入れば誰でも知っているようなことだよ」
「ええ、その通りです。ですから、カマを掛けたつもりなんて一切ありませんよ」
訝しげだったヤミコの表情が苦々しいものに歪んだ。シキが言いたいことはつまり、だれでも知っていることをカマを掛けられていると判断してしまったヤミコは、何か知っているということだ。
そもそも、ヒイからヤミコのことはある程度聞いていたので、半ば確信的ではあったが、どうやらビンゴだったらしい。
「はぁ、もう面倒だな。じゃあ殺しちゃおうか」
その言葉に、いよいよ身構えたマジメたちは出遅れてしまった。
ヤミコはおもむろに駆け出したのだ。それも、マジメたちに向かってではなく、あやに向かって。
「ぁ……」
「いい加減、捕まってもらうよ」
落下してきてヒイラギの前で立ち尽くしていたあやの首を掴むと、ヤミコはそのまま吊り上げた。あやの足が地面から離れ、苦しげに表情を歪めたあやにかっと目を見開いたヒイは、遮二無二突撃した。
だが、彼女の手は届かなかった。
首を締め上げられたあやの体が、爪先から消失しはじめたのだ。うっすらと明滅し、徐々に上へ上がっていく消滅の薄光はヤミコへと取り込まれていくように見えた。
「あやちゃんっ!」
「ご、めんなさい。わたし、ここまでみた……おにいちゃん、覚えていて。おにいちゃ、の、きおくが鍵、なの」
「これ以上は喋らせないよ」
明滅の速度が上がって、あやの消失が早まった。しかし、あやは口を閉ざすことはなかった。
「わたし……に似てるひと、この世界のかみさまだから、探し……教えてあげ、て」
もはや胸から上しか残っていない体で、それでもあやは微笑んだ。立ち尽すヒイに向けて最後の言葉を紡ぐと、なんの奇跡も起こらないまま、彼女はヤミコに吸収された。
「また会いたいな……」
「うそ、ですよね? だって、こんな……こんな、こんなことって、そんな…」
「はあぁ、やっとだ、やっと一人になれたんだ! ふ、あは、あはははは!」
呆然とするヒイの呟きが、ヤミコの哄笑に飲み込まれた。
「これでやっと邪魔者がいなくなった! これがっ私の、私の世界だ!」
「おい、不審者ヘルメット。ご満悦のところ悪いけどあの子はどこにいった」
ひどく厳しい表情のマジメが、拳を握り締めながら言った。
「見てなかったのかい? それとも節穴なのかな? まあいいや、気分がいいから教えてあげるよ。あの子は元々私の一部だったんだ。どういうわけか、私から離れて別人格になったようだけど、それももう今日で終わりだからね。完全な私が、この世界を支配するんだ!」
「支配? 貴方が黒幕ってこと?」
聞き捨てならない言葉に、表情を険しくしたシキが睨みつけた。
「そうさ、私がこの世界の支配者さ! ああでも、勘違いしないでほしい。ラスボスを倒してクリアできるほど、この世界は甘くないよ」
「なるほど、ラスボスね。くそったれ」
忌々しげに吐き捨てたマジメが、体を震わせるヒイを気遣わしげに見遣って、唇を噛み締めた。
ヤミコの言葉を信じるのであれば、おそらく彼女を殺したところでこの世界からは抜けられないのだろう。ヤミコの言葉だけであれば、一笑の下に蹴散らしていた。しかし、あやの言葉が引っかかるのだ。この世界のことを、この世界を作り出した本人に教えればすべては解決する。あやの言葉をまとめるとこうなるのだろう。そして、その鍵を握るのはマジメだと言っていた。しかし、マジメの記憶には異世界を作り出せる人間など存在しない。あやに似ている人間も探してみたが、こちらも見つからずにいる。名前だけは同じでも、容姿が違いすぎるのだ。きっと、常盤彩はこの世界と無関係だ。
では他に、誰がいるのか。
あやは自分と同じ人間を探せといった。ヤミコは、あやは自分の一部だと言った。ならば、ヤミコのヘルメットの中にその答えがあるのではないのだろう。いささか暴力的ではあるが、あのフルフェイスヘルメットを引っぺがして確認するのが一番早い。
腰を落として身構えたマジメへ視線を向けたヤミコが、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「レベルを上げて物理で殴るってことかな? でも残念。質よりも量なんだよ。君が倒し損ねた彼らと遊んでもらおうか」
ぱちん、と指を鳴らすと、ヤミコの周りに黒い霧が渦巻いた。
渦巻く霧は、徐々に形を作り出していく。
丸い頭部、首のない胴体。丸太のような腕。最後には眼窩がぽっかりと口を開けて、黒丸になった。
その数は、無数だった。数える間に増えていく黒丸に目が眩んだマジメが、思わず舌打ちをする。
どこにも隙間はなく、ヤミコを中心にして黒丸はのろのそと動き出した。足蹴にされたヒイラギの体が、無残にもひしゃげていく。
「あははっ! よくこんなに吹き散らしたもんだね! 逆に尊敬しちゃうよ! 見てよこの数! もう歩くスペースだって存在しないよ!」
なにが面白いのか、ずいぶんとハイテンションなヤミコを無視して、マジメは足元に転がる瓦礫を拾おうとした。しかし、この石ではだめなのだ。この黒い石では、黒丸たちを倒せない。歯噛みして、マジメは叫んだ。
「俺が道を作ります。とにかく囲まれているのはまずい」
「そうですね。では私が後ろを引き受けますから、郡山さんは小田原さんを見失わないようにしてください」
苦々しい表情のシキを嘲笑うかのように、ヤミコの声が黒丸の向こうから響いた。
「まさか、逃げられるとでも思っているのかい? 本当におめでたい人たちだ」
「うるせえっつの。是が非でも押し通るっ!」
ヤミコに向けた悪態というよりは、おのれへの鼓舞である。周囲を囲む黒丸の姿に足が竦んでしまいそうになったが、前にも同じことがあったはずだと叱咤して、マジメはシキへ視線を向けた。
首が縦に振られたことを確認して、マジメはヒイの手を握って踵を返した。途端に押し寄せてくる黒丸たちの動きを横目で見遣って、目の前にいる黒丸に石を投擲して散らすと、後続の黒丸が穴を埋めようとするよりも早くその穴に飛び込んだ。
四方八方から伸びてくる黒い腕に捕まらないよう、ヒイの細い腕を引きながら前へ進む。しかし、生まれた穴はすぐさま塞がれてしまって、一瞬前と同じ光景になってしまった。
ならば、
「借りますよ!」
「えっ、あ……はいっ」
半ば強奪するような形でヒイが抱えていたスケッチブックをひっつかむと、伸びてきた腕目掛けて叩きつけた。
紙束がぺしゃりと折れ曲がる光景を想像したが、逆に黒丸の腕が消滅していた。
セガワの言うことであれば、多少信用することが出来る。
ヒイラギやヤミコよりはよっぽど。




